英総選挙 ブラウン首相が「偏屈な女」と言っただけだったら大失態にならない
5月6日の総選挙の投票日を前に、英国の3大党首によるテレビ討論の最後が、今晩行われる。どんな結果になるのか、楽しみに待っているところだが、グーグルニュース日本語を見ていたら、昨日のブラウン首相の「失言」についての記事がいろいろ出ていた。
日経のサイトでビデオ(テレビ東京のニュース)を見ていたら、あれ?と思った点があったので、テレビ討論が始まる前にとりあえずここに記しておきたい。
http://www.nikkei.com/video/?bclid=72823327001&bctid=81902540001
これを見ると、ブラウン首相が初老の女性に会った後、車に乗りこみ、まだマイクがスーツについていたのを忘れて、思わず本音をもらしてしまったと。その女性を「偏屈な女」と呼んでしまった、という・・・。
この動画だけを見ると、何故これが「大失態」になるのか、日本でテレビを見てて分かった人はいるのだろうかー?(にこやかに話した後、「偏屈な女」とか言ったから、マズイ???でも大失態とは言えないだろう。)
おかしいなあと思い、他のニュースも見ると、いくつかが大失態となったのは「偏屈な女」と言ったから・・・という展開になっている。
しかし、ポイントは移民問題に絡んだからだ。その点をはっきりと書いていた読売記事を読んですっきりした。
英首相が市民を「頑迷な女め」…録音される
英総選挙のため中部マンチェスター近郊を遊説中のゴードン・ブラウン首相が28日、与党の移民政策を問いつめた女性(65)について「頑迷な女め」とコメントした上、「なんでこんなバカな会合を設定したんだ」などと側近を叱責しているのが録音され、BBC放送などが繰り返し放映している。
昨日から今日にかけてBBCや他のメディアが大騒ぎをしたのは、「首相には裏の顔があるという噂がまるで本当のように思えたこと」、という面もあるが、まず第一に、これが移民問題に関連していたから。「頑固な」「偏屈な女」と言ったことで、この女性が移民に対する否定的な感情を持つ人=人種差別主義者(レーシスト)」というニュアンスが出た。つまり、首相はこの女性を反移民の頭の固い人物で、レーシスト呼ばわりに近いことを言ってしまったのである。これは相当な大失態である。
英国では人種差別は法律で禁止されているが、これが本当に厳しい。相手を人種差別主義者ではないかと示唆しただけで、あなたも人種差別主義者だと言われてしまう可能性がある位。政治家も著名人も、人種差別主義者、または反移民であると人から言われないように非常に気を使っている。(また、反同性愛主義者であってもいけないーこれもタブー。)
英国は2004年、東欧諸国がEUに加盟した時、他の欧州の多くの国のように「モラトリアム期間」や条件をつけず、移民の流入を認めた。結果的に、予想よりもかなり多くの移民がポーランド、リトアニアなどからやってきた。そして、有能なポーランド人達は着々と仕事を見つけ、税金を払い、子供を育てているわけだが、例えば一部の地域では学校に急に生徒が増えたとか、自治体で人口が急に増えたとか、対応にあわてている現状がある。「来るな」とは言えないのである、EUの仲間だから。
移民問題は本当にセンシティブな問題で、反感を持っている人もたくさんいるのだが、これを口に出すと「差別主義者」と言われてしまう。本音が言いにくい雰囲気があるし、政治家もできればあまり議論をしたがらない。「もう移民はいやだ。元々の英国民のために政府はもっと何かをしてほしい」という、無視できない数の国民の本音を救い上げる主要な政党はないようなのだ。だから極右政党BNPが一部地域では人気がある。
そんなこんなで、タブーの移民問題。これをこの女性が指摘したものだから(「東欧からたくさん人が来てる、一体どうするの?」的な発言で)、「頭の固い女だな」とブラウン首相が思わずため息・本音をもらすのも無理はない。「頭が固い」のは移民に関して、この女性の心が狭い・頑迷だという印象をブラウン氏は持ったわけで、それを思わず口にした。それを察知した英メディアはこの話題にことさら飛びついたのであるーもちろん、選挙やテレビ討論への影響ということで問題視されたわけだが、核にあるのは移民問題だった。
BBC関連記事
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/election_2010/8650546.stm
(英国メディアウオッチ)
【パレスチナの村から】③彼らは集団でやってきて石を投げ火をつけ、オリーブの木を伐る イスラエル人入植者に土地も水も奪われて
「守るも攻めるの農業なんだな」と同行の農民作家山下惣一さんがつぶやいた。佐賀県唐津市でミカン農業を営みながら小説やエッセイを書く有名人だ。筋骨たくましい、ごつい風貌に似合わぬ鋭い感性の持ち主で、物事の本質を短い言葉でずばりといい当てる。
パレスチナといえば、爆撃される都市、瓦礫となった街、ぐったりとなって抱きかかえられる子どもたち、けが人でいっぱいの病人、発射されるロケット弾…。テレビを通して流れるそんな映像しか思い浮かばない。パレスチナにおける農業や農村のもつ社会的重要性はきわめて高いのだが、多くの人はパレスチナに農業があることさえ知らない。そんなパレスチナの村を歩いてみたいと日本の農民何人かと2月初め、現地に入った。村に入っての第一声が、冒頭の山下さんの言葉だった。
パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地域。乾燥した大地が続く。石だらけの山の斜面は一面オリ‐プが植えられている。土の上に石があるのではなく、石の隙間に土があるという感じだ。平場で野菜畑や麦畑を見るとほっとする。これらの土地のかなりがイスラエルからの入植者によって侵食され、農業だけでなく生活にも欠かせない水源の85%はイスラエルの管理下にある。
本来、止まっているはずの入植者の侵入は今も続き、数が増えている。その分、土地も水も浸食される。実質的なパレスチナのイスラエル化が狙いではないかという気がする。
―まず軍隊がやってきた
周りをイスラエルからの入植者で囲まれている西岸地区北部の村を訪ねた。そのひとつスリフ(Sureef)村は500家族で人口3000人ほどの農業の村だ。村の面積は400ヘクタール、うち農地の面積は150ヘクタールほどだが、その面積を大きく上回る170ヘクタールほどが入植者に接収されてしまっている。150ヘクタールに農地のうち140ヘクタールがオリーブ園。オリーブはこの村の主要産業なのである。
土地を接収されるとは、どういうことなのか。村のリーダーの一人に質問した。
「いろんな形がある。(イスラエルの)軍隊がまずやってきて、ここを摂取すると宣言、続いて入植者がやってくる場合もあれば、入植者が自ら武装してくるときもある。軍隊と入植者が一緒にくる場合もある。家を壊し、農地をブルで踏みにじり、オリーブの木を切り倒して、農民をその土地から追い出す」
-入植者はそれからどうするのか。
「そうやって場所を確保したら、そこに家を建て、防御体制を整える。そして徐々に自分たちの面積を拡大していく」
