ペット・ショップ・ボーイズが「ウェスト・エンド・ガールズ」のヒットから25年 

09.03.30 by   カテゴリー: 文化

 英ポップ・グループ、ペット・ショップ・ボーイズがヒット曲「ウェスト・エンド・ガールズ」をリリースしてから今年で25年になる。ビートルズ(現在は解散)、ローリング・ストーンズ、エルトン・ジョンなど英国が1960年代以降生み出したポップスターの多くが、今や中高年になってしまった。解散あるいはコンサートの時にだけ結成されるバンドも多い中、ペット・ショップ・ボーイズは現役で、若い音楽ファンの間でも未だに格好いいと見なされる、珍しい存在だ。

 キーボードを担当し、サングラスをかけるクリス・ローと元音楽雑誌の記者だったニール・テナントの2人組みのユニットは来日公演もこれまでに何回か行っており、コンサートに出かけたことがある人も多いかもしれない。

 2人が出会ったのは1981年だが、大ヒット曲「ウェスト・エンド・ガールズ」の発売は25年前の4月。ペット・ショップ・ボーイズの曲の中で最も日本でよく知られているものかもしれない。当初「ウェストエンド」と名づけたユニットを、友人がペットショップに勤めていたから「ペット・ショップ・ボーイズ」に変えたというエピソードも著名だ。

 2人の曲はダンス音楽としても著名だけれど、聞き手がぞくっと来るのはその歌詞のせいでもあるだろう。何気ない表現、ふとした言葉に人生のシビアな観察が出る。例えば、「RENT」(家賃)という曲があるが、「愛しているよ、君が家賃を払うから」という文句がある。

 ペット・ショップ・ボーイズはほとんどプライベートな生活面を表に出さない。あくまでストイックでクール。英雑誌「ザ・ワード」4月号のインタビューで、「もし結婚していたら、妻が死んだばかりでも、それを他人に話したりはしない」とテナントが話している。

 2009年の「ブリット・アワード」(英国レコード産業が毎年開催する)では、「音楽にすばらしい貢献をした賞」を受賞している。授賞式が行われた2月18日、9分に渡るミニ・コンサートで、これまでのヒット曲のメドレーを演奏している。凝った仕掛けのコンサートの様子がYOUTUBEの数分のクリップからも伝わってくる。

http://www.youtube.com/watch?v=9OAlTWrNN6o&eurl=http%3A%2F%2Fwww%2Eprefixmag%2Ecom%2Fmedia%2Fpet%2Dshop%2Dboys%2Fmedley%2Dat%2Dbrit%2Dawards%2F26208%2F&feature=player_embedded

 3月29日には新アルバム「YES」が出た。

  一方、「かつての栄光よ、もう一度」ということなのか、80年代のバンドの再結成が相次いでいる。「ニューロマンティック」系ロックバンド、スパンダー・バレエ(「トゥルー」など)が今月、再結成を発表した。ウルトラボックス、スペシャルズ、ABCなどに続く動きだ。80年代といえばもう20-30年前の話。一体何故?果たして「過去の栄光が忘れられない」、「何かクリエイティブなことをしたい」、「お金が必要だから」?

 英テレグラフ紙のニール・マコーミック氏は(3月27日付)、重要なのは「理由が何かは関係なくて、見たい・聞きたい人がいるかどうか」ではないか、と書いている。しかし、「個人的には」、再結成のバンドは「過去の遺産」から利を得ているようで、好きではない、としている。一種の「負けであり、バンド自身も知っていると思う」。

 ペット・ショップ・ボーイズに戻れば、どの新聞か忘れてしまったのだけれど、新アルバムのレビューがあって、批評家は「すばらしいアルバム」だが、ペット・ショップ・ボーイズは「また今度も、賞賛するバンドになった。愛するバンドではなく」と書いていた。あくまでも、クール。近づきがたさを感じさせるバンドだからこそ、ここまで続いたのか?

 ペット・ショップ・ボーイズ公式サイト

http://www.petshopboys.co.uk/

 

(スライド写真他は「ザ・ワード」誌)

 


 

アフガニスタンの将来を考えるー英中東専門家の見方:「米軍増派の効果は期待薄」

09.03.25 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, 世界の窓

イスラム原理主義勢力タリバンやテロ集団アルカイダ掃討のために、2001年10月、米国と英国が中心になってアフガニスタンで軍事行動を開始した。その後、選挙で新たな政権が発足したが、「対テロ戦争」の主戦場となっており、平和は未だに実現していない。国連のアフガニスタン情勢に関する報告書(13日発表)によれば、治安は今年さらに悪化する。現在、北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)など約3万6000人が派遣されているが、オバマ米大統領は部隊の大幅増派を予定している。果たして効果はあるだろうか?31日、オランダ・ハーグで開催されるアフガニスタン復興支援会議の前に、アフガン問題専門家ピーター・マースデン氏に増派の背景や現状分析を聞いた。

オバマ米政権はアフガニスタンに駐留する米軍の増派(「サージ」)を予定している。増派は治安悪化問題を解決するばかりか、逆にこれ自体が問題を作る原因となると見る人もいる。

何故米国は増派を計画したのか?イラクでの増派が「成功」(これ自体に疑問符をつける人もいるが)だったので、アフガニスタンでもそうなるだろうと見たのか?それとも、ブッシュ前米政権がイラクに関心を移したものの、本当に力をいれるべきはアフガニスタンだ、という思いがあるからなのか?

どちらの要素も影響を及ぼしているとは思うけれども、他にも重要な要素がある。まず、隣国パキスタンの状況の悪化だ。パキスタンを根城にするタリバンやイスラム組織「イスラム法実行運動」などがパキスタンのリベラルなエリート層に挑戦を挑み、現在よりももっと厳格なイスラム社会を作ろうとして勢力基盤を拡大させている。

こうした勢力の拡大は、明らかに、2001年10月、米国がアフガニスタンに軍事侵攻した結果、起きたことである。この侵攻でパキスタンを拠点とする反乱軍が出来てしまったばかりか、アルカイダに関係していると見られる人物や反乱軍を制圧するため、ムシャラフ前パキスタン大統領が部族地帯(注:伝統的な部族制度を保持している地域。大半はアフガニスタンとの国境沿いにある。パキスタンの法制度より部族の法制度が優先され、パキスタンの警察権は及ばないにパキスタン軍を派遣せざるを得なくなった。派兵は、歴史的を振り返っても中央勢力から強い独立性を維持してきたパシュトン族の怒りを買った。地元の首長の下で団結し、新たなタリバン運動を支援しようと思わせてしまった。米国主導の軍隊が占領している(と見られる)状態を覆そうとするタリバン勢力に加え、もう一つの勢力、つまりはパキスタン政府が米国との協力を惜しまない姿を見て、これと戦おうとする動きが出来た。

