「本棚のまわりで」 もうひとつの絵が立ち上ってくる

09.04.26 by   カテゴリー : コラム, 本棚のまわりで

kmurakami 小説やエッセイを読んでいると、新たなイメージがわきあがってくるときがある。美しい比喩、巧みな風景や心象の描写に喚起されて、それまで見たことのなかった映像が自分の中で立ち上ってくる。架空のアジアの小国で朽ち果てるままに捨て置かれた寺院であれ、甘ったるくも喧噪に満ちたブエノスアイレスの夜であれ、未知の映像が鮮やかに描きだされる瞬間は、本を読む時ならではの大きな喜びを感じる。

だが村上香住子の新著『恋愛、万歳』(新潮社)は、読んでいるかたわらで、自分の過去の小さな物語、かつて自分がその場にいたときの映像が、もう一度現れてくるような不思議な感覚を味わった。ガラス窓に濡れて張りついていた落ち葉が、乾いて少しずつはがれ落ちるように、見知った、だけど記憶の中に埋もれていた絵が窓の中に浮かび上がってきた。

彼女が読んでいた本や住んでいた家に始まって、家庭環境や年齢、仕事上の経験は、私のそれとはことごとく異なっている。だが、もしその場面が紙でできているならばくしゃくしゃに丸めたくなるような感覚、その風景をぼんやりと思い出すときに味わわずにいられないざらりとした感触、といったものに、共通点を多く発見した。それは、どんな内容の話であれ、底に流れる乾いた孤独感が私の個人的なそれに通じるものがあるからなのかもしれない。

フランス語翻訳家としても知られる著者は、長くマガジンハウスのパリ支局長を務めた。時折雑誌で見かけるその名前は、銀線の入ったグラスのような「ムラカミカスミコ」という語感と、彼女が提供する彼の地のファッションや美術など流行の話題とが相まって、フランス文学や文化に精通した、おしゃれで知的な人というイメージを抱かせた。

いや、正しくはそんなイメージしか抱いていなかったのだと、『恋愛、万歳』を読んで気がついた。

昭和初期、著者の母は両親に決別の手紙を送る。著者が、母の死後にそれを初めて読んだことから、この回想録が始まる。自由と愛を追い求めた母の人生に重ねながら、著者は自らのこれまでの自らの道――二十歳でのフランス人との結婚、駐日フランス大使との交流、70年代の文化を先導する華やかな人々との交遊、パリでの生活――を振り返っていく。

『恋愛、万歳』には、いたるところに、ひりひりとした孤独が見え隠れしている。パリの魅力をつづった、彼女の『巴里ノート 「今」のパリをみつめつづけて』(文藝春秋)にあるような、たんたんとした、でも透明感や明るさに満ちた筆致とは趣を異にする。でも、このぬぐいきれない影、澱のようなものが同書を魅力的な一冊にするとともに、著者の新たな顔を発見させることにつながっている。

駆使される数々の比喩は、時に過剰に思えないでもない。だが、著者の隠し立てをしないもの言いに中和され、バランスが取られている。その風通しのよさは、書くものもスタイルも全く違うが、岩井志麻子の著作に通じるとさえ感じられた。

 当初は『恋愛、万歳』というタイトルがやや唐突に、あるいはあまりに直截的に思えた。読む前から読者を突き放すようなところがあるようなタイトルだと感じた。だが本書の最後で、この言葉が何に由来しているのかを知った今、これ以上ふさわしいタイトルはないように思える。そしてその高らかな叫びは、張りついた孤独感で凄みを増している。

 

               *** 

 (「本棚のまわりで」コラムのイラスト:Hiroyuki Nakamura 

 

村上香住子: 二十歳で渡仏し、二年後に帰国。1974年よりフランス語通訳、翻訳家として活動。1985年にマガジンハウスのパリ支局長として再度渡仏。以後2005年までフランスで取材・執筆活動にあたる。 

 

 

 

 

 

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