イラク独立調査委員会―先を急いだ男ブレア英元首相の喚問スケッチと感想
2003年3月開戦のイラク戦争に関わる事情を検証するイラク独立調査委員会の公聴会に、29日、ブレア元英首相が証人として出席した。開戦理由や戦争の合法・違法性、戦後処理などについて、6時間近くにわたって委員の質問に答える中で、ブレア氏はフセイン・イラク政権(当時)の大きなリスクを繰り返し、戦争と政権交代の正しさを「今でも信じている」と述べた。公聴会の会場の外では「嘘つきブレア」「戦犯」などと糾弾する数百人の反対派が抗議行動を行った。公聴会のスケッチとその感想をつづってみたい。
―「9・11テロで考えが変わった」
29日、朝9時半。イラク独立調査委員会(通称チルコット委員会)の公聴会の会場に、委員会のメンバーが入ってきた。すでに聴衆は席に着いている。ブレア元英首相が入ってくる。委員会と向かい合うブレア氏の席は聴衆席の前に置かれているので、聴衆が見えるのは、委員会の委員たちの顔と、元首相の背中になる。聴衆の中には、イラク戦争で息子や娘を亡くした遺族もいた。
席に着いたブレア氏は厳しい顔つき。BBCの政治記者ニック・ロビンソン氏によると、机の上にあったミネラル・ウオーターのボトルに伸ばしたブレア氏の手は、小刻みに震えていたという。
チルコット委員長が簡単に委員会の目的を説明し、すぐに質疑応答が始まった。
2003年のイラク戦争は国際法上違法だったのではないか?そんな疑問がいまだに渦巻く英国で、国民の多くが最も知りたがったのは、何故ブレア元首相が戦争に踏み切ったかだった。何故イラク、何故2003年、そして何故武力攻撃なのか?
ブレア氏によると、節目となったのが、2001年9月11日の米国中枢大規模テロだ。「9・11がすべてを変えた」。
数千人が亡くなったテロを見て、英領北アイルランドでのテロ(「これはある意味では理解できる面がある」)とは全く違うレベルの国際テロが起きたと思ったという。
大量破壊兵器の査察受け入れを拒否していたイラクは、当時、既に「大きなリスクを持った国になっていた」。9・11以前もイラクのリスクは高いと思ってはいたが、米テロ以降、その「見方が全く変わった」。イラクは、「何らかの手段を緊急にとるべき国になった」。
開戦前、英国側がイラクの大量破壊兵器の脅威を問題視したのに対し、米国はイラクの政権交代を当初から主な目的としていたとされる。ブレア氏は「この2つは分けては考えられない」とする。「リスキーな政権、政権交代をした方が良いと思われるような政権は世界にたくさんあるージンバブエがその一例だ」「しかし、リスキーな政権が、大量破壊兵器を持っていたらどうか?危険性は大きく高まる」。
元首相はフセイン元イラク大統領の危険性を繰り返し、イラクへの武力行使を「今でも正しかったと思っている」と述べた。
数時間に渡る証人喚問の中で、ブレア氏は、表現を変えながらも「フセイン元大統領=悪い奴、放っておいたら、とんでもないことをしでかす奴、だから『処理する』べきだと思った」、と何度も繰り返した。
―米国とともに
英国民の疑惑の1つが、ブレア氏が、ブッシュ米大統領(当時)に対し、早い段階からイラクへの武力攻撃を米英で行うと約束していたのでは、という点だ。
開戦前後駐米大使だったクリストファー・メイヤー氏が、証人の一人として公聴会に召喚された時、ブレア氏が、2002年4月、ブッシュ氏とテキサス州クローフォードの農場で会った時に、イラクへの武力行使をほぼ「確約」したと証言していた。
ブレア氏は、29日の公聴会で、これを否定した。「『密約』はなかった」。ブッシュ氏とプライベートで行った会話はのちに公にしており、ブッシュ氏には「この(イラクの)脅威に対し、米国とともに立ち向かい、処理する」と伝えただけだという。委員に詳細を問われ、ブレア氏は「もし外交で処理できない状態になり、軍事行動を取る場合、私たちはブッシュ政権と共闘する」と伝えたことを明らかにした。
これは、米国がイラクへ武力攻撃を始める時、英国も自動的にそうすることを意味しない、というニュアンスだ。したがって、「戦争を(ともに)始めると確約していない」のだ。
しかし、ほぼ1年後、イラク戦争開戦の直前、米国がブレア政権に対し、英国は軍事行動では参加しなくても良いと伝えると、ブレア氏は自ら軍事参加を選択する。
イラクの脅威を取り除くことの重要性を「信じていたので、当時も、そして今も、米国と共に歩むことが英国にとって正しいことだ」と思ったからだ。
―合法性
イラク戦争開戦は合法だったのだろうか?
同じ公聴会で、2日前に、政府の元法律顧問ゴールドスミス氏の法律の説明をじっくり聞いていた私は、ブレア氏がどんな説明をするのかと固唾をのんだ。
ブレア氏によれば、「国連安保理決議1441の解釈は、あいまいだ。どっちにもとれる」。1441のみでは、国際法上合法とは言えないだろうとするゴールドスミス氏や外務省法律顧問(当時)からの助言をもらい、ブレア氏は時の外相ストロー氏とともに、イラクへの武力行使を可能にする「第2の決議」のドラフトを作った。
ブッシュ政権は「第2の決議はいらない」「決議が採決されようとされまいと、武力攻撃する」という考えだった。1441だけでよいというのは、ブレア氏も同意していた、という。しかし、第2の決議があった方が「政治的に好ましい」。
ゴールドスミス氏は、当初「新たな決議なしには違法」という司法判断だったが、「1441のみでもよい」という判断に、開戦直前になって変えた。同氏によると、ブレア氏を含めた他者による、判断を変更するようにという圧力は一切なかったという。
委員の一人が「なぜゴールドスミス氏は意見を変えたのだと思いますか?」と聞いた。ブレア氏は「一つの結論を出さねばならなくなったからです」と答えている。
―45分で攻撃
開戦前の2002年9月に政府が出した、イラクの大量破壊兵器による脅威に関する文書に寄せた序文の中で、ブレア氏は「イラクが大量破壊兵器を45分で実戦配備できる」と書いた。これが多くの新聞の見出しとなり、イラクの恐ろしさが英国民に伝わった。
しかし、その後、大量破壊兵器は見つからず、文書の中で紹介された諜報情報の信ぴょう性が低いものであったことが判明した。しかし、ブレア氏は文書に入った諜報情報は「非常に信ぴょう性の高い」ものであると当時確信しており、イラクが大量破壊兵器の開発を継続していたと「疑いなく」信じていた、と述べた。
武力攻撃を正当化するために諜報情報を誇張したことは「ない」と、これまでほかの場所で言っていたことをブレア氏は繰り返した。
―「私の決断」
「情報自体の信ぴょう性は低かった」と委員が指摘すると、ブレア氏は「嘘でも、陰謀でも、欺瞞でもないーこれは決断だった」と力をこめて話し出す。「フセイン元大統領のこれまでの歴史、化学兵器を使ったことがあること、100万人に死をもたらしたこと、国連決議を10年間も破ってきたこと―こうした要素を考慮に入れて、この男性(元大統領)に破壊兵器の計画を再開させるリスク」を取らないことを決断したのだ、と説明する。