米政権は、アフガニスタンとパキスタンの2つの国の不穏な動きに同時に対応しなければならなくなった。また、昨年11月、ムンバイで起きたテロがその具体例だが、パキスタン出身者がインドでテロを起こす動きにも対処しなければならない。インドとパキスタンとの緊張感が増し、タリバンと戦うべきパキスタン軍をアフガニスタンとの国境からインドの国境に振り分けざるを得ないという憂慮すべき事態となった。

アフガニスタンの状況はその周辺地域の問題と切り離して考えることはできない。インド、ロシア、中国、中央アジアも含めた包括的アプローチを取る必要がでてきた。アフガニスタン問題にはパキスタン、インド、イランを積極的に関与させることが必要になってくる。

―米「少なくとも反乱軍を抑えられる」

アフガニスタン内に目をやれば、2006年以降タリバン勢力が強化され、カブール近辺にまで拡大していることを米政権は認識している。タリバンに勝つには軍事行動だけでは無理だと知っているにもかかわらず、増派すれば少なくとも反乱軍を抑えることができると見ているのは明らかだ。私自身はこれに同意しないが。

米政権はタリバンに取られた地域を取り戻すために、国際治安支援部隊(ISAF、2001年12月、国連安保理決議により発足。目的は治安維持と復興支援)及びアフガン治安部隊の規模を増やしたいと述べている。アフガン警察の能力の限界は承知の上だ。反乱軍の圧力に負けて、占領した地域を手放すといった事態が生じているからだ。アフガン警察に死者がおびただしいのは、十分な武器を持っていないか、トレーニングがまだ足りないからだろう。

―殺される無実の市民、強制侵入

米軍はタリバンの指導的立場にある人物を探し出す作業に力を傾けているが、これが非常に大きな問題となっている。

つまり、米軍はタリバンの指導者と思われる人物がいる正確な場所を探し当て、その人物のみを爆死させる技術は持っているものの、これを実行するための情報がしばしば間違っており、無実の市民が殺されている。アフガニスタン国内では、米空軍による市民の死者数が大きな政治問題になっており、カルザイ・アフガニスタン大統領は、たびたび、米側にこれに関して苦情を述べている。指導者レベルの人物をターゲットにしても、これがタリバン運動の弱体化につながったかどうかは不明である。

国民をさらに怒らせたのは、容疑者と思われる人物が住む家への米軍による強制侵入である。また、バグラム空軍基地やそのほかの場所における容疑者の拘束に関しても国内からは大きな疑念が出ている。国際的な人権擁護基準を満たしていないのではないか、という疑念である。オバマ大統領は、最近、バグラム基地に設けられた拘束施設の維持と、拘束者に米国の法廷で拘束の合法性を問う権利を与えないと述べた。懸念が募る。

米国は、地域の復興支援により、国民のタリバンへの支持を崩すことができるとよく語っている。「外国の軍隊に対する怒りは、医療クリニック、学校などが建設されれば、好感に取って代わるのではないか」、と。しかし、物を与えたからといっても、米軍が自分の家にやってきて、傷つけられた名誉や尊厳は取り返しがつかないのである。

また、復興策を実行しようにも、人道支援団体さえもが活動がしにくい場所が大部分となっている現状では、思うようにいかないのではないか。また、過去の開発援助の大部分が米国企業を通して行われてきたが、これは見直す必要があるだろう。アフガニスタンに提供された支援のほんの一握りが国民に役立っただけだ、という認識を作り出してしまったからだ。

「プロフェッショナルな警察隊を作る」、「これで治安を安定させる」、「警察の不正を根絶する」といった目標の実現には大きな困難が伴う。国民が警察にあまりにも失望しているために、タリバンを支援しているとも言われているぐらいだからだ。

地域コミュニティーに根ざした防衛組織を作るという案も、コミュニティー内の力関係が非常に複雑なため困難になっている。アフガン社会の特徴だった、部族ごとにまとまる体制は過去30年に渡る内紛の後で、弱体化している。複数の指導者、複数の勢力者が錯綜しているのである。長老たちが集まって物事を決めるというよりも、若い男性たちが自分たちの理にかなう望みを銃の力で達成しようとしている。

―アフガン国民の心をつかんでいるか?

国際部隊は軍事面から反乱軍に負けているばかりか、国民の心をつかむことにも失敗している。イスラム世界全体で見れば、米国が主導するいわゆるキリスト教・十字軍との戦いで、アフガニスタンがその中心となっており、タリバンはこの戦いの立役者だー。これがタリバンの説明である。アフガニスタン、ガザ地区、イラク、パキスタンなど広いイスラム世界で何かが起きれば、タリバンはすぐに戦う有志を集めることができるのである。

国際治安支援部隊は燃料供給の面でも大きな困難に直面している。パキスタンからアフガニスタンに入る燃料タンカーをタリバンが攻撃しているからだ。米政府はパキスタンから物資を供給することを避け、ロシアや中央アジアを経由する方法を模索している。これは良い動きだが、キルギス政府が首都ビシケク郊外のマナス空港の米軍基地閉鎖を決定しており、2月には対テロ作戦に従事する米国以外の連合軍11カ国についても、基地使用を認めない法案を議会が可決している。果たして方針を変更するかどうかはまだ分からない。

米国とカルザイ大統領との緊張関係も状況好転には悪影響だ。オバマ大統領、クリントン国務長官、アフガン及びパキスタン特使のリチャード・ホルブルック氏のカルザイ大統領に対するものの言い方が、アフガニスタンの大部分の国民にとって侮辱と受け止められている。8月の大統領選で米国がカルザイ氏を支持するのかどうかが不明な上に、カルザイ大統領も米国を批判している。大統領は親ロシアの姿勢さえ見せている。もしカルザイ氏が再選されれば、政権は現在よりも弱体化するだろう。国際社会からの支持が少なくなっているにも関わらず、未だに米国主導の軍事行動が生み出した政権と認識され続けるだろう。

カルザイ氏の後継者が独自に動き回れる範囲は少ない。常に、国際社会あるいは米国が影響を及ぼすからだ。アフガン国民は、次期大統領は国民に選ばれたのではなく、米国が選んだと見るだろう。選挙自体が公正であったかどうかに関わらず、アフガニスタンでは、人々の認識がすべてなのである。

