お勧め番組案内 一24日の午後7時半からNHK「首都圏スペシャル 都市に生きる覚悟 首都直下地震に備えて」

(大妻女子大でライフデザインを教える波津博明先生が学生に流すメールの一部を紹介しています。)

番組案内です。一押しは、24日の午後7時半放送のNHK「首都圏スペシャル 都市に生きる覚悟 首都直下地震に備えて」です。 これは、首都圏以外では、放送されないと思うので、首都圏ローカルのお勧め。

23日(木)

正午 NHKBSプレミアム 「名曲探偵アマデウス フランク バイオリン協奏曲イ長調」

午後1時 NHKBSプレミアム 映画「にあんちゃん」

●午後6時 BS1 「世界のドキュメンタリー 民衆の敵に迫る カンボジア人記者の記録」

※今日の「カンボジア 虐殺の記憶」に続くカンボジア・ドキュメンタリーです。前回も書きましたが、我々日本人がカンボジアの悲劇を考えるとき、「ポルポト政権って、とんでもない連中だったんだな」と思うだけでなく、自国の政府が、そのポルポト勢力の延命に手を貸していたことを忘れるべきではありません。彼らの悲劇は、日本と無縁ではなかったということです。

●午後7時半 NHKBSプレミアム 「美の壺 梅」

※これはお勧めです。さくらとの違いを考えながら、楽しんでください。なお、「梅」は「うめ」と読みますが、これ、「音読み」です。「訓読み」ではないので、気をつけてください。ということから、たいへん興味深いことが次々と・・長くなるので、続きは、末尾にしました。関心のある方は、どうぞ。

午後8時 NHKBSプレミアム 「BS歴史館 真相究明 大奥誕生」

午後9時 NHKBSプレミアム 「世界ふれあい街歩き ギリシャ・ミコノス」

●午後10時 NHK総合テレビ 「ブラタモリ 江戸の運河(後)」

●深夜0時 BS1 「世界のドキュメンタリー アマゾン①」

※違法伐採や開発で、危機を迎えているアマゾンの今を伝えます

24日(金)

◎午後1時 NHKBSプレミアム 映画「恍惚の人」

※高齢者問題を今から、40年も前にえぐった、有吉佐和子原作の話題作です。

●午後6時 BS1 「ドキュメンタリーWAVE ケニア スラム強制撤去 グローバル化に翻弄される人々」

※日本人には、「正規作用の減少」や「TPP」問題として迫っている「グローバル化」。アフリカでは、さらに残酷な形で生じています。経済のグローバル化で、だれが得をし、だれが悲惨な目に会っているのか。プラス面もあるとはいえ、悲惨な目に会っている人の数は膨大です。

◎◎午後7時半 NHK総合テレビ 「首都圏スペシャル 都市に生きる覚悟 首都直下地震に備えて」

※1時間15分、たっぷり地震について伝えてくれます。それにしても、タイトルが目を引きます。いまや、「都市」に住むということは、「覚悟」を求められる行為なのだ、ということです。大地震が起きても、縄文時代だったら、被害はほとんどないでしょう。地面の裂け目にでも落ち込まない限り、死ぬ可能性はあまりない。現在、僕らは、地震が起きると、倒壊する家やビル、あるいはそこから発生する火事など、都市生活をしているがゆえに、命の危険にさらされるのです。津波はともかく、地震も、広い意味では「人災」です。であれば、人間の知恵で損害を減らすことが必要だし、可能です。

「梅」の話 続き  音読みというのは、中国から、その字が伝わった時点での中国式の発音のことです。訓というのは、その字の「意味」です。「犬」は、中国人が「ケン」と発音していた(と、当時の日本人には聞こえた)。で、その「ケン」って、一体何のことだ、となったとき、それは、あの「イヌ」のことらしい、というわけで、日本人に意味のわかる大和言葉を「訓」として、2つ目の読みとして定着させたわけです。こうして、音読みと訓読みという2通りの読み方が成立したわけです。

さて、「犬」は、日本にもイヌという動物がいたので、「あれのことか」と、わかったけど、「梅」という植物は、日本にはありませんでした。こういう場合、訓読みが作れない。それで、中国人が読む通り、「メイ」「メ」とか「バイ」とか読むしかない。そのうち、「メ」は1字なので、なんだかおさまりが悪い。で、いったん唇を閉じて「ン」と発音したうえ、続けて「メ」という、つまり「ンメ」と発音するようになりました。これを表記上は「ウメ」と書いたので、そのうち、今のように、本当に「ウメ」と読むようになったわけです。つまり、全部音読みです。

ウと書いてンと読むって、他にも例があります。「ううむ」と書いてあっても、あれは「ンー」と読みますね。  じゃ、もう1つ、「馬」は「うま」ですが、これも音読み。「マ」とか「バ」が中国式の、つまり音読みですが、この「マ」を発音するとき、梅と同様、一音って、日本人はあまり発音したくないので、「ンマ」とやってたのですね。これも「ウマ」と表記しているうちに、本当に「うま」と読むようになった。馬も日本にはもともといなかったため、「馬って、日本でいうと、どの動物?」と考えても該当するものが存在しなかった。で、訓読みは作りようがなかったわけ。

天皇家の象徴「菊」もそうです。菊はもともと日本になかったため、訓読みがないのです。「キク」って、音読みです。天皇というと、日本独自の存在ということで、民族主義者は、菊の花も特別視しますね。しかし、古来、天皇家が菊を自分たちの象徴にしたのはなぜか。明治以来、天皇家が、伝統の衣裳をほとんどやめて、洋服、つまり外国の服を着るようになったのと似ています。つまり、「強くて、かっこいい外国」の風俗を真っ先に取り入れることで、他の日本人に対して、我々は進んでいる、ということを示すということでしょう。

つまり、菊は中国から来た花だったから「かっこいい」と考えられた、ということですね。

7世紀、天武天皇のころ(おそらく)、天皇がこの国を「倭」から「日本」に変え、「おおきみ(大君)」を「天皇」に変えた時、天武天皇はつまり、何をしたのか。興味深いです。  それはつまり、国名も、君主の地位も、中国式に変えたということです。だって、「日本」って、2字とも漢字、つまり中国の字であり、「天皇」も、中国の「皇帝」に対抗して、似てはいるが、別の称号を探して、考えたものです。もっとも、かつて中国には、1人だけ、自ら「天皇」を名乗った皇帝がいたので、この称号も残念ながら、オリジナルではありません。ついでにいうと、天皇とはもともとは、中国で、天の王者「北極星」のことでした。北極星は他の星と違って、周回運動をしない、つまり不動の星だったので、特別扱いされたわけです。

「長く」といっても、こんなに長く書く予定ではなかったのですが、すみません。

最後に、梅というと、天神様を連想しますね。湯島天神も梅で有名です。ま、本家は京都の北野天満宮で、あそこも梅園で有名です。波津ゼミでは、3年生(新3年生)の春の合宿は本郷ですが、そこから歩いて、湯島天神にも寄るのが定番コースです。ここに寄ると、大体僕は、以上の話をするので、波津ゼミ生と出身者は、聞いた覚えがあるかもしれません。

