美代子のNYで活躍する日本人ダンサー 「世界で活躍中の演出家、振付家、ダンスパフォーマーEBIKEN」 ny1page.com
((米ニューヨークで、音楽・映画・アート・ダンス・演劇などのさまざまな分野で活躍する日本人を紹介する情報サイト、ny1page.com http://ny1page.com/default.aspx の記事を転載しています。今回は平川美代子さんのコラムです。)
今回NYはもちろん、世界でも活躍中のEBIKEN(蛯名健一さん)にインタビュー。
EBIKENのビデオを5年前に見た私は魂を揺さぶられた。ダンスが上手い、カッコイイなどの表現を超越して魂で感動したのである。
そんな経験はめったにない。それは彼が常に観客の心を掴むことに重点を置いているからであろう。そこには豊富なアイデアと緻密な計算が不可欠なのである。
EBIKENはハーレムにあるアポロシアターで毎週水曜に行われる「アマチュアナイト」で2001年の年間チャンピオン、そしてTV放送の「Showtime at the Apollo」 で2007年に7回連続優勝し年間優勝を獲得、アポロシアター史上唯一の2冠チャンピオンである 。
どんなエリートダンス教育を受けたのかと思ったら、全て独学。さらにダンスを始めたのが20才からだというから驚きである。
NYに来たきっかけは大学留学。なんとなく憧れての留学であったがマス・コミニケーションを専攻し、英語はもちろん今でも色々な事の役に立っているという。
アメリカに来るまでは普通の青年だった。小学生時代から野球やサッカーなどのスポーツに打ち込み勉強もする。
他の子と強いて違うというなら何事にも自分が納得するまでは、のめり込むタイプだった。
そんな彼がダンスをするきっかけになったのは、大学のパーティーでの事。知っているステップで踊ったらウケたのである。
その後ダンスサークルを作ってビデオで連日研究。一度興味をもったらのめり込む性格が功を奏して、
大学のInternational FestivalでEBIKENのグループは大反響を呼んだ。
「その時感じたお客さんの拍手の波動がすごかったですね~。こんなに楽しいんだと思いました。」この舞台が彼の何かを変えた。
その時は分からなかったが、これこそが彼のエンターテイメント魂のルーツだった。
大学卒業後、才能のある彼の周りには、同じように才能のあるダンス仲間が集まってきた。
そして結成されたのがBiTrip、アポロで優勝する事となったメンバーである。「皆すでに活躍していたメンバーを集めたので、
自分には優勝することへの責任があると思っていました」彼は一番年上でリーダーだったが、メンバーに対してリスペクト(尊敬)の心を忘れなかった。
アポロ劇場で優勝した時は27才だった。それからはダンスの仕事が急激に増えたが、ダンスだけの収入では不安定な時もあった。
「漠然と、30才になったら先が見えると思ってました。それまではダンス以外の収入は得ないように努めました。
バイトのはずが、いつの間にかダンスを忘れて本業になってしまったケースを見てきたからでしょうか。」
実際に30歳になった時、彼は何の根拠がある訳ではないが、「やっていける」と思ったという。彼の判断は正しかった。
その証拠に2007年にはカリフォルニアで毎年行われる元アメリカ大統領やノーベル賞受賞者,大企業社長や芸能人など世界から集まった
50人のスピーカーがプレゼンテーションする権威ある会議イベントTEDで日本人として初めて招かれパフォーマンスを披露した。これもまた日本人初である。
更には、全米TV番組「Maury Show」フランスTV番組「La Plus Grand Cabaret du Monde」中国国営中央局TV番組「国際幽黙大公演」
Neil Young “Greendale”のコンサートダンサーなど数々の仕事をこなしている。
頭の中にアイデアが泉のように湧いてきて、現在1時間のワンマンショーを創作中だという。一人芝居や歌手のワンマンショーは見たことあるが、
一人1時間踊り続けるとは驚きである。「アイディアがあるんで」と、彼はクールに答えた。
そういえば彼は、どんな凄い賞を取った話をしていても「俺は凄いんだ!」といった驕りのオーラを感じさせない。
それどころか「自分は大した事ないです。」と言う。そんな彼だからこそ、慕う後輩が多いのだろう。
今の自分を山登りにたとえると、5合目あたりにいるのだという。「将来は、演出家として自分のアイデアを具体化したいです。
そして何でもいいのですが、例えば日本文化の古典に興味のない人でも、自分の舞台を見て興味を湧かせるきっかけになって欲しいです。
僕もモダンやバレエなどには興味がなかったんですが、MomixやPilbolusを観たのがきっかけで興味が湧きました。興味がないと思い込んでいる人たちの心を開きたいです。」
最後に、これからダンスを目指してニューヨークへ来る人たちへEBIKENからのメッセージ。
「ニューヨークには様々な人種がいるように、ダンスにも色々なスタイルのものがありますし、テクニックだけではなく、ダンスに必要な何かを学べると思います」
今後益々、彼の活躍が楽しみである。(取材 平川美代子)
【関連リンク】
Ebina Performing Arts Company
お勧め番組案内 -8日午後9時 NHK総合テレビ 「MUGAQUAKEⅡ 巨大地震② 津波はどこまで巨大化するか」ほか
先週始まったNHKの朝の連続ドラマ「梅ちゃん先生」は、とりあえず、お勧めしておきます。戦後の日本をイメージするのに参考になるだろうと思うからです。ただし、勧めておいて、肝心の僕がちゃんと見られない可能性が高いのは、ドラマの常・・・お許しください。だから、「とりあえずお勧め」なのです。
8日(日)
午前8時半 TBS サンデーモニング
午前10時 テレ朝 報道ステーションSUNDAY
●午後1時 NHK総合テレビ NHKアーカイブズ「NHK特集 年金・老後は大丈夫か」
※これは1980年の番組です。32年前、年金、老後の問題は、どうとらえられてたか。興味深い番組です。
午後5時 NHKBS1 「地球アゴラ まちを作ろう@横浜市立大学」
◎午後8時 NHKBS1 「ドキュメンタリーWAVE 人民から市民へ 中国広東省 ある村の闘いの記録」
※中国で民主主義を要求する人々の闘いが少しづつ広がっています。これは、ある村の闘争の記録です。日本ではどうか。
◎午後9時 NHK総合テレビ 「MUGAQUAKEⅡ 巨大地震② 津波はどこまで巨大化するか」
※今の時期、必見です。録画できる人は、リアルタイムに見られる場合でも、録画もしておくことをお勧めします。
●午後10時 NHK教育テレビ(Eテレ) 「ETV特集 気仙沼の人々 2009-2012」
※3年前の映像も見ながら、震災後、どういきぬくかを問う
●深夜1時20分 日テレ 「NNNドキュメント どもってもいいんだよ」
9日(月)
●午後7時半 NHK教育テレビ(Eテレ) 「テストの花道 新学期スタートシリーズ 授業が身につくノート術」