夕方、5時を回った。朝から始まった証人喚問がそろそろ終わりに近づいてきた。次第にブレア氏のイラクの現状に対する思いの吐露が中心になっていた。
「イラクに民主主義が根を張るかどうかを判断するのはまだ早すぎると思う」「でも、希望の兆候はある」
「私は首相として決断をしなければならなかった。重い責任だった。この責任について、思いをはせない日は一日としてない」「しかし、フセイン政権が続行していたら」「もっと脅威は大きくなっていた」
「最終的には(戦争の評価について)意見が分かれた格好になった。これは残念に思う」「しかし、イラクは良くなった」「将来、イラク国民も、英国民も、特に英軍も、誇りと達成感を持って(この戦争を)振り返るだろう」。
チルコット委員長がブレア氏に聞く。「心残りは?」
ブレア氏の次の一言に注目が集まるー。亡くなった英兵の遺族、負傷兵やその家族、そしてイラクの民間の犠牲者への一言があるかと思ったのである。
ブレア氏は「責任を感じるが、フセインを取り除いたことに後悔はない」と答える。会場から、軽い怒鳴り声が聞こえる。委員長が「静かに」とおさめた。
ブレア氏は、続ける。フセイン元大統領は「怪物だった。中東地域だけでなく、世界の脅威だった」「イラク国民の生活は向上した」「もし同様の状況にあったら、同じ決定をする」―。
聴衆席で、ブレア氏の背中を見ながら、言葉に耳を傾けていた人々、委員会のウェブサイトから流れる映像を見ていた人々は、どこかでブレア氏が犠牲者へのねぎらいかあるいは謝罪の言葉をかけるのではないかと思った。その瞬間が訪れないまま、ブレア氏は話を言い終えた。
チルコット委員長がダメ押しのように聞く。「言い残したことはありませんか?」期待がふくらむー。しかし、ブレア氏は、「ありません」と言ったきりだった。
委員長が本日の公聴会の終わりを告げる。テレビカメラが止まった。
BBCの報道によれば、ブレア氏が部屋を出ようとすると、聴衆の中にいた一人が、ブレア氏の背中に「嘘つき」と叫んだ。もう一人が「人殺し」と。遺族だった。泣いていたという。
最後まで喚問を見ていた私は、消化不良のような、さびしい思いをして、委員会のウェブサイトを閉じた。
**感想**
―「ブレア牧師」
久しぶりに見た、カメラの前に出たブレア氏は、最初緊張していたものの、ほとんどの時間を首相時代の「クエスチョンタイム」(議会で毎週開かれる、野党との議論)をほうふつとさせるような元気さで質問に答えていた。
フセイン元大統領を「怪物」と呼び、これを「処理する」ために、米国とともに軍事行動に突き進んでいったブレア氏。英国の週刊誌「プライベート・アイ」はかつて、ブレア氏に「ブレア牧師」というあだ名をつけていたが、「悪の退治」を「正しいこと」と信じ、行動を起こしたブレア氏は勧善懲悪のドラマの登場人物に見えた。
ブッシュ元米大統領は、イラク、イラク、北朝鮮などを「悪の枢軸国」としてならず者国家呼ばわりした。世界を「悪者」と「それ以外の国」にラベル付けしてしまう、そんなシンプルな世界観の影響も、ブレア氏の表現の端々に見えた。
―今度はイラン?
また、上記のスケッチの中では触れていないが、ブレア氏は喚問中に、「かつてのイラクは現在のイランである」と何度か述べた。イランへの武力攻撃の下地を作るため、あるいはイランにプレッシャーを与えるために、今回チルコット委員会に出てきたかのようにも見えた。
―合法性と怒りの原因
前のゴールドスミス英元法務長官の話にも出てくる、国際法上の違法・合法の話だが、私は法律の専門家ではないけれども、「国際法」というのは、実はあいまいもことしていて、実態があるようなないような部分があると思っている。
しかし、イラク戦争の開戦までの過程で、ブッシュ政権およびブレア政権が法律や国際関係の決まり事などを度外視(恣意的利用)し、米国という世界のスーパーパワー(軍事力+国力)の指揮の下、英国がこれに追随したー少なくともそのように見えた。「軍事力のある国だったら、何でもしていい」という事態に、英国民だけでなく、多くの人が不合理さを感じるのは無理ないだろう。
しかし、英国民がおそらく最も怒りを感じるのは、「虚偽のあるいは誇張した理由で、戦争という重要な行為に関与させられた(結果として英兵が負傷あるいは亡くなった)」点だろう。
人の生と死、つまり戦争に関わる、政治家の嘘を国民はおいそれとは忘れられない。アフガニスタンまで含めば、今も続く「テロの戦争」だ。継続中の戦争に、ブレア氏によって「関与させられてしまった」ことへの痛みと無念さがある。
チルコット委員会はまだまだ続く。
(イラク独立調査委員会はウェブサイトで証人喚問の様子をビデオ、書き取った文書などで公開している。細かい点はこちらをご覧いただきたい。)
http://www.iraqinquiry.org.uk/
(日刊ベリタより転載)
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201001300948476
石山永一郎編著「ルポ新・戦争と平和 彼らは戦場に行った」
ブッシュの戦争で殺されたイラクの人々、15万人。この中には大勢の子どもたちがふくまれている。本書は、この15万人を殺した側の兵士たちの物語である。練達のジャーナリストが世界を歩き、事実の断片をていねいに集め、再構成した物語は、「加害の側の兵士」もまた、身体を損傷し、あるいは失い、心を破壊されている実態を浮き彫りにしている。共同通信が配信して反響を巻き起こしたルポルタージュを、一冊の本で読めるのは、とてもうれしい。2009年12月、共同通信社から刊行された。
話はイラク帰還兵の証言から始まる。筆者はイラク帰還兵を訪ねて全米を旅する。その一つひとつの証言を読むごとに、本を置いてしばらく目をつむって考える。そして、その人の人生を、戦争を思う。そんな本だ。
米政府によると、01年10月から08年4月までにアフガン、イラクに展開した米兵約90万人。そのうち約30万人が帰国後に退役軍人病院で治療を受けている。うち4割は「機能性または心因性の脳神経系」の問題を抱えている。うつ、自殺、そして路上生活へ、彼らはとめどなく墜ちていく。
戦場では、その兵士たちの下に「もうひとつの兵士」がいた。軍事請負会社が雇う兵士たちだ。ブッシュの戦争のもう一つの側面は「軍事の民営化」であった。この現代の傭兵たちは、戦場の主役として活動した。
