ロシアにはお正月が何回あるか
10.01.06 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: コラム, 世界の窓
ロシアでは、その年の正月のお祝いの仕方が、その後の一年の過ごし方の前兆になると言われています。その為に、ロシアの人々は一生懸命に熱心に正月の準備をして新年を喜びの気持ちで迎えるのです。
おかしなことには、多くのロシア人は、正月を二回(1月1日と1月14日)、クリスマスも二回祝うのです(12月25日と1月7日。)!
そして又、加えて奇妙なことには、1月1日の正月を祝うことに反対する人々もいるのです。それは、ロシアの正教(東方正教会)の信者の人たちです。
その混乱の源は1918に遡ります。ロシアでは、ロシア革命後、ユリウス暦(紀元前45年から使用されている太陽暦の一種)からグレゴリオ暦(1582年にローマ教皇庁から発布された太陽暦であり現在の西暦として使われており、ユリウス暦とは4年に約44分の差がある)への切り替えが行われたのですが、ロシア正教会(東方正教会)だけは、その後もユリウス暦を使い続けたのです。それで、現在でもロシア正教会ではユリウス暦を用いて祭 礼を行っているのです。
ロシアでも、昔は、クリスマスが先で正月が後でした。クリスマスの祭日が使用する暦の違いのために日にちがだんだんと年が経過するにつれてずれてきて、現在では、正月が先でクリスマスが後になっているのです。正月の祝いの時期がクリスマスの最も厳しい断食の週に重なっているのです。
教会では断食の期間中は菜食のみを認めていますが、お酒は許可していません。現在、ロシア正教徒はどうすればいいか自分で判断しなければなりません。教会の神父の判断も一様ではありません。ロック・ミュージックのファンとして有名なセルギイ修道院長は、みんなが新年を祝う正月に断食をするのは適切ではない。それ故、各自の判断に任せるべきだと言っています。
祝いが好きな人は誰でも正月を祝うことが出来ます。新年をモミの木で飾って、家族と共に祝うことができるのです。旧暦の新年(1月14日、ユリウス暦)では、古代スラブの料理を作って新年の占いをします。絵葉書製作会社は、絵葉書の購入者の要求に合わせて、次のような、いくつものパターンの祝いの言葉を印刷した絵葉書を準備するのです。
“Merry Christmas!” “Happy New Year!”, “Merry Christmas and Happy New Year!”, “Happy New Year and Merry Christmas!”
最近のグローバル化の時代の潮流とともに、ロシアに間違った東洋の習慣が入ってきました。 「2010年 寅年おめでとう!」というポストカードもあります。新聞やテレビで、新年のパーティーにどんな装いで参加するのがよいかというアドバイスも見かけます。例えば、虎縞模様のドレスなどです。(海軍のT-シャツも虎縞模様です)。又、テーブルを虎縞模様のキャンドルで飾り、例えば虎の子のように盛り付けたサラダ(写真参考)を食べたり、オレンジ色のジュースやコニャックなどを飲んだりと自分好みのオレンジ色のものを食べたり飲んだりすることも推奨されています。
ロシア人の中にはこの時期に続くお祝いの行事ばかり夢中になって仕事や勉強がおろそかになる人たちもいます。このことが国では問題になりました。毎年1月にはビジネス活動が停滞し、同時に度重なるパーティーなどのために酔っぱらいが増えてしまうのです。そのために、毎年政府の中では、連休の長さ(長いときは10日連休となる)について討論がされます。大酒飲みの亭主を持った奥さんたちは、大統領に「どうか、連休を短くして下さい」と手紙を書いて嘆願するのです。
多くのロシア人にとって、二回目のクリスマスの後には、“スヴャトキ”(クリスマス週間)やイエス洗礼祭やタチヤーナ祭(学生の祭り)などがあるので、1月にはいったい休日が何日あるのか答えることはとても難しいのです。
早い話が、毎年1月というのは、誰にとってもお祝いする口実が何でもある月なのです。
良いお年を!(つづく)
日刊ベリタより転載
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201001010934225
大晦日の夜、ロシアでは2人の「DM」が大忙し
09.12.31 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: コラム, 世界の窓
これまでは、デード・モローズ(Ded Moroz、霜お爺さんモローズ)の家族としては孫娘である雪娘のスネグロチカ(Snegurochka)しか知られていませんでしたが、デード・モローズには従弟もいることがわかりました。その従弟とは、ロシアの現大統領であるドミトリー・メドベジェフなのです。