※「テストの花道」は、ときどきたいへんいいものをやります。今回はどうでしょうか。中高時代、ノートとは教師の板書を書きうつすものと思い込んでいた人が多いので、自分で重要性を判断して、どんどん書いていくというノートの取り方ができる学生は少ない。この番組が参考になる可能性はありそうです。
●午後11時15分 NHKBSプレミアム 「恋する雑貨 モロッコの伝統的履物バブーシュ」
※取り上げるテーマによって、興味の有無は人それぞれでしょうが、この番組は一応お勧めです。
◎深夜1時40分 NHK総合テレビ 「NHKスペシャル 原発避難者たちの決断 帰還か移住か」
※再放送ですが、未見の人はぜひどうぞ。遅すぎるので、録画が可能な人は、録画をお勧めします。
(大妻女子大・波津博明先生のメールより)
美代子のNYで活躍する日本人ダンサー 「世界のプロダンサーが集まるBDCの日本人インストラクターChio」 ny1page.com
(米ニューヨークで、音楽・映画・アート・ダンス・演劇などのさまざまな分野で活躍する日本人を紹介する情報サイト、ny1page.com http://ny1page.com/default.aspx から、アーカイブ記事を転載しています。今回は、Miyoko Hirakawa*さんのコラムです。)
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NYには多くの日本人ダンス留学生が来る。その数は年間何百人にもなるだろう。 ダンス留学といっても人それぞれで、1~2週間ふらっと旅行がてらの下見型から 1~2ヶ月の体験型、半年の短期滞在型そして日本の大学に行く代わりの1~2年長期型と様々である。
来ている人達も様々で、ダンスをただ楽しみに来ている人から、もう既に 日本でダンスの仕事をしていて、スキルとセンスを磨きに来る人、そして 日本ではなくアメリカでなにがなんでもチャンスを掴むんだと勝負しに来た人まで 千差万別である。
しかし、どの人も半年を過ぎた頃から、一様に居れるものならもっと居たいと思い始めるようである。 NYは面白い。NYで夢を追いかけたいと皆、口をそろえて言う。 NYという街自体が大きな舞台のようで、パフォーマーとして街全体から刺激を受ける。
ダンサーとしてのチャンスもビザという大きな問題さえクリアすれば、オーデションの数が日本より多い。 尊敬する先生のレッスンを受けながら、チャンスを探す。ここNYはダンス好きにはたまらなく魅力的な街なのだ。 Chio(山田知央)はダンス留学生からチャンスを掴み、BDC(Broadway Dance Center)でインストラクターとして 活躍している。
まさに夢を掴んだ女性だ。
●留学の目的
Chioは1998年にAlvin Aileyの留学生としてNYに来た。 「ダンスを始めたのが高校の頃からだったので、スキルを付けたくて」 留学後、Chio はNYのダンスのレベルの高さに圧倒されるが、持ち前のガッツで留学プログラムをこなした。
Chio のダンスの才能はこの頃からだんだんと開花される。
それを証明したのが、NBA New Jersey Net’s のオーデションである。 難関を突破して見事合格したのである。留学後わずか半年目の出来事であった。 運も彼女の味方をした。ちょうど半年の留学プログラムが終わったので、 OPT(ある期間だけ見習いとして就業できるビザ)が取れたのである。
「Net,s のチアリーダーに日本人が選ばれる!」 まだChioを知らない私も新聞で記事を読み 「すご~い!やったね」と喜んだ。NYにいる多くの日本人が同じ気持ちであっただろう。
●Net’s 時代の1年間
とにかく忙しかったという。同じ時期HipHopのカンパニーにも入っていたので、 リハーサル、レッスン、本番、それに加えて生活費のためにレストランで朝ごはんを出すバイトもしていた。
「英語は、聞くのは聞けたんですが、会話は苦労しました。」それでも頑張っていたら、 だんだんとアメリカ人の友達ができていった。
軽く言っているようであるが、彼女の語学への努力も並大抵ではなかったであろう。 私の知るChio は野心家ではないが努力家である。
その後、アーティストビザ(O Visa)を取得、BDCのアシスタントを経て、 Jazz Funkのクラスを持つ。ダンサーとしてもTV,CM,PVなど数多く出演。 Net,sの振付をする立場になった。最近でNew Jersey Devils(アイス・ホッケーチーム)を応援する チアリーダーの振付も行った。
今でこそ人気インストラクターのChioであるが、最初の1ヶ月は生徒が2~4人だった。 しかし、Chio はめげなかった。 「2人でも自分のレッスンを受けに来てくれる人がいるそう思って良いレッスンをする事を心がけました。」 徐々に評判になり生徒も増え、クラス数も増え人気インストラクターとなった。
1年後、クラスはいつも生徒でいっぱいになり、ダンスだけで生活できるまでになった。 「Chio のレッスンを受けると元気がもらえる。」そう言う生徒も多い。
彼女のパワーはいったいどこから来るのであろうか?クラスいっぱいにChioの声が響く。 「クラスは、私にとってショーなんです。皆が楽しんでくれるのが一番嬉しいです」
●NYで夢をつかんだChio
今後の夢は?と問えば「ゆっくり見つけます。」と落ち着いた答えだった。 若い才能のある子がどんどんNYに来ることに危機感は? ちょっと意地悪な質問にも「刺激になって、自分もがんばらなくっちゃと思います。」と、芯の強さを感じさせる。
結婚は?「そのうちに、時期がきたら、あせってませ~ん」と笑う。 ダンスだけに集中し、まだまだキャリアの階段を上っていく。
●プライベートでもミニーちゃんと遊ぶ暇を削ってダンス
Chioがほっとする瞬間は、自宅に帰るとチワワのミニーちゃんが出迎えてくれること。 「ミニーちゃんと遊んでいる時がいちばん心が和むんです。」とはいえ、遊ぶ時間はほとんどない。
夜のレッスンのため新曲を振付けしなければならないので、朝5時に起きて考えることもある。 誰の助けもなく、ただ曲を聴き、ひたすら考える。クラスを持ってからの8年この繰り返しだ。 何度も壁にぶつかったが、そういう時はダンスを忘れてしばし休む。
そしてまた「好きなダンスを仕事にしたのだから、がんばれる。」と自分に言い聞かせ、 ダンスに戻る。NYの街から刺激をもらい、ひたすら振付を考え、踊り続けるのだ。
「NYに来たいのなら、1週間でも絶対に来るべき。必ず何か得るものがある。」 これが、Chio からのメッセージである。=敬称略
【Chioプロフィール】
名古屋生まれ。金城学院大学の英文科卒業、18歳でダンスを始め、その後Ceezooratonに所属し、 ライヴハウス、シアター、ブライダルファッションショーやスペシャル・イベントで活躍。 98年に渡米後には、アメリカのテレビ、ビデオ、ステージ、CM等にも出演している。
The Queen Latifah Show, The Chris Rock Show, recording artists Out of Eden, Bacardi, KTU’s Beatstock, and dancing and choreographing the New Jersey Nets.
