けものに追われる山間地農業
Nさんが埼玉県秩父郡の山間地の集落に居を構え、農業を始めて10年になる。職場を定年をあと何年か残して移り住んだ。家族はいない。次の人生のおくり先として秩父を決める前,Nさんは各地をめぐり歩いた。この地を訪れたとき親切に対応してくれる農業委員さんに出会い、土地と家を借りることができた。ニワトリを飼い,野菜を作って,それを町場の消費者に届けたり、農協の直売所に出したりして,年金プラスアルファのくらしを送ってきている。
そのNさんのくらしに異変が起こったのは今年の初夏のころだった。飼っていたニワトリがタヌキおキツネに襲われ、ほぼ全滅してしまったしまったのだ。Nさんの養鶏はまったくの自然養鶏で、餌も配合飼料は一切買わず、ほとんどを自給している。
極零細農である。なにしろもっとも多く飼っていたときで160羽しかいなかった。それが次々とやられ、7月半ばには5羽になってしまったのだ。これ以上殺されたくないので、いまその5羽は夜は土間に入れて守っている。
ータヌキとキツネ
もちろん、黙って手をこまねいていたわけではない。考えられる手はすべて打ってきた。ニワトリ小屋の周りに電線を張って電流を流したり、クリスマス用のチカチカまたたく電球を小屋の周りに張りめぐらしたり。犬も飼った。
いずれも当初は効果をあげるが、けものたちはすぐに慣れて、効かなくなる。犬は連中が来たら吠えて教えてくれるが、つないでいるから撃退というわけにはいかない。連中がやってくるには深夜だ。吠えるたびに起きだして追い立てる日が続いた。体はきついが、それなりの効果はあった。
その犬が老齢で死んでしまった。それでもけものの番をやめるわけにはいかない。毎夜、頑張って注意を払っていた。しかし、昼間の農作業に疲れで、つい寝込んでしまう。朝起きると1羽、2羽と首をちょん切られたニワトリの死がいが残っている。タヌキの仕業だ。
Nさんのニワトリ小屋は割り竹で作られている。竹はそのあたりの山で伐ってきた。まったくの手作り小屋だ。タヌキは竹と竹の間の隙間から手を差し込み、ニワトリを捕まえて首を噛み切ってしまう。だが、タヌキの場合はまだそれくらいの犠牲で済む。キツネとなるとそうはいかない。大量殺戮が待っている。
このけもの害に加え、この夏の暑さはニワトリにとってもひとしおだった。ニワトリは暑さに弱い。ただでさえ産卵率は落ちる。餌の食い込みが落ち、体力が衰え、死んでしまうものも出る。こうしてNさんのニワトリはほぼ全滅となってしまった。
ー瀕死の山間地農業に追い打ち
Nさんはニワトリにほか、野菜もつくっている。これもとても小規模なのだが、季節ごとに多品種を回転させ、直売所や配達でさばいている。まったくの無農薬・有機栽培なのだが、値段は一般栽培ものと変わらない。安全なものなら高くても、という時代ではないのだ。
この野菜と卵の売り上げを足して、Nさんの1カ月の農業収入は5万円ほどになる。くらしは厳しいが、好きなことをして生きている誇りが、その厳しさを乗り越えるエネルギーとなってきた。
そこに襲ったのがけもの害だったのだ。山村の農業は高齢農民に支えられてかろうじて命脈を保ってきた。いま、その農業に鳥獣害が最後のとどめを刺そうとしている。Nさんの場合もそのほんの一例に過ぎない。いま山村を歩くと、「何をつくっても駄目だ」という悲痛な声を聞く。Nさんの近所に、収穫直前の田んぼをイノシシに荒らされ、全滅してしまった70歳代の農民がいる。たわわにに実った稲の上で転がりまわるのだ。その後刈り取ったとしても、コメにイノシシの臭いが染み付いて、売りものにならないという。サルはもっと巧妙だし、シカは地上の緑を食いつくす勢いでやってくる。
Nさんは、けものの被害がこれほど広がった理由はいろいろあるが、耕作放棄地や遊休農地が増大し、灌木や草が生い茂っている土地が人家の近くに増えたことが大きな原因だと話している。高齢化で耕作を放棄せざるを得ない土地が増え、それでもがんばっている農民の土地をけものや鳥が襲う。その結果また耕作放棄地が増える。いま各地でそんな悪循環が広がっている。(日刊ベリタより 筆者は農業ジャーナリスト)




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