-法的な所有権はどうなっているのか。
「2000年に当時のイスラエルの首相のシャロンが、山はすべてユダヤ人のものと宣言した。それ以来彼らは勝手にやってくる」
―彼らは山の上からくる
入植地はたいがい山の上に作られる。常に村を上から見下ろしているかっこうだ。山の上の入植地から一気に駆け下りてくると、真っ先にぶつかるお宅を訪ねた。6人家族のお宅で、うち4人が小さな子どもたちだ。
この家はこれまで何度も入植者の集団に襲われている。10代の子どもから大人まで集団でやってきて石を投げ、火をつけ、斧を振り回して窓を壊し、催涙弾を投げ込む。繰り返し繰り返し襲われた。襲撃の間じゅう、幼い子どもたちは震えながら物陰に身を潜めて過ごす。
家の人の案内で壊された窓を見ることができた。彼らは家や塀の壁にユダヤ教あるいはユダヤ民族を象徴するダビデの星を落書きして帰っていく。
村の人は何もできないのか、と質問した。
「彼らが襲撃するときには、必ずイスラエルの軍隊がやってきて道路を抑えている。昨年、襲撃があって村の若者が駆けつけた。イスラエル軍は若者たちを撃ち、7人がけがをした。イスラエルに兵士は警告ではなく、最初から狙って撃つ」
こうして入植地が次第に拡大している。爆撃機や戦車による攻撃ではない、もうひとつの攻撃がここにはある。農地を奪い、水を抑え、人びとが農業をあきらめ、村で暮らせないようにする。パレスチナに対するイスラエルの占領の本質がここにある。パレスチナでは、山下惣一さんが言うように、農業と農村がもうひとつに最前線なのである。
(日刊ベリタより)写真は「襲ってきたイスラエル入植者にダビデの星を落書きされた家」
英総選挙 テレビ・ジャーナリズムの一つの死
英国の主要3政党の党首によるテレビ討論は、最後の3回目(29日の夜放送、BBC)を残すところとなった。
1回目(15日)、2回目(22日)と見てきて、テレビ討論の話題が政治報道や政治談議の中心になっていることに気付く。4週間の選挙戦で、毎週テレビ討論があるのだから、それも仕方ないのかもしれない。
とにかくも一種のフィーバー状態だ。テレビ局は番組放映直後から「誰が討論に勝ったか」の調査を行い、これをすぐ発表する。テレビスタジオには各政党の代表者を呼んであるので、すぐに「どうだったか」のコメントが流れる。また、BBCはスタジオに有権者を招き、黒いコントローラーを与え、番組を視聴してもらいながら、党首の発言で「好ましい、好ましくない」などの感想を持ったら、これをコントーラーに入力してもらう、という試みを行った。番組が終わって、反応をたどると、どの発言で視聴者の評価が上下したかが分かるのだ。
翌日の新聞はテレビ討論の様子の批評・分析をこれでもか!とかき立て、著名人や有権者の一部がどう思ったかも記事化する。
あまりにもテレビ討論が話題の中心になり、支持率がテレビ討論でのパフォーマンス(実体がないという意味での「パフォーマンス」ということでなく、本当にどう発言し、振る舞ったかなどのシンプルな意味)によって上下することに危機感を抱いた労働党は、おそらく討論後の調査で労働党及びブラウン首相がいつも低い位置にあるので不満を持ったのか、BBC,ITV、チャンネル4に対し、「もっと政策の分析に時間を割いてほしい」とお願いしたそうなのである。
http://www.guardian.co.uk/politics/2010/apr/25/media-coverage-election-policies-personalities
労働党の苦し紛れの動きかなとも言えるし、笑って済ますこともできるのだが、しかし、少し別の視点から見ると、「テレビを見るだけでは、本質が見えてこない」「本当に知りたいことが伝わってこない」ような状況があることに気付いた。
自民党のニック・クレッグ党首は与党労働党と第1野党・保守党を「古い政党」として、これまでの政治のやり方(例えば2大政党制を当たり前として疑わないとか)を変えることを提唱しているが、実は「古い」のは政治だけでなく、政治メディアもそうなのでは、と思ったのである。
既存メディアや政治報道が全部ダメというのでは、もちろんない。もっと狭義の、つまりは著名な・やり手のテレビの政治ジャーナリストたちが、政治家をきちんと追及できていない、ということなのだ。
その証拠は、先のBBCのジェレミー・パックスマン氏によるクレッグ氏のインタビュー、それからその後に行われた、同じくパックスマン氏による今度は保守党党首デービッド・キャメロン氏のインタビュー。それに、25日のBBCのアンドリュー・マー氏によるクレッグ氏のインタビューである。
―英国内でないとフル・インタビューは見れないので恐縮だが、以下に挙げておきたい。今週の土曜(30日)まで視聴可能。
http://www.bbc.co.uk/programmes/b0080bbs/episodes/player
―ほんの4分半ほどだが、インタビューの一部は以下-これはどこでも見れるはず。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/election_2010/8642447.stm
クレッグ氏やキャメロン氏へのインタビューを担当したのは、BBCの中でも政治家へのインタビューに関して「プロ」と言われるパックスマン氏とマー氏。マー氏はスクープもたくさん出している。ところが、この二人と比べても、若き政治家たちの方が、「非常に頭がよく、情報量が最新で深く、相手を感心させるやり方を知っている」。
このため、「政治家の論理のすきを突き、相手をぎゃふんと言わせて本音・真実を引き出す」というこれまでのやり方がうまくいかない。
これはある意味、怖いことでもある。ジャーナリストが政治家をやり込められないのだから。政治家がメディアより強くて、言いたいことを言いたいように言えてしまう。有能ジャーナリストが全く歯が立たない感じになるとは、驚きだ。
そんなことを薄々思っていたら、今日のデイリー・テレグラフで、コラムニストのチャールズ・ムーア氏がテレビの政治ジャーナリズムの限界について書いていた。
「選挙のインタビューの奇妙な死」
http://www.telegraph.co.uk/comment/columnists/charlesmoore/7633411/General-Election-2010-The-strange-death-of-the-election-interview.html
数々の政治家のインタビューをテレビで追って、その中に出てくる真実を発見しようとする作業はもう必要ないー極端に言えば、木曜日(テレビ討論の行われる日)にテレビの前に座っているだけでいい、とムーア氏は言う。どうせテレビのインタビューで出る「発見」は既にロビー記者を通して出ているし、新聞のインタビュー記事に載っているのだからーというのが概要だ。
相当に勉強していないと、クレッグ、キャメロン級の政治家には勝てない、パックスマン氏やマー氏でさえもーやっぱりメディアとしては危機だと思う。
(「英国メディアウオッチ」)
英総選挙 2回目のテレビ討論 最後は政策で決まる?