【関連リンク】 BDC(ブロードウェー・ダンス・センター)http://www.broadwaydancecenter.com/index.shtml
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書き手:Miyoko Hirakawa
東京生まれ。80年代にダンサーとして日本で活躍。 「シェルブールの雨傘」「ザ、ベスト10」などの出演。86年に結婚を機に渡米、LAに11年、NJに11年。 その間に3人の男の子を出産、育児をしながらNJにてT.M.H.Dance Studio&Projectを主催。 毎年Charity Show “SMILE”を開催しケニアでのAIDS無料活動NPO,ILFARに収益金を寄付している。ダンスを通して世界平和への貢献をめざしている。日本舞踊「花柳流」の師範も持つ。 http://tmhdance.com/
NYで女優をしている米倉裕子さんにインタビュー ny1page.com
12.02.27 by ny1page.com カテゴリー: 世界の窓, 人, 文化
(米ニューヨークで、音楽・映画・アート・ダンス・演劇などのさまざまな分野で活躍する日本人が制作する情報サイト、ny1page.com http://ny1page.com/default.aspx から、アーカイブ記事を転載しています。今回は、「しゃけ」ことSakiko Nishio さんによるインタビュー記事。スライド部分の舞台写真はLiam O’Brien が撮影。)
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ニューヨークのOff-Off Broadway「沓掛時次郎」(昨年11月千秋楽)で、おきぬ役を演じた女優米倉裕子(Yonekura Hiroko)さんに、しゃけがメールでインタビュ~!!NYで女優をしている理由ときっかけ、NYで生き抜く術についてお聞きしました。
ー米倉さんのバックグランド:
福岡県出身。 劇団四季退団後渡米。Black Nexxus(現The Susan Batson Studio)にてロベルタ・ウォラック氏に師事。 出演作品:「エルリックコスモスの239時間」,「The Lion King」(東京・大阪・福岡),「沓掛時次郎」The Flea Theater,「Kiss Me, Kate」HAFT Theater 他多数。
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しゃけ: 「沓掛時次郎」の千秋楽を終えたということで、インタビューを承諾していただきありがとうございます。おきぬ役はいかがでしたか?
米倉さん:「おきぬ」は2年前のステージリーディング、去年のスタジオパフォーマンス、そして今回の本公演と演じさせていただいたのですが、毎回新しい発見があって自分の中で役が育っていくという感じがありました。
「おきぬ」は自分の亭主を殺した相手、時次郎と旅に出て、彼に思いを寄せるようになるという役柄。周りの俳優陣がどんなにいいお芝居をしても私がお客様を信じさせることができなかったらストーリーが成り立たないというプレッシャーを感じながら、自分がやってきた役作りを信じて演じました。
この役は本当に大好きな役なので、「絶対誰にも渡さないっっ!!」と言い続けていました。また「おきぬ」を演じられる日が来るといいなぁと思っています。
しゃけ:女優になることは子供の時からの夢でしたか?
米倉さん:小さいころの夢はいろいろありました。漫画家、コメディアン、歌手・・でも女優は考えていなかったです。でも、3歳からバレエを習っていました。まぁ、これもひょんなことから習い始めたんですが・・。
母が、ある日、「裕子ちゃん、何かやりたいコトな~い?」と聞いてきたんです。有り余っているパワーをどこかで発散させようと考えたようで。とってもお転婆娘だったので母は毎日怪我をしないか、と心配していたんだと思います。私はそのとき、「バレー」と答えました。
・・・そう・・「バレーボール」のつもりで言ったのですが。連れて行かれたのはクラシックバレエの教室でした。途中で「何かが違う・・」とは気がついたんですけどね。踊ることはとっても楽しくて好きになり、今でも踊り続けています(笑)。
女優になるのが夢!となったのは高校2年生の時です。福岡市内で上演されていた「CATS」を友達に誘われて観に行ったのがミュージカルとのはじめての出会いでした。ミュージカルを観に行くなんて、最初はあまり乗り気ではなかったんですけど。でも公演終了後には「私はミュージカル女優になる!劇団四季に入る!」と、将来の夢がはっきり決まっていました。それほどすごい衝撃でした。
劇団のオーディションは4回くらい受けました。初めは書類審査で落ちて、その次からは書類は通ったんですけどなかなか本選は通りませんでした。私たちの頃はオーディションが年に1回しかなかったので、それはもう必死でした。
オーディションは歌・ダンス・お芝居・研究生と4つのコースに分けられていて、自分の得意分野でオーディションを受けることができました。私はダンスがわりと得意だったのですが、私くらいのダンサーではきっと落とされると思い、研究生として受験しました。
当時、研究生は年齢制限が25歳だったんです。25歳になる年に「これで最後か??」と思いながらまた研究生として書類を提出したのですが、劇団側から連絡があって演技コースで受けることになりました。ほとんど演技の経験もないのにですよ(笑。)
オーディション当日は・・あまりにも昔のことで記憶も定かではないのですが、確か事前にもらっていた台詞のプリントを手にして受験することができたので比較的落ち着いて台詞を言うことができたように記憶しています。
結局、合格したのは研究生としてだったのですが、入ってしまえばこっちのものです!!劇団に入ってからはダンサーとして扱われるようになりました。母の勘違いから始まったのですが(笑)、母には感謝しています。
しゃけ:最近「ブラックスワン」という映画を観て、舞台裏って怖い!と思っている私ですが、劇団四季の舞台裏はいかがでしたか?
米倉さん:「ブラックスワン」は私も見ました。劇団四季とは全く違いますね~(笑)。
劇団と言っても、その中にいくつものカンパニーがあるので、そのそれぞれでカラーが違っていて面白かったです。公演場所によっても雰囲気が全く違いましたし。公演後みんなでご飯を食べに行ったり、休みの日にバーベキューをしに海へ出かけたりしたこともありました。メンバーの誰かが誕生日の時にはケーキを買ってきてお祝いしたり、わりと和気あいあいとしていましたね~。もちろんレッスン・稽古・本番はちゃんとやっていましたよ。
メリ・ハリは大事ですからね。先輩・後輩という関係は存在します。新人の頃は分らないコトも多かったので、先輩に怒られながらやっていました。でも、団員はみんな舞台に立つことで生活がきるようになっていて、特別な上下関係はありませんでした。
アルバイトをしないでも食べていけるというのは、俳優としては本当にうれしいことです。まぁ、アルバイトをするような時間もありませんでしたけど・・。
在籍中は「エルリックコスモスの239時間」というファミリーミュージカルと「The Lion King」の東京・大阪・福岡に出演しました。
しゃけ:NYに来たきっかけは?
米倉さん:NYで開催された、日本のとある劇団主催のアクティング・ワークショップを受けるためにNYに来たのがきっかけです。ワークショップで、私のアクティングの師匠、ロベルタ・ウォラック先生に、俳優がどのように自分の楽器(体や心)を使うかという基本の基本を教えていただきました。
ロベルタはそれまでミュージカルにしか興味がなかった自分に、お芝居というものがどんなに面白いものかということを気付かせてくれました。その後2回ほどNYに来たのですが、もう我慢が出来なくなってこっちに来ちゃいました!