記者は傭兵たちの故郷、南太平洋の島フィジーを訪ねる。一見平和な島の男たちの最大の就職先は戦場であった。はじめは口を閉ざしていた彼らも、ぼつぼつ語り始める。死亡率は高く、報酬は低い。安上がりな戦争。対テロ戦争とは、まさに戦争の新自由主義グローバリゼーションであったことが分かる。そして、大手の民間軍事会社の経営陣にブッシュ政権の副大統領チェイニーがいた。
最も手軽な核兵器、劣化ウラン弾が最も活躍したのがイラクの戦場だった。イラクから日本の支援団体に入る情報は、医療関係者の証言として、子どもたちを中心にガンや白血病が増えていることを伝えている。記者は、この超小型核兵器を使った側の兵士たちのその後を求めて、1990年代半ばのバルカン戦争の地まで足を運ぶ。イタリアでは政府が設置した調査委員会が「バルカン帰還兵にガンの異常な率の発生がみられる」と結論づけた。補償も始まっている。
しかしアメリカ政府は、イラク帰還兵に様々な異常がで出ているにもかかわらず、いまも因果関係を認めていない。そして、イラク全土にばらまかれた劣化ウラン団は今も犠牲者を増やしつづけている。
記者は今も戦火が続くアフガニスタン、そしてコンゴの子ども兵士の実態を追い、最終章でバクダット郊外の墓地にたつ。すぐそばにアブグレイブ刑務所がある。墓守小屋に泊まり、墓掘りを手伝う。遺族の想いで死者を聖地ナジャフに移すための「掘り起こし」もやってみた。強烈な異臭。早朝から遺族たちが次々とやってくる。悲しみはいつまでも癒えない。多くの人が話した。
「米軍は動くものをすべて撃った」
その兵士たちがいま、心身の後遺症で苦しむ。
ジャーナリストは人を救えない。しかし、それを伝えることはできる。だが、とも著者は思う。戦争が始まってしまったときに、既にジャーナリズムは敗北している。
本書は、敗北を噛み締めるジャーナリストの、戦場で心身を喪失したものたちへの鎮魂の花束である。
ー共同通信社2009年12月刊、1500円+税
(日刊ベリタより転載)
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201001281236384
英イラク独立調査委員会報告 -英元法務長官が「心変わり」をした理由とは
2003年3月開戦のイラク戦争は、はたして合法だったのか、違法だったのかー?英国民のこうした問いかけに答えを見つけるのが、昨年夏発足した、イラク独立調査委員会(通称「チルコット委員会」)の目的の1つだ。昨秋から開催の公聴会に、27日、ゴールドスミス元法務長官が証人として出席した。同氏は、当初は既に採択された国連決議だけではイラク攻撃を正当化するには「不十分」と考えていたが、開戦直前に、新たな決議がなくても合法と司法判断を変えていたことを認めた。「心変わり」の理由は、明確な判断を必要としていた軍部や官僚への配慮だった。元法務長官は、委員会の場で、初めて司法判断の変更理由を詳細に語った。
法務長官は英政府の最高法律顧問の役目を持つ。ピーター・ゴールドスミス氏は2001年から07年まで、この職に就いていた。
2003年2月ごろまで、元法務長官は「新たな決議があった方が安全だ」と考えていた。3月13日、開戦直前になって、既存の国連決議のままでも、武力行使は「合法だ」とする判断を出した。
委員会になぜ判断を変えたのかと聞かれ、ゴールドスミス氏は「軍隊がイエスかノーのどちらかの判断を求めていたからだ」と答えた。
「戦場に派遣されるのに、もしかしたら合法、もしかしたら合法ではないかもしれない、という判断では十分ではない」「合法・違法の点に関して、最終的な司法判断を下せるのは自分しかいない」「合法であるというのがより良い判断であるという結論に達した」。
開戦を志向していた英政府や他からの圧力に屈してこの判断に達したのではないかと聞かれ、元長官はこれを否定した。
6時間にわたる公聴会のセッションで中心となったのは、英米側が開戦の理由の1つとした国連安保理決議1414の言葉遣いの解釈だった。
1441は2002年11月、イラクの武装解除を求めて採択された。イラクが先の決議で定められた武装解除義務の重大な不履行を続けていると判断し、さらなる情報開示と査察の全面受入れ求めた。直ちに無条件で国連の査察に協力することを要求し、順守の最後の機会を与えたと警告する、強い決議だった。違反が続いた場合、イラクに対して「重大な帰結」をもたらしうるものだと再三警告していた。
イラクは同年11月13日にこれを受託し、11月27日には1998年以来退去していた国連の武器査察団が査察を再開することになった。
ゴールドスミス氏は、合法性に関する検討を始めた当初の段階では、イラクへの武力行使を認めるような「新たな国連決議が必要」と考えていた。しかし、ストロー外相(当時)やグリーンストック英国連大使(当時)との会話や、訪米中に米国の司法関係者やライス国務長官(当時)と話す中で、新たな国連決議なしに武力行使が正当化できると考えるようになったという。
委員の一人に「本当に1441だけで十分だと思ったのか」と聞かれ、ゴールドスミス氏は決議は「いかに解釈するかによって意味があいまい」な部分があると答えた。2002年2月までは、新たな決議があった方が「より安全だ」と思ったという。
しかし、米英の外交官や司法関係者と話すことによって、決議1441の「真の意味」を理解したという。
この決議が不履行である場合、つまり、イラクが武装解除義務の重大な不履行を続けていると判断された場合、国際社会が、「国際的な平和と安全保障を回復するためにすべての必要な手段を使う」とする決議678が「再起動される」と考えたという。決議違反の場合にイラクに対してもたらされる「重大な帰結」の実質的意味は、「武力行使」だった、と委員からの質問に答えた。
ゴールドスミス元法務長官によれば、司法判断の解釈変更の背後には、戦争に巻き込まれる人々への配慮があった。官僚を代表して財務省の女性官僚と軍部要人から、「合法性をはっきりさせてほしい」と告げられ、明確な合法司法判断に至ったという。
―第2の国連決議とは
2003年初頭の状況をここで振り返ってみたい。
米英の主導により、武力行使を実施するための「第2の国連決議」の採択までの交渉が続く中、国際社会は大きく2つに割れていた。
同年1月、イラクの兵器の保有状況や製造設備などを調査していた国連監視検証査察委員会(UNMOVIC,ハンス・ブリックス委員長)が中間報告を出した。大量破壊兵器の決定的な証拠は見つからなかったが、米英はイラク側が十分に査察に協力していないとして、安保理決議1441に違反したとみなし、攻撃の準備を始めた。
3月上旬、UNMOVICが2度目の中間報告を出す。米英側は査察が不十分であるとして、イラクへの攻撃を正当化する新たな決議(これがいわゆる「第2の決議」)の採択を行うとしたが、フランスやロシアからの反対にあい、難航する。