22日夜、英3大党首によるテレビ討論の第2回目があった。午後8時から約1時間半。放送局は衛星テレビのスカイで、BBC24という別の衛星放送チャンネルもスカイからのフィードをもらって放送した。衛星放送が自宅で見れない人は、地上波のBBC2というチャンネルが夜遅く再放送した。BBCラジオ4というチャンネルがラジオで放送したものの、地上波のテレビチャンネルでライブでは見れないことになり、このこと自体に当初、議論が沸いた。(私も由々しき事態だと思った。せっかくテレビ視聴料を払っているのに、同時に見れないのはおかしい。)
さて、第2回目は一体どんな感じだったのか?既に大体の概要は日本の新聞サイトにも出ているが、構成は、最初の30分は外交問題で、あらかじめ決めておいた会場の参加者から質問を受けて与党労働党、野党保守党、第2野党自由民主党の各党首が答え、その後は外交以外の問題も取り上げた。
先週(15日)行われた初めての3党首によるテレビ討論では、自民党のニック・クレッグ氏が会場の参加者やテレビの前の視聴者の一人一人に語りかけるようなスタイルで多くの人を魅了し、「誰が議論に勝ったと思うか」という直後の調査でダントツ1位になった。 今回の討論の焦点は、これを他の2党の党首が「いかに切り返すか?」にあった。
第1回目のテレビ討論がきっかけで、総選挙の雰囲気はガラッと変わっていた。
それまでは労働党と保守党の二つの党の一騎打ちと考えられていたけれども、急に自民党が支持を伸ばし、具体的には保守党の支持率を減少させてしまったのだ。自民党は無視できない存在、かつ本気のライバルとなってしまった。英国では自民党はどちらかというと、馬鹿にされている感じがある。本気にされていないというか、「どうせ政権を担当してないし、その見込みも薄いから、そんな無責任なことが言えるんでしょ?」という感じである。今でも、まさか自民党が第1党になるなんてことは実際あり得ないから、その意味ではあくまでも「第3の党」なのだが、2大政党制が長く続く英国では、この「第3」という考えそのものが新鮮なのだ。
テレビ討論のおかげで自民党は支持率を一気に伸ばし、この1週間というもの、党首ニック・クレッグ氏の一挙一動が大きな注目を浴びた。「チャーチル程、人気がある」とサンデータイムズはクレッグ氏を持ち上げた。「クレッグマニア」が始まった。
しかし、途中から、クレッグたたきも段々出てきた。糸を引いているのは保守系・保守党系メディアだ。サン、デーリーメール、それにデイリー・テレグラフ。クレッグをナチと同一視したり、「あやしい献金疑惑」(テレグラフ)などを報道。そのバッシングぶりがあまりにも度を越しているので、知識人の一部からも「これはまずいのではないか」という声が出た。ちなみに、今日付けのインディペンデント紙やガーディアン紙はこうした報道の真偽を検証する記事を出している。
クラス(階級)の違いも攻撃の対象になった。ブラウン首相ははかつて、保守党キャメロン氏が裕福な家庭の出身で、階級が上であることを何度か指摘し、「だから普通の人の気持ちは分からない」と暗に示唆してきた。テレグラフはクレッグ氏もキャメロン氏同様裕福な家庭で育ち、エリートコースを歩んできたと指摘していた。
テレグラフの不正献金疑惑の記事はテレビ討論2回目が行われた昨日、1面にでかく出た。これはいくらなんでも「あざとい」と見る人は多かったようだ。昨日テレビを見ていたら、こんなことをしていては「逆に保守党が票を失う」と指摘する論客がいた。
―3人とも、よくやったが
昨晩の第2回目の討論では、前回、カメラ目線がほとんどなかったキャメロン氏、ブラウン氏ともにしっかりカメラを見ていた。これはクレッグ氏が最初の討論でやった方法だ。また、質問をされたら、その人の名前を繰り返す、という手法もキャメロン氏が模倣。前回の良いところを学ぶのはいいことだった。
おそらく、「自分らしさを出すように」というアドバイスがあったのかどうか、ブラウン氏もキャメロン氏も、第1回目に比べて、リラックスして、かつ自分が言いたいことを上手に言っていたように見えた。キャメロン氏は「もし私が首相になったら」という文句を何度か繰り返していた。クレッグ氏は前と同じように、視聴者に語りかけるスタイルで相手の心をつかんでいたとは思うが、何か新しいものがあったかというと、そんな感じはしなかった。ブラウン氏とキャメロン氏が本気でクレッグ氏にぶつかってきた・・そんなバトルだったと思う。
番組終了直後の「誰が勝ったか」という調査では、キャメロン氏が36%、クレッグ氏及びブラウン氏が30%ぐらい。他の調査では、クレッグ氏が33%(あるいは32%)で、キャメロン、ブラウン氏が30%など、3人はほぼ支持を分け合った。第1回目は圧倒的に(40%以上)クレッグ氏だったので、自民党から見れば、やや後退したとも言えるが、第3党としてはあっぱれというべきであろう。
今日の新聞を見ると、新聞によって、誰が勝ったかの評価が違う。ガーディアンやインディペンデントはクレッグ氏の勝利で、テレグラフやタイムズはキャメロン氏。ただ、僅差であるのは一致している。
自民党はいずれの場合にせよ、討論が始まる前には支持率が20%かそれを切る位だったので、ここまで上昇したら、それだけでもありがたいはず。失うものはないのである。よっぽど人気が急落しなければ。
気になったのはキャメロン氏である。第2回の討論では確かによくやったとは思うが、もっともっとよくないと選挙には勝てないはずだ。どうも戦略を見失っているようだ。ジレンマだ。というのも、「変革を」と言えば、同い年(43歳)だが大きな変化をもたらす自民党のクレッグ氏に負けてしまう。「信頼感」「重厚感」「中身が問題」と言えば、現役の首相に負けてしまう。ウリが非常に見つけにくい。
唯一のウリが英国民の中に根強い右派・保守感情、つまりは反移民、結婚制度の重要性、欧州連合への不信など。しかし、これをそのまま出すと嫌われてしまう。昔の、嫌われていた保守党に逆戻りしてしまうのだ。ここが難しい。「このままだと、過半数を持つ政党がいない『ハングパーラメント』(宙ぶらりんの議会)になるぞ、そうなったら恐ろしいことが起きるぞ」というメッセージを出して、保守党に投票するよう呼びかけるのだが、この戦略は今のところあまり成功してない。