二人は名前のイニシャルが同じですー「DM」 (Ded MorozとDmitrii Medvedev)。
デード・モローズの従弟の人形には、サンクト・ペテルブルグにある人形ギャラリーの「デード・モローズと従弟」という美術展で会うことができます。
従兄弟同士である二人のDMの仕事の内容は、似ています。新年の祭りにスピーチをしたり、人々からきた手紙に返事を出したり、訪問したりなどです。
大晦日の夜12時10分から従弟のDMによる大統領の教書 (新年の祝賀の言葉) はテレビで放送されます。その同じ頃、従兄のDM“霜お爺さんモローズ”も沢山のモミの木のお祭りでのお祝いのスピーチにとても忙しいのです。
手紙を書くこともこの二人の従兄弟であるDMの役目です。大人の人の中には、あたかも大統領が「霜お爺さんモローズ」であるかのように思って、大統領に奇跡を期待して手紙を書く人もいます。大統領であるDMは、本物の霜お爺さんモローズのようにその望みをかなえたりかなえなかったりすることができるのです。
霜お爺さんモローズの新しい従弟は、シューバ(毛皮のコート)を着ていません。スーツを着ています。美術展ではシャンパンのはいったグラスを持ってモミの木のそばに立っています。人形を製作したヴァルヴァラ・スキリプキナさん(写真、上)は、この人形を作るのはとても難しかったと言っています。「ごくありふれた顔つきでこれと言った特徴もあまりないので、製作するのはとても難しかったのです」。
ヴェリキイ・ウスチュグにある自分の官邸に住んでいる従兄のDMとなる霜お爺さんモローズの政治家としてのキャリアは、新しい年を迎えるこの時期に、ピークにあります。 霜お爺さんモローズはインターネットに自分のブログを持っています(http://www.TvoyDedMoroz.RU)。そこには、その他の多くことと一緒に、ロシアの国内の人々や海外在住のロシア人たちのための霜お爺さんモローズの新年の挨拶の言葉 (http://www.dedmoroz.us/node/46)が載っています。その祝賀の言葉の内容は不思議なことに大統領の新年の教書に似ているのです。しかし、そのことは別に驚くにあたりません。なぜなら二人は従兄弟同士なのですから!
霜お爺さんモローズのDMと大統領のDMは二人とも新年の祝いの主役です。それで、もし霜お爺さんモローズが2012年の来たる次期大統領選挙に立候補すれば、選挙に勝利するチャンスは大いにあると考えている人もいます。(つづく)
日刊ベリタより再掲載
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200912300937213
サンタクロースはロシアに来ない?<下>
09.12.23 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: コラム, 世界の窓
「霜お爺さんモローズ」と孫娘である「雪娘」は、正月に新年の祝いに来ます。その祝いは「新年のモミの木の祝い」と言います。霜お爺さんと雪娘は子供たちに謎をかけ、モミの木の周りで輪踊りを踊ります。子供たちは森の動物に扮した仮想舞踏会やロシアの昔話の主人公の衣装を着て歌を歌ったり、踊りを踊ったりします。その中でも「雪片の踊り」はとても人気があります。たいがいのロシアの女性は子供の頃「雪片の踊り」を踊ったことを思い出すことができます。
霜お爺さんモローズはプレゼントをモミの木の下に置きます。ブーツやストッキングはだめです!靴かソックスでなければいけません!霜お爺さんモローズは体が大き過ぎて煙突から入れないのです。それに、ロシアでは暖炉は使わないのです。
ところで、モミの木はゲルマン民族やスラブ民族では火の象徴であり、火は時の流れを表わしていました。昔の意味は、英語の「fir-tree」です。「fire-tree」というのは、「火の木」を意味します。モミの木の飾りにも意味があるのです。それは「火の木」に住んでいる魂に贈り物をするという意味なのです。
冬休みには、子供たちはいくつかの「新年のモミの木の祝い」に参加します。その場所は、幼稚園や学校や両親が働く会社や知り合いの家などです。学校に行くと、子供たちはみんないくつ「モミの木の祝い」に参加したか、プレゼントはどこが一番良かったか、どこの雪娘が一番きれいだったかなどお互いに話し合います。
「新年のモミの木の祝い」は娯楽産業になりました。「霜お爺さんモローズと雪娘の学校」があります。そこでは、2ヶ月ほど霜お爺さんたちや雪娘たちは、俳優の技術や子供心理学や踊りや、子供たちからの難しい質問に対する答え方などを学びます。
たいていの場合、霜お爺さんモローズや雪娘はアルバイトの学生たちです。そのアルバイトはとても楽しいので、「霜お爺さんモローズと雪娘の学校」に入るのにも、時々採用試験があります!