国連内は、イラク問題を巡り、イラクでの査察調査の継続を支持し、戦争は避けたいフランスを代表とするグループと、武力攻撃の方向に傾倒する米英両国やこれを支持する国のグループにほぼ分かれることになった。
話を現在に戻せば、今年1月27日のチルコット委員会の公聴会で、ゴールドスミス元英法務長官は、「フランス側が第2の決議を否決することが分かった」点も、既存の決議だけで合法とする司法判断に傾いた大きな要素であることを明らかにしている。同氏は、訪米の際に、米国の司法および政府関係者らが「第2の決議は採択できなければできなくても構わない」「どうせ戦争に突入する」という点で一致していたことに驚いたという。
実戦に参加する軍部を見殺しにはできない、苦渋の選択だったーそんな印象を、ゴールドスミス氏は公聴会の証言で国民に与えた。
また一方では、米側やストロー外相、グリーンストック英国連大使の説得の後に、心を変えたと認め、交戦を主眼とする政治勢力の論法に「揺さぶられて」司法判断を出したことも分かった。
つまるところ、法務長官の役目は時の政府に最終司法判断を示すこと。その司法判断をどのように使うかは、政治家が決める。
イラクの政権交代を目指していたブッシュ米大統領(当時)と一心同体で攻撃に進んだブレア元英首相の意をくみ取った司法判断を示したゴールドスミス氏は、「クライアント」(と同氏が呼ぶところの)である、時の政府に最高のサービスを行ったともいえるだろう。
―論理の「嘘」
ところが、良心的な法律家ゴールドスミス氏が「やむにやまれて」戦争勃発に加担した・・とする同氏の印象をそのまま受け止めるのは、必ずしも正しくない、と警告する人物がいる。
元外務省官僚カルネン・ロス氏である。同氏は国連で英国の代表役を1997年から2002年まで務めた。イラク問題の専門家でもある。
BBCのニュース番組「ニューズナイト」(27日放送)に出演したロス氏は、決議1441がイラクへの武力行使を合法にした、というのは「完全におかしい」という。
「第一に、これを米英側が提案した時、この決議は、もし不履行になった時にイラクへの武力行使を可能にするものではない」と再三くりかえし、他国に「売った」経緯があったと指摘する。
さらに、「第2の決議がなくても、戦争は合法だ」とする解釈はつじつまがあわない、という。「第2の決議を提案し、採択への交渉を行っていたこと自体が、武力行使のためには既存の決議のみでは十分ではなかったと英政府が認識していた証拠だ。後になって合法だと言うのは、いかにもおかしい」
「各国は国連決議採択のために真剣に準備する。採択されてもされなくても良い、という気持ちでは決議を提案したりはしない」。少なくとも英国は第2の決議を「真剣に必要としていた」という。
ゴールドスミス氏は公聴会で、「フランスが第2の決議を否決することが分かった」ので、新決議がなくても武力行使は合法とする考えに改めたと、フランスに責任の一端があるかのように話した。
これに対し、ロス氏は「なぜ否決しようとしたのか、考えてみてほしい」という。
フランスは査察が続くことを望んでいた。もし第2の決議を採択すれば戦争が始まってしまう。「それで決議の否決の意思を固めていた」のだった。
「米英側がこの決議を提案した時、目的は何かとほかの国から聞かれ、最終的には武力攻撃であることが分かったーそれだからこそ、これを支持する国が増えず、採択までの十分な同意を他国から集めるのに苦心していたのだ」―。
交渉決裂の原因をフランスの「頑固さ」に押し付けることによって、米英は自分たちの行動を正当化していたのではなかったか、とロス氏は問う。
これは私自身、疑問に感じていたことだった。
というのも、長い交渉が続いていた国連のビル内で、グリーンストック英国連大使が、突然、「フランスが決議採択をブロックした」と報道陣に語りだした様子を、私はテレビで見て、覚えていた。「フランスが全部だめにした」「だから決議なしで武力攻撃をせざるを得ない」というグリーンストック氏の論理がどうにもつじつまが合わず、非常に驚いた。
米英はその後まもなくして、決議なしでの攻撃に踏み切る。
この段階での武力攻撃の開始には同意しなかったフランス側は、第2決議採決への同意を渋った。採決されれば、実質的に武力行使の開始となると見た。しかし、否決への動きが、結局は戦争開始の引き金を引いてしまった。
同年3月19日、米英側の「ごり押し」によるイラク戦争が始まった。
直前まで「ノン」を言い続けたフランスのシラク大統領(当時)の様子が記憶によみがえる。英米側は採決まで行こうが行くまいが、すでに開戦しようとしていたのだなと、当時、私は思わざるを得なかった。
当時も、今も、決議1441が678を自動「復活」させる、という論理は、多くの人にとって、なかなか呑み込みにくい。ゴールドスミス氏が数時間にわたって説明したものの、私自身にも、違和感が最後まで消えなかった。
違和感、ごり押し感、存在していなかった大量破壊兵器が「ある」と説かれたことー裏切られたという思いが消えない。何人もの米英兵(ともちろんイラクの人も)が亡くなった。兵士の親や家族、友人らは一生忘れないだろう。
29日は、ブレア元首相が証人として委員会にやってくる。
(日刊ベリタより転載)
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201001282353384
「イラク開戦は違法」-英外務省元法律顧問らが独立調査委員会で証言
2003年のイラク戦争開戦に関わる事情を検証する「イラク独立調査委員会」の公聴会が、昨年末から、英国で開かれている。26日、外務省の元法律顧問2人が証人として呼ばれ、イラクへの武力行使は「国際法違反」とする見方が法律チームの中で一致していた、と述べた。また、当時の外相が、開戦には新たな国連決議が必要とする助言を一蹴していたことも暴露した。開戦に抗議して辞職した元副主席法律顧問の女性は、武力行使を合法とした決断に至る過程は「嘆かわしい」と表現した。多くの英国民にとって、何年も間、心の中でくすぶってきた、イラク戦争の合法性に関する疑問が一気に解明されてゆく瞬間だった。
―合法性に関わる疑問
イラクに数万人規模の派兵を行った英国民にとって、自分の息子たち、娘たちを送ったイラク戦争は忘れようとしても忘れられない出来事だ。特に気になるのは、はたしてあの戦争が国際法に照らし合わせて合法だったのかどうか、という点だ。
開戦前、イラクには大量破壊兵器があると政府は国民に対して繰り返し説いた。また、武力行使の理論的根拠は、イラクが武装解除義務の重大な不履行を続けていると判断し、さらなる情報開示と査察の全面受入れ求めた国連決議1441であると説明された。野党保守党が参戦合意をしたことで、ブレア英首相(当時)は議会から開戦へのお墨付きをもらい、2003年3月、英国は米国とともにイラクへの武力行使を開始した。