私自身はこの右派的なもののイヤーな感じがキャメロン党首からにおい立ってくるのを、テレビ討論第2回目から感じていた。ただの「感じ」だが。
例えば、労働党が保守党を攻撃する政治パンフレットを作ったことを批判した時だ。保守党の政策に関する嘘が入っているそうで「パンフレットを引き上げてほしい」とキャメロン氏はブラウン氏に言っていた。この時、マジで怒っているのがよくわかった。「こんな汚いことをするな!」という抗議と、「こんな汚いことを労働党はやっているんだぞ」と示したかったのだろう。正当な抗議であるが、何故この場を使ったのかなと思ったのだ。マジで相手を引き摺り下ろす場ではないのになと。抗議や批判はいいのだが、スマートにやらないと。
逆に、スカイで討論の司会だったアダム・ボルトン氏が、クレッグ氏にテレグラフでの灰色献金疑惑を聞いた時のこと。本当は司会者だから質問してはいけないのだけど、「今朝の記事で・・」と言い出すと、クレッグ氏は釈明をしたり、嫌悪感を出すのでなく、「ああ、あれは全く見当違いのことなんですよ」と言って、すぐに次の話題に移り、2度と言及しなかった。保守党プレスがやっていることで、もしそうしようと思えば「フェアでないカバレッジがあった」とか言ってもよいのに、である。また、何故テレグラフの記事が正当ではないのかをくどくどと説明することもできただろうが、それもしなかった。「論外」という感じで、あっという間にスルーしてしまったのである。
またほめることになってしまうのだけれど、タイミングよくスルーできるセンスーこれはやはり1つの才能である。また、BBCのジェレミー・パックスマンによるインタビューの時も(前回書いたけれど)そうだが、やっかいな相手と接するときに、「相手のゲームプランに乗らない」ことが重要だ。ボルトン氏はクレッグ氏が何らかの感情的なあるいは論理的な反応をすることを求めた。しかし、クレッグ氏はこれに乗らなかった。頭がいいなと思う。
最終的には、やはり政策が決め手となろう。ずいぶん3党の考えは違うのだ。保守党は小さな政府で、政府の役割を減らす・自由度が広がるというのはいいが、福利厚生はどうなるのか心配である。労働党は大きな政府でいろいろと面倒を見てもらえるのはいいが、何でもかんでも政府がやって、負債が雪だるまに増えたり、自由度が少なくなるのはいやだ。自民党は外国人にもオープンで自由度が高い感じがするが、どうも純粋できれいな政策だけで、国際社会の荒波を超えるような英国になれるのかなとやや心配でもある。(もし選挙権があったらー?自民党に投票して、これが政権に反映されないという、私のいつものパターンになりそうだ・・・。)
参考:プレスガゼットより
400万人がテレビ討論の2回目を視聴
http://www.pressgazette.co.uk/story.asp?sectioncode=1&storycode=45348&c=1
ニック・クレッグ、メディアの否定的な報道に反撃
http://www.pressgazette.co.uk/story.asp?storycode=45342
秩父の小さな畑とおいしい野菜から世界を見ると (下)
山々が連なり、森と水が豊かな秩父。そんな地域にいま異変が起きている。この自然豊かな山の村が植物工場のメッカになろうとしているのだ。発端は秩父市のはずれにある誘致工場のひとつが不景気と中国への移転でいなくなり、空き工場になったことにある。その工場が植物工場に衣替えした。土の代わりに培養液を、お日さまの代わりに人工照明を使ったその工場がNHKで放映され、秩父は一躍植物工場の地として有名になった。「野菜工房」と名づけられた工場ではレタスがつくられている。緑が有り余るほどある秩父でなぜ植物工場なのか、そんな素朴な疑問がわいてくる。
―農業ってなんだろう
このことは、単に野菜が工場で生産されるということではすまない問題を、農業や食べ物に投げかけている。それは「農業とは何か」「食べ物とは何か」という根源的な問いかけである。農業とは、人と自然の相互の関係性の中で成り立つなりわいとして営まれてきた。人が土を耕し、肥やしを入れ、種を蒔く。種は自らがもつ生命力で芽を出し、葉をつける。
土の中に棲む数え切れないほどの微生物とお日様と雨が種の生命力でに働きかけて、実がなる。こうした農という営みを突き詰め ていくと、自然の力にいきつく。そう、農業の生産力とは自然の力なのだ。農業とは、お日様と水と土と、そして土の中に生きているそれこそ無数とも言える生き物たちがおりなす生命活動の、一つの過程にすぎないのである。そして、この農をめぐる自然の営みは、地球を舞台とする自然の循環の一部に過ぎない。
いま政府の補助に乗って広まっている植物工場は、この農の営みから自然を排除していくことにほかならない。空気を遮断し、風を遮断し、お日様を遮断し、雨を遮断し、すべてを人為で制御する閉じられた空間に押し込める。植物工場は、一連の農業近代化、あるいは効率追求農業の最先端の姿である。
この50年間、農業を巻き込んだ近代化といわれるものは、「自然を抑圧する」ことを本質としてきた。生産性向上をめざしてひたすら効率を追求するためには、自然は邪魔者でしかない。現代農業技術は農業から自然性を排除する方向で発展してきたのである。土を豊にする代わりに化学肥料が登場し、作物を病気や虫に負けないように丈夫に育てる代わりに農薬の大量使用が進められた。その結果、合成化学物質による汚染が地球全体を覆い、有機物の循環を支える種の多様性をこわしている。こうして現代農業技術は反自然・反生命を内に包み込んで技術革新を遂げてきた。
人びとの生命を維持する食を生産する農業から生命性が排除されるということは、食からいのちが失われるということである。生命性を失った食べものが安心して食べられるものであるわけがない。いま、食への不安が極限にまで高まっているが、その大本をたどっていくと、こうした現代農業のあり方そのもののゆがみに行き着く。こうして人びとは食への不安に悩まされることになる。
植物工場だけではない。これからの食料を支える科学技術といわれる遺伝子組み換え技術にしてもクローン家畜の技術にしても、本質は変わらない。生命を部品の取替えが聞く機械のようにみなす「機械論的生命思想」がその背後に共通して流れている。
