クルド語で話したために10年間投獄されたトルコ元国会議員の訴え -日刊ベリタ・アーカイブより
トルコの元国会議員でクルド人女性のレイラ・ザーナさんは、トルコの国会で母語クルド語を使って発言したことがきっかけで10年間投獄された経験を持つ。2004年の釈放から4年経ち、在英クルド人団体の招きでロンドンを訪れたザーナさんは、トルコ内で「抑圧が続くクルド人」の問題を解決するには「時間はかかるが、対話が最も重要」と集まった聴衆に語った。トルコではクルド語の使用が厳しく規制されており、ザーナさんは「言語の抹殺は『虐殺』に等しい」と述べながら、苦しい投獄期間に思いをはせて涙ぐむ場面もあった。ザーナさんの投獄までの経緯と、ロンドン大学での集会の様子を紹介する。(日刊ベリタ・2008年掲載記事からの転載です。)
「みなさん、よく来て下さいました・・・」。レイラ・ザーナさんは、ロンドン大学の一室に集まった聴衆に向かって、母語クルド語で語りかけた後、しばらく絶句した。下を向き、涙をこらえている様子が伝わってきた。聴衆の多くは在英クルド人で、ここでは誰にも気兼ねなくクルド語が使えるーそんな思いがザーナさんを感無量にしたのだろうか。
世界で約3000万人いるとされるクルド民族は統一国家を持たず、トルコ、イラク、イラン、シリアを含む数カ国に住む。
ザーナさんの住むトルコでは、憲法で「トルコ国民はトルコ人」と定められ、クルド民族の存在は否定されたも同然だ。公式言語はトルコ語で、少数民族のクルド人は母語の使用を数十年に渡り厳しく制限された。1980年代の軍政時代にはクルド語の教育、放送、出版が禁止された。現在、トルコは欧州連合(EU)への加入を望んでおり、加入のための民主化政策のおかげでクルド語による放送や教育の規制は緩和されたものの、公的場所でのクルド語使用は未だに許されていない。
ザーナさんは1961年、クルド人が多く住むトルコ南東部の都市ディヤルバクルに近いシルバンで生まれた。フランス人映画作家キュドレット・ギュンさんが撮った2002年のドキュメンタリー映画「レイラ・ザーナ」によれば、少女の頃から「議論好き。男性に負けない」女性だったと言う。14歳で21歳年上のメーディ・ザーナ氏と結婚。夫はトルコ労働者党のシルバン支部の支部長で、後ディヤルバクルの市長となった。夫婦は2人の子供をもうけるが、1980年の軍部クーデーターの後、メーディはディヤルバクル軍用刑務所に投獄され、16年間を過ごした。
先の映画の中で、釈放されたメーディは「ありとあらゆる種類の拷問や精神的圧力をかけられた」と語っている。「例えば、し尿が入ったタンクがあって、囚人はこれを飲むように強制された。男性の囚人の尻の穴に鉄の棒を入れ、その後でこの棒を口の中に突っ込まれることもあった。刑務所では人の叫び声ばかりが聞こえていた」。クルド人囚人たちは「自尊心を粉々にされる扱いを受けた」。
夫が刑務所に入っている間、ザーナさんは2人の子供を育てながら自分も政治活動を続け、1991年、クルド人女性としてはトルコで初めて国会議員となった。議員となることを誓う演説で、ザーナさんはクルド独立を象徴する旗の色(赤、緑、白、黄)を使ったヘアバンドをつけて宣誓を読み上げた。「ヘアバンドをはずせ!」国会議員たちはザーナさんに向かって怒声をあげ、机を叩いて抗議の声をあげた。
ザーナさんは数々の罵声の中で、一心不乱に就任の誓いを読み続けた。「憲法に忠誠を誓います」と述べた後で、最後に「トルコ人とクルド人との間の兄弟愛のために」とクルド語で宣言した。
公的場所でのクルド語使用の禁止をザーナさんは破ったことになった。しかし、国会議員という立場上、処罰を免れた。ところが、ザーナさんが民主党に所属後、この政党が解党令を受けたため、結果的に議員としての免責は取り除かれることになった。1994年12月、ザーナさんは、他の民主党員4人とともに逮捕され、国家反逆罪とクルド人の独立国家を目指す武装組織クルド労働者党(PKK)のメンバーであるとして有罪となった。ザーナさんも他の民主党員もPKKのメンバーではないと主張したが、全員が15年の禁固刑になった。
人権団体アムネスティー・インターナショナルはザーナさんを「良心の囚人」と呼び、1995年には、欧州議会が人権と自由のために命を捧げる人物を讃える「サハロフ賞」を授与した。しかし、1998年、牢獄で書いた手紙がクルド語の新聞で出版され、これがトルコを分裂させようとする目的で書かれたとされ、禁固刑は延長されてしまった。
EU加盟に向けてのトルコ国内法の整備や国外からの人権擁護の圧力を受けて、トルコ最高裁がザーナさんと他の元民主党員を釈放する命令を出したのは2004年だった。10年に渡る投獄生活がようやく終わりをつげた。
ザーナさんは同志とともに「民主社会運動」を開始し、2005年、クルド民族主義政党の民主社会党を立ち上げた。現在もクルド問題の平和的解決のために運動を続けている。
ロンドンの聴衆の前に立ったザーナさんは黒いスーツに身を固め、先の仏ドキュメンタリー映画「レイラ・ザーナ」の中で見せた長めのボブヘアから、ところどころに銀髪が混じる短髪スタイルとなった。投獄時は33歳。現在は47歳だ。笑顔と感涙とが交互する集会となった。
