「本棚のまわりで」 おやつの味

09.04.02 by   カテゴリー : コラム, 本棚のまわりで

 

oyatsu23初めてラ・フランスを口にしたのは15年ほど前。やはり初めて「文壇バー」というものに連れて行かれた時だった。

案内してくれた知人は何やら「文壇バー」をありがたがっていたが、酒席もブンガクもよくわからない私にはさほど特別な場所とは思えなかった。ただママが「山形から」と、お酒の最後にいて出してくれたラ・フランスを食べたとき、そのおいしさにびっくりした。恥ずかしながら私は、西洋梨の中でもこの果物をそれまで食べたことがなかったのだ。そのママは、ざっくばらんなことと不躾であることとをややはき違えた感があり、居心地悪く思わないでもなかったが、ラ・フランスを食べる際にくれた一つのアドバイスは今も守っている。 

『作家のおやつ』(平凡社)によれば、ラ・フランスは詩人の茨木のり子が好んだおやつでもあった。茨木が暮らした、築五十年の東京の自宅で撮影された写真では、ラ・フランスが長十郎梨とともに皿に盛られ、茶色の地のチェック柄のクロスや後方に置かれた黒電話とともに静物画のような一枚をなしている。茨木は、菓子ならば名古屋は養老軒のういろうと鶴岡の栃餅をことのほか好んだそうだ。茨木家の2階の居間の窓際ではこのふたつが写真に納まっている。

『作家のおやつ』では、小説家や映画監督など31人の作家が好んだおやつが、小説や漫画などおやつにまつわる各々の作品からの引用、直筆原稿、作家たちの仕事場での写真などとともに紹介されている。奇をてらわないレイアウト、丁寧だが無駄のないキャプション、往時を思わせる抑えた色調の美しい写真などがていねいな本づくりを思わせる一冊だ。

本書にはまた、それぞれの作家と近しい人たちが文章を寄せている。父親を臆面もなく称賛する、ある作家の娘の一文には少々鼻白むが、いずれの文章にも故人と、おやつにまつわるその世界への思いがあふれている。

  森茉莉が「私のプティット・マドゥレエヌ」と記した有平糖は『私の美の世界』からの引用とともに紹介されている。

「思い出のお菓子。それは静かな明治の色の中に沈んでいる紅白、透徹った薄緑、黄色、半透明の曇ったような桜色、なぞの有平糖などの花菓子。

大きな真紅(あか)い牡丹、淡紅の桜の花、尖端(さき)が紅い桜の蕾、緑や茜色を帯びた橄欖色の葉。薄茶色の木の枝には肉桂の味がした。」

『贅沢貧乏』の中の、ベッドの背に少しずつずらせてかけられる夢のような色のタオルと白い洗濯物の描写を思い起こさせる一節だ。森茉莉はまた、ココアとエバミルクを常備し、チョコレエトを一番の嗜好品とした。

一方、檀太郎にとって父、檀一雄は無頼派の作家ではなく、しばらく家を空けたかと思うとアメリカ製のアイスクリーム製造機を車に積んで帰ってくるような、甘いものに目がない父親だったそうだ。野山で木苺やヤマモモを見つけると狂喜して息子に食べさせ、戦前の中国で覚えてきたという杏仁豆腐を自分で作った。

私は檀太郎・晴子の料理本『檀流おかず190選』を愛読しているが、牛タンの塩漬け、木の芽和えからラビオリまで網羅する料理は幅広く、上っ面をきれいにまとめただけのレシピ本にはない奥行きがある。素材への愛情と探究心に満ちており、おいしいものを食べたい、食べさせたいという情熱が伺える。この本に出てくる豚肉とほうれん草のカレーは、作れば必ず褒められる一品だ。『作家のおやつ』に寄せた檀太郎の文章を読むと、おいしいもの好き、料理好きがいかに父親から受け継がれたのか認識を新たにする。

おやつの味そのものの好みのほか、作家たちにはおやつを楽しむための作法やスタイルもあった。市川は手が汚れぬよう甘納豆をスプーンですくって食べ、久世光彦は午前三時にマリービスケットやウエハースをさくさくと齧り、荻昌弘は饅頭が固くなると焼いて醤油をたらして食べたという。

 かの文壇バーのママがくれたアドバイスだが、実はそれが「食べ頃を見極めること」だったのか、「冷たく冷やすこと」だったのか、今となっては判然としない。だが、その後ラ・フランスを何度となく食べるうち、おいしく食べるにはこの二点を満たしていなければならないと信じるようになった。

青臭さが残るほど若過ぎもせず、身に透明感がにじむほど熟れ過ぎてもいないラ・フランスを冷たく冷やす。いびつな形の実に刃を薄く当てていくと、少し汚れたような薄緑の皮の下から清々しいペールグリーンの実が現われる。きれいなくし型に切り分けて、暗緑色の織部の皿に。作家ではない私も、些事を忘れて、つんとした甘みに陶然とするひと時だ。

 

 *** 

 (「本棚のまわりで」コラムのイラスト:Hiroyuki Nakamura 

 

Comments





Get Adobe Flash playerPlugin by wpburn.com wordpress themes