それでも、米国はタリバンとの政治的な決着をつけるためには、アフガン政府に頼らざるを得ない。反乱鎮圧のためには政治的合意に達することが必須だ。この交渉はアフガン政府が主導を取るべきだと米政府は何度も繰り返してきた。もしカルザイ大統領の政治的手腕がこれ以上弱体化した場合、米国は複数の勢力と交渉をせざるを得なくなる。例えば、麻薬取引に関与する者、地域の不安定化や実質的な国家不在の状態の維持を望む者などもこうした勢力の一部だ。政治的合意が成立しなければ、国際社会は、軍事行動をやめて、面子が守れるような撤退を行う手段を失うことになる。

現状ではどのような形の政治的合意がなされるかは不明だ。タリバンの指導陣はアフガニスタンに外国の軍隊が存在する限り交渉には参加しないと言ってきた。アフガン政府は、アフガンの憲法を認めるタリバンのメンバーでなければ交渉をしない、と言っている。昨年、サウジアラビアが間に入り、首都リヤドで交渉が行われたが、結論には達しなかった。

希望が見えるのは、国際治安支援部隊によるアフガン治安軍のトレーニングとその強化だ。もし治安支援部隊が表に出ず、アフガン政府の指揮の下でアフガン国軍が反乱軍の沈静にあたるようになれば、現地の複雑な状況を理解していることから、やり方が変わってくる。アフガン政府が国際治安支援部隊の指揮をとるNATOに対し、治安軍がもっと表に出る活動をしたいと求めている点に注目したい。また、外国の軍隊による民家の捜査を禁止し、容疑者の拘束にはアフガン軍のみが関与したいと述べている点にも期待が持てる。

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ピーター・マースデン氏は在英のアフガニスタン専門家で、特に援助問題やアフガニスタンの政治力学に詳しい。著書多数。5月には「アフガニスタン:支援、軍隊、帝国」(仮訳、IBタウルス社)を出版。

ロシアの春は鳥が告げる 3月22日は「雲雀」の祭り

09.03.22 by   カテゴリー: 世界の窓, 文化

br1「おお、我が祖国の大地はどこまでも果てしなく! 

  おお、春も又いつまでの続き終わりのなきように!」 アレキサンドル・ブルック 

  北の国のロシアは母なる大地は果てしなく、時の流れの感覚も日本とは異なる。 

  四季の中の大事なシーズンは日本の春と秋とは違い、冬と夏である。寒くて長い冬のあるロシアの人々は春と暑い夏の訪れを待ち焦がれている。冬と夏はロシア人には、時の流れの重要なファクターなのである。又、西から東へ伸び広がっているロシアの空間の重要な方角はロシア人にとっては「北」と「南」である。日本と違って「東」(東日本)と「西」(西日本)は重要ではない。ロシア語では、「東北」と言わない、「北東」だけ可能なのである。 

 春の訪れを表すものは桜の開花ではなく渡り鳥の到来である。今まだ日本の湖で見ることのできる鴨などもすぐシベリアへの長い旅に出発することであろう。 

  ロシアでは渡り鳥は3月下旬から4月上旬に南の国からやって来る。そのころのロシアはまだ寒い、木々の芽が出始める頃である。 

 3月22日には「雲雀(ひばり)」と呼ばれるお祭がロシアにはある。昔は、その日に南の国々から40種類ほどの鳥が母国ロシアに戻って来ると信じられていた。他の鳥たちよりも早く来るのは雲雀であると言われている。今も多くの家庭ではその日に「雲雀」という菓子パン(普通は40個)や春の太陽を象徴する丸い蜂蜜入り菓子を焼く。 

 時には、菓子パンと丸い蜂蜜入り菓子に小さいものを入れて占いをする。指輪は「結婚」、1コペイカ(1円)か5コペイカ(5円)は「富」、結び目をつくった布は「赤ちゃん」を意味するなどである。 

 3月22日には秋につかまえ冬の間に鳥かごの中で飼っていた野鳥(鷽、シジュ雀、雲雀、むくどり)を籠から解き放す伝統がある。渡り鳥が来てもまだロシアの寒さは続く。きれいな春の花が咲く時期までなお待たなければならない。 

 昔、渡り鳥が「ヴィリイ」という国から戻って来ると考えられていた。その「ヴィリイ」という国は、空にある国か、海の外の国(日本?)、はたまた海の底の国(太陽が没するところ)にあると信じられていた。その「ヴィリイ」という国では、コウノトリと鶴は人に化けていて、ロシアに帰る時にはまた鳥に戻るのである。先祖の魂は鳥と一緒にやって来るという考え方があった。 

 ある地方では、天の川とは雁が天国に飛びそして母国に帰る「雁の道」とであると言う。春の鳥たちの渡り時期、天の川の位置と鳥の渡り方向はほぼ一緒になる。 

 加えて、鳥の空を飛ぶさまは人々に自由を感じさせる。広大な森林と沼がある広すぎる国では大昔から旅をすることは困難を意味していた。21世紀にもロシアは広大な土地を有することは誇れるが、道路がいいと自慢できるなどということはない。昔は川を道路代わりに使っていた。

 面白いのは、ロシア語には運動動詞がとても多いことである。「ドビラチツァ」という動詞は「遠いところを目的地として沢山の困難を切り抜けること」を意味する。しかし、やむにやまれず鳥のように空へ飛び出したくなるのである。その感覚を私は大学の頃に友達と一緒にウラル山脈にあるチュソワヤ川をボートで2週間旅をしたことをよく覚えている。2週間の間、村を見かけることもなく道路もなかったし人にも出会うこともなかった。 

 まもなく東京の桜は開花する。そして北方のロシアにも渡り鳥の鳴き声がもうすぐ聴こえてくる。 

(日刊ベリタ 3月17日掲載のコラム「ロシアン・カクテル」から転載)

http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200903170909492 (スライド写真はイメージ、www.freefoto.com/ , サムネイル及び記事内写真は筆者提供)

イラク戦争開戦から6年 在英イラク人の視点

09.03.22 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, 世界の窓

イラク戦争開戦から3月20日で6年となった。同年5月には大規模戦闘が終結したものの、治安は悪化し、泥沼化状態と言われている。過去1年を振り返り、在英のイラク出身者の親睦団体「イラク人協会」代表ジャバル・ハッサン氏が思いをつづる。英国に住むイラク出身者は25万人から30万人と言われている。

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今週、イラク戦争は6周年を迎えた。世界的な金融危機が継続しており、6周年はあまり人目につかないトピックとなった。戦争開始から7年目に入ったイラクで、国民は日々の窮状、無差別攻撃に苦しんでいる。イラクはもう新聞には大きな見出しで載らないようになったし、政治家や大手メディアは取り上げようとしなくなった。過去6年で数千人規模のイラク人が殺害され、主に中流階級の200万人以上がイラクを去った。この中には2万人から3万4000人の医者もいる。医者の中で2000人は殺害された。