新年の夜には、多くの両親は子供たちを喜ばせるために霜お爺さんモローズと雪娘を家に招待します。(「霜お爺さんモローズと雪娘の学校」に予約します)。しばしば、霜お爺さんと雪娘は10軒もの家庭を訪問しなければなりません。訪問したどの家庭でも両親が霜お爺さんモローズと雪娘と一緒に新年のお祝いの乾杯をすることを望むので、往々にしてシャンペーンを飲み過ぎないようにしたり、詩や歌を忘れないようにすることがとても難しくなることがあります。この時期には、霜お爺さんモローズと雪娘が家々を回るために市内中を急いで回っている姿をよく見かけます。
しかし、霜お爺さんモローズの側にはひとつ問題が残されているのです。現代のロシア人から見て、霜お爺さんモローズに対する見方というのは一様ではないのです。霜お爺さんモローズというのは偶像崇拝の宗教神なのです。これには一神教のキリスト教徒の観点からは、相容れないことになってしまうのです。
しかし、一方では、霜お爺さんモローズというのは昔からのロシアの大切な伝統文化に属するものなのです。それで、霜お爺さんモローズの官邸のあるヴェリキイ・ウスチェグ市の所在するボログダ地方の主教は良い解決策を思いつきました。我らが霜お爺さんモローズがキリスト教の洗礼をうけるならば、大いに歓迎しましょうというわけなのです。
それでは、皆様、一足早く、「もうすぐ新年、おめでとうございます!」 (つづく)
日刊ベリタより転載
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200912192128426
サンタクロースはロシアに来ない?<上>
09.12.14 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: コラム, 世界の窓
クリスマスを待ちながら、多くの国では子供たちがサンタクロースのプレゼントを願って靴とソックスを用意していますね!しかし、ロシアでは事情は違うのです!ロシアにはサンタはやって来ないのです!ロシアではサンタに代わって、“デード モローズ(Ded Moroz)”(霜のお爺さん)が子供たちにプレゼントを届けるのです。それも、クリスマスの時ではなく、お正月の時なのです。
サンタと“霜のお爺さんモローズ”は親戚ではないのです。それぞれ異なる文化伝統の中で生まれたのです。
サンタクロースというのはキリスト教の聖職者聖ニコラウス(Saint Nicolaus)のニックネームです。聖ニコラウスは、当時ニューアムステルダムという名であった現在のニューヨーク市の初期の入植者たちからシンタークラース(Sinter Klaas)と呼ばれていました。
ニューアムステルダムでは、聖ニコラウスは貧者の家々の煙突から金の入った袋を密かに落として回っていたと言われています。そして、その袋は暖炉に掛けられていたストッキングの中へと落ちて入ったのです。これが、クリスマスイヴにサンタクロースのプレゼントを期待してストッキングを掛けておく習慣の由来なのです。
聖ニクラウスは、神は人々に富の差異を作らなかったという理由で、富者はその富を寛容の精神を持って貧者と分かち合わなければならないというカトリックの精神を具現していました。 ロシアの“霜のお爺さんモローズ”はキリスト教とは無関係です。スラブ神話の人物です。“霜お爺さんモローズ”というのは、スラブの重要で厳格な(恐怖をいだかせる)先祖の神“デード”なのです。今でも、北方の民族は“霜お爺さんモローズ”をなだめるために、家から外へ向かってクッキーを投げ、外へお酒を振り注ぎます。
スラブの伝説では、“霜お爺さんモローズ”というのは冬の酷寒の象徴なのです。”霜お爺さんモローズ”は白髪・白髭のおじいさんなのです。そして、氷の家に住んでいて、雪の蒲団に寝ているのです。長いシューバ(毛皮の外套)を着ていて、ボヤリンの帽子をかぶって、ワーレンキをはいているのです。“霜お爺さんはモローズ”は出かける時はトロイカ(三頭立ての馬車)に乗ります。
一番の特徴は、この“霜お爺さんモローズ”は一人ではないのです。いつも孫娘である“雪娘”が一緒なのです。(この“雪娘”は縁起がいいと言われています!) “霜お爺さんモローズ”の生活には分からないことが沢山あります。このお爺さんは結婚しているのでしょうか。もし、結婚しているとすると奥さんはいったい誰なのでしょうか。家はどこにあるのでしょう。きっと、ずっと北方で一年中冬があるところなのでしょう。
1998年に、”霜お爺さんモローズ“はヴェリキイ・ウスチュグと言う町に移住させられました。そこにお爺さん用の官邸が建てられました。ロシアでは大統領だけが官邸を持っていたのですが、今や”霜お爺さんモローズ“も官邸を持つことになったのです。これで、” 霜お爺さんモローズ“の官邸のある静かな地方の町は急に活気を呈しました。ヴェリキイ・ウスチュグは観光地になりました。沢山の人々がそこを訪ねるようになりました。また、多くの子供たちが”霜お爺さんモローズ“に手紙を書くようになりました。
“霜お爺さんモローズ”は自分の印鑑を持っていて、“ツァーリ(皇帝)”の肘掛の椅子に座っています。現代のロシアでは、“霜お祖父さんモローズ”は今や人気ブランドだと言えます。プーチン大統領の時代、大統領選挙の期間中、子供たちはプーチン宛に手紙を書くよう勧められました。ある少女は次期も大統領に留まってくださいとプーチン宛の手紙を書きました。(つづく)
日刊ベリタより転載 http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200912131414580
なぜロシア語には「頑張る」と言う動詞はないのでしょうか?