さて、ではなぜ、天神様、つまり菅原道真に梅がつきものなのか。道真は、梅が大好きだったんですね。そもそも、道真は学問の神様といわれますが、当時、つまり9世紀の日本において、学問といえば、中国の学問のことです。孔子や孟子を勉強していたわけです。それで、本場中国から来た、もともと日本のものではない「梅」が、外国(中国)の知識を身に付けた大知識人としては、自分にぴったりだと思ったのではないでしょうか。京都の道真の邸には、道真が愛した梅がありましたが、藤原氏の陰謀で、道真が九州大宰府に左遷というか、事実上追放されたとき、愛された梅が、九州まで飛んで行ったという「飛び梅」の伝説があるくらい、道真は梅と切っても切れない関係にあります。

たぶん、番組でも、道真のことは出てくるでしょう。

以上のことを踏まえて、「美の壺」をどうぞ。

ドキュメンタリー「テレビに挑戦した男・牛山純一」が24日まで、渋谷で公開

テレビドキュメンタリーのパイオニアといわれる牛山純一氏を紹介するドキュメンタリー作品「テレビに挑戦した男・牛山純一」(企画:佐藤真、監督:畠山容平)が、オーディトリウム渋谷にて、24日(土)まで上映中だ。

午前11時からの本編上映後には、ゲストによるトークも開催される。22日以降のゲストは以下。

22日(水)山川建夫さん(フリーアナウンサー)「朝ワイドで起きた1つの事件」

23日(木)森口豁さん(沖縄を語る一人の会・ジャーナリスト)「撮る側と撮られる側」のことなど

24日(金)岡村淳さん(記録映像作家)「一兵卒のみた牛山天皇」

―料金

前売券(劇場窓口にて公開前日まで販売中)1000円

当日一般=1400円 学生・シニア1000円 映画美学校生800円

ーオーディトリウム渋谷の場所

東京都渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F

TEL. 03-6809-0538

以下は、ウェブサイトより、作品内容の紹介:

http://a-shibuya.jp/archives/2460

ー作品

「テレビに挑戦した男・牛山純一」 Ushiyama Junichi:Our Wonderful Television

日本語/カラー/DVカム/日本/82分/2011年/ドキュメンタリー

企画:佐藤真 監督:畠山容平 製作:藤本美津子 編集:秦岳志

撮影:大津幸四郎、牛山純一ゼミ生 整音:小川 武 音楽:スガダイロー

配給・宣伝:お問い合わせ=牛山純一研究会(株式会社シグロ内・畠山、藤本、石田) ©2011 NPO法人映画美学校+牛山純一研究会、 2011年山形国際ドキュメンタリー映画祭 招待作品

ー牛山純一とは

 本作品の主人公である牛山純一(1930〜1997)は、テレビドキュメンタリーの草分け的な人物として、テレビが放送を開始した1958年から享年の1997年に至るまでテレビ制作の第1線で活躍しました。牛山の本職はあくまでプロデューサーでありますが、テレビ草創期の自由な雰囲気の中で成長した牛山はテレビ局の中で必要とされる仕事を何でも経験してきました。牛山は67歳で他界するまで、あらゆる仕事において「初めて」と形容される体験を繰り返してきました。産まれたばかりのテレビというメディアと取り組み、新たな地平を切り開いてきたパイオニアとして、時にはかなり強腕な手段も発揮したが、そうしなければ実現不可能なことばかりだったに違いありません。

―あらすじ

 牛山のテレビ局での最初の仕事は政治担当の放送記者からスタートしました。報道番組の新企画を次々に生み出してきましたが、牛山の評価を決定付けたのは皇太子御成婚パレードの中継放送でした。「中継の牛山」として放送界では認知されました。その後報道部から社会部に移り、「ノンフィクション劇場」という民放では初となるドキュメンタリー番組を制作。次々に話題作を作り上げていきました。ドキュメンタリーの確たる方法論など無かった時代に牛山と制作スタッフ達の試行錯誤が続きます。そして「ベトナム海兵大隊戦記」という多くの問題を孕んだ番組について当時の技術スタッフから労働組合まで様々な角度から証言を集めてきました。ベトナム以後に牛山は転向したのかしないのか、「すばらしい世界旅行」を作り続ける中で、ドキュメンタリー映像を社会に広めていくアーカイブ活動も積極的に行います。牛山純一とは如何なる存在だったのか、映画と共に考えていきます。

―畠山容平監督の言葉

 テレビドキュメンタリーの世界に牛山純一という名プロデューサーがいた。その牛山がプロデュースしたドキュメンタリー番組「ノンフィクション劇場」の1作品、「忘れられた皇軍」(1963年製作)を見た衝撃が今でも忘れられない。それはぼくにとってテレビドキュメンタリーというジャンルを意識した最初の番組だったと思う。監督には映画監督の大島渚が起用されていて、そのことからもこの番組が大きな野心を持って作られたことが伺えた。その番組の最後に小松方正のナレーションが響き渡る。「日本人よこれでいいのだろうか?!」性急に問い掛けられたその声に僕は驚いたというよりも嫌悪感を抱いた。20分程の短い時間ではあったけど、韓国籍の傷痍軍人達の苦労や苦悩が描かれた今迄の時間は何だったのか?このナレーションがそれまでの流れを台無しにしていると思えたのだ。しかし、考え直してみればこれこそまさに映画とは違うテレビ的な表現の誕生だったのではないかと思えた。そもそもドキュメンタリーとは常にある定型をはみ出す何かであって、テレビとか映画とかいうジャンル分けの境界を超える自由な冒険心に溢れているものだ。そう考えたら何だか楽しくなった。当時の制作者達の息吹を感じた事が本作品への制作へと自分を駆り立てたものだと確信している。

 

 

 

 

 

 

「ロシア人は暗い」だろうか? 

ロシア文学でハッピーエンド(happy end)が少ないということは有名である。

ロシア人についての見方にはステレオタイプが多い。一方、「ロシアユートピア論」とする考えでは、ロシア人は不思議な心(ドゥシャー;ロシア語: душа)を持っていて、感情的で、優しくて、客好きの怠け者である。また一方では、「ロシア人は悲観しがちな運命論者であり、苦悩が好きで、権力には柔順に従い、自分の利益に背いて行動する」という考えもある。こんなロシアの複雑な文脈の中で、ロシア人にしか理解出来ないジョークが生ずる。一つの例をあげる。

救急車が道に沿って走っている。死んだ一人の男の頭が救急車の後ろの車道に転がっていて、「俺はちょっとパンを買おうとして出ただけなのに!」と言っている。

このジョークを聞く人は、「ロシア人というのは心が暗い」と恐らく結論づけるに違いない。しかしロシア人には、この状況に可笑しみをおぼえることは可能である。何故ならロシア文化においては、人生や運命というものに対する特殊な運命論的な生き方が背景にあるからだ。人は次の瞬間には何が起こるか知らない。運命に甘んじて従うしかないのである。