社会のインフラはまともに整備されておらず、宗派の違いによる暴力事件があとを絶たない。イスラム教スンニ派、シーア派、それにクルド人の間の暴力事件で、イラクはまるでかつてのバルカン半島のように分裂している。米国が現在約14万人を越える在イラク駐留米軍を2011年までに完全撤退させた後、どんなことが起きるのか?本当の戦いが始まるのかもしれない。

根本的な問題は民族あるいは宗派間の憎悪で、これがイラクの政治の中心になっている。米軍が去った後、どうやってイラク人たちが互いの違いを乗り越えるかに将来がかかっている。

―和解を求めて

イラク全体で暴力事件が増加しており、一家の稼ぎ手となった女性たちに大きな負担となっている。戦争や内紛で、数万人のイラクの女性たちが夫を失った。水や電気といった生活の基礎的な部分でのサービスが十分に受けられなかったり、子供を学校に行かせる余裕がない家族がたくさんいる。夫を宗派間の争いで亡くしても、政府から年金がもらえるわけではない。イラク政府は生活基盤となるサービスを提供するため、社会福祉に投資するべきだ。

サダム・フセイン元イラク大統領は去ったが、イラク侵攻の支持者たちが言っていた、西欧式の民主主義の実現はまだまだ先だ。イラクは前と比較すれば落ち着いてきたが、宗教や民族ごとのグループが、権力と資源を求めて争奪戦が起きている。これから課題となるのは、米軍の徹底後、いかに全てのグループが和解し、内戦が起きないようにできるかだ。

暴力事件は減少したが、今でもバグダッドでは爆弾事件が起きる。イラク市民は今でも命を落とし、苦しむ。1月の地方選挙で明らかになったのは、大部分の市民は民主主義社会の実現を望んでおり、選挙という形で行動に移せたことを喜んでいた。進歩のスピードは遅いが、人々の気持ちは変わっている。バクダッドの有名なムタナビ通りにはたくさんの書店が並んでいるが、宗教関連の本の販売が落ちているという。2003年の侵攻当時、こうした種類の本が爆発的に売れていた。

―危うい状況

イラクの人々は平和、調和、より良い未来を夢見ているが、同時に官僚による汚職が減り、必要なサービスが提供されることを望んでいる。人々が不満を募らせるのは、イラク当局がイラクの国民が望んでいることを実現できず、イラク議会が汚職や縁故主義をなくしていないことだ。石油価格が低いので、イラク人には雇用を生み出し、高い失業率を減少させるための収入源がない状態だ。危うい状況にあるイラクには成熟した政治が求められ、宗派をベースにした考えはしないほうがいい。優先するべきは難民や女性、子供など、人々のニーズを満たすようにすることと政府官僚に力を与えることだと思う。

(MSNニュース掲載分から本人の許可を得て翻訳・転載)

http://news.uk.msn.com:80/special-reports/iraq-6th-anniversary.aspx

イラク人協会

http://www.iraqiassociation.org/

*イラク戦争:2003年3月、米英を中心とした軍隊が、イラクを攻撃して始まった戦争。侵攻理由は、イラクが大量破壊兵器の保有を過去公言し、かつ現在もその保有の可能性が世界の安保環境を脅かしている、フセイン。イラク大統領が国内でクルド人を弾圧するなど多くの圧政を行っているなど。最終的に大量破壊兵器は見つからなかった。同年5月、主要な戦闘終結宣言。米国は10年8月末までに戦闘部隊10万人を引き上げ、11年末までに完全撤退する予定。英国も全約4000人を7月末までに撤退予定となっている。

「本棚のまわりで」 ガラス越しの猫

09.03.20 by   カテゴリー: コラム, 本棚のまわりで

kijineko-photo 子供のころ、夕暮れになると台所のすりガラスの向こうにうずくまる姿があった。吐き出し窓の外側、幅の狭いレールの上に、茶トラの猫が大きな体を縮めるように身を寄せた。「チョコがきたよ」と言うと、母はご飯に鰹節をまぶしたり、昼食に食べたアジの干物や塩鮭の残りの骨をのせたりしたものを用意した。

それをチョコは当然のようにがつがつと食べると、愛想のひとつをふりまくでもなく、さっさとねぐらに潜り込んだ。あとは軒下の物入れの中でただ眠っていた。

昼間はどこかをぶらつき、夕食の時間ぐらいにしか顔を見せないチョコは、私達の飼い猫とは言えない存在だった。人に甘えることもほとんどせず、顔つきは無表情に近い。ちょっかいを出されても、一顧だにしない。自分の周りのことに一切関心がないといった様子が、「孤高のおばあさん猫」という風情を漂わせていた。

名付け親である小学生の飼い主がしょっちゅう友達に泣かされて帰ってきていたことや、その母親が病弱な配偶者との暮らしに時にはため息をついたであろうことも、もちろんチョコの知ったことではなかっただろう。だがガラス窓越しの丸い背中のシルエットや、短い尾をこちらに向けてねぐらに潜り込む後ろ姿を思い浮かべるたび、当時の自分や周囲の人間の姿が遠景となって立ち上ってくる。

井上荒野著『雉猫心中』(マガジンハウス)では、雉猫が女の家のガラス戸の向こうに立ったときから風景が形をなしていく。一人の女と一人の男の風景。だが、それぞれに違って見える風景。猫は女にとって「荒れ地に生えた一本の木みたいな男」を待つことに結びついていき、男にとっては「ちっともほしくなかった」はずの女に囚われていくことにつながっていく。

神経質なまでに掃除が行き届いた家のクリーム色の絨毯の上、ひび割れた黒い皮のソファー、ベッドの足元の床、冷えきった蔵。それらが画面をひどく無機質に見せる中で、ふたりは爛れるような交合をくりかえす。画面の中でふたりだけが濃い色彩を持ち、熱を帯び、湿度を発散させているかのようだ。それ以外は、誰にもありうるような日常の風景の連なりだが、例えば、右側に急旋回するジェットコースターがふいにぐいと左に回り込むように物語は進んでいく。

『雉猫心中』では、プロローグ、前章、エピローグが女の、後章が男の視点から、二人の関係が語られている。同じ風景でも、女にとっては右手に起こったような出来事が、鏡の中のように男には左手に起こったそれとして展開する。二人が抱くそれぞれの配偶者への違和感、二人を含めた登場人物たちの不気味な癖やふるまいとともに物語は進んでいく。