09.11.03 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: コラム, 世界の窓
A:「今は何をしていますか?」 B:「何もしていません」。このような応答が外国人ためのロシア語教科書の最初の課にあることは珍しくありません。「何もしない」というのは、「今は仕事中ではない」、「大したことではない」、「楽しむことをやる」を意味します。例えば、音楽を聴くこと・絵を描くこと・ソファーに横になって夢想にふけることなどなど。一人一人のロシア人は自分らしい「何もしない」すべを知っています。
「ニェヂェリャ」(週間)というロシア語は「何もしない」を意味します。一週間の間中何もしないことはロシア人の理想的な生活でしょうか?実は、古代スラブ語では「ニェヂェリャ」という言葉は、元々は「日曜日」の意味でした。平日は仕事をして日曜日には休むことは当り前のことです。しかし、ロシアでは988年になって、日曜日は「ヴォスケレシェニイェ」(復活)を意味し始めました。スラブ民族の人々はキリスト教に抵抗して、「週間」を「ニェヂェリャ」(何もしない)と名付けたのです。
「何もしない」ことの楽しみの由来は、昔のロシアの田舎の生活にあるのだと思います。暑くて短い夏は畑の仕事が沢山ありとても忙しいのですが、秋の収穫が終わると寒い季節が来て、それまでの生活とはすっかり変わってしまうのでした。人々は家の中で温かいペーチカの周りで生活するのでした。ペーチカの中で毎日料理を作りました。ペーチカの上は温かい寝床になっていて、その上で寝そべって過ごしたり、うとうとと夢を見たりして過ごすのでした。
冬が長いので(ロシアの北方では9月中旬から4月までが冬将軍が居座っています)、家の中にこもって家事をしたり、針仕事をしたり、手細工をしたりするだけでした。又、長い冬は「ポシデールキ」(農村の若者の夜会)とお祭りの「何もしない」時期でした。ロシアのことわざの「仕事にも遊びにも、それぞれの『時』というもの」
があるは「よく働き、よく遊べ!」を意味します。
「落ち着く」ことは日本人だけでなく、ロシア人も大事にします。しかし、ロシア人は「頑張らない」のです。何故ならば、「必要以上」の行動・活動というのは不自然だという考え方によっているのです。
何かの行動や活動中に、急に思い立って「とても大事なこと」を、例えば人生の目的とか人生の無常などを考え始めることは、ごく自然なことなのです。運や思いがけない巡り合わせに任せ、それに従って人が自分の人生を生き、普段の生活を送ることは自然なことなのだと考えているのです。運命がそうさせているのだと考えると、それに逆らってまで頑張る必要性はない、という意識なのです。
それを表している一つの象徴は、ロシアの有名な言葉「アヲシ」です。「アヲシ」は自分がなにもしなくても、すべてがうまくいくという意味です。網には「アヲシカ」という名前が付いています。「アヲシカ」の意味は「穴があるが、大丈夫かもしれない」という意味です。
モスクワの一番短い通りには「レニヴカ」(怠け者)という名前がついています。ロシア人が「何もしない」ことを大事にしている知恵の表れだと思います。ロシア人は「怠け」について良い感情を持っていると思います。ロシア文化の中で一番有名な怠け者はゴンチャロフの小説『オブローモフ』(Обломов)の主人公です。小説の始めから三分の一まで、主人公オブローモフは寝床から一歩も出ないのです!
ロシア語では「がんばる」という動詞がない理由は、いろいろあります。そして最近、ロシアにおける日本研究者たちの間で新語が生まれました。「ガンバリツァ」という言葉です。恐らく、その理由は、「頑張る」ことなくして日本語をマスターすることはかなわないからだと思います。将来多分、日本語を学ぶロシア人の数が増えるにつれて、ロシア人は徐々に「頑張る」ことを始めるようになることでしょう。…でしょうかね!
―日刊ベリタより転載
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季節は「ハエのお葬式」から「女性の夏」へ
09.09.29 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: コラム, 世界の窓
ロシアでは家でとったハエを、株やビート(砂糖大根)の根で作った「棺」に入れて木屑(または木切れ)に乗せて、家の外で土葬にして弔います。タオルを振りながらこう言います、「ハエよ!ハエよ!蚊のお友達よ!とうとう命の終わりが来ましたよ!」このような儀式で、北ロシアでは夏に別れを告げ秋と冬を迎えるのです。
この儀式は毎年9月14日に行われます。その日は、「女性の夏」(秋晴れ)の初日です。普通は「女性の夏」は2週間です。その時には、神様は土(大地)を「春までに閉じ込めてしまう」と言います。もう一つの「女性の夏」が11月の下旬にあります。それが終わると、雪が降り始め、北ロシアの長い長い冬が始まるのです。
「女性の夏」という表現には、女性には天気を治める力があり四季の復活もできるという考えかたがあるのです。もう1つの意味は「おくての恋」です。「女性の夏」は結婚式のシーズンです。そのシーズンは11月の終わりまで続きます。科学者たちの書いたものによりますと、「秋は男性の性衝動のピークの時期であり、一方女性は春に恋に落ちる」のです。
「女性の夏」は、1年の最後の暖かな日々なのです。それが過ぎると、人々は翌年の春まで次の暖かな日々を長く待たねばなりません。だから、人々はこの「女性の夏」をとても好むのです。
ロシアでは、「女性の夏」はとても美しい時期です。「女性の夏」を象徴するものは「クモの流れ糸に乗って浮遊する若いクモ」です。「流れ糸に乗ってクモは秋を持って来る」とよく言われています。(つづく)
日刊ベリタから転載