また、現在ロシア人の話には有名な小説からの引用文か有名なシーンからの引喩が多い。

さきほど例に出したジョークは、明らかに小説「巨匠とマルガリータ」 (ミハイール・ブルガーコフ)からの一場面からの引喩である。この小説の中で、文芸雑誌の編集長であるベルリオーズ はヴォランドと名乗る風変わりな“外国人の男”(悪魔)との会話の中で、「ゴッド(The God:神様)は存在しない。人は自分の運命は自分で決めることができるのだ。」と断言した。ヴォランドはベルリオーズに5分後には何が起こるかわかりませんよと言って、ベルリオーズの死を予言した。その予言では、ベルリオーズは若い女性に頭をかき切られるという予言だった。ベルリオーズはヴォランドの言葉を信じなかった。しかし、その後間もなく市内電車のレールの上で滑って電車に轢かれ、首が切り落とされてしまった。その電車の運転手は若い女性だったー。 http://katalog-books.ru/books/master/pages.php?id=3

20世紀のロシアで一番好きな小説「巨匠とマルガリータ」の背景はスターリン時代のモスクワで、「善」と「悪」が入り乱れている。現在のロシアでも永遠の「善」と「悪」の戦いは緊要な問題となっている。3月4日に行われるロシアの大統領選挙ではどうしても笑ってなんかはいられない。悲しいジョークが生まれている:

2012年の春、ロシア人はまた難しい選択しなければならない。 それは、“プーチン?”か“プーチン?”、それとも“プーチン?”?

(ジョークの解釈:その選択肢は極めて限られていて、「“プーチン?”か“プーチン?”」または初めから「“プーチン?”」だけというものである。)

現在のロシア事情は人々に暗い思いをさせ、ある人々の行動もソビエト時代を思い出させる。次のジョークのように:

―あなたには良心がありますか? ―はい。良心はありますが、使いません。

ロシア人は暗いのだろうか?

(日刊ベリタより)

 

冬のシンボル、トロイカに「無限の空間」の響き

12.01.29 by   カテゴリー: 世界の窓, 文化

「国」というのは地図上の場所だけをいうのではない。それは,様々な感覚や音や匂いその他の入り混じったものです。 

「冬のロシア」を感じる方法とは? 答えは簡単です。それはトロイカに乗ることです。トロイカに乗ると,耳に雪のざくざくいう音が聞こえ、そのスピードのために雪が顔に当たり、頬に当たる風は冷たく,又トロイカの鈴のメロディーが心地よく響き,輝く銀世界が一面に拡がります。

「トロイカ」の由来は郵便局です。トロイカは18世紀のまだ鉄道がなかった時代に “速達郵便”の役割を果たしていました。トロイカの馬の数は三頭で(トロイカ;тройкаはロシア語で“三つ”を意味します)、真ん中の馬は背が高くて力の強い馬が「だく足」で走り、両側の軽い馬は駆け足(ギャロップ)で走ります。ギャロップで走っている二頭の馬が真ん中の馬を背負うように引っ張って行きます。そうすると、馬たちはそんなに疲労することもなく、結果として、トロイカのスピードが上がって時速は50キロメートルにもなります。

18世紀には、街道の30-40露里(露里・ロシア語:верстаは1.06キロメートルに相当)毎に、交代用の“御者の家”(ロシア語:ямские избы)が作られていて、その“御者の家”で馬を変えました。鈴の音が遠くから(5露里ぐらい距離から)聞こえてくると、御者(ロシア語:“ямщик”ヤムシーク)は新しい馬を用意しました。“トロイカ”と“ヤムシーク”という言葉は古いロシア民謡やロマンスによく出てくる言葉です。鈴はサンクト・ペテルブルグとモスクワの中間にあるヴァルダイ(ロシア語:Валдай)という小さい町で作られましたので、ヴァルダーイスキイと言います。(ヴァルダーイスキイ・コロコーリチクвалдайский колокольчик)

作家のゴーゴリは小説『死せる魂』の中で、ロシアを疾走するトロイカに喩えています。トロイカはロシア人の心に心地よく響く言葉で、ロシアの「無限の空間」を表します。無限の空間というものはいつでも不確かで未知なるものなのです。この感情の故に、人は運命や幸運といったものを信じたくなるのです。

トロイカはロシアの冬の田舎の祭りの欠かせないものです。「冬を送り・春を迎える祭り」(ロシア語:“Масленица マースレニツァ「バター週間」)は例年ひどい寒さの時期に行われるので、トロイカに乗る時には寒さ対策としてロシアの伝統的な飲み物であるヴォッカを飲むのが人気です。このためか,様々なヴォッカのラベルにはトロイカが描かれています。

観光客はモスクワではソコリニキ(Сокольники)公園とクジミヌキ(Кузьминки)屋敷、サンクト・ペテルブルグではツァールスコエ‐セロー(Царское Село皇帝の村)とパブロフスク市(Павловск;サンクトペテルブルグの南約30キロメートルにある町)でトロイカに乗ることができます。(「日刊ベリタ」より)

 

 

 

番組案内 31日深夜はぜひぜひEテレを

(大妻女子大でライフデザインを教える、波津博明先生が学生に送っているメールの一部を掲載しています。)

さて、卒論指導、連続する会議などで、このところずっと、時間がとれず、かなりいい番組をいくつも紹介できませんでした。 しかし、年末年始、超ド級(もう死語か)のドキュメンタリーが、何本も再放送されます。絶対見逃してほしくない、S級の内容です。すでに見た人も、2度見る価値があります。 とくに、31日深夜のEテレ「ETV特集 原発事故への道程(上下)」は、一押しです。これはぜひ、録画して見てほしいと思います。永久保存版です。見た後の感想を送ってもらえると幸甚です。場合によっては、みんなで共有したいと思います。

●は、「とくに推薦」。◎は「ぜひ見て!!」印。◎◎は、「絶対見て」、◎◎◎◎は「見ないと、一生の損失です」

あす29日(木)  ●午後6時55分 NHK教育テレビ(Eテレ)「サイエンスZERO 巨大津波の謎を探る」

午後9時 NHK BS1 「BSドキュメンタリー ターゲット ビンラーディン 奇襲作戦の全貌 前篇」(再放送)

午後10時 同上 後編   ●午後10時25分 Eテレ 「グランジュテ 私が跳んだ日 NPO代表 林恵子」若者たちの未来を気付く活動

◎深夜1時05分 Eテレ 「ETV特集 原発災害の地にて 対談 玄有宗久 吉岡忍」(再放送)

◎◎ 2時05分 Eテレ 「同上 ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2カ月」(同上)

◎◎ 3時05分 Eテレ 「続報 放射能汚染地図」

※以上3本は再放送です。とくに、2本目は、5月に放送されるや、大反響を呼んだ、原発事故報道におけるNHK報道陣の金字塔です。浪江町赤宇木(あこうぎ)地区という、今では最悪の汚染地区として有名になった場所で、異常な放射能が出ていること、そこに人がいること、政府も県も町も、その危険を知っていること、住民には全く知らせていないこと、などを初めて伝えた、画期的な番組案内でした。あまりの反響にその後何度も再放送され、これが4回目か5回目のはずです。