いずれにしても、猫の知ったことではない。縁台の上、雑木林、車のタイヤの影、石段の下、緑地の遠く・・・そんな場所に女や男が猫の姿をみつけるとき、風景が勝手に刻まれていくだけだ。

そこかしこに薄墨を流したかのような場面の色合いは、前作『切羽へ』とかわらない。だが女と男の間に何も起こらないことが描かれた『切羽へ』とは対照的に、『雉猫心中』では鋭い切っ先で切り取られたような風景が連なっていく。

男が猫から物語を紡ぎ続けているにもかかわらず、『雉猫心中』はこの小説の中で一番不穏な場面とともに終わる。それは、現われた猫が待っていた猫ではなかったとして、女の目の前の画面が遠くなる瞬間でもある。

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(「本棚のまわりで」コラムのイラスト:Hiroyuki Nakamura 

井上荒野(1961年:いのうえ・あれの。作家。2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、2008年『切羽へ』で直木賞受賞。

 

 

地球温暖化ドキュメンタリー映画「エイジ・オブ・ステューピッド」―未来を無視する愚かな時代を映しだす

09.03.18 by   カテゴリー: レビュー, 環境

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 地球温暖化をテーマにしたドキュメンタリー映画「エイジ・オブ・ステューピッド/The Age of Stupid」(フラニー・アームストロング監督)のプレミア上映が、3月15日、英国各地62の映画館で行われた。ロンドンのレスタ-スクエアで開催されたイベントは「世界で初めて100%エコ・フレンドリーなプレミア上映会」と題され、太陽発電によるプロジェクターや再使用可能な緑色の「グリーン」なカーペットが使われた。プレミアに出席した有名人は飛行機を使わずに英国に到着し、イベントに使われた自動車には近所のフィッシュ・アンド・チップス・ショップの油が使われた。エド・ミリバンド英気候変動問題担当大臣も参加し、プレミア上映会の映像が英国内の62の映画館でも衛星放送で生中継された。

 アカデミー賞助演男優賞にノミネートされたことがある俳優ピート・ポスルスウェイトー「父の祈りを」(1993年)、「ブラス!」(96年)―が気候変動で荒廃した2055年の地球で生き残っているたった一人の人間を演じる。2055年、保管されている2008年の記録映像を振り返り、「チャンスがあったのに、なぜ自分たちを救わなかったのか?」とポスルスウェイト演じる男性が問いかけるスタイルのドキュメンタリー映画。

 環境問題を軸に、石油、戦争、政治、消費主義などをテーマに、6つのエピソードが取り上げられている。氷がどんどん溶けていくのを見守り続ける仏人のアルプス登山ガイド、格安航空会社を立ち上げたインド人、シェル石油が最大の利益を上げている地域で水質汚染に苦しむナイジェリア人女性、風力発電の建設に反対する住民と対話を続ける英国人開拓家などが登場する。

 2055年に設定された映画の冒頭では、シドニーのオペラハウスが炎に巻き込まれ、水が溢れ出したテムズ川には「ロンドンアイ」(観覧車)が沈む(写真上)。アルプスの氷が溶け、ラスベガスのカジノは砂漠に埋もれている。映画にも実名で登場する気候変動コンサルタント、マーク・ライナス氏は、映画が描く状況は「かなり現実的」という。「映画の内容は主要な科学上の予測の範囲内。2055年には、(1990年比で)2度あるいはそれ以上の気温上昇が見込まれている。これほどの気温上昇は、地球に劇的な変化を与える」。

 国際的な専門家でつくる「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)も、1.5度から2.5度の気温の上昇で、生物種の20%~30%が絶滅の危機に瀕し、洪水や台風が増加すると予測している。3度の上昇で、水不足に苦しむ人が数億人増加し、熱波や干ばつによる病人や病死者数が上昇する。2050年までに二酸化炭素量を90年比で50%削減できた場合、2度の気温上昇まで抑えられるが、これが達成できなければ、さらに上昇してしまう。

 アル・ゴア元米副大統領が出演した、2007年のアカデミー賞受賞の長編ドキュメンタリー映画賞「不都合な真実」やレオナルド・ディカプリオが主演したドキュメンタリー映画「11th Hour」など、「エイジ・ オブ・ステューピッド」は環境問題をテーマにした他の映画と比較されているが、観客はどう見るのだろうか。

 私が見た感想としては、この映画はアニメーションなどが用いられており、ゴア氏のパワーポイントを使った解説とはまた違った雰囲気がある。「知識人があなたの知らないことを教えていますよ」的な雰囲気がなく、当事者が語っていることもあり、もっと身近に気候変動を考えられる。「未来に向けて私たちは何ができるだろうか?」とみんなが自然に考えはじめることを促す映画ではないかと思う。

 プレミア上映では、「ノー・ステューピッド/No Stupid」キャンペーンが立ち上げられ、今年12月、デンマークの首都コペンハーゲンで行われる、気候変動枠組条約の第15回締約国会議(COP15)へのカウントダウンを始めた。COP15は京都議定書を踏まえ、2013年以降の二酸化炭素削減目標を設定する重要な会合だ。キャンペーン参加者らは、「人類の歴史上最も大切な会議」とし、コペンハーゲンで実りある合意が実現するよう、運動を続けている。フレンド・オブ・ジ・アース、グリーンピース、ストップ・クライメイト・カオスなど英国で主要な環境NGOも参加する。この映画を支援し、コペンハーゲン会議開催まで、地球温暖化抑止に向けての思いを一つにすることを狙っている。

 映画「エイジ・オブ・ステューピッド」は、3月20日から26日まで、英国の35の映画館で上映される。オーストラリアでは7月から、アメリカでは9月から劇場公開が予定されている。日本での上映予定は今のところなく、DVDの購入やウェブからのダウンロードによって鑑賞が可能になるようだ。ダウンロード開始は今年末の予定だ。

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 「エイジ・オブ・ステューピッド」サイト

http://www.ageofstupid.net/

 

「高次脳機能障害と仲間たち」② 「見えない病気」と呼ばれる高次脳機能障害とリハビリ

09.03.18 by   カテゴリー: 日々の出来事

高次脳機能障害を負ってしまった方は、 受傷以降、原因となった病気の再発、事故による損傷の悪化を防ぐための治療と併せて、心身の症状緩和・改善のためのリハビリに継続的に取り組むことが必要になり、当事者・家族には大きな負担となります。

