「本棚のまわりで」 ブックカバーをかける時、はずす時

09.03.11 by   カテゴリー : コラム, 本棚のまわりで

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書店で本を購入した際、ブックカバーをつけてもらうひとと断わるひととの割合はどのくらいなのだろうか。私はカバーを頼むことが多い。本を読むのはたいてい通勤途中や移動の電車の中なので、タイトルや著者名など他人に分かっても構わないと思う一方で、扇情的なタイトルだと深謀遠慮が働くし、特定の本を楽しんでいる非常に個人的な世界を守りたくなったりもする。

日本以外の国では本にカバーをかけるのだろうか。答えはほぼ想像できるが、シンガポール人の同僚に聞くと、シンガポールでは書店でカバーのサービスをすることはないという。彼女は中国系シンガポール人だが、英語の本も中国語の本でも同様だとか。同じ漢字文化圏でならブックカバーはありかと思ったが、それは関係ないらしい。確かに、使用する言語ではなく、メンタリティの問題だ。「タイトルを他人に見られるのが気にならないでもないが、みんなかけない。市販のカバーはあると思うけれど」と彼女は言う。

北米を代表してアメリカ人の同僚にも聞いた。「カバーをつけてくれる書店なんておよそ聞いたことがない。もしカバーをつけて本を読んでいる人がいたら、よっぽど他人に知られたくないものを読んでいるんだろうなと思う。ポルノとかね」。自分が読む本を他人がどう思うか気にするという発想自体がそもそもない、と言われ、ブックカバーはずいぶんと「日本的な代物」だったのだと気づかされた。なにしろ日本では、手芸ブームの昨今、ブックカバーの作り方を説いた本だって珍しくない(ただし、あかぬけたものはなかなかみつからない)し、ブックカバーをプリントできるウェブサイトもある。

図書館で借りた本には、市販のブックカバーを使うことが多い。最初に買ったのは合皮製の茶色のカバーで、紀伊國屋書店で求めた。栞代わりのフラップつき。多少の厚みの差には対応できる。だが、さまざまな判型は文字通りカバーできないのでバリエーションをつけたいと思っていたところ、いわゆる100円ショップにも布帛やビニール製のブックカバーがあることを発見した。文庫と新書サイズの本用に縦のストライプの布製カバーを購入。さすがに上質な感じは望めないが、「なんちゃってポール・スミス」(同ブランドには細いカラフルなストライプを用いた品が多い)といった風情のストライプが、まあ、楽しい。

こんな感じで満足していたら、セレクトショップのエストネーションで素晴らしい文庫本用ブックカバーのコレクションを発見した。アトリエカオルというメーカーのもので、わたしが求めたのは畝のある深い青のヴィンテージの生地と薄い金色の革をはりあわせた品。栞のひもには銀色のスパンコールが一列に並び、その先には丸いプラスチックとチュールを重ねた上にKのイニシャルがあしらわれている。読みかけのページに栞を落とすのが楽しくなりそうではないか。ヴィンテージの素材を使い、ひとつひとつが手作りのため、一枚一枚異なるという。難点は、繊細なつくりに怖じ気づいて、いまだ使えないでいるところだ。

先日訪れた、47都道府県の名品を紹介するイベントでは、大胆でポップな色遣いの厚手の木綿地のブックカバーを求めた。山口県の大漁旗メーカー、岩川旗店が、大漁旗の染色技術と図柄を利用して手がけたものだという。私が購入したのは、一枚の現代絵画のように紫、ピンク、山吹色の太いラインが斜めに走る大胆なデザインの一枚。もし生地をシルクに変え、各ラインの縁の滲みをくっきりさせたら、ラップドレスで有名なファッション・デザイナー、ダイアン・フォン・ファステンバーグのワンピースが作れるようなモダンな表情だ。

埃よけ、汚れ防止、プライバシーの保護などブックカバーを使う理由にはいろいろある(上述のように、コレクションの体をなしてしまう場合もある)。だが一冊読み終えてはカバーをはずし、使い捨てでないものならまた次の本にくるむことを繰り返すうち、ブックカバーの真骨頂は、本からはずす時にあるのかもしれないと思えてきた。一冊読み終えたとき、一つの小さな旅を終えたような、少しさびしさが混じった深い満足感に包まれることがある。登場人物の思いに自分のそれをシンクロさせたり、それまで知らなかった世界にため息をついたり。ブックカバーをはずす瞬間は、ときにそんな読後感を抱いたしるしになっているのかもしれない。

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(文中のカラフルなブックカバーはアトリエカオル、及び岩川旗店制作。「本棚のまわりで」コラムのイラスト:Hiroyuki Nakamura

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