しかし、イラク戦争は本当に合法な戦争だったのだろうかー?イラクにあるとされた大量破壊兵器は見つからず、反戦者たちが唱える「違法」だったという声が、多くの英国民の心から消えない。もしイラク戦争が間違った戦争だったなら、イラクに派兵させた自分たちの息子や娘は一体、何をしたことになるのか?兵士の負傷は一体、何のためだったのかー?そんなもろもろの感情がいまだ渦巻く。
昨年夏、委員長の名前をとって「チルコット独立調査委員会」とも呼ばれる、イラク戦争に関わる政治過程を吟味する委員会が発足した背景には、国民の中にある、イラク戦争に関わる疑問を解き明かしてほしいという強い思いがあった。
イラク戦争に関わる調査委員会は、これ以前には、国防省の元顧問の死を巡る事情を調査したハットン委員会や諜報情報を精査したバトラー委員会などがあるが、いまだに、戦争の合法性に関する結論ははっきりしていない。(ちなみに、今月12日、オランダでは、同国政府のイラク戦争参戦問題を巡る独立調査委員会の報告書が、イラク戦争の適法性は不十分とする結論を出している。)
チルコット委員会では、開戦までの過程に関わった政治家、官僚、軍事関係者などを公聴会に呼び、事情を聞いてきた。
公聴会では「嘘をつかない」などの宣誓はなく、委員からの質問に答えるだけ。後で発言に間違いがあったとしても、法的責任は取らされないー。こんな「話を聞く」だけの委員会では、どうせ何も深いことは聞き出せないし、今まで出なかったような事実も出ないだろうー多くの人がそう思った。
しかし、昨年の11月から始まった公聴会の中でも、今年1月26日の元外務省法律顧問のトップ二人の証言は、多くの英国民が聞きたがっていた「あること」を明確にしてくれた。二人は、イラク戦争開戦は「国際法上、違法だ」と明言したのだ。そして、ある閣僚が、武力行使は違法になるという助言を無視していたことも明るみに出した。
―元英外務省法律顧問トップの証言
この日午前中、委員会のメンバーに向かい合ったのは、イラク戦争開戦前夜、外務省の首席法律顧問だったマイケル・ウッド氏である。
2003年1月、ウッド氏はストロー外相(当時)にこう書いた。「国連決議1441は、2002年11月、フセイン・イラク大統領(当時)に対し、核兵器施設の査察に応じるよう最後の機会を与えましたが、これを考慮しても、既存の安保理決議だけでは、合法にイラクに武力行使を行えません」「国連安保理決議に基づかない武力の行使は侵害罪になるでしょう」。
ストロー氏の答えは、ウッド氏の主張は「聞いたが」、「これを受け入れない」だった。外相は同氏が「独善的な考えをしている」「国際法はかなりあいまいなものだ」と一蹴したという。また、「政治上の理由から」新たな決議を出せるよう努力するが、既存の決議に軍事行動を正当化する十分な下地がある、と述べた。
最終的な司法判断は、政府に重大な司法問題に関して助言を与える役目を持つ法務長官が出した。当時の法務長官ゴールドスミス氏は、2003年3月上旬、新たな国連決議なしのイラクへの武力行使は違法だと考えていたが、同月17日には、武力攻撃は合法とする判断を示した。突然の心変わりの理由は分かっていないが、政府からの圧力に屈したという見方もある。
―ウイルムスハースト氏の証言
午後、証言をしたのは、2002年から2003年にかけて外務省の元副主席法律顧問だったエリザベス・ウイルムスハースト氏(右上写真、BBCサイトより)だ。先のウッド氏は当時の直属の上司となる。ウイルムスハースト氏は、イラク開戦の直前、外務省を辞職している。現在は、シンクタンクの王立国際問題研究所(通称「チャタムハウス」)のフェローだ。
開戦前夜、イラクへの武力行使は新たな国連決議なしには国際法に違反するというのが法律顧問チームの一致した見方だったが、その根拠は、他の国に対する武力行使を禁止する国連憲章だという。武力行使が合法になるのは、第1に自衛のため、第2には国連安保理の決議があること、第3には武力行使をしなければ、人道上のカタストロフィーが起きる場合である。
法律顧問チームは「イラクの場合は、これのどれにもあてはまらなかった」と判断した。
外務省の法律顧問とは異なる見方をしたのが法務長官だ。2003年3月7日の書簡の中で、同長官は、決議1441が決議678を「再起動」させるとする解釈を示した。
決議678とは、カナダ、フランス、ルーマニア、旧ソ連、米英によって提案され、イラクのクウェート侵攻に対してクウェートからの無条件撤退を求めるとともに撤退期限を設定した決議だ。イラクが拒否した場合には国連加盟国に対して武力行使を容認するものでもあった。
ウイルムスハースト氏は、「イラクへの侵攻は違法だと思ったので、仕事を続けることができなくなった」と語る。もし慰留していれば、「国際社会で政府の立場を支援」しなければならず、これは本意に反することだった。
「集団安全保障は国連憲章の主要な目的だ。この憲章に反する行為を、私が見るところでは政府がやっている」。国際法を順守し、「国連に深くかかわる国家としての英国の評判に重大な損害を招く結果となるだろうと思った」。政府が武力行使を合法とした決断に至る過程は、「嘆かわしいものだった」。
ウイルムスハースト氏が証言を終わると、後ろの座席で聞いていた聴衆から拍手が起きた。
ゴールドスミス元法務長官は、27日、公聴会に証人として呼ばれる。どのような受け答えをするのか、注目が集まる。2003年3月上旬には「第2の決議が必要」とした判断をしたものの、そのほぼ10日後には「今のままでも武力行使は合法」と判断を変えたのはなぜなのか?委員会の調査は佳境に入った。
29日には、ブレア元首相が公聴会に証人として出る予定となっている。イラク戦争で負傷した元兵士たち、あるいは息子や娘を亡くした親たちは、特に強い関心を持って、ブレア氏の登場を待っている。
(日刊ベリタより転載)
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留学生らの部屋探しを支援 門前払い阻止へ、FOLISが家賃の滞納保証
在日外国人の生活をサポートしているNPO法人「在日外国人情報センター」(東京都新宿区)と、在日中国人向けの新聞「東方時報」を発刊している東方インターナショナル(東京都豊島区)は昨年11月、合弁で「一般社団法人外国人生活サポート機構(FOLIS)」(東京都豊島区)を設立した。今年1月からは、外国人留学生や就学生向けに、家賃滞納保証事業をスタートさせている。「外国人」というだけで門前払いされることが多い外国人に対して、FOLISが家賃の滞納保証を行うことで、日本での部屋探しをサポートしようという取り組みだ。こうした取り組みを始めたきっかけや、最近の留学生の動向について、FOLISの理事である齋藤英樹さんと上原雅登さんにお話をうかがった。