日本では「リアリズム」を求めてお芝居をするという考えはあるのですが、それに到達するまでのメソッドやらテクニックやらを教えられる人というのが本当に少ないんです。ロベルタの他にもたくさんのいい先生と出会い、今も毎日勉強しています。終わりはありませんね。
しゃけ:日本とNYの違いはどんなところですか?
米倉さん:日本にいるとどうしても他の人と一緒であることで安心してしまうので・・。
私、チャレンジしていくのが好きなんです。少しでも少しずつでも自分を磨いていきたい。それができる街なんですよね。それにNYにいると年齢を気にしなくていい!!(笑) おかしいかもしれないですけどね。でも日本って若いほうがいいみたいなところがあるでしょ?
若いことは素敵なことだけど、だからって年を取ることが悪いことではない。「もういい年なんだから・・」と言われないNYは私にとって自分にブレーキをかけずに何でもチャレンジできる場所なんです。
しゃけ:言語や文化の違いで大変なことはありますか?
米倉さん:まず、自己主張をはっきりとしないと生き抜いていけないと思います。本当に強くならなくちゃならないとは思いますね。年齢がいってからの留学でしたから柔軟性に欠けたというか・・基本的にはシャイなので、英語には苦労しています。
最近は何でも話せる友達ができてかなり激しいケンカもするようになり、進歩したな~と我ながら思ったり(笑)。アクティングと一緒で、「自分の思いを伝える」というのが一番大切なんだと思いました。
NYでは、知らない人同士も友達のように話しはじめる、ということにとても驚きました。「あれ~?この人たち違う駅から乗ってきたよね・・確か・・」みたいな。
英語だけでなく、スペイン語も中国語も飛び交っています。日本人も多いので、日本語も使います。
それから歩行者は信号を完全に無視しているのが普通で、警察官が近くにいてもお構いなし。彼らも何も言いません。日本に帰った時は信号無視の癖が出ないよう注意しないと・・。
ショーの日程を組む時は、宗教的な行事と重ならないかをチェックする必要があります。家族での時間や宗教をとても大切にする人たちが多いので、うっかりショーの日程を何かのホリデーのさなかに持ってこようものなら劇場はガラガラになってしまうんです。特にユダヤ人さんのホリデーは日本人の私は忘れがちになるので気を使っています。いろんな人種の人たちが住んでいますから、とにかく刺激が多いです。
でも、私もこのごろは大抵のことでは驚かなくなってきたかな・・。自分が毎日変化していくのを楽しめているのかもしれません。
***
*米倉裕子さんのブログ
「よねのHappy Come Come」
http://blog.goo.ne.jp/yonezo1972628
*「沓掛時次郎」出演者インタビュー
「http://www.youtube.com/watch?v=dBxGJFZuC_k&feature=youtu.be
*しゃけさんのバックグランド:
76年10月静岡生まれ。
茅ヶ崎の短大を卒業後1年間だけ就職。
1998年結婚・退職・渡米(ロサンゼルス)・出産
2004年帰国
2005年3児のママに。
2008年お母さん大学入学http://www.okaasan.net/
2009年Emailインタビューでny1page.com の創設者弘恵・ベイリーさんに出会う。
http://www.okaasan.net/index.php?blogid=280
お勧め番組案内 一24日の午後7時半からNHK「首都圏スペシャル 都市に生きる覚悟 首都直下地震に備えて」
(大妻女子大でライフデザインを教える波津博明先生が学生に流すメールの一部を紹介しています。)
番組案内です。一押しは、24日の午後7時半放送のNHK「首都圏スペシャル 都市に生きる覚悟 首都直下地震に備えて」です。 これは、首都圏以外では、放送されないと思うので、首都圏ローカルのお勧め。
23日(木)
正午 NHKBSプレミアム 「名曲探偵アマデウス フランク バイオリン協奏曲イ長調」
午後1時 NHKBSプレミアム 映画「にあんちゃん」
●午後6時 BS1 「世界のドキュメンタリー 民衆の敵に迫る カンボジア人記者の記録」
※今日の「カンボジア 虐殺の記憶」に続くカンボジア・ドキュメンタリーです。前回も書きましたが、我々日本人がカンボジアの悲劇を考えるとき、「ポルポト政権って、とんでもない連中だったんだな」と思うだけでなく、自国の政府が、そのポルポト勢力の延命に手を貸していたことを忘れるべきではありません。彼らの悲劇は、日本と無縁ではなかったということです。
●午後7時半 NHKBSプレミアム 「美の壺 梅」
※これはお勧めです。さくらとの違いを考えながら、楽しんでください。なお、「梅」は「うめ」と読みますが、これ、「音読み」です。「訓読み」ではないので、気をつけてください。ということから、たいへん興味深いことが次々と・・長くなるので、続きは、末尾にしました。関心のある方は、どうぞ。
午後8時 NHKBSプレミアム 「BS歴史館 真相究明 大奥誕生」
午後9時 NHKBSプレミアム 「世界ふれあい街歩き ギリシャ・ミコノス」
●午後10時 NHK総合テレビ 「ブラタモリ 江戸の運河(後)」
●深夜0時 BS1 「世界のドキュメンタリー アマゾン①」
※違法伐採や開発で、危機を迎えているアマゾンの今を伝えます
24日(金)
◎午後1時 NHKBSプレミアム 映画「恍惚の人」
※高齢者問題を今から、40年も前にえぐった、有吉佐和子原作の話題作です。
●午後6時 BS1 「ドキュメンタリーWAVE ケニア スラム強制撤去 グローバル化に翻弄される人々」
※日本人には、「正規作用の減少」や「TPP」問題として迫っている「グローバル化」。アフリカでは、さらに残酷な形で生じています。経済のグローバル化で、だれが得をし、だれが悲惨な目に会っているのか。プラス面もあるとはいえ、悲惨な目に会っている人の数は膨大です。
◎◎午後7時半 NHK総合テレビ 「首都圏スペシャル 都市に生きる覚悟 首都直下地震に備えて」
※1時間15分、たっぷり地震について伝えてくれます。それにしても、タイトルが目を引きます。いまや、「都市」に住むということは、「覚悟」を求められる行為なのだ、ということです。大地震が起きても、縄文時代だったら、被害はほとんどないでしょう。地面の裂け目にでも落ち込まない限り、死ぬ可能性はあまりない。現在、僕らは、地震が起きると、倒壊する家やビル、あるいはそこから発生する火事など、都市生活をしているがゆえに、命の危険にさらされるのです。津波はともかく、地震も、広い意味では「人災」です。であれば、人間の知恵で損害を減らすことが必要だし、可能です。