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不思議なロシア語 「ポーニョポーニョ」
09.09.18 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: コラム, 世界の窓
(写真は「ヨイショ!」–Ё大文字;ё小文字–と文字を持ち上げる姿)
「Ё」という文字はロシア語アルファベットでは一番「若い」(一番最後に作られた)文字です。女帝キャサリンの親友エカテリナ・ダスコヴァ公爵夫人が1783年にクリスマスツリーを見てその文字を作りました。ロシア語ではクリスマスツリーは「Ёлкаヨルカ」と言います。女帝キャサリンはドイツ人でしたので、その文字の上の点々はドイツ語の「ウムラウト、Unlaut」(Ö.Ä,Ü)の影響ではないかと思っています。不思議なことに、大文字「Ё」はカタカナの「ヨ」を鏡で写したような文字でしょう。
ロシア語は不思議な言葉です。恋を告白するとき、ロシア人は 「yellow blue bus」(黄色い青いバス、ロシア語では、Я люблю Васヤー リュブリュー ヴァス)と言います。
男性が「ポーニョポーニョ・・・」と言うと、その「ポーニョポーニョ・・・」という言葉は、「分かった、分かった」という意味です。女性は「ポニョラ」と言う。この「ラ(–la)」は女性名詞につく過去形を意味しており、不思議なことに「ピザーラ(Pizza-la)」ととてもよく似ています。
ロシア人が「キス、キス」と言いますと、キスしたいと思われるかもしれませんが、その言葉で猫を呼び寄せるのです。子供たちは自分の子守り(保母、育児婦)を「ニャーニャ」と呼んでいますが、これと似ていますね。
時には、私は、ロシア語という言葉は、ロシア語を学ぶ人を困らせるために作られたのではと思うくらいです。「ヤマ」はロシア語で「山」ではなく、「穴」を意味します。「ダー」は「はい」で、「ニエーテ」は「いいえ」という意味です。それでは、「ダー・ニエーテ」はどんな意味だと思いますか?それは、「いえ、かもしれない」という意味なのです。
ロシア語のアルファベットをちょっと眺めると、ロシア語というのは暗号として作られたのではないかと思うかもしれません。いくつかのロシア語のアルファベットは英語のアルファベットと同じ文字を使っています。しかし、発音は全く違います。
ロシア語アルファベット文字「P」は英語の「R」のように発音されます。ロシア語アルファベット文字の「B」は、英語の「V」のように、「X」は英語の「H」のように、「H」は英語の「N」のように、などです。
日本語の「私」はロシア語では「ヤ」と発音し、そのロシア語の文字は「Я」です。これは、英語の文字「アール、R」を鏡で写したような文字です。
アルファベット(alphabet)の起源は、その昔地中海沿岸に住んでいたフェニキア人が創り出したと言われています。その後、そのアルファベットはひとつの文化から別の文化へそれ以前からあった文字に上重ねするように伝播していきました。そのようにして、ギリシャ語アルファベットやラテン語アルファベット、ルーン文字・ゴシック文字・キリル文字アルファベットのようなヨーロッパのいくつかの書体が創り出されてきたのです。
アルファベット、alphabetという言葉自体、その起源はフェニキア語です。「アルファ alpha」 は「雄牛」を意味し、「ベットbet」は「家」の意味です。それで、アルファベットalphabetは「牡牛の家」という意味です。
ロシア語では「アルファベット」は 「azbuka」です。古代スラブ語では、[az]は「私」を意味していました。ブルガリア語では「私」は「az」です。「Buki」は 「文字」を意味します。面白いのは、ロシア語のbukiとドイツ語のBuch(本)の起源は、「ぶな」という木の名前です。「ロシア語:«бук»、ドイツ語:Buche」。ロシア語のアルファベットを意味する言葉「Azbuka」は「私は文字です」という意味を表しています。
キリル文字アルファベットの字には特別の名前がつけられており、それらの名前にはある意味があります。真の意味は秘密であるとされています。例えば、文字 「Ы」の元々の意味は、「太陽・神」です。ロシア語を学ぶ学生は、その文字を字の形からよく「61」と呼びます。
「B」(ヴェヂ)は「知る」を意味する動詞です。語源はサンスクリット語です。(ヴェーダはサンスクリット語で「知識」を意味し、アジアが起源の経典の集大成です。)「М]」(ミスレテ)は 動詞「考える」の二人称複数命令形です。不思議なことに、それはまた、文字を書く時の手の動き方にならって「酔っ払いの足取り」の意味でもあります。
ロシア語は不思議な言葉です。学ぶことは原宿竹下通りを歩く人のような可愛さはないかもしれないけれども、また派手さはないかもしれませんが、一度ロシア語に取り組んでみませんか?違った世界が見えますよ!(つづく)
(日刊ベリタより再掲載)
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ユニオン・デ・ファブリカンによる「ニセモノを買わないために注意すること」
09.08.10 by ユニオン デファブリカン カテゴリー: コラム
流通しているニセモノには2種類あります。
-ニセモノとして販売されているもの
-本物として販売されているもの
ニセモノを買いたくない方は、「ニセモノとして販売されているもの」を買わないでしょうから余り説明をする必要はないかも知れません。
でも、販売している方が「ニセモノ」と言っているつもりでも、買われる方は本物だと思い込んでしまうと言う事もありますので少し注意点を書きます。
*道ばたの露店で売られているブランド品は購入しないでください。