―食料危機対策は小さな伝統農業で
ではどうすればよいのか。大規模化や効率やコスト削減や国際競争力といった、農業談義でよくいわれるこうした視座とは違ったところから農業を考え、組み立てることがいま必要なのではないかと考えている。今年も11月末に、国際有機農業映画祭と銘うった催しを開催する。今年で三回目になるこの映画祭は筆者が代表を務める実行委員会で行っており、内外の有機農業、自然、食、地域づくりなどのドキュメンタリーフィルムを一挙に十数本上映する。2008年の第2回は11月16日、東京の代々木公園に隣接するオリンピック記念青少年センターの大会議室3部屋を借りきって開いた。その前年の第1回もそうだったが、今回も座席は満席で、立ち見が出るほどだった。参加者の年齢は20歳代から70歳代まで幅広かったが、20歳代30歳代の女性の参加者が多くいたのだ目についた。都市生活の疲れ、食べものの不安が人びとの目を農村や農業、それも環境や生命に優しい農業に向けさせているのかもしれない。
そうした人びとの期待は、市場万能主義が覆っている国際政治の場も変えようとしている。その動きを紹介しよう。食料危機が世界中を津波のように襲っていた2008年4月、IAASTDという国際機関がひとつの報告書を出した。報告書は、工業的農業を進める農業生産性向上に異議を唱え、有機農業をはじめとする生態系に沿った持続的農業を提唱していた。IAASTDというのは「開発のための国際農業技術評価」の略称で、02年8月に設置された機関である。各国政府、企業やNGO・消費者団体などの代表で構成され、国連のFAO(農業食糧機関)やWHO(世界保健機構)、UNDP(国連開発計画)、ユネスコ、さらには世界銀行などがバックアップしている。その報告書は110カ国から900人の専門家が集まり、検討してきたもので、多くの国々で不安を呼び起こしている食料不足や食料価格の高騰を解決するために世界の農業を根本的に変革することを求めている。
ではそれはどんな農業なのか。報告書は、これからの農業は「石油化学燃料と農薬に依存した農業から、生態学に依拠し伝統的な地域社会を基盤とするものでなければならないとして、「最も先進的な農業のあり方は、生物多様性を保持し、自然に逆らわない農業であるとして、21世紀の食料危機を回避する確かな方策として、有機農業と小規模農業に対し明確な支持を表明している。
秩父の小さい農業に話を戻す。みんなもう高齢だが、傾斜の強い畑をきちんと手入れし、毎朝虫眼鏡でキャベツの葉をひっくり返し、虫眼鏡で虫を探して一匹一匹指でとって始末する。落ち葉や雑草を積んだ堆肥をどの家も作っている。誰も「有機農業をやっています」なんていわないが、畑では見事な伝統の技が発揮されている。土建会社や電気会社の野菜工場に補助金を付けるのではなく、こうして山を守り土を守り水を守って、おいしい農作物を作っている高齢百姓がきちんと生きていけるためにこそ、公的にサポートをすべきではないのか。企業と役人を除き誰も野菜工場など望んではいないのだ。(日刊ベリタ編集長、農業ジャーナリスト)
日刊ベリタより
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201004100009516
秩父の小さな畑とおいしい野菜から世界を見ると(上)
埼玉県秩父に住んでもう15-6年になる。秩父は山国である。幾重にもつらなる山また山の連なりの向こうに、さらに山が連なる。武州、甲州、上州、その向こうには信州の山々が連なる。この巨大な山塊群のトバグチに住んでいる。生まれ育ったのが四国山脈の真っ只中の村なので、周りに山がないと落ち着かない。それで15年ほど前に東京での間借り生活を切り上げ、移ってきた。住まいは小高い山の上にあり、まわりではぼくと同じ年頃の年寄り衆が畑をかきまわして野菜を作っている。なにしろ山の上の畑だから一枚一 枚が小さいのだ。作っても食べ手がいないからともってきてくれる。だから野菜に不自由したことはない。
―山国の小さな農業
秩父ではこんな小さい野菜づくりがいたるところで営まれている。なにしろ山国だから畑は少ないし、取れる量もたかがしれている。その分手間をかけているからおいしさにかけてはとこにも引けをとらない。まず自分の家で食べ、余れば近所におすそ分けするか軒先に作った無人販売棚に並べるか、農協の直売所にもっていくか、いずれにしろ近場でさばいてしまう。ピカピカの商品を作る必要はないし、第一農薬だって安いものではないから、ほとんど使わない。だれも有機農業だなんていわないが、おのずから安全でおいしい野菜が地域をぐるぐるまわることになる。
我が家の食卓は、ご近所からいただくこんな野菜でいつもにぎわっている。どの家もつくった野菜を食べきれなくて、ぜひ食べてくださいと持ってきてくれるのだ。こちらもわが家で余ったものや旅先で買った酒などをときにお返しして、物々交換経済を成り立たせている。この話を日本の有機農業運動の先覚者である山形県高畠町の農民星寛治さんに話したら、「それは理想ですね。とてもいい姿です」とほめてくれた。
―鳴り物入りの植物工場
そんな地域にいま異変が起きている。この自然豊かな山の村が植物工場のメッカになろうとしているのだ。発端は秩父市のはずれにある誘致工場のひとつが不景気と中国への移転でいなくなり、空き工場になったことにある。その工場が植物工場に衣替えした。土の代わりに培養液を、お日さまの代わりに人工照明を使ったその工場がNHKで放映され、秩父は一躍植物工場の地として有名になった。「野菜工房」と名づけられた工場ではレタスがつくられている。緑が有り余るほどある秩父でなぜ植物工場なのか、そんな素朴な疑問がわいてくる。
そもそも植物工場とは何か。農林水産省のホームページによると次のように説明されている。
「植物工場とは、環境及び生育のモニタリングを基礎として、高度な環境制御を行うことにより、野菜等の植物の周年・計画生産が可能な栽培施設のことで、(ア)温室等で太陽光の利用を基本とし、人工光による補光や夏季の高温抑制技術等を用いて栽培する「太陽光利用型」と(イ)閉鎖環境で太陽光を用いず に栽培する『完全人工光型』の2つがあります」