NHKは、一般ニュースでは、東電と政府の「健康に影響はない」「安全です」というデマを繰り返し流すだけで、独自取材もせず、疑問も呈さず、要するに、メディアとしての任務も機能も完全に呈放棄しました。この教育テレビ取材班の番組が、そのNHKの恐るべき怠慢と反社会的姿勢を免罪するわけではありません。しかし、こういう番組は、「NHKは・・・」というふうに、一概に論じることは、実はあまり生産的でないことを示してもいます。NHKにも、テレ朝にも、いろいろなプロデューサー、ディレクター、記者がいるということです。経営陣に近い主流派は、恐るべき「報道犯罪」を犯しましたが、NHKには、記者魂を持つジャーナリストもいることを、この番組案内が示しました。  こういう記者たちのために、我々は受信料を払っているんだ、ということでしょう。その意味でも、今年の最後に、未見の人は、是非見てください。そして、受信料を払った分だけの成果を受け取るという、視聴者としての当然の権利を享受してください。

30日(金)  午前9時半 NHKBSプレミアム 「フランダースの犬」(アニメ 1997年)

午後1時 NHK総合 「スペシャルドラマ 坂の上の雲 最終編 日本海海戦」

午後9時 NHL総合 「異端の王 歴史ロマン紀行 数千年前リビアとスーダンを動かした異端の王」

◎深夜1時45分 Eテレ 「ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図③子供を被爆から守る」

◎ 3時15分 Eテレ 「ETV特集 海jのホットスポットを追う」  ※以上2本も再放送。前夜の番組の続々編と、海洋編です。   31日(土)  午後6時05分 NHK総合 「建築家 伊東豊雄 復興に挑む」

◎◎◎◎深夜0時20分 Eテレ 「ETV特集 原発事故への道程(前)」安全神話はいかに作られたか」

◎◎◎◎ 1時50分 Eテレ 「同上 (後) 安全神話の成立」

※今年1年間を通じて、おそらく、最も重要なテレビ番組です。 さきの「ネットワークでつくる放射能汚染地図」は、現状の生々しいレポートでした。その後、しばらくして、ETV取材班が取り組んだのが、そもそも、これほど危険でいい加減な「日本の原発」がなぜ、生まれたのか、という「出生の秘密」です。知る人ぞ知る、しかし、ほとんどの日本人は全く知らない、原発導入の1950年代の恐るべき現実が、白日のもとにされされます。こんないきさつで、我々は、原発を受け入れてしまったのか。腰から力が抜けていきます。これを見ないで、原発を論じることはもはやできないでしょう。「ぜひ見て」印の◎を4つもつけました。「ネットワークでつくる放射能汚染地図」の2倍ですが、理由は3つ。 ①それだけの価値ある内容であること、 ②内容的に永久保存版であること。浪江町の汚染は、今ではだれでもしっています。その意味で、「ネットワークでつくる放射能汚染地図」は、「今ではもうニュースではない」といわれるかもしれません。しかし、こちらの番組は、日本原発の恐るべき誕生の歴史を再現したもので、いつ見ても、同じ価値があります。1年後、3年後、10年後にも見てほしい番組なのです。 ③「ネットワークでつくる放射能汚染地図」ほどの反響がなかったのか、9月に放送されたきり、1度も再放送されておらず、今回は貴重な再放送です。

ディケンズ生誕200年を祝う -読者とともに生きた作家

 

ディケンズの伝記「Charles Dickens: A Life 」の表紙

 小説「クリスマス・キャロル」や「大いなる遺産」などで知られるのが、ビクトリア朝を代表する作家チャールズ・ディケンズ(1812-1870-年)だ。来年2月には生誕200周年を向かえ、英国各地で様々なイベントが開催される。「英国ニュースダイジェスト」(12月22日号)にディケンズの生涯や作品群を振りかえるコラムを書いた。以下はそれに若干付け足したものである。

ニュースダイジェストのウェブサイトでは、きれいな表をつけたものが載っているので、PCで見ている方はそちらへどうぞ。

http://www.news-digest.co.uk/news/news/in-depth/8317-charles-dickens.html

また、いま非常に評判が高いディケンズの伝記で、私も読んでいる最中なのが以下の本である。

Charles Dickens: A Life  著者:Claire Tomalin

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いよいよ、今年もクリスマスの時期がやってきた。この時になると頁をめくりたくなる小説の1つが、けちで意地悪な商売人スクルージが心を入れ替えるまでを描いた作品「クリスマス・キャロル」だろう。「スクルージ」といえば「守銭奴」として英語の語彙にもなっている。「クリスマス・キャロル」や、「オリバー・ツイスト」、「大いなる遺産」など、いまや英国の社会や文化の一部となった作品をたくさん書いた小説家チャールズ・ディケンズの生誕から、来年2月で200年となる。

ディケンズが生まれたのは、イングランド地方南部ハンプシャー州ポーツマス郊外、ランドポートであった。

父は海軍の会計士。中流階級の長男として生を受け、お金には不自由なく暮らせるはずであった。ところが、両親はそれほど金銭感覚に長けた人たちではなかったらしく、負債が急増。1820年代初期、一家は破産状態となり、ディケンズは12歳で靴墨工場で働くことになった。ディケンズの小説にはロンドンの債務者監獄マーシャルシーの様子が出てくるが、実際にこの頃、父親がこの監獄に収監されている。

法律事務所で働き出したディケンズは、速記を学ぶようになり、ジャーナリストを目指した。日刊紙「モーニング・クロニクル」の記者となったのは1834年、22歳頃のこと。靴墨工場での勤務から、独立独歩でここまでやってきたディケンズは、意思が相当強い人間であったに違いない。

記者の仕事の合間に「ボズ」という筆名でエッセイを書き始め、雑誌に掲載されるようになる。エッセイを集めた作品が1834年に出版され、ディケンズは夕刊紙「イブニング・クロニクル」紙編集長の娘キャサリン・ホガースと結婚した。公私ともに、また1つ階段を上がったわけだ。

―いよいよ、作家に

ディケンズが長編小説「オリバー・ツイスト」を、自分が編集する雑誌「ベントリーズ・ミセラニー」に発表したのは1837年であった。その数年後には「クリスマス・キャロル」を出版。後者はその後も毎年刊行するようになる、クリスマスに関わる本=「クリスマス・ブックス」の最初であった。その後も次々と小説を発表し、国民的な人気を得る作家となってゆく。作家であると同時に複数の雑誌(「ハウスホールド・ワーズ」、「オール・ザ・イヤー・ラウンド」)編集長でもあった。また、自分の作品の公開朗読も英国内の各地や米国で積極的に行った。米国にも出かけ、朗読会を敢行している。

