「本棚のまわりで」 ガラス越しの猫

09.03.20 by   カテゴリー : コラム, 本棚のまわりで

kijineko-photo 子供のころ、夕暮れになると台所のすりガラスの向こうにうずくまる姿があった。吐き出し窓の外側、幅の狭いレールの上に、茶トラの猫が大きな体を縮めるように身を寄せた。「チョコがきたよ」と言うと、母はご飯に鰹節をまぶしたり、昼食に食べたアジの干物や塩鮭の残りの骨をのせたりしたものを用意した。

それをチョコは当然のようにがつがつと食べると、愛想のひとつをふりまくでもなく、さっさとねぐらに潜り込んだ。あとは軒下の物入れの中でただ眠っていた。

昼間はどこかをぶらつき、夕食の時間ぐらいにしか顔を見せないチョコは、私達の飼い猫とは言えない存在だった。人に甘えることもほとんどせず、顔つきは無表情に近い。ちょっかいを出されても、一顧だにしない。自分の周りのことに一切関心がないといった様子が、「孤高のおばあさん猫」という風情を漂わせていた。

名付け親である小学生の飼い主がしょっちゅう友達に泣かされて帰ってきていたことや、その母親が病弱な配偶者との暮らしに時にはため息をついたであろうことも、もちろんチョコの知ったことではなかっただろう。だがガラス窓越しの丸い背中のシルエットや、短い尾をこちらに向けてねぐらに潜り込む後ろ姿を思い浮かべるたび、当時の自分や周囲の人間の姿が遠景となって立ち上ってくる。

井上荒野著『雉猫心中』(マガジンハウス)では、雉猫が女の家のガラス戸の向こうに立ったときから風景が形をなしていく。一人の女と一人の男の風景。だが、それぞれに違って見える風景。猫は女にとって「荒れ地に生えた一本の木みたいな男」を待つことに結びついていき、男にとっては「ちっともほしくなかった」はずの女に囚われていくことにつながっていく。

神経質なまでに掃除が行き届いた家のクリーム色の絨毯の上、ひび割れた黒い皮のソファー、ベッドの足元の床、冷えきった蔵。それらが画面をひどく無機質に見せる中で、ふたりは爛れるような交合をくりかえす。画面の中でふたりだけが濃い色彩を持ち、熱を帯び、湿度を発散させているかのようだ。それ以外は、誰にもありうるような日常の風景の連なりだが、例えば、右側に急旋回するジェットコースターがふいにぐいと左に回り込むように物語は進んでいく。

『雉猫心中』では、プロローグ、前章、エピローグが女の、後章が男の視点から、二人の関係が語られている。同じ風景でも、女にとっては右手に起こったような出来事が、鏡の中のように男には左手に起こったそれとして展開する。二人が抱くそれぞれの配偶者への違和感、二人を含めた登場人物たちの不気味な癖やふるまいとともに物語は進んでいく。

いずれにしても、猫の知ったことではない。縁台の上、雑木林、車のタイヤの影、石段の下、緑地の遠く・・・そんな場所に女や男が猫の姿をみつけるとき、風景が勝手に刻まれていくだけだ。

そこかしこに薄墨を流したかのような場面の色合いは、前作『切羽へ』とかわらない。だが女と男の間に何も起こらないことが描かれた『切羽へ』とは対照的に、『雉猫心中』では鋭い切っ先で切り取られたような風景が連なっていく。

男が猫から物語を紡ぎ続けているにもかかわらず、『雉猫心中』はこの小説の中で一番不穏な場面とともに終わる。それは、現われた猫が待っていた猫ではなかったとして、女の目の前の画面が遠くなる瞬間でもある。

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(「本棚のまわりで」コラムのイラスト:Hiroyuki Nakamura 

井上荒野(1961年:いのうえ・あれの。作家。2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、2008年『切羽へ』で直木賞受賞。

 

 

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