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仕事をされていた方が能力・意欲が低下し従来の仕事が出来ないことで解雇同然の扱いを受けることもあります。生計を立てている方が受傷した場合、ご家族は経済的に厳しい状況に追い込まれます。また幼児、学生の時期に損傷を受けますと、教育をどういう形で受けさせるかが大きな課題になります。高齢者が脳卒中などで障害を抱えた場合、加齢と闘いながらリハビリをするという状況になります。

リハビリ、リハビリテーションは障害の克服生活機能の改善・向上と捉えられており、誰でもこの言葉通りのことを期待します。しかし現在の保険・福祉制度、医療体制では必ずしも満足のいくリハビリを受けられない状況にあります。

手足の麻痺、運動障害などの身体的障害を克服するためには、病院のリハビリテーション科の医師および理学療法士(PT:Physical Therapist)、作業療法士(OT:Occupational Therapist)による治療が非常に有効です。

近年、身体的リハビリの方法は驚異的に進歩したと思います。急性期の直後から身体を動かす動作を行い、その事が脳にも良い影響を与えると言われています。回復期、維持期のリハビリ方法にも様々な工夫が取り入れられています。フィジカル面のリハビリは、たとえ週1回でも状態を維持し元の状態を取り戻そうとする意欲を持ち続けるために重要な役割を果たします。

満足できるリハビリの実現を困難にしている大きな要因は、リハビリを受ける期間が制限ざれていること、所謂180日問題です。

脳の機能回復を目指すリハビリは、神経内科、リハビリテーション科、精神科の医師および言語聴覚士(ST Speech Therapistにより行われますが、脳・心の改善は非常に大きな困難を伴う、容易でないことはご想像いただけると思います。

医療機関でのリハビリ内容及び期間は限られています。退院、通院後に福祉施設で自立、社会復帰に向けての活動をすることも可能ですが、その受け皿はまだまだ少ない状況です。

継続的なリハビリをする場としては、医療機関(かなり限定される)、個人的なリハビリ研究所、そして調布ドリームのような一部の家族会・リハビリサークルで行われています。

そういった組織、機関を利用するとともに、家族、周囲の方が温かく見守りながら、当事者のそのときの状態にあった日々を作り出すことが症状の改善に有効だと思います。

慈恵医大リハビリテーション科の粳間医師の講演を聞く機会がありました。その時、「なるほど」と腹落ちしたことがあります。「人間は群れて生き進化してきた動物、人間的機能を回復するためには群れの中でかかわり合うことがリハビリに非常に有効」という意味のお話を伺いました。コミュニティという言葉より、日本人には群れという言葉のほうがぴったします。

また先生のご説明のなかで、「脳にはある意味での冗長性、リダンダンシーがあり、ある部位が損傷してもそれを他の部位が補う、あるいは損傷した機能を回復しようとする」と話されました。このご説明で我々家族、当事者は非常に勇気付けられました。

私はリハビリサークルの調布ドリームのメンバーとして20名以上の当事者と関わっていますが、この方々と接した経験から確信を持って言えることがあります。

―高次脳機能障害の症状は必ず改善する、良くなる!

高次脳機能障害のリハビリの世界では、ニューヨーク大学ラスク研究所が知られています。ここはこの障害専門のリハビリ・スタッフによる高度なリハビリ・プログラムを実施しており、全世界から患者が集まっています。

ここのシステムのひとつの特徴は、当事者に加えて近親者1名の参加、アテンドが必須であることです。本人がリハビリをするだけではなく、近親者が高次脳機能障害を理解し本人に接し生活を組み立てることがその後の人生に必要だからです。

このプログラムを利用するためには、当事者/近親者とも英語が堪能であること、また渡航費、半年程度の滞在費、医療費など、かなり高額な費用を要します。このような条件では日本からの利用は非常に困難ですが、それでも現在治療中の方を含めて、3名(組)の日本人利用者がいると聞いています。

―障害者数とその福祉施策

東京都は2007年度に「高次脳機能障害者実態調査」を企画し実施ました。その結果、2008年1月に都内の医療機関を調査したデータを基に統計的に推計した結果、年間4,674名発症し、障害者は49,508名と発表しました。年齢別では脳卒中が高齢者に多いことから60歳以上が67・4%、若年層は事故等の外傷による障害者が大きな割合を占めています。

東京都の人口が日本の10分の1とした場合、全国では50万人に達すると想定されます。脳卒中患者は全国で140万人というデータがありますので、この数はもっと多いかもしれません。

このような多数の障害者が存在するにも拘らず、この障害に対する福祉施策はまだまだ貧困であると言わざるを得ません。

国(厚生労働省)は高次脳機能障害について、平成13年度から本格的に研究に取り組み、平成16年に診断基準を定めて支援に乗り出しました。その結果、3障害(身体、知的、精神)の分類の内、精神障害と規定し障害者手帳を交付することとしました。また通常は65歳以上の方々が対象となる介護保険で、40歳以上の脳血管疾患者がその対象となっています。また自立支援法の施行により、従来の3障害の枠にとらわれず各種福祉サービスを受けることが可能となりました。しかしながら取り敢えずの相談窓口となる行政機関において、この障害を理解し適切なアドバイスができる自治体は未だ少ないと思います。

この障害の困難さに対して、福祉、医療の態勢はまったく不備であり、今後の支援拡充が強く望まれています(続く)。

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(スライド写真はイメージwww.freefoto.com/

「アメリカかぶれ」と2人のN先生 ー市場原理主義者・中谷巌氏の「転向」をめぐって

09.03.15 by   カテゴリー: コラム, 永井浩のコラム

おや、なつかしいなあ。そんな思いをいだかせる言葉に出会った。アメリカかぶれ」である。出会いの場は、週刊朝日(1月23日号)の記事「中谷巌氏が懺悔 『改革』が日本を不幸にした」。

中谷氏といえば、竹中平蔵氏とともに規制緩和の旗振り役として米国流の市場原理主義にもとづいて日本の構造改革を進めようとした経済学者の一人だ。小渕内閣で「経済戦略会議」の議長代理として竹中氏らとともにまとめたさまざまな提言は、のちの小泉構造改革に盛り込まれ、その一部は実現された。だがその経済政策が、貧困層の急増や地方経済の壊滅状態、秋葉原の無差別殺人に象徴される異常犯罪などにつながった事実を認め、氏は反省するようになったという。

 では中谷氏はなぜこれまで、市場主義が日本を幸せにすると信じていたのか。それはハーバード大学留学時代に米国の豊かで寛大な姿に魅せられたからだ。「私はアメリカかぶれになって帰国しました」と告白している。

