「ノマド(遊牧民)のまなざし」~プロローグ~
09.03.04 by 南野 陽子 カテゴリー : コラム, ノマド(遊牧民)のまなざし
「あなたってまるでノマドみたいね。」私は15才でピアノの勉強のためにウィーンに留学しました。そこで知り合ったヨーロッパの人々が、日本人でありながら幼少から中近東のテヘラン(イラン)や極東の台湾で育った私の生い立ちを知るとこんな風に表現するのです。辞書で調べてみると「ノマド(Nomad)とは遊牧民で牧畜に必要な水と草を求めて常に移住する」と記されていました。
辞書の説明を読んだ私の胸がちくりと痛みました。父の仕事の関係で暮らしていたテヘランでイラン革命に遭遇した私達家族は、すべての家財を置いたまま逃げるように帰国、日本に帰ってからも適応するのにとても苦労した経験があったからです。小さなリュックとペルシャ絨毯(持ち運べる物の中で一番高価だったから)を抱えて家を出た日やその後の失意の日々を思い出し、私はヨーロッパでも自分の居場所を見つけられないのかもしれない‥と悲しい気持ちになりました。
ーノマドの深い意味とは
しかしその後、ウィーンでの滞在が長くなるにつれて、私はヨーロッパでの「ノマド」という言葉の持つ別の意味合いを少しずつ肌感覚で理解するようになりました。
ヨーロッパでは『ヴォーグ』や『エル』といったファッション雑誌だけでなく、ビジネスや総合雑誌でも夏のバカンスの時期はもちろんのこと、一年を通してことある毎に旅の特集が組まれています。そしてそこにはアフリカや中近東などの異国情緒あふれる写真と共に、繰り返し「ノマドのように」といった表現が登場します。彼らにとってノマドのように世界中を旅することはとても素敵なことだと思われているようでした。
エルメス、ルイ・ヴィトンといった「旅」をテーマとしている2大メゾンにも「ノマド」と呼ばれるコレクションがあるくらい、ヨーロッパ人はこの言葉に対して憧れにも似たエキゾチックなイメージを持っているのです。
どうやらヨーロッパ人にとってノマドという言葉は単に遊牧民という直接的な意味に留まらず、「ノマド的なもの」あるいは「ノマドの知」といった、より観念的な意味を持っているようだということに私は気がつきました。
ー芸術とノマド
「ノマドの知」がもたらすものとして注目されるのは価値観の多様性です。遊牧民であるノマドは異なる価値観の成否を追及するのではなく、多様な価値観を認めることによって、その背後にある根源的なものに迫ることが可能になります。その根源的なものを発見することにより時として思考や芸術において新たなものが生み出されることにヨーロッパ人は大きな関心を寄せているのです。私はヨーロッパに住んでみて初めてノマド的である自分が多様な価値観を認めることが出来るという点で評価してもらうことができました。
そしてもう一つ重要なことは、国境を越えて常に新しい環境や人々に接するノマドにとって欠かすことのできないものがコミュニケーションだということでした。彼らはコミュニケーションを通して新たな環境に融合していくからです。
このことを知った時、私は「確かに自分は正真正銘のノマドかもしれない」と思いました。なぜならそれまでの私の人生においてコミュニケーションとは生きていくことそのものだったからです。
子供の頃から数々の異文化の壁と対峙する経験は、自分にとって冒険(アドベンチャー)の連続でした。その冒険(アドベンチャー)を乗り越えることが生きることそのものであり、そのためにどうしても必要不可欠だったのがコミュニケーションだったのです。
私が経験してきた様々な文化圏におけるコミュニケーションとは、日本でコミュニケーションという言葉でイメージされるものよりもずっと原始的で、泥臭く、時には攻撃的でさえあります。そしてそれは自分が生きていく上で道を切り開いていくために必要なものなのです。
言葉さえ通じない異国でのスタートはいつも過酷です。でもあきらめないで自分の周りの人々や社会に対してコミュニケーションという形を取りながら働きかけていけば少しずつ道は開けていくのだということを、私は様々な異文化と対峙し、やがて融合する経験を通して覚えていったように思います。
このコラムでは見知らぬ国に降り立った時のあのわくわくするような気持ちを思い出しながら、私の様々な経験を「ノマドのまなざし」という視点に立って書いてみようと思います。そしてヨーロッパに暮らしたおかげで、今では宝物のように感じることが出来るようになった自分の「ノマドのような」体験を綴ることによって、人生におけるコミュニケーションの尊さ、苦しさやどろどろとした葛藤の先にあるその素晴らしさをみなさんにお伝えしたいと思います。




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