「梅」の話 続き 音読みというのは、中国から、その字が伝わった時点での中国式の発音のことです。訓というのは、その字の「意味」です。「犬」は、中国人が「ケン」と発音していた(と、当時の日本人には聞こえた)。で、その「ケン」って、一体何のことだ、となったとき、それは、あの「イヌ」のことらしい、というわけで、日本人に意味のわかる大和言葉を「訓」として、2つ目の読みとして定着させたわけです。こうして、音読みと訓読みという2通りの読み方が成立したわけです。
さて、「犬」は、日本にもイヌという動物がいたので、「あれのことか」と、わかったけど、「梅」という植物は、日本にはありませんでした。こういう場合、訓読みが作れない。それで、中国人が読む通り、「メイ」「メ」とか「バイ」とか読むしかない。そのうち、「メ」は1字なので、なんだかおさまりが悪い。で、いったん唇を閉じて「ン」と発音したうえ、続けて「メ」という、つまり「ンメ」と発音するようになりました。これを表記上は「ウメ」と書いたので、そのうち、今のように、本当に「ウメ」と読むようになったわけです。つまり、全部音読みです。
ウと書いてンと読むって、他にも例があります。「ううむ」と書いてあっても、あれは「ンー」と読みますね。 じゃ、もう1つ、「馬」は「うま」ですが、これも音読み。「マ」とか「バ」が中国式の、つまり音読みですが、この「マ」を発音するとき、梅と同様、一音って、日本人はあまり発音したくないので、「ンマ」とやってたのですね。これも「ウマ」と表記しているうちに、本当に「うま」と読むようになった。馬も日本にはもともといなかったため、「馬って、日本でいうと、どの動物?」と考えても該当するものが存在しなかった。で、訓読みは作りようがなかったわけ。
天皇家の象徴「菊」もそうです。菊はもともと日本になかったため、訓読みがないのです。「キク」って、音読みです。天皇というと、日本独自の存在ということで、民族主義者は、菊の花も特別視しますね。しかし、古来、天皇家が菊を自分たちの象徴にしたのはなぜか。明治以来、天皇家が、伝統の衣裳をほとんどやめて、洋服、つまり外国の服を着るようになったのと似ています。つまり、「強くて、かっこいい外国」の風俗を真っ先に取り入れることで、他の日本人に対して、我々は進んでいる、ということを示すということでしょう。
つまり、菊は中国から来た花だったから「かっこいい」と考えられた、ということですね。
7世紀、天武天皇のころ(おそらく)、天皇がこの国を「倭」から「日本」に変え、「おおきみ(大君)」を「天皇」に変えた時、天武天皇はつまり、何をしたのか。興味深いです。 それはつまり、国名も、君主の地位も、中国式に変えたということです。だって、「日本」って、2字とも漢字、つまり中国の字であり、「天皇」も、中国の「皇帝」に対抗して、似てはいるが、別の称号を探して、考えたものです。もっとも、かつて中国には、1人だけ、自ら「天皇」を名乗った皇帝がいたので、この称号も残念ながら、オリジナルではありません。ついでにいうと、天皇とはもともとは、中国で、天の王者「北極星」のことでした。北極星は他の星と違って、周回運動をしない、つまり不動の星だったので、特別扱いされたわけです。
「長く」といっても、こんなに長く書く予定ではなかったのですが、すみません。
最後に、梅というと、天神様を連想しますね。湯島天神も梅で有名です。ま、本家は京都の北野天満宮で、あそこも梅園で有名です。波津ゼミでは、3年生(新3年生)の春の合宿は本郷ですが、そこから歩いて、湯島天神にも寄るのが定番コースです。ここに寄ると、大体僕は、以上の話をするので、波津ゼミ生と出身者は、聞いた覚えがあるかもしれません。
さて、ではなぜ、天神様、つまり菅原道真に梅がつきものなのか。道真は、梅が大好きだったんですね。そもそも、道真は学問の神様といわれますが、当時、つまり9世紀の日本において、学問といえば、中国の学問のことです。孔子や孟子を勉強していたわけです。それで、本場中国から来た、もともと日本のものではない「梅」が、外国(中国)の知識を身に付けた大知識人としては、自分にぴったりだと思ったのではないでしょうか。京都の道真の邸には、道真が愛した梅がありましたが、藤原氏の陰謀で、道真が九州大宰府に左遷というか、事実上追放されたとき、愛された梅が、九州まで飛んで行ったという「飛び梅」の伝説があるくらい、道真は梅と切っても切れない関係にあります。
たぶん、番組でも、道真のことは出てくるでしょう。
以上のことを踏まえて、「美の壺」をどうぞ。
ドキュメンタリー「テレビに挑戦した男・牛山純一」が24日まで、渋谷で公開
テレビドキュメンタリーのパイオニアといわれる牛山純一氏を紹介するドキュメンタリー作品「テレビに挑戦した男・牛山純一」(企画:佐藤真、監督:畠山容平)が、オーディトリウム渋谷にて、24日(土)まで上映中だ。
午前11時からの本編上映後には、ゲストによるトークも開催される。22日以降のゲストは以下。
22日(水)山川建夫さん(フリーアナウンサー)「朝ワイドで起きた1つの事件」
23日(木)森口豁さん(沖縄を語る一人の会・ジャーナリスト)「撮る側と撮られる側」のことなど
24日(金)岡村淳さん(記録映像作家)「一兵卒のみた牛山天皇」
―料金
前売券(劇場窓口にて公開前日まで販売中)1000円
当日一般=1400円 学生・シニア1000円 映画美学校生800円
ーオーディトリウム渋谷の場所
TEL. 03-6809-0538
以下は、ウェブサイトより、作品内容の紹介:
http://a-shibuya.jp/archives/2460
ー作品
「テレビに挑戦した男・牛山純一」 Ushiyama Junichi:Our Wonderful Television
日本語/カラー/DVカム/日本/82分/2011年/ドキュメンタリー
企画:佐藤真 監督:畠山容平 製作:藤本美津子 編集:秦岳志
撮影:大津幸四郎、牛山純一ゼミ生 整音:小川 武 音楽:スガダイロー
配給・宣伝:お問い合わせ=牛山純一研究会(株式会社シグロ内・畠山、藤本、石田) ©2011 NPO法人映画美学校+牛山純一研究会、 2011年山形国際ドキュメンタリー映画祭 招待作品