 1969年から74年までの5年間の留学中には、豊かで寛大であると同時に貧しく不寛容である米国の姿も知る機会はいくらでもあるはずだったろうし、またそうした現実が市場主義礼賛の経済学といかに関係するのかしないのかを追究してみようという研究意欲をかき立ててくれることはなかったのだろうか。日本のエリートの単細胞思考が不思議でならない。

 氏はみずからの反省の弁を『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)として著し、経済書としては異例の13万部のベストセラーになっている。朝日新聞(3月14日付朝刊)は同書で著者が表明した「転向」をめぐる経済学者らの賛否両論と本人へのインタビューを紹介している。

 いまだに構造改革が日本を幸せにすると主張しつづけている厚顔無恥な連中にくらべれば、自分の間違いを認める中谷氏はましだとはいえ、いまさら懺悔をされても「改革」の犠牲となった多くの人たちへの責任はどうなるのか、メディアで反省の弁を述べれば済むのかと悪態のひとつもついてみたい気になる。朝日新聞の記事で、松原隆一郎・東大教授は「彼らの政策で首をつった人もいるかもしれない。倫理的・道義的責任を自覚しているのか」と問い、米国発の金融・経済危機で市場原理主義への風当たりが強まっている時流を意識したとしか思えない、と批判している。

―雨の日は忠臣蔵の授業

 それはさておき、私が「アメリカかぶれ」になつかしさをおぼえたのは、米国が日本再建のお手本とされた敗戦直後に義務教育を受けた世代だからである。すこし上の世代のように、教師たちが戦前・戦中の軍国主義教育から180度転換して平和と民主主義の大切さを説きはじめたことに戸惑ったという経験もなく、私たちはまっさらな状態で小学校に入学したピカピカの民主主義新入生だった。日本が戦争で負けたのは、米国にくらべて経済が遅れていたからで、これからの日本は米国のように豊かな国にならなければならない、とも教えられた。

 過度な米国礼賛は「アメリカかぶれ」と揶揄され、米国をほんのちょっと訪問しただけで「アメリカでは…」としたり顔をする連中は「アメしょん」(アメリカに小便をしに行ったていどの短期旅行)と陰口をたたかれた。それでも、当時の日本の大きな時代潮流が米国万歳だったことはまちがいない。そんななかで、自分がアメリカかぶれにも、逆に反米にもならなかったのはなぜなのだろうかと考えることがある。答えのひとつは、小学校のN先生(中谷でないがイニシャルはおなじ)の影響にあるようだ。

 N先生は担任ではなく体育の先生だった。体育の時間は楽しかったが、体育のない日もそれ以上に楽しかった。体育館などない当時の小学校では雨が降れば体育の授業は中止となったが、先生はきちんと授業をしてくれたからだ。先生の講談「忠臣蔵」がはじまるのである。子どもごころにもそれが半端でない名調子だということがわかる。「こんど雨が降ったらいよいよ討ち入りだぞ」といわれると雨が待ち遠しくなった。夏休みの臨海学校では落語も披露してくれたが、これも玄人はだしの語り口で私たちを笑い転げさせてくれた。

 先生はほかにも相撲のただしい四股の踏み方やら歌舞伎などの演劇の手ほどきもしてくれた。おかげで日本の伝統芸能のすばらしさに目を開かせてくれたN先生にはいまだに感謝しているが、それとともにその後ずっと考えていたことがある。それは、米国サマサマの時代になぜN先生は熱心 にこうした教育をされたのかである。とくに興味深いのは忠臣蔵の授業である。

 のちに当時の米国の対日政策を勉強するようになって、この仇討ち物語は軍国主義の復活につながるという理由で芝居でも映画でも禁じられていたことをしり、先生はどういうつもりで子どもたちにこの授業をしていたのかをぜひ聞きたくなった。先生から米国批判を聞いた記憶はないし、おしゃれな先生はいくぶんバタ臭いところもあった。残念ながらそのような疑問がわいたころには先生は存命されていなかったが、偏った時代への先生なりの反骨精神のあらわれだったのであろう。

―本当のおしゃれ心とは

 おなじような先生はほかにもいたらしい。赤瀬川原平氏の『老人力』(筑摩書房)に登場するパク先生は戦後から4年目くらいの中学校の体育と音楽の先生だが、やはり雨の日には体育と関係ない話をいろいろとしてくれる。おしゃれもそのひとつ。「たとえばシャツを着てズボンを穿いてベルトを締めたあと、必ず一度身体を前かがみにして、シャツの下のところに多少のふくらみをもたせろという。きっちりしたシャツの裾をズボンの中に入れたままのは、固くて野暮ったい」

 著者が後年、パク先生にその授業が印象的だった話すと、恩師はこう答えた。「俺はね、お前たちにヨーロッパを教えたかったんだよ。イギリスとフランス。とにかくアメリカ風にはなって欲しくなかった」。アメリカもヨーロッパも変わりなく見える子どもたちに、おなじ西洋でも違いがあることを洋服の着こなしをつうじて教え、「アメリカ的なものとは違う本当のおしゃれ心を教えたかったのだろう」と、この芥川賞作家は述懐している。

 もちろん、「かぶれ」の対象はアメリカだけではない。フランスかぶれ、ソ連や中国かぶれもいた。だが圧倒的な多数派はアメリカかかぶれであり、1952年のサンフランシスコ条約の発効とともに日本は米国の占領体制を脱して主権国家として国際社会に復帰したあとも、対外関係は米国一辺倒のままだった。

そしてアメリカかぶれの学者の提言にしたがって、「改革なくして成長なし」「自民党をぶっつぶす」と絶叫した小泉首相は、一億総中流といわれた日本を先進国では米国につぐ格差社会に変貌させ、自民党ならぬ日本をぶっつぶしてしまった。国民の多くもそのような指導者に一時、拍手をおくった。

この体たらくを、天国のN先生やパク先生はどのように見ておられるだろうか。

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(本稿は『財形福祉』3月号に掲載した文に一部加筆したものです。)

ネット検閲はなくなるか?「オンライン表現の自由の日」

09.03.13 by   カテゴリー: メディア

website  自由に表現ができて、いろいろな情報が手に入るインターネット。便利な時代になったものである。ただ、その自由が制限されている国もたくさんある。世界のメディアの監視役として活動している非政府組織「国境なき記者団」(本部パリ)は3月12日を「オンライン表現の自由の日」とし、この日、世界12カ国のインターネット検閲に関する報告書『インターネットの敵』を発表した。報告書は、同団体のホームページからダウンロードできる。

