「高次脳機能障害と仲間たち④下」 高次脳機能障害にたどり着くまで そして今

09.04.12 by   カテゴリー: 日々の出来事

bookkishida  自転車に乗っていたところ、ピザ屋の配達のバイクとぶつかり、事故にあったM.H.さん。恐れた脳内出血とはならず、徐々に回復に向かったが、忘れ物やメモが取れない事態が起きた。病院では「異常なし」とされたが、「頭蓋骨の内側に一枚膜が張っているような感覚」は消えなかった。平成9年(1997年)の事故から数年が過ぎていたー。M.H.さんが自己の体験を書いてくれた。

 平成18年の秋、書店で一冊の本を手に取りました。高次脳機能障害の青年についての本でした。この障害については、テレビで何度か紹介されていて、その症状が私とよく似ていると思っていました。繰り返し読むうちに、その本の中に名前のあった慈恵医大病院のリハビリテーション科の橋本圭司先生なら、私の病気を見つけてくれるかもしれないと思いました。けれども、事故の後に、長時間意識のない状態が続いたこの青年と、意識があった自分との違いのために、一歩前に進むことができないでいました。

 翌年、仕事で度々ミスをしました。仕事の量が増えて、事務処理にスピードを求められるようになっていました。いよいよ、「履歴書に偽りあり」といわれても仕方のない状態になりました。かつて交通事故に遭ったこと、仕事のミスの原因は事故の後遺症であることをきちんと話せるようになりたいと思いました。

 思い立って、慈恵医大病院に橋本先生を訪ねました。ここでも、CT、MRI検査では異状が認められず、これが最後という血流の検査で、平成20年3月、高次脳機能障害と診断されました。やはり、事故の傷が残っていた。やっと、病名がもらえたと安堵しました。何より、知能検査で、IQは正常値を保っていると言われ、事故後10年以上抱えていた劣等感が取り払われました。脳の血流を改善する薬を服用し始めると、眠っていた脳細胞の間を血液が駆け巡っているのを感じました。頭蓋骨の中で縮こまっていた脳細胞が復活したと嬉しくなりました。完全な回復は望めそうにありませんが、私自身の「正しい品質表示」ができるようになったことは、大きな自信になっています。

 病名を得て、自分を冷静に見直すことができるようになりました。情報処理に時間がかかることがわかりました。新しい情報を理解して、自分の考えを導き出すのに、数時間、時には、数日かかることがあります。複数の事柄を、同時進行で処理することができません。突発的な出来事に対処できません。急がず焦らず、を肝に銘じています。暗証番号などの意味のない数字のかたまりを格納することができません。暗記は難しいですが、繰り返すことで経験記憶に変えて脳に定着させています。

 最近の診察で、「MTBI(軽度外傷性脳損傷)による高次脳機能障害」と診断されました。「MTBI(mild traumatic brain injury)」はまだ認知度の低い病名だそうです。病気はありがたいものではありませんが、私自身を生きるためには、とても大切な病名です。

 数年前、小論文を書く機会があり、原稿用紙に向かい言葉と格闘し、収集がつかなくなり挫折した経験があります。その後、ある講座で、200字程度の文章を書くようにと課題を出されたとき、パソコンでなら作文が可能であることがわかりました。頭に浮かぶ言葉を書き出して、全体を眺めながら言葉を並べ替える事で、簡潔な文章に仕上げる事ができます。この作業によって、混沌とした頭の中もすっきり整理できます。今回も、そのようにして、体験を書き上げることができました。

―そして今 2009年4月

 薬品の服用で脳の血流は改善されましたが、頭痛と視覚の不具合は残っていました。そこで、新たに、脳脊髄液減少症の検査を受けました。脳脊髄液減少症とは、脳脊髄液腔から髄液が漏れることによって、頭痛、めまい、耳鳴りなどの症状を引き起こすと言われています。今回、RI検査で髄液の漏れが確認され、ブラッドパッチ(硬膜外自家血注入)の処置を施されました。今、2週間の安静の真っ最中です。

 もっと早く損傷に気付いていれば、もっと早く脳のトレーニングを始めていれば、障害は残らなかったのではないだろうかと悔やんだこともありました。本来の自分を取り戻せないことに、もどかしさを覚えることもありました。そうやってもがいているうちに、気付いたことがあります。「今」を大事に生きていれば、様々な出会いが私を正しい方向へ導いてくれるのです。「今」を積み上げて、私にしか作れない人生にしようと思っています。 

 ・私が出会った本 

 『神様 ボクをもとの世界に戻してください 高次脳機能障害になった息子・郷』(鈴木真弓著、河出書房新書) 

 『高次脳機能傷害 どのように対応するか』(橋本圭司著、PHP新書)

 『軽度外傷性脳損傷』(石橋徹著、金原出版)

 『いのちのことば』(柳澤桂子著、集英社)

 『いそがなくてもいいんだよ』(岸田衿子著、童話屋)

「高次脳機能障害と仲間たち④上」高次脳機能障害にたどり着くまで、そして、それから一年

09.04.09 by   カテゴリー: 日々の出来事

bike厚生労働省によると、高次脳機能障害の患者は全国に約30万人いるそうだ。しかし一見、障害とはわからないため、医療や福祉の専門家でもこの障害に対する理解は不十分だ。自転車に乗って交通事故にあったM.H.さんが自分の病名をはっきりと分かったのは、事故から10年以上経ってからだった。その経緯を自ら語ってもらった。