ディケンズの作品はリアリズム、喜劇的表現、優れた散文表現、性格描写、社会評論では群を抜くといわれているが、過度に感傷的と批判する人もいる。

小説では主人公が貧しい少年・少女で、幾多の事件を乗り越えて、最後は幸せを掴むというパターンがよく見受けられる。幼少時の貧困の体験、自力で成功していったことなど、ディケンズ自身の人生とダブるようにも見える。しかし、暗い話ではあっても楽天主義とユーモアが隅々に顔を出し、読者に充実した読後感を与えてくれる。

ディケンズはビクトリア朝(1837-1901年)の時代を生きた。英国が最も繁栄した時代だったが、貧富の差が拡大した時でもあった。晩年のディケンズが目を向けたのは社会の底辺層を救うこと。小説やエッセイを通じて、貧困対策や債務者監獄の改善などを主張した。

1865年、ディケンズは列車事故に遭遇し、九死に一生を得たものの、その5年後、1870年6月8日、ケント州の邸宅で脳卒中の発作に見舞われた。亡くなったのは翌日である。書きかけの「エドウィン・ドルードの謎」は未完成となった。享年58。各地を回った朗読会が死期を早めたという説がある。

妻キャサリンとの間には10人の子供をもうけたが、本当に結婚したかったのはキャサリンの妹メアリ(後、病死)であったといわれている。夫人とは亡くなる12年ほど前から別居していた。ディケンズの遺体はウェストミンスター寺院の詩人の敷地に埋葬された。

小説を書くばかりか、朗読会で読者と直接つながる場を持ち、社会問題の解決にも言論人として積極的に関わったディケンズ。いまもし生きていたら、ブログやSNSでたくさんのファンを作る人気者となっていたかもしれない。生誕200周年を記念するイベントや作品は、英社会の貧富の差について考えたり、ユーモア精神を楽しむ良い機会になりそうだ。

―関連キーワード Christmas carol:クリスマス・キャロル(=クリスマス聖歌)。キャロルには元々、踊りのための歌という意味があるが、共同体の「祝歌」あるいは宗教儀式などにおいて歌われる賛美歌の一種とされるようにもなった。クリスマス・イブの夜に歌うのがクリスマス・キャロル。「清しこの夜」、「もりびとこぞりて」など複数の歌が日本でも著名だ。チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」で冒頭部分に使われているのが、1830年代に出版された「世の人忘るな」(God Rest Ye Merry,Gentlemen)というクリスマス・キャロルである。

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「生誕200年」を記念するイベント、ウェブサイト

「ディケンズ2012」

http://www.dickens2012.org/

ディケンズの生誕200周年を記念する各種のイベント、テレビ番組の放映予定など、あらゆる情報を集約するウェブサイト

「ディケンズのロンドン」展(ミュージアム・オブ・ロンドン、2012年6月10日まで) http://www.museumoflondon.org.uk/London-Wall/Whats-on/Exhibitions-Displays/Dickens-London/Default.htm

「チャールズ・ディケンズ生誕地での祝賀会」(ポーツマス、2012年2月5日―12日) http://www.portsmouthmuseums.co.uk/events.htm

「チャール・ディケンズ・レクチャー・シリーズ」(大英博物館、2012年2月21日―24日)http://www.bl.uk/learning/tarea/secondaryfehe/dickenslectures/dickenslectureseries.html

サイモン・カウエル著「チャールズ・ディケンズと世界の大きな劇場」の紹介(ニューシアターロイヤル劇場、ポーツマス、2月7日) http://www.newtheatreroyal.com/index.php/whats-on/simon-callow

ディケンズの映画回顧展(2012年1月ー3月、BFI Southbank、ロンドン http://www.dickens2012.org/event/dickens-screen

BBCのディケンズ特集(現在―2012年2月) http://www.bbc.co.uk/mediacentre/mediapacks/dickens/

(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)

日本のメディア・出版界に聞く②-2 中公選書・編集長が語るーどんな企画を探しているのか

11.12.24 by   カテゴリー: メディア, 文化

横手拓治・中公選書編集長に、前回は出版事情と選書シリーズ創刊の背景を聞いてみた。今回は、どういう企画を選書シリーズに入れようと思っているのかについてうかがった。

―今度は編集者に関する質問をします。横手さんは選書の編集者ですが、書き手が横手さんに出版を考えてアプローチした場合、どういった展開になりますか。気になる人は多いと思います。「こういう企画が欲しい」という方向性が先にあるのでしょうか? 刊行したいと思ってもらえる本は、どういう基準で選ばれるのですか?

横手氏:正直にいいます。公的には「編集方針」みたいなことを言う場合はありますが、究極は主観というか、カンですね。答えになっていませんか?

―その「主観」っておっしゃったのは、いままでの経験則から判断する、という意味ですか?

経験則は大きい。それがないと素人と同じになります。それから情報、そしてデータです。とりわけ数字のデータ。これは営業関係者など、会社の他の人間に説得するためです。ただ数字というのはあくまで近過去のもの。本は将来の読者に向かって出すのですから、数字は判断材料の、多くのもののうちの一つに過ぎません。

その上で決定的に重要なものとして、「なにか惹かれる」というニュアンスがあります。これも「好きだ」といった、趣味的な、アマチュア的なレベルに過ぎないと、説得力、パワーを持ちません。やはり何らかの、プロフェッショナルな知見に基づき、その上で、動物的なカンを働かせるのです。「説明しろ」と言われれば、苦し紛れに理屈を出せるのですが、どうもウソっぽくなる。「何か」を感得した、それはカンであり、主観だ、と言いきるほうがむしろスッキリしています。

カンというのは、答えになっていない答えのようですが、今回の小林さんの本『英国メディア史』の中で、「同じジャーナリストとして、すごくシンパシーを感じた人がいる」と書かれていましたね。あの感覚とよく似ています。人だったり、活字だったり、作品だったり。たくさんある中で、特定の一つに強いシンパシー感じる、というのは、私のいうカンとか、主観というのと、かなり似ていますよ。

―主観というと誤解があるかもしれませんね。

主観という語は誤解がありますね。訂正します。感覚的なものも含めての、経験の総合力だといったほうが正確でしょう。そこには、ある種の客観性みたいなものが宿されます。そして「何か」を直感的に把握するきっかけが、そこからもたらされます。

―すると、つまるところ、このシリーズで出版される本というのは、個人的趣味嗜好ではなく、プロ編集者としての横手さんが選んだ本、ということですね?