クルド語での挨拶のあと、ザーナさんは「現在でもトルコではクルド人への抑圧が続いている」とし、「最も重要なのは対話だと思う」と語った。
「対話による解決には忍耐が必要で、時間もかかる。暴力を使った方が解決の道が早いと思えることもあるだろう。しかし、私たちは忍耐を維持し、明晰な頭脳で問題の解決にあたるべきだ。今ここでクルド人の国の設立に失敗したら、全ての人にとって不公平な、不平等な事態が続いてしまう」
「イラク、イラン、シリア、トルコの4つの国にまたがって住むクルド人は共通の国を持たない。歴史を振り返れば、クルド人が統一の国を作ろうとすると、いつも国際的な勢力に邪魔されてきた。イラク北部のクルド人地区の独立にも、イラク政府のみばかりか、周辺国がストップをかけようとする。問題解決には周辺国の協力が必要で、広く深い見地から道を探ることが必要だ。クルド人だけに関わる問題ではない」
「クルド人は自由が欲しいだけだ。自分たちのアイデンティティーを自由に表現したいだけだ。私が望むのは4つの国に住むクルド人たちが統一された一つの国に住み、自由に生きられるようになることだ」
ザーナさんの後ろには、ザーナさんの映画を上映するためのスクリーンが張ってあり、在英クルド人団体が集めた、前トルコ首相エルドアン氏のクルド問題に関するコメントのいくつかが投影されていた。
その1つは、クルド人が多く住むディヤルバクル市での発言で、「この問題に関して、政府に間違いがあった。クルド問題は私の問題もである。みんなの問題なのだ」(2005年)と語っていた。クルド民族にシンパシーを寄せた発言とも取れるが、エルドアン氏の姿勢は場所によって変わってくる。同様にスクリーンに投影されていた、マドリードでの発言がその一例だ。「クルド問題と言うのはない。実質的にはテロリズム(注:PKKの活動)の問題だ」。また、オスロでは、「クルド問題のことを考えなければ、クルド問題というのはなくなる。クルド問題と言うのはないんだ。想像上の話だ」とまで述べている。
PKKによって3万人以上の民間人が死亡したと言われており、トルコ政府にとって「テロリスト」PKK征伐は大きな課題となっている。隣国イラクでクルド民族の独立国家が成立すれば、トルコ国内のクルド民族への影響が大きいと見るトルコ政府は、イラク北部を活動の拠点とするPKKへの爆撃も実行している。クルド問題と言えばPKKの闘いというスタンスを示す政府には、もし弱腰の態度を見せれば、他政党から批判を受けるという事情もある。
ザーナさんは、ロンドンの集会で、「クルド人の人権について話せば、すぐ『テロリストの話』と言われてしまう。クルド人たちは誰か他の人の土地を征服したわけではない。自分たちの土地で自由に生きてゆきたいだけなのだ。トルコ与党はクルド人問題を未だにまともに認めようとはしない」
「クルド人の子供たちが学校でクルド語を教わることができるようにしたい。2004年から05年にかけて、トルコ政府はEUへの加入を求めて、クルド語学習の許可を含める民主化政策を実行してきたが未だ十分ではない。実質的にクルド語を学習しようとすると規制が非常に多い」とし、「『虐殺』という言葉がある。私は言語の虐殺、抹殺こそが最大の被害だと思う。母語を学べない苦しさを想像してみて欲しい。世界の様々な人からの支援が欲しい」
「助けになるのは、学問界やメディアだ。問題を議論し、報道することで、人々の認識が深まる」と締めくくった。
会場からの一問一答では、以下のやり取りがあった。
―もし可能だったら、刑務所にいたときの体験を話して欲しい。もしつらくなければだが。
ザーナさん:体験を話すことは全く何でもない。ただ、私よりももっともっと壮絶な体験をしたクルド人たちがいる。それに比べればたいしたことはないのだから、とてもじゃないが語るほどではない。(と言った後で、下を向き、何かを思い出したのかしばらく目をつむった。)他のクルド人に起きたことと変わらないことが私の身にも起きた、とだけ言っておこう。
―トルコは最近、表現の自由にからむ条項などで様々な法改正があった。世俗分離を死守するトルコで、現在の(親イスラム派)与党AKPはイスラム教的な政策を実行しようとしている、と言われている。これをどう思うか。また、世俗分離の原理を脅かす政党は閉鎖されるべきか?
あなたは今、トルコ語で質問しましたね。だから本当は答えたくはないけれども、まあ、答えましょう。私は与党AKPの側でも、世俗原理主義のケマリ派でもない。また、どんな政党でも閉鎖されるべきではないと思う。
―また投獄される可能性はないのか?もしそうなったらどうするか?
投獄の可能性はあるかもしれない。もしそうなったら、おそらく60年ぐらいになるので、そうなったらもう私は生きていないと思う(笑い)。
―暴力的手段は否定する、とあなたは話したが、では、米国やEUによると「非合法テロ組織」となるPKKをどう見ているか?
PKKはその活動を通して、クルド統一に向けての新たなた運動家を増やしてきた、とだけ言っておきたい。
(レイラ・ザーナさんを囲む集会は2008年5月23日、ロンドン大学SOASで開催された。)




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