ー牛山純一とは
本作品の主人公である牛山純一(1930〜1997)は、テレビドキュメンタリーの草分け的な人物として、テレビが放送を開始した1958年から享年の1997年に至るまでテレビ制作の第1線で活躍しました。牛山の本職はあくまでプロデューサーでありますが、テレビ草創期の自由な雰囲気の中で成長した牛山はテレビ局の中で必要とされる仕事を何でも経験してきました。牛山は67歳で他界するまで、あらゆる仕事において「初めて」と形容される体験を繰り返してきました。産まれたばかりのテレビというメディアと取り組み、新たな地平を切り開いてきたパイオニアとして、時にはかなり強腕な手段も発揮したが、そうしなければ実現不可能なことばかりだったに違いありません。
―あらすじ
牛山のテレビ局での最初の仕事は政治担当の放送記者からスタートしました。報道番組の新企画を次々に生み出してきましたが、牛山の評価を決定付けたのは皇太子御成婚パレードの中継放送でした。「中継の牛山」として放送界では認知されました。その後報道部から社会部に移り、「ノンフィクション劇場」という民放では初となるドキュメンタリー番組を制作。次々に話題作を作り上げていきました。ドキュメンタリーの確たる方法論など無かった時代に牛山と制作スタッフ達の試行錯誤が続きます。そして「ベトナム海兵大隊戦記」という多くの問題を孕んだ番組について当時の技術スタッフから労働組合まで様々な角度から証言を集めてきました。ベトナム以後に牛山は転向したのかしないのか、「すばらしい世界旅行」を作り続ける中で、ドキュメンタリー映像を社会に広めていくアーカイブ活動も積極的に行います。牛山純一とは如何なる存在だったのか、映画と共に考えていきます。
―畠山容平監督の言葉
テレビドキュメンタリーの世界に牛山純一という名プロデューサーがいた。その牛山がプロデュースしたドキュメンタリー番組「ノンフィクション劇場」の1作品、「忘れられた皇軍」(1963年製作)を見た衝撃が今でも忘れられない。それはぼくにとってテレビドキュメンタリーというジャンルを意識した最初の番組だったと思う。監督には映画監督の大島渚が起用されていて、そのことからもこの番組が大きな野心を持って作られたことが伺えた。その番組の最後に小松方正のナレーションが響き渡る。「日本人よこれでいいのだろうか?!」性急に問い掛けられたその声に僕は驚いたというよりも嫌悪感を抱いた。20分程の短い時間ではあったけど、韓国籍の傷痍軍人達の苦労や苦悩が描かれた今迄の時間は何だったのか?このナレーションがそれまでの流れを台無しにしていると思えたのだ。しかし、考え直してみればこれこそまさに映画とは違うテレビ的な表現の誕生だったのではないかと思えた。そもそもドキュメンタリーとは常にある定型をはみ出す何かであって、テレビとか映画とかいうジャンル分けの境界を超える自由な冒険心に溢れているものだ。そう考えたら何だか楽しくなった。当時の制作者達の息吹を感じた事が本作品への制作へと自分を駆り立てたものだと確信している。
「ロシア人は暗い」だろうか?
12.02.21 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: ニュースあれこれ, 世界の窓, 文化
ロシア文学でハッピーエンド(happy end)が少ないということは有名である。
ロシア人についての見方にはステレオタイプが多い。一方、「ロシアユートピア論」とする考えでは、ロシア人は不思議な心(ドゥシャー;ロシア語: душа)を持っていて、感情的で、優しくて、客好きの怠け者である。また一方では、「ロシア人は悲観しがちな運命論者であり、苦悩が好きで、権力には柔順に従い、自分の利益に背いて行動する」という考えもある。こんなロシアの複雑な文脈の中で、ロシア人にしか理解出来ないジョークが生ずる。一つの例をあげる。
救急車が道に沿って走っている。死んだ一人の男の頭が救急車の後ろの車道に転がっていて、「俺はちょっとパンを買おうとして出ただけなのに!」と言っている。
このジョークを聞く人は、「ロシア人というのは心が暗い」と恐らく結論づけるに違いない。しかしロシア人には、この状況に可笑しみをおぼえることは可能である。何故ならロシア文化においては、人生や運命というものに対する特殊な運命論的な生き方が背景にあるからだ。人は次の瞬間には何が起こるか知らない。運命に甘んじて従うしかないのである。
また、現在ロシア人の話には有名な小説からの引用文か有名なシーンからの引喩が多い。
さきほど例に出したジョークは、明らかに小説「巨匠とマルガリータ」 (ミハイール・ブルガーコフ)からの一場面からの引喩である。この小説の中で、文芸雑誌の編集長であるベルリオーズ はヴォランドと名乗る風変わりな“外国人の男”(悪魔)との会話の中で、「ゴッド(The God:神様)は存在しない。人は自分の運命は自分で決めることができるのだ。」と断言した。ヴォランドはベルリオーズに5分後には何が起こるかわかりませんよと言って、ベルリオーズの死を予言した。その予言では、ベルリオーズは若い女性に頭をかき切られるという予言だった。ベルリオーズはヴォランドの言葉を信じなかった。しかし、その後間もなく市内電車のレールの上で滑って電車に轢かれ、首が切り落とされてしまった。その電車の運転手は若い女性だったー。 http://katalog-books.ru/books/master/pages.php?id=3
20世紀のロシアで一番好きな小説「巨匠とマルガリータ」の背景はスターリン時代のモスクワで、「善」と「悪」が入り乱れている。現在のロシアでも永遠の「善」と「悪」の戦いは緊要な問題となっている。3月4日に行われるロシアの大統領選挙ではどうしても笑ってなんかはいられない。悲しいジョークが生まれている:
2012年の春、ロシア人はまた難しい選択しなければならない。 それは、“プーチン?”か“プーチン?”、それとも“プーチン?”?
(ジョークの解釈:その選択肢は極めて限られていて、「“プーチン?”か“プーチン?”」または初めから「“プーチン?”」だけというものである。)
現在のロシア事情は人々に暗い思いをさせ、ある人々の行動もソビエト時代を思い出させる。次のジョークのように:
―あなたには良心がありますか? ―はい。良心はありますが、使いません。
ロシア人は暗いのだろうか?
