「本棚のまわりで」 あの、いつもの佐野さん
09.03.01 by Tokyo57577 カテゴリー : コラム, 本棚のまわりで
もし記憶に誤りがなければ、20年くらい前、佐野洋子が詩人との結婚発表の記者会見に臨んだものの、途中でいたたまれないといった表情で席をたってしまったことがあった。結婚を自分と関係のないひとたちに向けてわざわざ発表すること、また、さすがに金屏風の前ではなかったと思うが、仰々しくそんな席に座ることにどうしようもない恥ずかしさを覚えてのふるまいだったように見えた。ああ、佐野洋子はまっとうな人だな、との感を強くした。
佐野洋子著『神も仏もありませぬ』(筑摩書房)は、2003年に単行本として出版されたエッセイが最近文庫化されたもの。群馬県の山中で暮らす六十代半ばの彼女。呆けた母親、友人たちとの日々のやりとりが、彼女のやさしくも常に一定の距離を保ったまなざしで綴られている。
相手が誰であれどんなものであれ、佐野洋子はいつも、すぱっと切れるナタのように譲れないところはひとつも譲らない。恥ずかしいと思えるものには、他人がどう考えようと手を差しのべない。だがその一方で、それまで気づかなかったこと、知らなかったことが自分にしみいってくると感じると、ふところ深く受けとめる。どうしようもなく愛しいと思うものは惜しみなくかき抱く。
安っぽい物差しの目盛りに自分を合わせたりはしない。
ベストセラーになっている絵本『100万回生きたねこ』(軟弱な私は、つい涙と鼻水混じりになり、どうしても最後まで読めない)の著者として有名な佐野洋子だが、私は『おじさんのかさ』が好きだ。
この絵本の主人公「おじさん」には気に入っている傘があり、それをぬらすのがいやでたまらない。雨降りの日も傘を手にしてはいてもさそうとせず、他人の傘に入れてもらう。だがあるとき子供が歌う雨の歌に誘われて傘を開き、傘の本当の楽しみ方を知る。「おじさん」は、傘がぬれているのはいいものだと思う。傘の愛し方を知るのだ。佐野洋子のエッセンスが表れている絵本だと思う。
『神も仏もありませぬ』に佐野洋子はこう書く。
「そして、六十三歳になった。半端な老人である。呆けた八十八歳はまぎれもなく立派な老人である。立派な老人になった時、もう年齢など超越して、『四歳ぐらいかしら』とのたまうのだ。私はそれが正しいと思う。私の中の四歳は死んでいない。雪が降ると嬉しい時、私は自分が四歳だか九歳だか六十三だかに感知していない。」
文庫本で230ページほど。さらっと読めてしまう。でも読後は、「あの、いつもの佐野さん」を確認する。
表紙にあるような、煩悩だらけの菩薩のような彼女の挿画もこの本にふさわしい。
2002年の芥川賞受賞作、長嶋有の『猛スピードで母は』の表紙に佐野洋子の絵が使われている。『神も仏もありませぬ』を読んで、彼女と長嶋有との間に作家と挿画家以上のつながりがあることを知った。『猛スピードで母は』にはずっと食指が動かないでいた。でも『神も仏もありませぬ』で「ユウ君」のくだりを読み、手にとってみようかな、と思っている。
***
佐野洋子(1938年 – ):作家、エッセイスト、絵本作家。『100万回生きたねこ』は人生や愛について読者に深い感動を与える絵本として子供から大人まで親しまれている。『神も仏もありませぬ』で2004年度の小林秀雄賞を受賞。
(「本棚のまわりで」コラムのイラスト:By Hiroyuki Nakamura )




Comments