―母語による生活サポートを行い、居住トラブルを防ぐ
「外国人の場合、入居先が決まるまでに一人当たり15件ほどの不動産会社をたらい回しにされます。だから彼らだって、やっと入居できた家を追い出されたくないんです。しかし、ゴミ出しの方法や生活習慣など、基本的な生活ルールを教えてくれる人がいないからトラブルになってしまう。事前にきちんとレクチャーすれば、ある程度防ぐことができるはず」と語るのは、FOLISの理事の齋藤さんだ。
外国人を入居させる際に、不動産会社がもっとも心配するのは「家賃滞納・居住トラブル・生活マナー」の3点。
こうしたトラブルを回避するためFOLISでは、徹底した入居審査はもちろん、多言語による生活マナーの指導まで行う。
まず入居審査に際しては、ビザやパスポート、外国人登録証、在学証明書等による確認はもちろんのこと、本人と何度も面接を重ね、ときには出身国の両親や親族にまで連絡を取って調査するという徹底ぶりだ。
長年、外国人をサポートしてきた齋藤さんは、「ここ4~5年で、来日する外国人の質にも変化が見られている」という。
以前は、留学と見せかけてデカセギにやってくる中国人が多かったが、ここ数年は中国人富裕層の子弟がメイン。いわゆる一人っ子政策のなかで大切に育てられた「お坊ちゃま、お嬢ちゃま」が多いため、以前のような家賃滞納のリスクも軽減されてきているそうだ。
審査に通った留学生らは、あらかじめ家賃1ヶ月分の40~60%を初回保証委託料としてFOLISに支払い、入居の運びとなる。
入居前には、母語による生活マナーのレクチャーを実施し、入居後も継続してメールによる生活サポートを行う。入居者は、1年ごとに追加委託料としてFOLISに支払い、万が一家賃を滞納した場合には、一年間に限り保証を受けられるという流れだ。
本格的な始動はこれからだが、すでに不動産会社1社との提携が決まっており、「留学生に家を貸したい」という大家さんや管理会社からの問いあわせも一日4~5件ほど寄せられているという。
「東京都内の賃貸アパートは、3割ほど空きがある状態。滞納保証と生活マナーの指導をしてくれるなら『外国人を入居させてもいい』と考える家主が増えてきているのでは」と齋藤さんは分析する。
―急増するアジアからの留学生、しかし…
ここ数年、日本への留学生は急増している。独立行政法人日本学生支援機構(JASSO)の調べによると、平成20年度の留学生受け入れ状況は123、829人で、平成10年度の51,298人と比べると2倍以上の増加率となった。
内訳としては、1位:中国(58.8%)2位:韓国(14.6%)3位:台湾(4.1%)と、近隣のアジア諸国だけで全体の78.1%を占めており、とくに中国からの留学生がグンを抜いて多い。
こうしたデータを見る限り、アジア圏の学生たちにとって、日本はまだまだ「憧れの国」なのだろうと推測される。
しかし、FOLISの理事で不動産部門の責任者を務める上原さんは、このところ中国や韓国の留学生から「日本の大学はレベルが低い」という話を耳にする、と懸念を示す。
授業中におしゃべりばかりした挙げ句、教授に注意されると「うるさい!」と逆ギレする学生がいたり、英語の資料を配付されてもまったく読めない学生がほとんどだったり…。そんな日本人学生の現状を見て、留学生たちは少なからずショックを受けているのだ。
以前、上原氏から住宅の紹介を受けた韓国人留学生のユン君(多摩美術大学2年生)は、次のように話す。
「日本のトップクラスの大学に留学している学生たちは、教育レベルの高さと学生たちの勤勉さに大変刺激を受けています。しかし、中堅クラス以下の大学に進学した留学生たちからは、失望の声を聞くことが多い。なかには耐えられなくなって、アメリカやイギリスの大学へ移る学生もいるようですから」
―優秀な人材を集めるために必要なこととは?
さらに、「日本の住宅事情の悪さも、留学生を失望させる要因のひとつだ」とユン君は続ける。すでに述べたように、外国人の入居を拒む不動産会社が多いため、結果的に外国人が居住できるエリアは限られてしまう。そのため、窓もない3畳一間のアパートで暮らしている留学生も多いのだという。それでも都心だと、家賃3万円をくだらない。
本国からエージェントを通して入居先を決めてきた学生のなかには、実物を見るなり「こんな家には住めない!」と言って、泣きながら上原さんに助けを求めてくる者もいるという。
「先進諸国は優秀な学生を自国に呼び込もうと必死になっています。しかし日本は、教育の中身はもちろん、学生寮などのハード面での整備もまだまだ…。このままでは、あと数年も経たないうちに、日本は留学生から見向きもされない国になってしまうのではないか」と上原さんは不安を述べる。
福田政権時に「留学生30万人計画」を掲げたものの、その後政権が代わり、宙に浮いたまま。留学生たちの就職支援も進んでいない。
「世界的不況なのだから仕方がない」といった声も聞かれるが、優れた人材が集まらない国に将来はない。
「外国人は入ってくるな!」と拳を振り上げるまでもなく、誰も寄りつかない国になるのは時間の問題ではないか。
本当に、それでいいのか──。自問自答させられる取材となった。
*一般社団法人外国人生活サポート機構 http://gaikokujin.or.jp
(日刊ベリタより転載)
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ロシアの「スヴャーテキ」の年占い <上> 結婚・収穫・家畜の多産は?
10.01.23 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: 世界の窓
スヴャーテキ(Святки;神聖な日;1月6日―19日)に占いをしないのはロシア人ではないと言われています。占いというのは、現代のキリスト教の立場からは良くないこととされているけれども、古代スラブ人は占いの神を尊崇していたのです。
人生何が起こるか分からないと言います。人は自分の将来のことを事前に知りたいと思っています。人間というのは前向きに人生を歩めば運も又向こうから近づいてくるのです。自分の将来を占うということは人生の成功の一手段なのかもしれません。
「占い」は、ロシアの冬の一番重要な 「神聖な祭りの12日」である時期の「スヴャーテキ」には欠かせません。「スヴャーテキ」は1月6日の「ロシア正教のクリスマス前夜」に始まり、19日の「Крещенье;クレシェニイェ:イエス洗礼祭」の日まで続くのです。昔は、悪いことが起こることを恐れて12日間の間、誰も何の仕事もしませんでした。
キリスト教以前の昔は、「スヴャーテキ」というのは、新しい年の祈りと吉兆の占いの儀式でした。「スヴャーテキ」の時に、結婚・収穫・家畜の多産などについて占いをしたのです。