***

  平成9年(1997年)9月、自転車で小学生の子どもとスイミングスクールに向かう途中、ピザ屋の配達のバイクとぶつかりました。毎回の遅刻で、コーチに注意を受けていたので、この時はかなり焦っていました。T字路を横断しながら、右後方の子どもに向かって「早くしなさい」、と声を掛け、正面を向いた後、気が付くと、道路に倒れていました。顔を上げると、血が出ているのがわかりました。「救急車を呼んだから、動かないで」、と言う男性の声に、目を閉じ路上に頭を戻しました。

救急車の中で、救急隊員に、名前、住所、生年月日を聞かれ、正確に答えることができました。子どものことが気がかりでしたが、偶然居合わせた友人が連れて帰ってくれることになり、ほっとしました。担ぎ込まれた救急病院でも、名前などを聞かれました。CTを撮ると、左側頭部に線状骨折が認められましたが、脳には異状のないということでした。右側頭部の裂傷を縫合して、ICUに移されました。翌朝の検査で脳内出血が見つかれば開頭手術をすると告げられたので、身動きひとつせず、夜を明かしました。

翌朝、MRIの検査で頭蓋内に出血は認められませんでした。一般病棟に移り、普通のベッドに寝かされました。起き上がることはゆるされず、私自身も、まだ脳内出血を恐れて、ひたすらじっとしていました。頭全体が痺れる感じでしたが、意識ははっきりしていました。面会に来た家族と「むち打ち症にもならなくて、軽くてよかったね」、と喜び合いました。

3日目には起き上がれるようになり、抜糸の後、事故から1週間で退院できました。バイクのフードにぶつかった左前頭部は特に痛みを感じました。退院の際、医師に幾つか質問しましたが、それに対して説明は全くありませんでした。不安を感じたまま、1ヵ月後、総合病院の脳神経外科を受診しました。CT,MRI、脳波の検査を受けた結果、異状はないということでした。医師は頭部にかなりの衝撃を受けているのだから、痛いのは当然のことであり、自然に治まるのを待てばよいと言われ、そんなものかと納得しました。

退院して徐々に普通の生活に戻ると、手足の痛みが気になりました。家の近所の整骨院で、左足のふくらはぎの筋肉断裂と左足甲の骨膜損傷が見つかり、6ヶ月間通院して治しました。接骨院に通い始めた頃、治療が終わっての帰りに、テレホンカードを使って公衆電話をかけた後、カードを取り忘れたことが何度かありました。家の鍵や時計を置いた場所を思い出せず、度々出かける時になって大慌てしました。スーパーへ買い物に行って買い忘れをするようになりました。記憶力が落ちていることを実感しました。

―締め付けられるような痛み

あるとき、頭をぎゅっと痛いほど締め付けられる感覚に襲われました。考えるという何気ない事に、脳は大変なエネルギーを使っているのだと驚きました。しばらくは、難しいことを考えるのは止めようと思いました。簡単な暗算もできないことに気付きました。いつか治ると思う反面、本当に治るのだろうかと不安を感じました。

翌年の4月からは、以前と同じ生活に戻すことにしました。鍵や時計は、置き場所を決めました。忘れ易いことは、手帳やメモに書き留めました。計算には電卓を使いました。数字や考え事は、頭の痺れ感がなくなれば、以前のようにこなせるようになると思っていました。自転車にも乗るようになりました。衝突時の記憶がないので、不安や恐怖を感じることはありませんでした。

平成13年、パートで働くようになりました。初めてのパソコンの操作に苦労しました。ひとつひとつの操作を覚えるまで、何度も誰かに確認しないと不安でした。パスワードが覚えられないこと、メモがとれないことに気付きました。電話の応対では、相手の会社、部署、氏名などを覚えきれませんでした。工夫しながら仕事をこなしていましたが、注意力のなさや手際の悪さを指摘されました。他のパート仲間との間に、事務処理能力に差があると感じました。能力の無さを指摘されるようになりました。初めのうちは、年齢のせいだと思っていましたが、次第に、脳に問題があるに違いないと思うようになりました。

判断力に自信がもてない出来事が続くと、溜まった不安が爆発しました。些細なことがきっかけで子どもを怒鳴りつけて、自分では止められないことがあります。誰かに止めて欲しいのに、他の家族は、またかという顔をして眺めているだけです。子どもの前では、きちんとした力強い母親でありたいと思い、以前よりも厳しく接していました。その反面、事故で少し壊れている私に気付いて欲しいと思いました。

―病院は「異常なし」と

事故の1年後、3年後、同じ総合病院の脳神経外科で検査を受けました。どの検査でも異状はないとの診断でした。それでも、頭蓋骨の内側に一枚膜が張っているような感覚は消えていませんでした。自分の脳が、パックごと床に落とした木綿豆腐のようだと感じることもありました。神経がところどころ切れているように感じました。事故から5年以上過ぎていました。もう良くなることはないと思いました。後遺症が残ったと思い、総合病院の脳神経外科を受診し、記憶に問題があること、感情のコントロールができないことを医師に話すと、心療内科を紹介されました。心療内科でも、問診の後にひと通りの検査を受け、異状なしの診断でした。自分の体の中で、明らかに異変が起きているのに、専門家である医師がなにひとつ認めてくれないことに、絶望感を抱きました。(続く)

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