(日刊ベリタより)
冬のシンボル、トロイカに「無限の空間」の響き
12.01.29 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: 世界の窓, 文化
「国」というのは地図上の場所だけをいうのではない。それは,様々な感覚や音や匂いその他の入り混じったものです。
「冬のロシア」を感じる方法とは? 答えは簡単です。それはトロイカに乗ることです。トロイカに乗ると,耳に雪のざくざくいう音が聞こえ、そのスピードのために雪が顔に当たり、頬に当たる風は冷たく,又トロイカの鈴のメロディーが心地よく響き,輝く銀世界が一面に拡がります。
「トロイカ」の由来は郵便局です。トロイカは18世紀のまだ鉄道がなかった時代に “速達郵便”の役割を果たしていました。トロイカの馬の数は三頭で(トロイカ;тройкаはロシア語で“三つ”を意味します)、真ん中の馬は背が高くて力の強い馬が「だく足」で走り、両側の軽い馬は駆け足(ギャロップ)で走ります。ギャロップで走っている二頭の馬が真ん中の馬を背負うように引っ張って行きます。そうすると、馬たちはそんなに疲労することもなく、結果として、トロイカのスピードが上がって時速は50キロメートルにもなります。
18世紀には、街道の30-40露里(露里・ロシア語:верстаは1.06キロメートルに相当)毎に、交代用の“御者の家”(ロシア語:ямские избы)が作られていて、その“御者の家”で馬を変えました。鈴の音が遠くから(5露里ぐらい距離から)聞こえてくると、御者(ロシア語:“ямщик”ヤムシーク)は新しい馬を用意しました。“トロイカ”と“ヤムシーク”という言葉は古いロシア民謡やロマンスによく出てくる言葉です。鈴はサンクト・ペテルブルグとモスクワの中間にあるヴァルダイ(ロシア語:Валдай)という小さい町で作られましたので、ヴァルダーイスキイと言います。(ヴァルダーイスキイ・コロコーリチクвалдайский колокольчик)
作家のゴーゴリは小説『死せる魂』の中で、ロシアを疾走するトロイカに喩えています。トロイカはロシア人の心に心地よく響く言葉で、ロシアの「無限の空間」を表します。無限の空間というものはいつでも不確かで未知なるものなのです。この感情の故に、人は運命や幸運といったものを信じたくなるのです。
トロイカはロシアの冬の田舎の祭りの欠かせないものです。「冬を送り・春を迎える祭り」(ロシア語:“Масленица マースレニツァ「バター週間」)は例年ひどい寒さの時期に行われるので、トロイカに乗る時には寒さ対策としてロシアの伝統的な飲み物であるヴォッカを飲むのが人気です。このためか,様々なヴォッカのラベルにはトロイカが描かれています。
観光客はモスクワではソコリニキ(Сокольники)公園とクジミヌキ(Кузьминки)屋敷、サンクト・ペテルブルグではツァールスコエ‐セロー(Царское Село皇帝の村)とパブロフスク市(Павловск;サンクトペテルブルグの南約30キロメートルにある町)でトロイカに乗ることができます。(「日刊ベリタ」より)
番組案内 31日深夜はぜひぜひEテレを
(大妻女子大でライフデザインを教える、波津博明先生が学生に送っているメールの一部を掲載しています。)
さて、卒論指導、連続する会議などで、このところずっと、時間がとれず、かなりいい番組をいくつも紹介できませんでした。 しかし、年末年始、超ド級(もう死語か)のドキュメンタリーが、何本も再放送されます。絶対見逃してほしくない、S級の内容です。すでに見た人も、2度見る価値があります。 とくに、31日深夜のEテレ「ETV特集 原発事故への道程(上下)」は、一押しです。これはぜひ、録画して見てほしいと思います。永久保存版です。見た後の感想を送ってもらえると幸甚です。場合によっては、みんなで共有したいと思います。
●は、「とくに推薦」。◎は「ぜひ見て!!」印。◎◎は、「絶対見て」、◎◎◎◎は「見ないと、一生の損失です」
あす29日(木) ●午後6時55分 NHK教育テレビ(Eテレ)「サイエンスZERO 巨大津波の謎を探る」
午後9時 NHK BS1 「BSドキュメンタリー ターゲット ビンラーディン 奇襲作戦の全貌 前篇」(再放送)
午後10時 同上 後編 ●午後10時25分 Eテレ 「グランジュテ 私が跳んだ日 NPO代表 林恵子」若者たちの未来を気付く活動
◎深夜1時05分 Eテレ 「ETV特集 原発災害の地にて 対談 玄有宗久 吉岡忍」(再放送)
◎◎ 2時05分 Eテレ 「同上 ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2カ月」(同上)
◎◎ 3時05分 Eテレ 「続報 放射能汚染地図」
※以上3本は再放送です。とくに、2本目は、5月に放送されるや、大反響を呼んだ、原発事故報道におけるNHK報道陣の金字塔です。浪江町赤宇木(あこうぎ)地区という、今では最悪の汚染地区として有名になった場所で、異常な放射能が出ていること、そこに人がいること、政府も県も町も、その危険を知っていること、住民には全く知らせていないこと、などを初めて伝えた、画期的な番組案内でした。あまりの反響にその後何度も再放送され、これが4回目か5回目のはずです。
NHKは、一般ニュースでは、東電と政府の「健康に影響はない」「安全です」というデマを繰り返し流すだけで、独自取材もせず、疑問も呈さず、要するに、メディアとしての任務も機能も完全に呈放棄しました。この教育テレビ取材班の番組が、そのNHKの恐るべき怠慢と反社会的姿勢を免罪するわけではありません。しかし、こういう番組は、「NHKは・・・」というふうに、一概に論じることは、実はあまり生産的でないことを示してもいます。NHKにも、テレ朝にも、いろいろなプロデューサー、ディレクター、記者がいるということです。経営陣に近い主流派は、恐るべき「報道犯罪」を犯しましたが、NHKには、記者魂を持つジャーナリストもいることを、この番組案内が示しました。 こういう記者たちのために、我々は受信料を払っているんだ、ということでしょう。その意味でも、今年の最後に、未見の人は、是非見てください。そして、受信料を払った分だけの成果を受け取るという、視聴者としての当然の権利を享受してください。
30日(金) 午前9時半 NHKBSプレミアム 「フランダースの犬」(アニメ 1997年)
午後1時 NHK総合 「スペシャルドラマ 坂の上の雲 最終編 日本海海戦」
午後9時 NHL総合 「異端の王 歴史ロマン紀行 数千年前リビアとスーダンを動かした異端の王」
◎深夜1時45分 Eテレ 「ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図③子供を被爆から守る」
◎ 3時15分 Eテレ 「ETV特集 海jのホットスポットを追う」 ※以上2本も再放送。前夜の番組の続々編と、海洋編です。 31日(土) 午後6時05分 NHK総合 「建築家 伊東豊雄 復興に挑む」
◎◎◎◎深夜0時20分 Eテレ 「ETV特集 原発事故への道程(前)」安全神話はいかに作られたか」
◎◎◎◎ 1時50分 Eテレ 「同上 (後) 安全神話の成立」
※今年1年間を通じて、おそらく、最も重要なテレビ番組です。 さきの「ネットワークでつくる放射能汚染地図」は、現状の生々しいレポートでした。その後、しばらくして、ETV取材班が取り組んだのが、そもそも、これほど危険でいい加減な「日本の原発」がなぜ、生まれたのか、という「出生の秘密」です。知る人ぞ知る、しかし、ほとんどの日本人は全く知らない、原発導入の1950年代の恐るべき現実が、白日のもとにされされます。こんないきさつで、我々は、原発を受け入れてしまったのか。腰から力が抜けていきます。これを見ないで、原発を論じることはもはやできないでしょう。「ぜひ見て」印の◎を4つもつけました。「ネットワークでつくる放射能汚染地図」の2倍ですが、理由は3つ。 ①それだけの価値ある内容であること、 ②内容的に永久保存版であること。浪江町の汚染は、今ではだれでもしっています。その意味で、「ネットワークでつくる放射能汚染地図」は、「今ではもうニュースではない」といわれるかもしれません。しかし、こちらの番組は、日本原発の恐るべき誕生の歴史を再現したもので、いつ見ても、同じ価値があります。1年後、3年後、10年後にも見てほしい番組なのです。 ③「ネットワークでつくる放射能汚染地図」ほどの反響がなかったのか、9月に放送されたきり、1度も再放送されておらず、今回は貴重な再放送です。