また、同じその時期には「коляда;コリャダ」ということをしました。「コリャダ」というのは、人々が熊・馬・山羊・牛などの仮装をして町を歩いて、あちこちの家の前で「コリャヂキ」という歌を歌ったり、みんなの幸せと健康を祈る詩を吟唱したりする儀式なのです(右上写真はコリャダで仮装した人を迎える人々)。訪問を受けた家々では仮装をした人たちにお祝いの料理や果物を差し上げたのです。又、町を回った後で、仮装した人たちはみんな、家々からいただいた料理で小宴を張ったのです。
「コリャダ」という言葉はラテン語の「calendae;カレンダー」と言う言葉から来ています。
スラブ民族では、占い「гадание(ガダニイェ)」は「гад(ガヅ)」という、運と幸せの神様を礼拝する儀式の中で一つでした。
占いの方法は世代から世代へと伝えられてきました。一年のうち、皆で占いをする時が2回ありました。それは冬と夏の神聖な時期である「スヴャーテキ」でした。夏の時期の占いはとても簡単なもので皆一緒の遊びのようなものでしたが、冬には大変しばしば夜中に、それも一人だけで占うこともたびたびあったのです。占いをする前には、飾りものは取り外して,洋服の結び目はほどき、場合によってはすべての洋服をぬいで、髪をたらし,靴をぬいだのです。
最も占いをするのに良い日は「旧正月前夜」(ヴァシリイの夜;1月13日)と「クレシェニイェ:イエス洗礼祭の前夜」(1月18日)です。旧正月の前夜には特別の料理「Васильев вечер:クチヤとヴァリェーニキ)を作ります。クチヤというのは干した果物、クルミ、蜂蜜が入った玄です。殻のままの小麦で作ったカシャとヴァリェーニキはクリームチーズかサクランボを入れて煮た餃子のようなものです。
ヴァリェーニキには思いがけないものが入っていることがあります。その思いがけないものとは、その年を占うものです。例えば、キャンディーは「恋が成就する」、きゅうりは「健康である」、クルミは「恋人ができる」、一本のマカロニは「海外旅行へ行ける」、お米は「うれしいニュースがある」などです。
多くの人たちは1月14日がお正月の最後の日と考えており、1月15日になると正月飾りのモミの木を片付けます。
キリスト教の教会は、悪魔と交流すると言われる占いには反対であるけれど、その人を止めることはしません。1月19日に行われる冷水浴は占いの罪を洗い流すと信じられています。日没後、真夜中、日の出前の早朝は、占いには一番いい時間であると言われています。
又、占いをするのに一番適した場所は、人がいなくて鬼が住んでいるようところだと信じられています。例えば、荒ら家、バーニャ(баня;ロシア式蒸し風呂)、家畜小屋、地下室、シェーニ(сени)といわれる家の入口の間、屋根裏、お墓などです。ペーチカ(ロシア式暖炉)、家の敷居、家の隅、道路の交差点、氷の穴、井戸などの人間の住む世界と魂のある世界の境界なども占いするには良い便利なところだと考えられています。
昔は道路の交差点の中でのとても危険な呪いや治療の占いをしました。又、門に上っての運命占いもしました。それは、門の上からいろいろな音を聞いて、その音をさまざまに解釈して占うのでした。又、門の前に立って人が通り過ぎるのを待ちました。もし通り過ぎた人が男性だったら、それは幸運を意味しました。女性だったら不運を意味しました。
又ある場合は、若い女性が夜外に出て通りがかりの人に名前をたずねました。その名前により自分のこれからの運命を占いました。その名前が将来の婚約者の名前だとか、その人と同じ様に将来の婚約者はハンサムだとかお金持ちだとかを占うのでした。もし最初に通りかかった人が女性だったら、自分の将来の姑さんの名前はその人と同じ名前であると占いました。
その昔、ヤロスラヴェリ州には次のような習慣がありました。女性はブリーン(блин;ロシア風パンケーキ)を頭の上に乗せて(ブリーンはガヅ神さまの贈り物でした)自分のこれからの運命を聞くために家から外へ出るのでした。もし現代のロシアでこんなことをする人がいたら、みんなビックリしてしまいますよ!
(つづく)
―日刊ベリタより
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フランスの新聞社もウェブサイト閲読有料化の動き
フランスのニュース雑誌「エクスプレス」と新聞「フィガロ」がサイト閲読の有料化を進めている。21日付の「ルモンド」が報じた。
エクスプレス誌は今年後半から課金制を導入する予定だが、詳細はまだ未定だ。オンライン部門のディレクターは、課金制にして得られる収入はコンテンツの制作コストをカバーできるほど大きくなく、利益は出ないとみている。
フィガロは今月、「プレミアム」コンテンツに有料制を取り入れる予定だったが、2月にずれこむ予定だ。
このニュースを転載した「SFNBLOG」(「新聞の将来」ブログ)が紹介しているニューヨークのコンサルタントによれば、新聞サイトが閲読を有料化しても、一般的にこれで得られる収入は、減少する広告収入の代わりにはならないという。
http://www.sfnblog.com/financials/2010/01/french_newssites_offer_paywall.php
有料化を予定に入れながらも、「他社の動きをみる」大手新聞社が多いようだ。さて、先陣を切るのは、やはり米ニューズ社傘下の新聞になるのだろうか?
NYタイムズが一部有料化―2011年から 「がっかり」
米ニューヨークタイムズが、今まで無料で読めるウェブサイト上の記事に有料制を導入することになった。同紙が21日、正式発表した。
http://www.nytimes.com/2010/01/21/business/media/21times.html?src=twt&twt=nytimes
読んでみて、何だかがっかりである。鳴り物入りで期待大だったが(どうやるのかと)、導入は2011年の予定なのだ。詳細は読めば読むほど、消え入りそうになりそうなぐらい、漠然としている。 年が明けたばかりなのに、来年の話をされても困る、という感じである。その時までに状況は様変わりしているかもしれない。何しろ、米ニューズ社の傘下の新聞、たとえば英国のタイムズなどが、今年中に(一時は、上半期内とも言っていた)有料制の導入を宣言しているのだ。
上の記事でがっかりするのは、まず、最初に「しばしば訪れる読者に」お金を払ってもらうことにした、という書き方だ。ただの表現なのかもしれないし、単に正確に書こうとしたのかもしれないが、何だか嫌な感じである。「熱心な読者に」課金します・・と読めなくもない。そして、課金の手順はほかのすべての大手の新聞が怖がって手を付けようとしない、一つのステップだ、と続けている。つまりは「英断だ」とでもいいたのだろうか?
