「高次脳機能障害と仲間たち」⑤ 「本人は変われない。家族のあなたが変わらなくては」

09.04.19 by   カテゴリー : 日々の出来事

untitled  介護福祉士として老人施設で働いていた市川ともみさんは、高次脳機能障害の夫に付き添う為に仕事を辞め、一緒にリハビリ生活を続けている。その様子の報告です。

 「私の場合は、高次脳機能障害の中でも特に重度の記憶障害が残っており、記憶が出来ないこと、病識がない為、皆さんに説明するもの、メモを見ないと上手くいかない有様です。」主人が毎回自己紹介で話している内容です。41歳の時にくも膜下出血で倒れて、3年7ヶ月が過ぎました。
 最初病院では障害の説明はなかったですが、リハビリの計画書に「高次脳機能障害」と明記されていたのが、この障害との初対面でした。初めの3ヶ月は、とにかく歩けて、一人でトイレに行けて、一人で食事ができればいいというだけが願いでした。
 リハビリ病院に転院し、以前は頭の傷をかばう為に私がいない時は常に拘束をされていたので、自由に動けるだけでも本人を元気にさせる環境でした。
 しかし、相変わらず「意味不明のことを言ったり」「トイレが頻回で、行っても戻ってこられなかったり」、「タバコを求めて、お金も無いのに病院からタクシーで駅まで行ってしまったり」がありました。記憶も全くできないので、主人の障害が明らかになり、受け止めざるを得なかったのが、この頃です。「重度の記憶障害」で、記憶検査では2分もたないと言われました。また、見当識の低下、発動性の低下、病識欠如等。
 7ヶ月の入院生活後、自宅に戻ることになりましたが、「主人をどうしたらいいか?」「生活の為に働きたいが、主人を預ける場所は?」など不安がありました。ここまで元気になったのだから、後戻りはせず、かなり夢に近い状況でしたが、「社会に出ること」を目標に決めました。病院でも細かく今後の目標を相談にのって頂けました。
 主治医からはまず「体力をつけること」の指示がありました。そのために平日は外に出る事にし、自宅での脳トレ以外に、散歩や「市営のジムやプール」へ通い、リハビリ病院にはあえて週3回に分けて通う事を勧められ、短い時間でも3回に分けて常に一緒に行動していました。外に出るといろんな失敗もあり、主人にとってはいい環境でしたが、私はひやひやドキドキでした。
 また、その頃から「高次脳」とつくいろんな講演会にも参加しました。主人が理解できなくても、自分の事として気付いてくれたらと思いました。実際は一人でおいては出かけられなかったので、連れて行くしかなかったのも事実です。
 主治医は「記憶させるのは難しいが、習慣化していくことを心がけて」と言われました。自宅では1日のスケジュール作成が朝の日課で、記憶できなくても見れば気付けるように、本人の好きな写真や家族の写真入りのスケジュール表を毎月作っていました。
 また、仕事(病気前までは老人施設での管理栄養士)がら料理が得意でもあったので、毎食一緒に作ることを退院後すぐに始めました。どんな時でも、「何したらいい?」「どうしてほしい?」「次はどうする?」という感じで、ひとつひとつ指示を出す状況でした。顔を洗うにも髭を剃るにも、着替えも全て言わないと出来ず、3ついうと1つしか出来ずに戻ってくる感じで、今でもあまり変わってないこともあります。お風呂も体を洗ったことを忘れ、出たり入ったりを繰り返してしまいます。上着を全てズボンの中に入れてしまうことも度々でした。前頭葉の右底部の血流が低下している主人の症状は、日常の基本動作が上手くいかないという症状でした。当たり前に生活してきた習慣が出来ないという現状で、問題に気付かないのです。

ー家族の気持ちの持ちようは
 私が「もう疲れた~!」と言ってしまったこともあります。しかし主治医に「本人は変われないのです。まずは家族のあなたが変わらなくてはいけない」、と言われました。
 この言葉で、失ったものばかり目が行き、「良くしたい、良くなってほしい」という気持ちが先行してしまい、無理をさせていたのではと反省しました。出来ないことをどの様に工夫してあげたらいいか、できる事を伸ばし自信をもたせる考え方に変えていこうと感じました。
 次の目標が「一人での行動」でした。まずはリハビリ病院内を一人で移動することから始め、ファイルに「地図と時間割、先生の写真、全ての手順」を書いて持たせ、私は定位置にいるようにしました。いろいろ確認してきても、「ファイルを見て」と声をかけるだけにしました。何度も私をおいて病院から駅に向かうバスに乗られてしまったかわかりませんが、いい経験をしました。
 実はリハビリ病院に入院してる時から携帯を持つことを言われていました。あくまでもGPS機能で、どこに行ってしまっても居場所を特定する為でしが、その頃からメールも頻繁に練習していました。病気前よりは使い方の範囲が狭まりましたが、経験記憶はしっかりしていたと思います。そして、1日のスケジュールも携帯で管理をしだしました。
 一人で行動をするようになると、かなりの量でメールがきました。「どこに行くの?」「どこで降りるの?」「自宅のある駅はどこだっけ?」10分おきにきて、回答する前に通り過ぎたりもありました。やはりこの時も「メモを見て」「携帯のスケジュールを見て」に統一してました。説明をしてあげたい気持ちを抑え、「習慣化!習慣化!」と自分に言いきかせてました。
 2年が過ぎた頃から、「同じ障害の方々の中に入り、コミュニケーションをとり、自分の障害にも気付く」という目標を言われました。どこに参加したらいいか悩んでいた時に、調布ドリーム(*高次脳機能障害とされた人や家族のリハビリ・親睦団体)を紹介して頂けました。今までになく私が主人と一緒に参加できたことは、主人以上に私にとっても楽しめ、いろんな方の経験を聞け、自分の話も聞いてもらえる場でありました。ひとつひとつが中身の濃い内容で、とても意味のある体験が主人も私もドリームで出来ました。主人が明るくなったのもこの頃です。主人にはドリーム内で役割も頂け、責任感を持って取り組めるのは病気後は初めての経験で、大きな進歩でもありました。
 確実に以前よりは良くなっています。行ったり来たりでも、焦らず諦めず、主人とこの障害と仲良くしていくしかないと思います。
 最近、「昨日の自分も今日の自分も明日も解らないや」、「頭が壊れちゃった」という時もあります。本当に辛いと思います。楽しい事も美味しかったことも全て忘れてしまいますが、過去を振り返らなくても一瞬一瞬が楽しめればいいと今は感じています。
 昨年12月から就労支援を利用して働く手前の段階に入りました。行く場所があるということが、主人の励みにもなり、頑張れると思います。また、家族にとっても安心して着実にいこうと思えます。どんなことがあっても迎えてもらえる居場所と理解してもらえる環境が本人も家族にも必要です。
 ここまで来れたのは、病院での沢山の方との出会いと先輩家族の沢山の助言、そしてドリームの仲間との出会いがあったからです。ドリームでは代表の矢田さんをはじめ家族の方々やボランティアの方々の積極的な関わりで本当に明るく前向きにしてもらえました。
 失ったものは大きいですが、得たものはそれ以上に大きいです。

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(写真はご主人の様子。)

 

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