同団体は、報告書の中で12カ国を『インターネットの敵』として挙げている。その内訳は、ミャンマー、中国、キューバ、エジプト、イラン、北朝鮮、サウジアラビア、チュニジア、トルクメニスタン、ウズベキスタン、ベトナム。この12カ国すべてで、国民が「有害な」オンライン情報にアクセスできないよう、政府がネット環境をコントロールしている。

こうした国では、利用者を特定の情報にアクセスできなくすると同時に、反体制派のブロガーやジャーナリストを迫害(暴力、脅し、投獄)することでも情報を管理している。インターネットカフェを監視下に置いている国もある。インターネット上の表現によって投獄されているサイバー反体制者は世界で70人(09年3月12日現在)。中国は最大のインターネット検閲国で、サイバー反体制者として投獄されている人の数は50人に上る。中国に続くのはベトナム7人、シリア5人、イラン4人、ミャンマー2人、エジプト1人。07年、世界で2600以上のウェブサイト、ブログ、討論フォーラムが閉鎖されたり、アクセスできなくなった。

報告書によると、インターネット利用者が世界最大の中国は、インターネットへの取り締まりが最も厳しい。4万人の政府職員がインターネット上の情報を監視している。中国最大のブログのプラットホームも政府の監視下にある。検索エンジンで最も人気が高いのは中国製の百度(Baidu)(利用者全体の60%)で、これに続くのがグーグルの20%だ。国家が書き手を管理する状態にあると言えよう。

中国で百度を使って「天安門大虐殺」などと検索すると「法律、規則、政治によって表示できません」というメッセージが出る。英国公共放送最大手BBCや米国国営ボイス・オブ・アメリカ、ヤフー香港、ウィキペディアなどを含む、約3000に及ぶニュースサイトもアクセスできないようになっている。

イギリスでメディアを勉強している中国人の友人が「禁止用語を使わずに伏字にしたり暗号にしたりして表現する方法があるから、結構自由に情報が入るよ」と言っていたが、報告書によると、今では政府も新しい技術を取り入れ、こうした暗号にもフィルターがかかるようになったようだ。中国で禁止されている天安門事件関連のキーワードは400から500にも及ぶと言われている

「オンライン表現の自由の日」に先駆け、国境なき記者団と人権保護団体「アムネスティ・インターナショナル」は検索エンジンを運営するグーグル、ヤフー、マイクロソフトに自主検閲をしないように要請した。3社は、中国政府の要求に応じて「人権」「民主主義」「ダライ・ラマ」「チャーター08(08憲章)」(作家劉暁波(リュウ・ギョウ)氏らが中国共産党の独裁体制の廃止、民主化、人権状況改善を求めた08憲章。劉氏は拘束中)など、チベットや天安門事件に関連したキーワードの検索結果を制限している。

 ヤフーは、かつて中国政府の要求に応じて個人情報を提供したことがある。

「中国政府が地元メディアに天安門事件の特集を禁じている」とインターネット上で明らかにした中国人ジャーナリスト師濤(シ・タオ)氏は国家機密漏えいとみなされて服役中である。師さんはヤフーのメールアカウントを使ってこうした情報を送信していた。ヤフーはアカウント所有者に関する情報を持っており、これを中国政府に提供したことで、師さんの身元が発覚した。

2008年末、グーグル、ヤフー、マイクロソフトは「グローバル・ネットワーク・イニシアティブ」に合意し、利用者の表現の自由を尊重すると公言したが、報告書は、「これで3社がサービスを提供する国の要求を拒否することができるかどうかは、不明だ」と懸念を示す。

国境なき記者団は、08年夏開催された北京オリンピックの際、聖火リレーにあわせて各国で中国の人権抑圧に抗議する活動を展開。ギリシャのオリンピアで行われた聖火の採火式では、ロベール・メナール事務局長ら「国境なき記者団」のメンバー3人が、北京五輪組織委員会会長の演説中に乱入する騒ぎを起こし過激団体とのイメージを持った人も多いのではないだろうか。長野での聖火リレーのために、日本に入国した際も「日本の法律を順守する」との念書をとられた

一方、今年が第1回目「オンライン表現の自由の日」は、インターネット上で「サイバーデモ」サイトを開設。ネットを通して世界中のサイバー検閲を平和的に批判した。(実施時間はパリ時間で3月12日午前11時から3月13日午前11時までの24時間)同サイトでは、中国の天安門広場やキューバの革命広場など、世界9カ国でバーチャル抗議行動を行った。参加者は、アバターを作り、横断幕に表示するメッセージを選択できる。開催中に「サイバーデモ」を覗いてみたところ、参加者は多数。中国でのデモに参加している人の数が一番多く、12日午後7時の時点で約9800人。

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国境なき記者団(Reporters Without Borders) http://www.rsf.org/

ダウンロードの頁 http://www.rsf.org/article.php3?id_article=30543

(文章中の画像は「記者団」のサイトから。サムネール写真はイメージ。www.freefoto.com/

 

脱走した米兵への法的手続きとは?

09.03.13 by   カテゴリー: ニュースあれこれ

 読者からの質問に答える新サイト「回答する記者団」によると、「米兵が脱走した場合に受ける処遇と法的制度について調べてほしい」という問いに、米国在住ジャーナリストのマクレーン末子さんが回答し、「米軍の軍法は厳しいが脱走兵に寛容で、1945年以降は死刑判決なし」ということが分かった。http://kishadan.com/

「ベトナム戦争時の1970年代には、米陸軍現役兵士の52%にあたる6万5643人が道徳的・倫理的理由で戦争に加担するのを拒否して脱走」していたそうだ。73年に徴兵制が廃止され、80年から90年代には陸軍 兵士の脱走率は年平均約0・3%に下がった。しかし、2006年からは、イラク戦争の泥沼化と戦死・負傷者の増加に伴い、増加に転じている。

 このサイトを運営する佐藤裕一氏は、「1人が知りたいことを知るために記者や専門家などに質問でき、その1人のために答えてもらうサービス」として「回答する記者団」を設立したという。「有権者、納税者、勤労者、生活者、消費者、読者視聴者、サービス受益者、公共的な社会人、地球人など様々な立場で、知りたいこと、知っておきたいこと、取材して欲しいこと」をサイトに寄せれば、様々な人が質問に答える。

質問に答えるサービスと言えば、ヤフーなど無料サービスが知られているが、佐藤氏はあえて有料サービスにしている。12日付では、2008年に死刑執行された15人に対する執行命令書を文書開示請求で入手し、これを公開。サイトによれば、「日本でスミ塗りのない死刑執行命令書が開示されるのは初めて」。

 (スライド、サムネイル写真は米国防省 http://www.defenselink.mil/multimedia/about.html

 

 

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