いま、植物工場といわれているのは、このうち(イ)の閉鎖環境タイプでお日様も代用で済ませるものを言う場合が多い。農水省、経済産業省、業界団体の三者が組んで、補助金をばら撒きながら、いま普及におおわらわである。その状況を見ていると、農業対策というより電気電子関係をはじめとする企業に対する景気対策という側面のほうが目に付く。農水省の資料によると2009年4月現在で全国で50工場ほどが操業している。
景気対策といったのは他でもない私が住む秩父で植物工場設置を目指し補助金を申請する企業が目白押しだからだ。そのいずれもが公共事業削減と景気後退で仕事がなくなり、倒産の危機に見舞われている土建関係に企業なのだ。もともと秩父は元農家の土建業者が多い。倒産の危機に見舞われているこれら下請け、孫受け企業が、地元農家を役員に入れて農業法人を作り、植物工場のための補助金ねらいに走ったのだ。もちろんこんな現象は秩父だけでなく全国で見られる。
零細土建業だけではなく、大企業からの参入も多い。閉じられた空間で自然を排除することで病原菌や虫、雑草の繁茂を防ぐことができることから、無農薬栽培が可能になる。そこで安全を売り物に食ビジネスへの参入をねらう企業が植物工場に目をつけた。こうして政府の補助金に後押しされた工場生産の野菜が、日常的にスーパーマーケットの棚に並べられ、日々の食卓に乗る時代になった。このところ農業記事が目立つメディアの報道内容を追ってみると、企業の農業成功例で埋まっている。朝日新聞社発行の週刊誌「AERA」の09年5月18日号は「農業バブルがくる」という特集を組み、「農業で稼ぐ、チャンスを探り始めた企業」のいう記事では建設用ボルト工場がレタス工場になり、建設業者がトマトを育て、工場生産で「脅威の28期作」を実現、といった成功物語をアピール。さらには「農業で稼ぐセブン&アイ、シャープ、昭和電工・・・、80兆円ビジネスは不況下の『救世主』」なのだ」と煽っている。 (農業ジャーナリスト)
日刊ベリタより
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201004060740272
ロシアの土産とは?<下> 冬の気分を吹き飛ばす鳥笛
10.04.19 by タチヤーナ ・スニトコ カテゴリー: 世界の窓
ロシアの昔ながらの土産は「太陽」・「女」・「馬」・「鳥」・「植物」をテーマにしたものです。これらは様々な工芸品に共通したテーマです。それらは刺繍の模様・砂糖菓子の飾り・玄関飾り、器の模様、紡ぎ台の模様、粘土製のおもちゃ等に様々な模様としてみることができます。
これは世界を「一本の世界樹」とみなすスラブ民族の思想に由来しています。木のてっぺんは天国につながり、その根っこは地中深く伸びています。上には太陽と月があり、枝には聖なる鳥たちが住処を作っています。リスは木の幹を走り回り、蜂たちがブンブンと飛び回っています。木の根元には蛇・蛙・ビーバーが住んでいます。木全体が一人の女性とみなすことができるのです。それ故、2匹の鹿又は鳥たちといる木又は女性が色々な刺繍や粘土細工のおもちゃの図柄に使われているのです。
トナカイ・へらじか(大鹿)・白鳥・鴨・おんどり・めんどりはスラブ民族の間で最も一般的に認められているシンボルの図柄です。
鳥たちはスラブ民族の文化の中では特別な位置を占めています。スラブ民族の天地創造神話によれば、雄の鴨が世界を創造したことになっています。その鴨は果てしない海原を永い年月をかけて泳いで行き、そして海中深く潜ってゆき、そして海底の砂を持ち帰り世界を創造したことになっています。
スラブ民族は特別に渡り鳥を崇拝しました。白鳥・雁・鶴・こうのとりなどの水鳥です。水鳥は空中・地面・水中の3領域を住まいとしているからです。これらの鳥たちは天国に通じる上半球である空中を自由に動き回り、下半球である水中も自由に行き来できる鳥です。これらの鳥たちは翼に「春」の乗せてやって来て、雪を思わせる白さを持っています。
その中でも、白鳥が最も尊ばれています。おとぎ噺によれば、白鳥は鳥の中の王様であり、そのけがれをしらない女性を象徴しその白鳥の美しさは数多くの伝説を生んでいます。白鳥は「不死の聖水」の湧く場所を知っています。伝説の物語の中では、白鳥は、「人を蘇生させる聖水」と「食べると若返るリンゴ」を持っていることになっています。
鳥には象徴的な意味があります。おんどりとめんどりは太陽の使者で、鶴とヒバリは春の象徴です。コウノトリは家族の幸せの象徴です。カッコーは未来を予言します。鳩は愛のシンボルです。燕は幸せのシンボルで遠方からの目新しいニュースを運んできます。ガチョーは繁殖力の象徴です。
美術では、鳥は風・雲・稲光・雷雨・嵐・太陽の光を象徴します。北方ロシアの伝統的な土産物は「幸せの鳥(太陽の鳥)」です。昔は、スラブの人々は伝統的な建物である「イズバ」(изба)の美のコーナーと言われている「クラシニイ・ウゴル」(красный угол)の食卓テーブルの上方の天井から鳥をつるしていました。「サモワール (ロシア風の湯沸かし器)(самовар)」を食卓テーブルの上に置くと鳥がゆっくりと舞い始めるのでした。時には、鳥は揺りかごの上につるされました。その幸せの鳥は家族の幸せを守ると言われていました。
鳥の形のおもちゃの笛があります。これらのおもちゃの笛は北方ロシア地方で5月に催されるヤルマルカと呼ばれる定期市である「スヴスツニヤ」(Свистунья, Свистопляска)で売られていて人気があります。人々は群がり笛を鳴らします。笛を鳴らせば、長いロシアの冬の間家に閉じこもっていて心によどんでい溜まった思いやもやもやした気持ちもどこかへ吹き飛びます。日本の節分の「鬼は外、福は内」と大声で叫びながら豆を撒く伝統も同じような思いが込められているのではないのでしょうか。
一番有名なおもちゃの笛は「ヂムカ」(Дымка)という町で作られている「ヂムカのおもちゃの笛」(Дымка, дымковская игрушка)です。
おもちゃの笛には色々な動物や鳥のシンボルの図柄が使われています。しかし、それらの中のあるものはとても簡単で素朴なものです。何故ならば、その目的は装飾用ではなくて呪術用だったからです。
多くの場合、ウォッカではなくて蜂蜜のワインのメドヴハ(медовуха)という飲み物の器と塩入れに鳥たちの図柄が使われていました。