*本物の価格の10分の1以下で販売されているものは注意してください。
*日本語で説明がある場合、日本語がおかしいサイトから購入しないでください。
*インターネットのHPで販売していて、EMS等の国際小包で送付すると言うものは、注意してください。
*マークが違うけどあの有名ブランドの商品と同じという触れ込みの商品は買わないでください。
*インターネット・オークションで、「理解できる方だけ入札してください」等、ニセモノですという意味の隠語が掲載されている場合は購入しないでください。
日本語がおかしいサイトとは、「閣下の光臨を歓迎する」とか、「あなたが払う、わたしすぐに商品をおくる」とか、「税関に止まる、心配ない、すぐにもう一度送る」というものを言っています。
オークションでのニセモノだという意味の隠語については、サイトによって様々ありますので一概には言えません。「理解できる方だけ入札してください」、「価格から判断してください」等の隠語は、ほぼ全てのサイトで共通なのです。 しかし、あるサイトでは、「本物」とだけ記載してあれば「ニセモノ」という事で、「絶対本物」、「本物の本物」と書いてあったら、「本物」もしくは出品している人は本物だと信じているという商品という法則になっています。
だいたいのところ、このぐらい注意していれば、販売している方がニセモノと言っているニセモノを購入してしまうことはなくなるはずです。
―勉強は防御法になるか?
本物として販売されているニセモノを買わないようにする方法は、ニセモノと本物と差異をよく勉強すると言うことにはなりません。ハッキリ言って無理です。商品の数は多いですし、ブランドが生産する商品の仕様はすぐに変更されるのが常です。某警察が強制捜索をするから鑑定を現場でしてくれという要請があったとき、こういう要請は良くある話ですが、関係していた某ブランドの担当者からも委任を受けこれを持って行ってくれと出された資料の厚さが数センチ以上もあったと言うことがありました。1ブランドだけでそうなるのですから、著名ブランド全ての見分けが付くという方はいらっしゃいません。更に、ブランドは見分け方のポイントは公表していません。公表すれば、いずれは製造している者の耳にも入り、より精巧なニセモノを作られてしまいますし、そうなれば被害が拡大します。
ではどうしたらいいのでしょうか?
以下のことを守ってください。
*定価の3割以下で販売されている商品には注意する
*人気があり品薄である商品が多量に販売されている場合は購入しない
*販売者の所在や連絡先がハッキリ見えないときは購入しない
*購入する前に、購入しようとしているブランド・製品について質問し、販売者に説明してもらい、余りよく知らないようなら購入しない
*万一、ニセモノと判明したら代金を返すと言うところから購入する
傷ものでもない限り、3割以下の価格でブランド品が販売されることは少ないはずですから、安いといって飛びつくのは考え物です。
人気がある商品は、どこに行っても品薄です。そこだけにいっぱいあるはずがありません。
販売している方もどっかから購入しています。ブランドや商品について知識がない人は騙されている可能性がありますから、知識のない方から購入しない方が無難です。
ニセモノは多量に流通しています。ニセモノの流通現状をよく承知している人ほどニセモノを仕入れて販売する確立が低くなりますし、よく知っている人ほど万一が起こりえる危険を承知していることになるはずです。絶対に自分はニセモノを掴ませられることはないし、絶対にニセモノは販売しないと言い切る方は危険です。逆に、そう信じているならニセモノだったら返金するという約束も出来るはずです。結果、そう約束してくれるところから購入するのが安全と言うことになります。
―もし買ってしまったら
では、ニセモノと思われるものを買ってしまったらどうするのか?
多くの方がニセモノとハッキリさせようとします。消費者からの真贋鑑定依頼をブランドは受けていないのが普通ですが、仮に真贋鑑定書が発行されたとしても余り意味がありません。食料品に虫が入っていたというのであるならば、店は謝罪の上で商品を交換してくれるでしょうが、ブランドのニセモノはそうはいきません。販売しているところは、1個でもニセモノと認めれば、今まで販売したものが全部ニセモノで、在庫品もニセモノと認めることになると考えます。一人の消費者がブランドの鑑定書だけを持って、弁護士も連れず文句を言いに行っても、嫌な思いをしにいくだけです。
そう言う場合は、警察に行かれることをお勧めいたします。警察からの照会であるならばブランドも回答を致します。もし警察に行かれるのが嫌であるならば、手間がかかるのは嫌だし、ニセモノか本物かもどうでも良い、ともかく、お金が返れば文句はないと販売した方に言ってみることです。ニセモノを販売したと思っている販売者はお金を返金してくるはずです。本物だとの確信がある販売者の方は警察に行ってくれと言うでしょうが、その場合でも、警察の方が最初に行うのはブランドへの鑑定依頼となりますので、本物であったら販売者には何も起こりませんし、迷惑を被ることもないはずです。
片手落ちになるといけませんから書きますが、本物だと確信のある販売者の方は、「警察にどうぞ」と言ってください。現行のシステムではそれしかないのです。ニセモノとブランドが鑑定しない限り販売者には何の影響もありませんからご心配なく。
大手のインターネット・オークションやショッピングモールからは、それと判るニセモノは排除されつつあります。でも、画面からは判別できないニセモノは多量に流通していますので、注意して購入するようにしてください。
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ユニオン・デ・ファブリカンのウェブサイト
「ユニオン・デ・ファブリカン」を知っていますか?
