ノマドのまなざし②~イランの首都テヘラン~
09.04.28 by 南野 陽子 カテゴリー : コラム, ノマド(遊牧民)のまなざし
「えっ!イランのテヘラン!?一体どんな所なの?」
私は6歳の時、父の転勤で中東・イランの首都テヘランに家族で引っ越しすることになりました。父が手当たり次第に買い集めてきたイランに関する本を開いてみると、そこには砂漠やラクダ、モスク(イスラム教寺院)などの写真が出ていました。しかし当時はテヘランの生活に関する情報はとても少なかったので、私達家族は自分達が一体どのような環境で暮らすことになるのか想像もつきませんでした。
いざ訪れたテヘランで、私が生まれて初めて会話をした外国人は、空港に迎えに来てくれた、父の会社で運転手をしているホセインさんというイラン人男性でした。私はとても緊張していましたが、日本で一生懸命練習してきた「マイ・ネーム・イズ・ヨウコ」のフレーズを思い切って言ってみました。すると彼はとても喜んで「ヨゴジャン!」と言って私を抱きあげてくれたのです。なんだか変な発音だなと思ったのですが、後でペルシャ語では日本語の「ちゃん」と同じニュアンスの愛称として「ジャン」という言葉があるのだと知りました。今思えば異文化との交流は、最初から私の想像を超えるものでした。
ープラタナスの街並み
ホセインさんの運転する車から見た空港周辺の景色は、それまで目にしたこともない、茶色の地肌がむき出しの荒れ地で、私は長旅の疲れも忘れて窓ガラスに張り付きっ放しでした。ところが、やがて到着したテヘラン市内は対照的に緑豊かで、ペルシャ語でチェナールと呼ばれるプラタナスの街路樹がある現代的な街並みでした。イメージしていた砂漠やラクダの風景とは全く違っていたので、とても驚いたことを覚えています。
それからの日々は、私にとって未知の世界との遭遇でした。実際に行ってみるまでは「暑いところ」というイメージしかなかったテヘランですが、思いのほか寒暖の差が激しく、冬には雪も降りました。秋になると市内のチェナール(プラタナス)が黄色く色付き、とても綺麗だったことが特に強く印象に残っています。また、高地にあるため乾燥状態は想像以上で、洗った食器は置いておくとそのまま乾いてしまうので、拭く必要もありませんでした。夏には学校の体育の授業で、校庭で運動する生徒達に先生が脱水状態にならないように、ホースで水をかけて気を配ってくれるのですが、それもあっという間に乾いてしまいました。
生活インフラに関してはその頃のテヘランではまだ頻繁に停電や断水がありました。学校から帰宅すると母に「電気がついている間に宿題をしなさいよ!」と言われるのですが、私と弟はついつい外で遊んでしまいました。結局いつも停電になってしまってからロウソクや懐中電灯の光を頼りに宿題をしていたものです。
その一方で、革命以前のテヘランでは様々な物資を調達することが可能でした。その中でも乳製品はとても美味しく、私達兄弟はピンクやグリーンの綺麗な色のバケツに入れて売られている、ヨーグルトやアイスクリームが大好物でした。また、パン屋さんに行く代わりに、おじさんがロバの背中に乗せて売りに来る焼きたてのヌーン(インドのナンと同様の中東風のパン)を、毎日買って食べていました。
ー異なる時間の観念
私達家族が接したテヘランの人々は、日本人から見ると全く違う時間の観念をもっているように見えました。運転手のホセインさんは毎朝のように遅刻して到着しました。治安の関係で送迎の車以外には移動の手段がなかったので、父はいつもとても困っていました。また、お手伝いのパリーさんが来るべき日に来ない、といったことも日常茶飯事でした。初めの方こそ様々な事が予定通りにならない状態に、家族全員で振り回されていましたが、時間が経つにつれて、この「予定通りにならない状態」やイランの人達の超マイペースにも徐々に慣れていきました。
そんなイランの人々にとって宗教=イスラム教だけは全く別のもので、革命以前の当時でさえ驚くほど厳格に教えが守られているのには本当に驚きました。私がイランのことを思い出す時に、まず脳裏に浮かぶのは、一日5回聖地メッカの方角に向って一斉に祈りを捧げる人々の姿です。他のことでは時間を見て生活しているのかと思うことさえあるイランの人々が、モスクの中だけでなくあらゆる場所で一斉にひざまずいて、時間通りに祈りを捧げます。イランのどの街を訪れても見かけるその風景は、私の心を捉えて離しませんでした。
ー砂漠、星空
私達家族は週末や休暇になると、ホセインさんの運転する車に乗って、イラン北部のカスピ海、中部の都イスファハーンにあるモスク、南部のシラーズにある古代遺跡ペルセポリスなど各地を訪れました。私は一本道を何時間走っても続く砂漠の広大さや、まるで降ってくるかと思うくらいの満天の星空に驚き、想像を遥かに超える遺跡やモスクの壮大さに夢中になりました。日本にいた頃から乗りたいと思っていたラクダに初めて乗った時には、立ち上がると2メートルを超える高さに、怖くて声も出ませんでした。ただ、その高いラクダの背中の上から眺めたペルセポリスの遺跡の光景は今でも脳裏に焼き付いています。
このような体験を通して「日本とは全く異なる世界、そして日本人である自分たちとは異なった価値観を持つ人々が存在するのだ」ということを子供心にも知ったことは、私にとって衝撃的な体験でした。そしてその体験を通して、新しい文化に出会い、新しい価値観を知ると、自分の世界が驚くほど広くなることを肌感覚で覚えたのです。
もちろん、そのようなことを当時の私が頭で理解出来ていたわけではなく、ただぼんやりと感覚的に感じ取っていただけです。それでもこれらの体験は、私の未知の異文化への好奇心をかき立て、「大人になったらもっともっと世界中の知らない国を訪れてみたい!」と強く思うきっかけになったのです。
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