経験による総合力ですから、個人の好みだけではないのです。経験を積ませてくれたすべての人や会社に感謝しつつ、その総合力を、価値ある本の制作を行うことで、業界にフィードバックしたいわけです。

―話題を転じますが、日本の出版社との交渉で驚いたのは、編集者と遣り取りしているとき、お金の話が一切出てこないこと。お金を稼ぐ仕事とは思っていない、という印象でした。

商業出版ですから、お金の話は欠かせないのですが、著者の方とは普通、その話はしません。海外ではビジネスとしてきちっとやるようですね。お金の話をツメてから、編集活動をはじめる、といったシステムだと聞いています。その点、日本はまだのんびりしていますね。

―コストがいくらかかるとか、そういうことは別に置いておいて、考えていないように見受けましたが。

いつも考えていますよ。そればっかりです。ただ、著者の方との話では出てこないだけで。

―ビジネスの考えを持ち込むと、何かが失われてしまう、と日本の出版社人は考えているのかな、と思いました。

そう思ってくれて、こそばゆいような、複雑な気持ちです。根本はビジネスなのですが、確かに、少なくとも私は、取引相手となる著者とはビジネス的な話はあまりしない。考えてみれば不思議ですね。信頼関係で成り立っている、といえばそうでしょうが。ただこれで、30年近く、無事にやってこられたわけです。

―中公選書は今後、どういったペースで出していかれるのでしょうか?

最初からガツガツやらないようにしよう、とは思っています。現時点では、2か月に2冊程度のペースでやっていくつもりです。定期刊行物という位置付けはずっと変わりません。

―書き手は、ふだんどうやって探すのでしょうか?

基本的にはものすごくアナログ的、かつ原始的です。論文をひたすら読み、人の評判を聞き、の繰り返しです。

―シリーズの狙いとして、やはり、質の良いものを出してゆきたい、というのがあるわけですよね? 「知は自在である」というキャッチコピーが、選書創刊時のシリーズ紹介文には入っていましたけれども。

そうです。質というのは、これまた論議のあるテーマですが、端的にいえば、中公の教養書の基本路線でやります、ということです。新しい時代に、中公の教養書の基本を踏まえて本を出していく、ということになります。その意味では原点回帰、コンサバティブでしょう。ただし、守旧ではない。「知は自在である」としたのは、「知」とか「教養」を、なにか固定的な、堅いものと考えないようにしよう、という意味です。柔軟にみていこうという、こちらの心構えでもあるのです。

著者も、大家・中堅の方々とお付き合いするのは当然ながら、一方で新人発掘を必ずやります。小林さんもその一人で、今回ご一緒に仕事ができて、ほんとうに光栄でした。それから旧人の新才能発掘。これもやります。編集者をやっていて最も面白いのは、わくわくするのは、やはり新人発掘と旧人の新才能発掘、この2つですから。

中公新書ラクレのとき、まだ京都大学の院生だった中島岳志さんを著者に迎え、『ヒンドゥー・ナショナリズム』を作りました。その後、中島さんは、大佛賞をとり、研究者のみならず、論壇人として大きな存在になったのですが、いまだに最初、電話を掛けて、「書きませんか」と話したときのことを覚えていますよ。やはり、デビューを手伝った新人著者がのちのち偉くなるのは、嬉しいのです。子育てと同じ。またやりたいですね。いや、きっとやります。中公選書でデビューした新人はみんなすごい存在になる、という、「伝説」を作りたいですね。もちろん、旧人に新しい方向性でものを書いてもらう、というのも、必ず、そして頻度多くやりますよ。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)

日本のメディア・出版界に聞く②-1 中公選書編集長「電子出版の時代だからこそ、じっくり読む本を出す」

11.12.24 by   カテゴリー: メディア, 文化

中公選書の横手編集長

先日、『英国メディア史』という本を、中央公論新社が創刊した「中公選書」シリーズから出させていただく機会を得た。このとき、担当者として面倒を見てくれたのが、前中公新書ラクレ編集部長であった、横手拓治・現中公選書編集長である。

横手氏は約30年の編集者経験があり、850冊余の雑誌や本を出してきた、プロ中のプロ。手がけてきた分野は漫画以外のすべてという。

仕事をともにした書き手も多数だが、中公新書ラクレの時代では、『リクルート事件・江副浩正の真実』(「当事者がすべてを語った、現代史の証言にしてすぐれたノンフィクション」と言われている)や、渡邉恒雄氏の『わが人生記―青春・政治・野球・大病』などが記憶に新しい。一方で、『世界の日本人ジョーク集』(77万部)『となりのクレーマー』(26万部)ほかベストセラーも生みだしている。また、ご自身も書き手で、筆名にて近代文学の評論を2冊刊行しており(河出書房新社『宮澤賢治と幻の恋人』ほか)、2012年2月には理論社より子供向けの本を出版する予定だ。

編集者のプロとして、現在の出版業界をどう見ているのだろう? そして、なぜ「選書」をやろうと思ったのだろうか? 都内で横手氏にじっくりと話を聞いてみた。

***

―中公では選書がいままでなかったのですか?

横手氏:中公選書というのはありませんでしたが、中公叢書と自然選書があり、前者は現在でも続いています。なお、類似のシリーズとしては、他社で双書、選書、ライブラリーの名称が付くものがあり、人文系の版元を中心に、教養書シリーズとしていくつか刊行されています。

いま日本の書籍出版の中心ともいえる「新書」は、縦長の小さな、いわゆる新書サイズ。定価も3桁で廉価版です。これに対して、選書、双書(叢書)、ライブラリーと言っているシリーズは、基本的に四六(しろく)判です。昔からある、単行本の標準形です。

―中公選書もこの四六判なのですね?

多少変形して、手に持ちやすく小さくしていますが、四六判です。本の判型は、書籍の場合、シリーズ分けのポイントの一つですが、文庫は小さい「文庫」サイズ、新書は縦長のサイズ。ともに軽装廉価本となります。これに対して、四六判とは、「普通の単行本の大きさ・体裁の本」と思ってくれればいいでしょう。

―読むほうは、サイズに一定のカラーが付いているとして解釈しがちです。たとえば、大きいサイズの本は、「じっくり読む本だろう」とか。

中公選書に関していえば、その通りです。私は文庫編集を6年、新書編集を10年やり、そのうえで選書の刊行を行うわけですが、文庫・新書といった廉価軽装本とは違う方向性で、「じっくり読む本を作ろう」というのが選書編集の前提です。世界中どこでもそうですが、価格を安くしてたくさんの人に売るというのはペーパーバック。日本では、あるいは新書がこれに当たるのでしょう。これに対して、「じっくり読ませる」ものとして四六判の選書があるわけです。

そして、中公選書はすべて一次コンテンツで、書き下ろしが中心。一次コンテンツとは、最初の本、という意味です。文庫やアンソロジー系の書籍は、一度刊行されたものを、形態を変えて再刊するわけで、これらを二次生産物といいますが、その点で違います。中公選書は「じっくり読ませる」ことと、「最初の本」にこだわります。

―今回の創刊にはどのような意図があったのでしょうか?