ディケンズ生誕200年を祝う -読者とともに生きた作家
小説「クリスマス・キャロル」や「大いなる遺産」などで知られるのが、ビクトリア朝を代表する作家チャールズ・ディケンズ(1812-1870-年)だ。来年2月には生誕200周年を向かえ、英国各地で様々なイベントが開催される。「英国ニュースダイジェスト」(12月22日号)にディケンズの生涯や作品群を振りかえるコラムを書いた。以下はそれに若干付け足したものである。
ニュースダイジェストのウェブサイトでは、きれいな表をつけたものが載っているので、PCで見ている方はそちらへどうぞ。
http://www.news-digest.co.uk/news/news/in-depth/8317-charles-dickens.html
また、いま非常に評判が高いディケンズの伝記で、私も読んでいる最中なのが以下の本である。
Charles Dickens: A Life 著者:Claire Tomalin
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いよいよ、今年もクリスマスの時期がやってきた。この時になると頁をめくりたくなる小説の1つが、けちで意地悪な商売人スクルージが心を入れ替えるまでを描いた作品「クリスマス・キャロル」だろう。「スクルージ」といえば「守銭奴」として英語の語彙にもなっている。「クリスマス・キャロル」や、「オリバー・ツイスト」、「大いなる遺産」など、いまや英国の社会や文化の一部となった作品をたくさん書いた小説家チャールズ・ディケンズの生誕から、来年2月で200年となる。
ディケンズが生まれたのは、イングランド地方南部ハンプシャー州ポーツマス郊外、ランドポートであった。
父は海軍の会計士。中流階級の長男として生を受け、お金には不自由なく暮らせるはずであった。ところが、両親はそれほど金銭感覚に長けた人たちではなかったらしく、負債が急増。1820年代初期、一家は破産状態となり、ディケンズは12歳で靴墨工場で働くことになった。ディケンズの小説にはロンドンの債務者監獄マーシャルシーの様子が出てくるが、実際にこの頃、父親がこの監獄に収監されている。
法律事務所で働き出したディケンズは、速記を学ぶようになり、ジャーナリストを目指した。日刊紙「モーニング・クロニクル」の記者となったのは1834年、22歳頃のこと。靴墨工場での勤務から、独立独歩でここまでやってきたディケンズは、意思が相当強い人間であったに違いない。
記者の仕事の合間に「ボズ」という筆名でエッセイを書き始め、雑誌に掲載されるようになる。エッセイを集めた作品が1834年に出版され、ディケンズは夕刊紙「イブニング・クロニクル」紙編集長の娘キャサリン・ホガースと結婚した。公私ともに、また1つ階段を上がったわけだ。
―いよいよ、作家に
ディケンズが長編小説「オリバー・ツイスト」を、自分が編集する雑誌「ベントリーズ・ミセラニー」に発表したのは1837年であった。その数年後には「クリスマス・キャロル」を出版。後者はその後も毎年刊行するようになる、クリスマスに関わる本=「クリスマス・ブックス」の最初であった。その後も次々と小説を発表し、国民的な人気を得る作家となってゆく。作家であると同時に複数の雑誌(「ハウスホールド・ワーズ」、「オール・ザ・イヤー・ラウンド」)編集長でもあった。また、自分の作品の公開朗読も英国内の各地や米国で積極的に行った。米国にも出かけ、朗読会を敢行している。
ディケンズの作品はリアリズム、喜劇的表現、優れた散文表現、性格描写、社会評論では群を抜くといわれているが、過度に感傷的と批判する人もいる。
小説では主人公が貧しい少年・少女で、幾多の事件を乗り越えて、最後は幸せを掴むというパターンがよく見受けられる。幼少時の貧困の体験、自力で成功していったことなど、ディケンズ自身の人生とダブるようにも見える。しかし、暗い話ではあっても楽天主義とユーモアが隅々に顔を出し、読者に充実した読後感を与えてくれる。
ディケンズはビクトリア朝(1837-1901年)の時代を生きた。英国が最も繁栄した時代だったが、貧富の差が拡大した時でもあった。晩年のディケンズが目を向けたのは社会の底辺層を救うこと。小説やエッセイを通じて、貧困対策や債務者監獄の改善などを主張した。
1865年、ディケンズは列車事故に遭遇し、九死に一生を得たものの、その5年後、1870年6月8日、ケント州の邸宅で脳卒中の発作に見舞われた。亡くなったのは翌日である。書きかけの「エドウィン・ドルードの謎」は未完成となった。享年58。各地を回った朗読会が死期を早めたという説がある。
妻キャサリンとの間には10人の子供をもうけたが、本当に結婚したかったのはキャサリンの妹メアリ(後、病死)であったといわれている。夫人とは亡くなる12年ほど前から別居していた。ディケンズの遺体はウェストミンスター寺院の詩人の敷地に埋葬された。
小説を書くばかりか、朗読会で読者と直接つながる場を持ち、社会問題の解決にも言論人として積極的に関わったディケンズ。いまもし生きていたら、ブログやSNSでたくさんのファンを作る人気者となっていたかもしれない。生誕200周年を記念するイベントや作品は、英社会の貧富の差について考えたり、ユーモア精神を楽しむ良い機会になりそうだ。
―関連キーワード Christmas carol:クリスマス・キャロル(=クリスマス聖歌)。キャロルには元々、踊りのための歌という意味があるが、共同体の「祝歌」あるいは宗教儀式などにおいて歌われる賛美歌の一種とされるようにもなった。クリスマス・イブの夜に歌うのがクリスマス・キャロル。「清しこの夜」、「もりびとこぞりて」など複数の歌が日本でも著名だ。チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」で冒頭部分に使われているのが、1830年代に出版された「世の人忘るな」(God Rest Ye Merry,Gentlemen)というクリスマス・キャロルである。
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「生誕200年」を記念するイベント、ウェブサイト
「ディケンズ2012」
ディケンズの生誕200周年を記念する各種のイベント、テレビ番組の放映予定など、あらゆる情報を集約するウェブサイト
「ディケンズのロンドン」展(ミュージアム・オブ・ロンドン、2012年6月10日まで) http://www.museumoflondon.org.uk/London-Wall/Whats-on/Exhibitions-Displays/Dickens-London/Default.htm
「チャールズ・ディケンズ生誕地での祝賀会」(ポーツマス、2012年2月5日―12日) http://www.portsmouthmuseums.co.uk/events.htm
「チャール・ディケンズ・レクチャー・シリーズ」(大英博物館、2012年2月21日―24日)http://www.bl.uk/learning/tarea/secondaryfehe/dickenslectures/dickenslectureseries.html
サイモン・カウエル著「チャールズ・ディケンズと世界の大きな劇場」の紹介(ニューシアターロイヤル劇場、ポーツマス、2月7日) http://www.newtheatreroyal.com/index.php/whats-on/simon-callow
ディケンズの映画回顧展(2012年1月ー3月、BFI Southbank、ロンドン http://www.dickens2012.org/event/dickens-screen )
BBCのディケンズ特集(現在―2012年2月) http://www.bbc.co.uk/mediacentre/mediapacks/dickens/
(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)