鴨は夜中に太陽を運んでくると信じられていました。毎日、太陽は「地底の世界」へ行き、そして鴨がはるばると地底まで太陽を探しに行き運んでくるので、翌朝には再び空に昇ってくるのでした。「夜の太陽の運搬人」である「鴨」の図案はいろいろな美術関係のデザインに見られます。最もよく知られているものは鴨の頭の絵柄のある飲み物の柄杓と器の内側の底に太陽の絵柄のある組み合わせのデザインのものです。最近の人気のある土産物です。昔人気があったものは、飲み物の器の中に入れるお守りでした。ホフロマで作った器にはいろいろな鳥が使われています。
ところで、一番いいロシアの土産は何でしょうか。
(日刊ベリタより)
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201004101506556
英ガーディアン編集長によるiPadレビュー
iPadの米国以外での発売は4月末の予定だったが、これが先延ばしになった。しかし既に、英国で米国版を手にした人たちがいる。一体どんな感触だったのだろう?
新聞(=ニュース)関連で私が面白いと思ったのは、英ガーディアン紙のアラン・ラスブリジャー編集長による感想ビデオ及び記事である。ガーディアンはネットに力を入れている新聞社の1つだが、紙の新聞だって大いに売りたい人が果たしてどんな感想を持つのだろうか?
ガーディアン内部にはテック関係の専門記者がたくさんいるし(専門ページもある)、専門の話はそういう人に任せておけばいいのだろうが、やはり、「自らが」というところが良い感じがする。(日本の紙の新聞でも、編集デスク、あるいは編集局長あたりが、「触ってみて、感想をサイトに出す」なんてことをやったら、面白いのではないだろうかーやはり、何といっても、「ニュース」を扱うのが命の組織なのだから。)
ラスブリジャー編集長がアイパッドの使用感を語る動画(広告が先に入るのでご注意。)
http://www.guardian.co.uk/technology/video/2010/apr/07/apple-ipad-review-alan-rusbridger
編集長の記事
「昔、私は将来を木の板の上で見たー今、(その将来が)やってきた」
http://www.guardian.co.uk/technology/2010/apr/11/ipad-rusbridger-future-of-the-press
記事によると、16年前、同氏は米シカゴトリビューン社に出かけて、新聞の将来のデモンストレーションに参加したそうである。ここで、インターネットでニュースを提供する形を見せられ、「画面は白黒で、アップするのに2分はかかり、質が悪いな」という感想を持った。
その後で、今度はナイト・リッダー社のラボに出かけ、「タブレット」の原型を見る。この時、ラボを仕切っていたのが、ロジャー・フィドラーという人で、見せられたのはA4サイズの木製の型。表面には「1面」と記されていただけだったそうだ。フィドラーが呼ぶところの「フラットパッド」では情報が常に更新され、自分の好きな声で情報が読めたりする、と説明された。その後、ナイトリッダーは買収されてこの計画はつぶれてしまったけれど、ニューヨークから取り寄せたアイパッドを手にして、思い出したのはこの時のことだったそうだ。
そこで使い始めて数日間の印象を記すのだが、当初、アイパッドはアイフォーンがでかくなっただけで、フラッシュ動画が見れず、「重くて、何だか意味がな」い・・と思っていたのだが、使い始めて6日目、ワープロソフトなどをインストールした後は、段々,好感を持つようになる。アイパッドを使った後でアイフォーンを使うと、画面が読みにくい感じを持つように。
アイパッドで見ることに慣れてくると、「もしかして、アップル社は、本の出版社が400年前に発見したような、人間の目と手が自然だと感じるサイズ」を再発見したのかもしれない、と思えてくる。
ラスブリジャー編集長はアイパッドを「変革の力を持つ、暫定的なステップ」と定義づけている。
ガーディアンの記事がアイパッド上でそのうち有料化するのかどうかに関しては「別の話」と言っているが、アイパッドに限らず、デジタルコンテンツの有料化をガーディアンは決して論外とはしていない(BBCのラジオ番組で、経営陣の発言など)。
―アイパッドは新聞の救世主になるか?
ラスブリジャー氏の記事で、あれ?と思ったのは、紙の新聞の制作コストの中で、「印刷、紙代、運送代、販売網、配達費」などが、新聞経営のコストの30%を占める、と書いてあったことだ。逆に言うと、新聞が紙の制作をやめて、オンラインのみになったとしても、30%しかコストは減らないんだなーと。意外だった。
アイパッド(及び似たような電子機器)が新聞(業界)を救うのかどうかは、何せまだアイパッドがこっちで発売されておらず、本格化していないので、いろいろな人がいろいろ言っているだけである。まず、マードックが「新聞」を救うと言っているようだ。こんな面白いものがあるんだったら、と。
ガーディアンのコラムニスト、グリーンスレード氏がオーストラリアの評論家、エリック・ビーチャーの話を紹介している。
http://www.guardian.co.uk/media/greenslade/2010/apr/12/ipad-rupert-murdoch
ビーチャー氏は「救えない」という見方。その理由は、①印刷関係のコストをカットしても、それ以外のコストが残る、②販売コストは変わらない(アップルなどがコミッションを取る)、③読者が支払う代金(新聞社にとっては収入)が大きく下落する(アップストアなどでの価格)、④すでにたくさんの無料ニュースが出ているので、有料電子版システムを導入する新聞社は限られている、⑤広告収入が減る(広告主が紙媒体での金額の広告料を払わない)-などを挙げている。
いずれにしろ、お金がもうかるか・もうからないかに関係なく(ユーチューブ、ツイッターの例)、より見やすい形の電子画面で情報を得るという動きは加速化するばかりに違いない。アイパッドの2はきっと、さらに良いものになっているだろう。(英国メディア・ウオッチ)
英総選挙 テレビ討論で第3党の躍進 何故勝った?
