異国で ーイスラム教徒の女性たちとスイミング・プール そしてブルカ

10.06.21 by   カテゴリー : 世界の窓, 日々の出来事

 ロンドンの「公営のスイミング・プールが、イスラム教徒の女性だけを特別扱いしている」-そんな声を在英の親戚の男性から聞いたのは、もう数年前のことだった。何でも、素肌を家族以外の男性に見せたくないと思うイスラム教徒の女性たちが、女性オンリーの水泳時間を作ってもらい、窓は外から見えないようにブラインドでおおって泳いでいるというのである。

 「いくら何でも、これはやりすぎだよ。役所も役所だよ。そこまで特別扱いすることはないよ」-。不満やるかたない感じの男性の弁であった。

 私自身は、どちらとも言えない思いがした。確かに変わっているけれど、イスラム教徒の女性だってプールで泳ぎたいだろうしなあ・・・と話を半分で聞いていた。

 さらに男性が続けるには、バイクを運転する際に義務付けられるヘルメットの着用は、「移民の一部」には適用されないのだという。頭にターバンを巻くシーク教徒の住民たちが、宗教上の理由からターバンを脱ぐことはできないとし、例外が認められたのだという。「ここからおかしくなったんだ」。

 私はここ2-3ヶ月ほど、定期的にこの公営プールに通うようになった。今日は日曜日。いつもは午前中に行くのだが、今日は晩御飯の前に少し泳ごうと思って、午後5時から始まる、「女性のみ・レーン泳ぎ(プールを縦に泳ぐ)専用」の時間を選んで出かけてみた。

 5時少し前に受付に到着すると、長い行列ができていた。そのほとんどが、イスラム教徒のスカーフをかぶる女性たちだった。多くが子連れである。

 受付から視線を横にずらすと、プールに隣り合わせになっているカフェとプールの間のガラスの窓についたブルーのブラインドが閉まっていることに気づいた。プールは大きなガラスの窓に囲まれており、太陽の光が室内に降り注ぐ形になっているが、この四方の窓のブラインドも閉まっている。そこで、何年か前の、親戚の男性の言葉を急に思い出したのである。

 着替えてプールに飛び込むと、いつもはさんさんと太陽の光が入ってくる大きな窓がすべて外からは見えないようにされていることに、圧迫感を感じた。どうも居心地が悪いなあと思わざるを得なかったーおそらく、この次来たときには慣れるのだろうけれど。

 その一方では、子供用プールで、子供たちと一緒になって泳ぐ母親たちの表情を見ると、「やっぱり泳ぎたいんだよなあ」とも思ってしまう。

 女性たちの水着は通常の水着よりも体を覆い隠す部分が多い。スカート型になっていたり、レギンスを下にはいていたりする。手足と顔以外をすっぽり隠す水着を着ている人も多い。色はほとんどが黒である。日曜日の、それもたった2時間しか、イスラム教徒の女性たちには専用の時間がないというのはかわいそうな気がした。

 プールの監視員たちはいつのまにか、全員が女性になっていた。

 ―違和感を持つのはいいことか?

 窓ガラスが覆われたプールで泳いでいる私は窒息感を感じていた。それはやはり、男女が水着になって、公の場のプールや海でともに泳ぐという体験をしてきているからであろう。こんな形の泳ぎ方がどうにも不自然に感じるのだ。

 私はこの一種の居心地の悪さを、自分の中で、じっくり考えてみたいと思っている。何故自分がそう思ったのかを。

 親戚の男性の怒りは、「ルールが変わった」点にあった。通常だったら、男女が分け隔てなく泳ぐのだけれど、そういうこれまでのやり方をこの公営プールでは「曲げた」あるいは「変えた」わけである。おそらく、イスラム教徒の女性たちからのリクエストがあったのであろう。違う文化の人が英国にやってきて、英国社会がこの人たちのニーズに合わせてこれまでのやり方を変えたーそのことを親戚の男性は「どうして自分たちの側が変えないといけないのか?」と怒っていた。「相手(移民)が自分たちの社会のルールにあわせるべきなのに」という思いがあったようだ。

 私は、イスラム教徒の女性が着用する、全身をおおう「ブルカ」や「ニカブ」についての議論を思い出していた。イスラム教徒の女性が公の席では他の男性に頭髪を見せないようにするためにスカーフを頭にかぶることを、多くの非イスラム系の英国民は十分に理解しているし、まったく問題はないのだが、近年、英国民の多くから拒否感がおきたのは全身をおおい、目だけを出した「ニカブ」の着用である。テレビでインタビューされていた、ニカブ着用の女性たちは宗教心を理由にあげていた。

 また、語学を教えていたある女性が、ニカブを着用し、子供たちが先生の口元が見えないので覚えにくいという理由で、解雇されたことがニュースになったりした。

 英国では、おもてむきにはブルカやニカブの着用を批判しにくい。特に政治家がもし批判でもしたら大変だ。メディアの袋叩きにあってしまう。何せ、「多文化・マルチカルチャー」を奨励する英国である。

 私は、女性が「頭髪ばかりか、体全体も顔もおおい、出せるのは目だけ」という感覚は、現代の英国社会の中ではかなり異質なものだと考えている。「異質=悪い」と言いたいのではない。しかし、社会の半分を構成する男性に対して、ここまで距離感を持つ感覚とは、一体どういうことだろうと思う。「男女は平等であり、一人の人間として他の人間との間に上下はない」―この社会の基本的な考えの部分からすでに価値観を共有していないとすると、果たして互いを理解し、幸福な社会を作っていけるのだろうか?それとも、それぞれがばらばらの価値観を持ち、互いに干渉せずに生きていくのか?ブルカやニカブの着用を一義的には批判してはいけないのが英国の常識だが、その裏にある考え方の大きな違い、隔たりは水着やスカーフ、ブルカといったことだけにとどまっているだろうかー?

 今後どうなるのか、どうなるべきなのか、私には答えはない。しかし、女性のスカーフ(あるいはブルカ、ニカブ、水着)には、非常に深い意味があるように思う。・・・ということを、つらつら考えながら、泳ぎ終えた。

ーブルカの公共での着用を禁止する法案

 ところで、話がやや飛ぶけれど、今、欧州各国ではイスラム教徒の装束が大きな社会問題になっていることをご存知だろうか?欧州最大のイスラム教徒人口を抱えるフランスでは、ブルカやニカブの公共の場所での着用を禁止する法案が7月に議会提出されることになっている。

 昨年7月には、宗教・人種差別を背景に、イスラム教のスカーフをかぶっていたエジプト人女性が刺殺されている。一方、国民のほとんどがイスラム教徒だが政教分離の国トルコでは、イスラム教の装束は非近代的とみなされる。例えば女性がスカーフをかぶりたくても、公共の場所(大学も、である)ではかぶってはいけないことになっている。イスラム教徒の女性の装束が欧州各国(そして欧州連合に入りたいトルコで)、しばらく、熱いトピックになりそうだー。

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