90年代から00年代にかけて、ネット社会が急速に進展しました。印刷物の制作がメインだった旧来の出版社の人間は、みな脅威を感じています。ネットでは情報の伝わりが早く、しかもコストが低い。また、フェイスブックなどでもわかるように、コンテンツが短く、細切れです。ワンイメージで「伝えること」が成立してしまう。

こうした潮流に対して、選書を創刊することを通じて、長いものの制作活動に、却ってこだわりたいと思っているのです。長いというのは、400字×300枚とか500枚といった分量のコンテンツです。全体の構成力がないと書き上げられません。ネット的なワンショットの文章をいくら積み重ねても、構築できないのです。そうした構成力のあるコンテンツが制作できるのは、紙の時代にコンテンツを作ってきた人間の強みです。短い、早い、ワンイメージ、といったものへのアンチテーゼは、選書だというわけです。

選書を出すのは、電子出版の時代だから「ゆえ」という受け身のものではありません。電子出版の時代だから「こそ」なのです。長くて構成力のあるもの、時代が変わっても古びない普遍的なものを作る。制作過程でも、一人の著者とじっくり付き合いながら、本へと仕上げていく。小林さんの『英国メディア史』もそうでした。短く、早く、イメージ重視のメディアが広がっているから「こそ」、本づくりの原点に立ち返ることが必要だ、と考えたわけです。

―出版業界のいわばコンサバティブな動きとして、原点回帰しようという流れがあって、その答えの一つが、選書というわけですか。

実は選書、双書という形は、いま静かに業界で立ち上がっています。筑摩書房や河出書房新社にて、近年、創刊が相次いでいますし、ほかにも創刊予定をいくつか聞いています。みんな人文系の中堅版元ですが、その位置にある他社で、似たような発想をする人がいるのでしょう。そうした発想が出てくる時期となっているのかもしれません。

―アマゾンが黒船としてやってきて、日本語の電子書籍地図が激変するといわれています。旧来の出版社は変化を強いられるでしょう。選書創刊が原点回帰的な流れとしてあるのなら、ほかにもいろいろな動きがありそうですね。

電子の世界を通じて、桁違いの、たくさんの出版コンテンツが入ってくるでしょう。しかし、いまのところ、そこで登場するコンテンツのほとんどは、旧来の出版社によって最初に送り出されたもの、つまり紙の時代の制作物です。それがデータを電子化されて二次生産しているだけなのです。電子出版は、現時点では、何も創造してはいない。ただ流通させているだけです。

電子の世界のコンテンツクリエーターが、最初から、本当に良質な作品――文学としても、教養としても――を作ったというのはまだ見いだせない。グーグルでもアマゾンでも、紙の時代にわれわれが作った本を、廉価で出しているだけです。

―コンテンツを作るのは、(コストや時間が)かかりますものね。

「最初の本」である一次コンテンツというのは、結局、細かな人間どうしの遣り取りを経ないと、成せないものだと思います。永遠に終わらないかと思えるほどの、実務の繰り返しです。クリエーター+編集者というのは、どうあってもアナログな関係、リアルで具体的な人間関係です。そこでの細かな協同作業を経ることでしか、一次コンテンツが出来ないとしたら、紙の世界で、日々対人交渉で修業してきた編集者は、業態としては生き残るはずです。ただし、個人は選別されるのでしょうが。

―紙のコンテンツを作ってきた人が、デジタルのコンテンツを作り出す、ということはあり得るのですか?

もちろんあり得ます。紙はなくなるとは思いませんが、たとえ紙がなくなっても、電子の世界で一次コンテンツを発表すればいいのですから。出口が紙か電子かというのは、本質的な問題ではありません。一次コンテンツの創生、クオリティーの追求、そのこと自体が問題です。これを本質的に担っている編集者は、デジタル時代でも必要とされると思います。

これに対して、出版社という存在はどうでしょうか。中長期的には合従連衡で整理されるか、性格が激変すると思っています。

―いまや、伝統的な存在だった出版社も、生き残りがテーマのようですね。

いま、会社をあげて電子出版、電子出版とやっているところがあります。それより、いまこそ、一次コンテンツ・メークにマンパワーとカネ、社員の時間を投下したほうがいい、と私は思っています。あと、一次コンテンツのキープにもね。

それから、文庫やアンソロジーに力を入れるのも首をかしげます。遠からず電子出版に移行する時代に、再刊にすぎない二次生産本にこだわるより、旧来の出版社のほうにいまなお一日の長がある、一次生産本にこだわるべきです。出版社が力を入れるのは、やはり「最初の本」ですよ。

―さきほどの「一次コンテンツの創生」ですが、そのときに編集が重要になるという点について、くわしくお願いします。

現実に、いまネット上では、小説や詩、エッセイや論評のたぐい、そして写真、コミックなどヴジュアル作品の一次コンテンツが溢れています。素人が自分の書いた作品、作った作品を、そのままネットで公開している。ただ、それが大きなベストセラーになった例ってありますか? ないと思います。ネットで発表しても、自分自身と、近い人たち、たとえば自分の友人しか見ないわけですよ。もちろん例外はあるでしょうし、例外的事態が今後、起こる可能性は否定しません。でもそれは例外が起きた、というに過ぎない。例外はどこまでも例外です。

小説でもノンフィクションでもコミックでも、広く読者に開かれていくためには、制作過程に、作者以内の他人が介在しなければならないと思います。それは力のある作品を生み出すさいの、本質的なことがらだと思っています。

いまネット社会が広がり、個人が公に何かを発表しようとすると、すぐできますね。誰かを介さなくてもできる。すごく簡単です。ただ、そうしたコンテンツには、必ず何かが足らなくなります。読者という他者へ通じるものを作りだすためには、制作過程で他者感覚を入れて作っていくプロセスが必要なのです。他者と出会って、自分のなかのクリエイティブなものが客観的になっていく作業が、です。私たち編集者は、そのあたりに関わるわけです。

―編集を入れるとなると、コスト問題もありますね。

そうです。ネット時代を迎え、コスティングの問題は重要です。たとえば、今回、小林さんを著者に迎え『英国メディア史』を作りました。ネットで見解をざっくり述べるのと違い、相当な作業をして頂いた。編集した私も、なかりの読み込み作業をしたし、校閲関係者など、たくさんの人の手を経ています。これはすべてコストに跳ね返る。ネットで自分の見解を述べるだけならタダですが、本にする一次コンテンツを作るとなると、生半可なことではない。労力とコスト。それをどうするかです。クオリティーを犠牲にすれば、いくらかは安くやれます。でも、そのぶん、出来上がったものの価値は確実に落ちるのです。

とはいえ、タダメディアのネットが広がるなか、紙の時代と同じコストを掛けているのは……。

―ビジネスとして成り立ちませんよね。

そうだと思います。コストを掛けるところは掛けても、知識、経験、人脈などを広げ、総合的なスキルアップによって個人の能力を高くし、なるべくコストに反映させないようにする努力は、不断にしていかないと、わたしたち編集者も生き残れません。

ブランドにしがみついていると大変な目に遭います。読者や著者が必要なのは、ブランド自体であり、そこにたまたま所属する編集者ではないからです。

―再販制はどうですか。

日本の出版社は再販制度に守られてきたといわれます。ただ、再販制度よりも私が本質的だと思うのは、東販・日販といった大手取次に口座を開ける特権です。それに出版社が守られてきた、というほうが重要だと思っています。

かつて、たとえば小林さんがイラスト集を出版したいと思ったら、イラスト作品を持って出版社に日参したはずです。編集者に会って、何度もダメ出しをされたでしょう。そして狭い門をくぐってゴーサインを得ると、やっと本の形に制作されます。それが大手取次を介して全国の書店に届けられ、読者が見て、いいなと思って買ってくれる。この流れでした。大手取次は、口座を開いている出版社としか取引をしません。これが一種の壁となって、そのなかで出版社が守られてきた。

―出版社が、ですか?