09.08.01 by ユニオン デファブリカン カテゴリー: コラム
「ユニオン・デ・ファブリカン」という団体の存在を知っておられる方は少ないと思います。
「ブランド偽造品を排除している権利者団体」、一行で表現するとそうなります。
バーバリー、ダンヒル、ルイ・ヴィトン、グッチ、カルティエ・・・、皆さんが良く耳にされる有名ブランド、そのニセモノをなくすための活動をしています。
なぜユニオン・デ・ファブリカンの存在を知っておられる方が少ないのか、それは要するに私たちは隠れているからです。表現が適切かどうかは知りませんが、ブランドは「憧れの世界」、「光の世界」でなくてはなりません。影があってはならないし、仮にあったとしても隠されなくてはならないのです。
光に影はつきものですし、ブランド品にニセモノもつきものです。ニセモノを排除する活動は、影の中で皆さんの目に付かないようにと常に心がけています。だから皆さん知らないし、知らないと言って頂くとうれしい、そんな団体です。
だからと言って、怪しげな団体ではありませんし、全く隠れたままにもできないのが現実です。
―母体の創立は1872年
東京にある一般社団法人「ユニオン・デ・ファブリカン」の母体は、パリにある公益社団法人「Union des Fabricants」で、設立は1872年、明治5年です。更に、日本の警察が扱われる商標法被疑事件は、年間で200前後になりますが、その約80%まで「ユニオン・デ・ファブリカン」は何らかの関わりを持っています。
隠れたままと言うわけにも行かない理由はごく単純です。「消費者の皆さん、ニセモノが販売されています」、「気をつけてください」、「買わないでください」、「騙されないでください」と言わなくてはなりませんし、それを言うのが私たちの仕事です。人にものを申し上げるのに隠れているわけにもまいりません。因みに、この文章もそのために書いています。
法律などを改正してくれと言う場合もそうです。政府の「・・・本部」、「・・・委員会」に呼ばれて意見を言うのも私たちの役割です。ブランドという「憧れの世界」、「光の世界」はそのような現実的なことは言えませんし、一社が言っても意味がありません。「ユニオン・デ・ファブリカン」が行います。
ニセモノを作っている人、販売している人を警察に通知するのも私たちの仕事ですし、税関でニセモノが出た場合に対応すると言うこともします。
隠れてやっていることもあります。ニセモノの流通調査は隠れてやります。「調査しています」と宣伝しながら調査はできません。ニセモノを販売している人は逃げだし、隠れて、また販売します。ですから、調査は隠れてやる、これが常道です。
昨今はインターネットを通してニセモノが多量に販売されています。日本に於けるインターネットのオークションでのニセモノの存在率(100の出品の内、幾つがニセモノであるかを示す率です)は、2004年までが60%を上回っていましたが、現在では消費者がニセモノと判っていて購入されている類のニセモノは1から2%に押さえ込むことに成功しています。オークション運営者側も、24時間態勢で専用人員を使ってパトロールをしていますし、権利者側も巡回・監視していて、ニセモノを発見した場合は削除(正式には、「発信情報の停止処置」と言います)依頼をオークション事業者にするということも行っています(だからと言って、インターネットで安心して買い物ができる環境は整っていません。消費者を騙す、それと判らないニセモノが大量に流通していますので気をつけてください。どう気をつけたらよいのかは、次に書くようにします)。
権利者からの削除依頼を取りまとめ、内容に錯誤がないかを確認し、オークション事業者に伝達するのは私たちの仕事です。削除依頼は、プロバイダ責任制限法第3条に基づいて行われていますが、その運用ガイドラインが定める「信頼性確認団体」として「ユニオン・デ・ファブリカン」は認定されています。ここでも巡回・監視は隠れて行いますが、「信頼性確認団体」としてのオークション事業者への伝達作業は隠れて行うわけにはいきません。
「ユニオン・デ・ファブリカン」は、あまり名前は知られていませんが、そんな活動をしている団体です。
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ユニオン・デ・ファブリカンのウェブサイト
写真は1つの事件で押収された衣料品を廃棄しているところ。ユニオン・デ・ファブリカン提供
「視点を変える」②若い政治家が必要な理由とは?