やり方は基本的に一定本数を無料にし、それ以上は有料となる。ただし、その本数が何本なのか、また金額はいくらになるのか、「まだ決まっていない」のだ。「本当に完全に正しいやり方で」やろうとしているので、決まっていないようだ。
NYタイムズのウェブサイトは米国でも最も読まれている新聞サイトだそうだ。毎月の読者数が米国のみで1700万人。
過去の経緯を振り返ると、1990年代は海外から読みに来る人に対しては有料だった。2005年から2007年にかけては、社説やコラムを「タイムズセレクト」というサービスで有料で提供した。21万人の購読者があり、年間49.95ドル(約5000円)が購読料だった(ずいぶん安い感じがするートータルでどれぐらいの本数がカバーされていたのかは分からないが)。しかし、オンライン広告が伸びていたので、これをやめてしまったのだった。
昨今は不景気のあおりで広告収入が思わしくなく、紙の発行部数も厳しいようだ。 現在、NYタイムズのサイトに来る人の大部分が「時々やってくる利用者」であるそうだ。タイムズを頻繁に読みに来る人の中で何人がお金を払うだろう?紙のNYタイムズを購読している人は、オンラインでもすべて今後も無料となる。
それにしても、2011年からの導入なんて、随分と及び腰だなと思う。今発表する必要があったのだろうか?こんなに先のことであれば、状況が変わったという理由で、「やっぱりやめます」と言えてしまうかもしれない。英タイムズなどの有料化計画が実施されて、失敗したにせよ、成功したにせよ、その結果を見て判断したいと思っているのかもしれない。
随分とナーバスになっているようなNYタイムズ。経営の厳しさを反映しているのだろうか?繰り返すが、「がっかり」である。とりあずはタダでしばらく読めるわけだがー。お金を払いたくない人は、読むなら今のうちであるー・・・と考えると、そうやって、「今しかない!」と思って読む人も結構いるだろう。読みだして、「これならお金を払ってもいいかな」と思う人もいるかもしれない。
深読みかもしれないが、今回の発表は、内容があまりにも「未定」(本数や有料の金額自体を決めていないのでは話にならない)であり、かつ先の話である点を考えると、マーケティング戦略の一環なのだろう。後1年はタダで読めることをアピールし、読者を有料に誘導するための。
(「英国メディ・ウオッチ」より)
「ブログがBBCを変えた」ジャーナリスト学校のマーシュの発言
数日前の話になるが、BBCジャーナリズム学校(BBC College of Journalism)のトップ、ケビン・マーシュが、BBCのジャーナリズムを変えた大きな要素として局内のスタッフによるブログを挙げた。
ロンドンで14日開催された「ジャーナリズム・リワイヤード」という会議での発言による。「プレスガゼット」より。 http://www.pressgazette.co.uk/story.asp?sectioncode=1&storycode=44903&c=1
ラジオ、テレビ、ネットと幅広い媒体で情報を伝達するBBCは、2008年8月、報道部門を「マルチメディア・ニューズルーム」として一つにまとめた。局内のベテラン記者や編集者はBBCのサイト上でブログを書く。記者たちはスクープを出す時でも、自分の名前がついたブログを使うようになったという。BBCの夜の10時のテレビ・ニュースは、NHKの夜のニュースのような重要な役目を持つのだが、記者たちはこのためにスクープを抑える・・ということをしなくなった。
BBCニュースの人気ブロガーといえば、政治記者のニック・ロビンソン(Nick Robinson)や経済記者のロバート・ペストン(Robert Peston、右上画像)がいる。
2007年9月、ペストンは大手住宅金融ノーザン・ロックの経営危機を、自分のブログ上でスクープ報道している。
マーシュによれば、大手メディア企業だからと言ってそれだけでダメと考えるのは早い。BBCのジャーナリストたちはマイクロソフトのメッセンジャー機能を使って情報を交換・収集する方法やデータの探し方、使い方、ビデオの利用など、さまざまなスキルを学んでいるという。(ただし「もちろんマルチメディアのスキルだけではストーリーは作れず、あくまで最善の方法で報道するための手段」、と付け加えるのも忘れない。)
BBCがソーシャル・メディア、マルチメディアに力を入れるのはいいのだが、BBCという大きな傘の中でやる、というのはどうかなと個人的には思う。スピンオフというか、まったく別の企業・構造にしてしまったらどうだろう。どんなに素晴らしい技術・考え、それに例えばおいしい食べ物でも、常に「頼りになる父親」から、口元まで運ばれるという構図を想像してみてほしい。自分で選んで自分でスプーンを口に運びたい、と思うのが自然ではないか。「父抜き」で情報を利用したいと思う。ソーシャルメディア(+ニューメディア?)とBBCはどうも最終的には相いれない感じがする。
…本題から外れたが、自局のジャーナリストにブログを書かせ、ブログでテレビやラジオより先にスクープを出せる、というのは本当にすごいと思う。昔は、ラジオのニュースを読むのに、アナウンサーはタキシードを着ていたらしいので、随分変わったなと思うし(フォーマルからインフォーマル)、記者個人の声が直接出る・直接視聴者と結びつける仕組みを作っているのは、「中抜き」(途中のもろもろの編集過程をすっ飛ばす)でもある。ある意味では自己否定(制作・編集過程を無視し、記者個人をミニ・メディア化している)ともいえるかもしれない。(「英国メディア・ウオッチ」より)
「GALAC」2月号掲載で元娼婦のブロガーの話
放送批評懇談会が出している月刊誌「GALAC」の2月号に、元娼婦だった女性が書いている「Belle de Jour」というブログについて原稿を出した。ニフティ―の雑誌サイトに掲載されているので、ご関心のある方はご覧いただきたい。
海外メディア最新事情:元娼婦のブロガーの正体発覚 「よくやった!」と評価は上々だが
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/galac-20100119-01/1.htm
この女性は、学生時代、学費と生活費の工面のためにエスコートサービスに登録し、高級コールガールとして働いた経験をブログに匿名(ブログ名とその匿名がBelle de Jour)で書いた。長年、このブロガーの正体がわからないままだったが、昨年末、本人からサンデータイムズ紙に連絡があり、ブルック・マグナンティーさんという女性であることが分かった(右写真、サンデータイムズ紙より)。
インタビューが記事になって英国中があっと驚いたのは、「男性が書いているのでは」などという憶測を解消し、美しい女性究者だったことだ。こんな賢い女性が・・・・というわけである。
私自身が驚いたのは、娼婦になって学費を稼ぎ、博士号を取って今は研究職にいる女性を「えらい!」とする論調が結構出たことだ。
ブログを何冊かの本にもしているので、早速買って読んでみた。最初の本を読んだところ、途中で、段々読むのがつらくなってきた。クライアントとの性にかかわる描写があったからではない。人間関係の描写の場面で、「つらいなあ・・・」と。
この女性にはボーイフレンドがいて(現在もいるが、この時とは別の人)、多額のお金を比較的短時間で稼げるようになった彼女は、誕生日で彼氏と出かけた後、自宅まで戻るのにタクシーを使って帰りたいという。「近いし、もったいないから歩こう」と彼氏がいうのを、聞き入れず、確か運転手に20ポンド札かを渡すー。ボーイフレンドは一人で歩き出す。この場面の描写が非常にリアルで、何だか彼氏がかわいそうになってしまった。
タクシーで自宅まで帰るかどうか自体が問題ではなく、お金の使い方の変化、彼氏との人間関係という「リアルな」部分への影響、ボーイフレンド(ストリッパーレベルの仕事だと思っていたようだ)の気持ちの踏みにじり方は何だか痛々しいものを感じた。
彼女の正体が発覚した頃、BBCのラジオで「モラル・メーズ」という番組があり、この番組は様々な倫理上の問題に関して、パネリストやゲストが議論する。この中で、コールガールになることも、1つの自己表現あるいは「生き方の1つ」であるとする考えがあって、また、「娼婦=いけないことをした人」と言わないように(女性差別になるから、つまり生きる上で、どうしてもそうしないといけない人もいるなど)という了解があったように思う。右派の論客でメラニー・フィリップスという人がいるのだが、「私たちは、女性が性を売ることも批判できないようになった」=フェミニズムの行き過ぎ・・・というような趣旨のことを(録音したわけではないので、記憶のみ)言っていた。それにしても、学費工面のために娼婦になるとはずいぶん突飛な感じがどうしてもしてしまうー。という私の考えは、ここ英国では保守的すぎるのだ(実際、私は保守派だと自覚はしているけれども)。
この女性は一体どんな感じでしゃべるんだろう?と思われる方は、以下のサイトから、スカイテレビによるインタビュー動画が見れる。英語のみだが、雰囲気をつかみたい方のご参考までに。
http://www.lovereading.co.uk/blog/?p=1181
(「英国メディア・ウオッチ」より)