そうです。いきなり「ビジネスしたい」と大手取次に行っても、口座を開くには、条件面ですごく高い壁があります。これに対して、中央公論新社とか文芸春秋といった出版社はすでに口座を持っている。明日にでも、小林さんが作ったイラスト集を納品できます。その違いというのは、すごく大きかった。

アマゾンがこれを崩しつつある、といっていい。大手取次を通さなくても、いまでは、アマゾンなどヴァーチャル書店を通じて、本は自在に販売できる。離島でも海外でも、宅配で届けることができます。(②-2に続く)(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)

スラブの「いろは歌」 

日本の「いろは歌」のように、古代ロシアにも頭韻法的アルファベットの詩がありました:

Азъ Буки Веди. Глаголь Добро Есте,
アーズ、ブーキ、ヴェーヂ。グラゴーリ、ドブロー、イェーシチ。
Живите Зело, Земля, И, Иже Како Люди, Мыслите Нашь Онъ Покои.
ジヴィーチェ、ゼロ、ゼムリャー。     イー、イーゼ、カーコ、リューヂ、ミースリチェ、ナーシ、ポコーイ
Рцы Слово Твердо – Укъ Фърътъ Херъ. Цы, Черве, Шта Ьра Юсь Яти.
リツィー、ソローヴォ、ツヴョールダ。ウク、フェレツ、ヘール。ツィ、チェールヴェ、シター、エリェ、ユーす、ヤーチ。

現代の言葉に翻訳すると次のようになります;

「私は文字を知った。言葉は「富」である。地上に住んでいる人間は、一生懸命努力をして、勤労に励み、宇宙(世界)を理解せねばならない。 真の言葉を言いなさい。真の知識は神様から賜った知識である。宇宙(世界)の“光”(知恵)を理解しなさい。」

ロシア語では「アルファベット」は “azbuka”(アーズブカ)です。現代のロシア文字は(А)アー、(Б)ベー、(В)ヴェーのように発音されています。20世紀初頭まで、いずれの文字も(А) アーズ、(Б) ブーキ、(В)ヴェーヂ等の元の名称と意味で記憶されていました。

古代スラブ語では、[az]は「私」を意味していました。「ブルガリア語では“私”は“az”です」。“Buki”は 「文字」を意味します。

昔の本の飾りの頭文字にも意味があります。

[A] Аз(アーズ)はシムルグです。巨大な伝説の鳥が描いてある。孔雀のような鳥で、犬の頭、ライオンの足がある。ある本には人間の顔が描いてある。シムルグは地上と天界の結合を表わす。又別のシムルグの意味は太陽に関係するので“神々しい光”である。 [A] Аз(アーズ)という文字は「世界の源」も意味する。

[Б] Буки(ブーキ)は「文字」(複数)を意味する。世界の第二の場所のシンボルである。飾りは木、ガラス、動物でできている。人間の姿は自然の中の人を表している。

[B] Веди(ヴェーヂ)は“知る”を意味する動詞«ведити»(ヴェーヂチ)の過去完了形である。語源はサンスクリット語(梵語)である。よく知られているように、ヴェーダ(サンスクリット語で「知識」を意味する)はアジアが起源の経典の集大成である。それらはサンスクリット語の最古のものであり、ヒンズー教のもっとも古い聖なる経典である。

スラブの“いろは”は日本の言霊の五十音の意味に少し似ていませんか。

(注) 面白いのは、ロシア語の “buki”もドイツ語の“Buch”(本)も、起源は「ぶな」という木の名前です。
(ロシア語:«бук»、ドイツ語:“Buche”)。

モンサンミッシェルのプラーおばさんのオムレツの秘密

11.12.03 by   カテゴリー: ルポ, 世界の窓, 文化, 日々の出来事

注:「モンサンミシェル」とは、フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院。カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称され、1979年「モンサンミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、1994年10月にはラムサール条約登録地となった。サン・マロ湾はノルマンディー地方南部・ブルターニュとの境に近い位置にある。

***

この地方の産業に鍋やフライパン作りがある。銅の赤鍋がやたら吊るしてあった。どうもここになにか秘密があるようだ。

現代の一流といわれるシェフのいるレストランの厨房を覗くと、たしかに鍋はこの銅鍋を使用していることが多い。私の想像だが、シードルを入れて泡の立った卵を急激に閉じ込める方法は、熱伝導が良い銅のフライパンが最適だということになる。しかしそれだけではない。鉄のフライパンの場合だと油を流すと鉄独特の匂いが出てこれがタンパク質のオムレツに簡単に移ってまずくなる。が、銅の場合だと匂いを移さない。

ユネスコの世界遺産目録の恩恵はいうまでもないことだが、このあたりの組み合わせに田舎の旅籠料理が世界的に有名になった、秘密ではない秘密のしかけがあったのではないか。

モンサンミッシェルのプラーおばさんのオムレツの製法は、企業秘密というと大げさだが一応秘密なので、何をどのようにして作るのかわからない。しかし、味は全部同じだとは思えない。その時々で変わるようだし、その意味では秘密は守られてないのではないかと思ったりはする。

したがって、食べてみて、他のオムレツと相当の隔たりがあるとは思えない。それは鶏を食べるのと卵で作ったオムレツを食べるのとの違いほどはないということだ。ではどこに違いの秘密があるのか考えてみた。

推測できるのは、卵焼きの中身の泡をどう作るかに、この店のコツがあるようだ。材料はフランス一般に使用されている無塩バターではなくて、ブルターニュ特産の塩入りバター、卵、ひょっとしてビールのかわりにシードル(リンゴのサイダー)が入っているのかもしれない。シードルはドービルなどのカルバドス地方も近いし特産物でもある。リンゴの糖分が二酸化炭素とアルコールに分解したもので瓶の底にはわずかにオリが残るのはブドウ酒の場合とおなじだ。あの発泡性のオムレツの中身はこれが秘密だと思える。

プラーの名物オムレツ作りの実演は、店先から見れる。泡立て器を手にして何度もかき回しているが、それにコツがあるとは思えない。人によって器具の回転のさせかた、速度、丁寧さなどに異なりが見られる。むしろ写真の右にある赤がねのボールに謎があるようだ。バターはみんな同じだと一流のコックさんでも思っているようだが、この地方で夏の間だけとれるバターは、ドービルで一度だけ食べたことがあるがうまかった。市販されているものでは桶に入ったエシキエーのものを思い出してほしい。いずれにしても、ここブルターニュはバターの国である。(ブログ「フラネットーパリ通信」より。)

 

 

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