8月30日、日本では総選挙が行われる。どの政党あるいは候補者に投票するか、みなさんはもう決めただろうか。私の周囲に聞くと、「投票には行かない」と答える人がこれまでは多かった。「行っても何も変わらないから」と。しかし、今回はことによったら野党が政権を取得する可能性がある。さてあなたはどうするだろうー?
今回はやや特別としても、長年、「どうせ変わらない」と思ってきた人の中で、「どうも争点がピンとこない」、「自分の生活と直結していない」と感じてきた人は結構いるのではないか。例えば、年金問題や高齢者医療の改革などが何故大きな争点になるのだろうと、考えたことはないだろうか?
「当たり前のことを聞くな!」と思わないでほしい。実は、有権者の中でよく投票に行く人の年齢が中高年から老年であるという要素が大きいからではないかー?ということを、私はあるシンクタンクの人から指摘されて、はっとした。
―若者層取り込みの努力
私が現在住む英国では、若者の政治参加を促すため、2006年、下院議員(日本の衆院議員に相当)への立候補最低年齢が21歳から18歳に引き下げられた。選挙権の最低年齢18歳を16歳に下げようという声もある。
若者層の取り込みの努力が行われているのは、若者層の投票が他の年代と比べて非常に低いためだ。1997年の下院選では18歳から25歳未満の有権者の投票率は69%だったが、2005年の下院選(直近)では、37%に下落した。
また、下院議員の年齢構成を見ると、05年の総選挙直後で当選者の平均年齢は50・6歳(ちなみに、05年の衆議院選挙の当選者平均年齢は52・3歳)。最も多いのが50代(249人)、これに40代(191人)、30代(89人)、20代(3人)と続く。このような年齢構成では、英シンクタンク「フェビアン協会」の事務局長スンダー・カトワラ氏(写真、右上)によれば、若者たちは、自分たちの存在が反映されていないと思ってしまう。
中高年以上の下院議員全体に占める割合や、投票者全体に占める割合が高いので、政治の議論の中心が「どうしても中高年以上が重要と考える問題になりやすい」のだそうだ。
「政治にもっと若者を!」という声を前に聞いた時に、大して強い印象を持たず、ただのスローガンに聞こえた私だったが、カトワラ氏に2007年会って、英国の政治の話を聞くうちに、実は深い意味があったと思うようになった。20代、30代の自分は40代、50代、60代の政治家の姿を見て、少なくとも「自分たちを代表している」とは思えなかったし、争点にしている問題にも当時の私にとってはいまいちピンとは来なかった。しかし、そうやって若者たちが政治参加から遠のいているうちに、政治は「中高年のための中高年による」ものになってしまった。政治はその社会の構成員全員に影響を及ぼすものであるから、これはまずいことになった・・と思った。
「若者が政治家に立候補したからといって、他の問題がすべて解決されるわけではない」(カトワラ氏)が、投票者もそれから議員の年齢構成でも、一部に偏ってしまうのは良くない。若者にとって重要な問題が抜け落ちてしまってはいないだろうか?
カトワラ氏との会話は「日刊ベリタ」に書いたのだけれど、もう一つ、「うーん」と思ってしまうコメントがあった。それは「消費者の嘆き」で判断するな、ということだった。
スンダー・カトワラ氏:私が現在の政治に対して持っている大きな懸念の1つは、ある政治体制が機能しているかどうかを市民が検証する時、「自分が欲しいものを得られたかどうか」という点から判断する傾向だ。「私は非常に忙しい。自分の人生があるし、仕事がある。私は消費者だ。私は政治を無視する。政治家のあなたがやればいい。政治はあまりにも退屈すぎる」と言って、政治問題に全く関心を持とうとしない点だ。まるで、市民がお店に行って、「あれが欲しい」といって消費するようなものだ。しかし、政治は消費行為とは反対の行為だ。将来を能動的に作り上げていく過程だ。社会の構成員全体のための決定を、集団で行なうことだ。政治が単なる消費者の嘆きになると、その意味が失われてしまう。(引用終わり)
―エミリー・ベンさんの登場
2007年9月、当時17歳だったエミリー・ベンさんが、英南部イースト・ワージング・アンド・ショーラム選挙区で労働党公認候補に選出され、内外で注目を浴びた。
エミリーさんは政治一家の生まれ。半世紀ほど国会議員だった労働党左派のトニー・ベンを祖父に持つ。叔父も政治家だ。当時、エミリーさんはブログに「多くの若者が生きる目標を持たず、幻滅して学校を卒業してゆく。若者たちを元気付けるために何かがしたい」と書いた。
英国でも近く総選挙が予定されている。期日はまだ不明だが、5年に一回は総選挙を行うことになっているので、来年5月頃までには実施される。現在19歳になったエミリーさんは、もちろん立候補予定だ。社会の不公平をなくするのが、政治家になろうと思った理由だと労働党のウェブサイトに書いている。どのような経済状態の家庭に育っても、すべての児童・若者が質の高い音楽教育を受けられるようにしたい、とも。
スンダーカトワラ氏・インタビュー
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200710240249223
エミリー・ベンさんのメッセージ
http://www.ewaslabour.org.uk/index.php/ppc/