昨晩の熱狂がまださめきれていない、今朝(4月16日)である。5月6日の総選挙前に、昨晩、英国では初の各党党首による、米国型テレビ討論が行われた。
「米国型」というのは、大統領選挙の時、2大政党の党首(大統領候補)がテレビで討論するアレである。その昔、ニクソン氏が若々しいケネディー氏に負けた・・・というエピソードでも有名だ(当時のことを覚えている人は少ないかもしれない)。
英国は大統領制ではなく、日本のように総選挙の結果、最も下院の議席を得た政党が政府を作る仕組み。国民一人一人が首相を直接選べるわけではない。もし誰かを首相にしたかったら、その人が所属する政党が推す候補者に一票を投じるしかない。
「大統領制」と言えば、最近では、ブレア元首相(1997-2007)が、「大統領スタイル」を政治に持ち込んだ、と言われている。それは、内閣の中で他の閣僚と話し合いながら物事を決めるのではなく、自分とその側近が重要なことを決める・・・という意味である。「ニューレイバー」ブレア氏の人気におんぶにだっこで労働党はやってきた(近年)。
さて、昨日のテレビ討論である。前から、米国式のテレビ討論をやろうという話は持ち上がってきたのだが、近年の例をひくと、例えばブレア氏はいったんはやろう!と言っておきながら、最後になって「やっぱりやらない」というケースがあったという(BBCの番組)。「勝てるのに、討論に参加して、マイナスになったら困る」というのが理由であったという。
そこで今回も実現するかどうかが疑問視されていたのだが、ブラウン首相(労働党党首)が参加を表明し、デービッド・キャメロン野党保守党党首とニック・クレッグ第2野党自由民主党党首が入って、3人でテレビ討論をやることに。全3回行われ、昨晩がその第1回だった。
民放ITVが放映した番組は夜の8時半から10時まで。1時間半で、コマーシャルはなし。内政問題について、視聴者があらかじめ調整された質問を出し、これに各氏が答えた。3人が「討論」をするよう、司会者が「xxに対して、xx氏はこう言っているが、どうか?」と反論の機会を与えた。
BBCの記事
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/election_2010/8624317.stm
実は時間を間違えてしまい、8時50分ごろから見た。最後まで見て、感動してしまった。投票権がないのに、「自分だったらどうするか」と思うと、目が離せなくなるのだった。結局、「第3の男」となるクレッグ氏が、番組放映後の調査で圧倒的支持を得るのだけれど(例えば40-50%、次にキャメロン氏の26%ぐらい、ブラウン首相の20%など)、私が気づいたのは以下の点で、まったく新しい何かが起きている感じがした。
*ブラウン首相もキャメロン氏も、なぜか「カメラをしっかり見る」ということがほとんどなかった。常に会場内の観客を見るか、相手をちょっと見るか、など。これはアドバイスが悪かったのかどうか?結果的に、ブラウン管を通して、視聴者に語りかける感じがほとんどなかった。
*両氏のやりとりは、結果的に、毎週水曜日に行われる「クエスチョンタイム」(首相に野党議員らが質問をし、首相がこれに答える)の繰り返しだった。相手を議論で負かす、相手の議論の不一致をつつき、誰が正しいかをギャラリーに示す・・・ことに主に集中していた。
*ブラウン首相は、照れ笑いのような表情があって、ジョークも珍しく飛ばしていたが、「ニック(クレッグ)に同意するが・・」というような表現をよく使った。自民党と一緒に連立政権を作りたいという、「ラブコール」で一杯だった。
*これもカメラの話になるが、キャメロン氏はちょっと演台から離れて、時折、頭をやや後ろに倒し、客席を見て話していた。こうすると、視線が「上から見下ろす」ように見える。どうもそれが私には「見下ろす視線」=政治姿勢の一致、に見えてしまった。
さて、ここからがクレッグ氏を誉める話になる。
*クレッグ氏は、カメラをしっかり正面から見て話していた。これで、お茶の間の視聴者にとっては、自分に向かって話しかけた・・という印象を与えた。
だんだん明らかになってきたのは、ブラウン首相とキャメロン氏がお互いに議論をしているうちに(互いの議論に勝つことは政党の戦略上、重要)、クレッグ氏が、コツコツと、ざっくばらんに、語りだしたことで、ブラウン+キャメロン=自分たちだけの古いゲームに熱中している人たち、クレッグ=唯一、視聴者のそして国民の目線で語れるヤツ・・・というイメージが鮮明になってしまった。
そこからはもう、クレッグ氏のイメージが上がる一方であったと思う。そして、
*視聴者からの質問がでると、クレッグ氏はまずその人がどこに座っているかを確認し、名前を繰り返した。最後には、質問者ほぼすべての名前を繰り返した。パーソナルな雰囲気である。「あなたに向けて、話していますよ」と。日本と同様、英国の政治家は「有権者の方を見ていない」と批判されている。しかし、名前を入れることで「あなたの話を聞いていますよ」という印象を与えた。しまいには、キャメロン氏も質問者の名前を入れるという返答方法を真似していた。
結局のところ、最後までクレッグ氏は好印象を残しながら、議論は終了。その後の別の番組でも、「クレッグはいい」という声が相次いだ。
―なぜ勝った?
クレッグ氏が勝てた理由は、「第2野党なので、自分が首相になることはありえず、第3党の党首ということもあり、気軽に話せた」というのは1つあろう。
しかし、その上で、クレッグ氏が高く評価されたのは、単に議論に勝ったとか、見た目の感じが良かったとか、テレビ目線で話したとか、そういうもろもろの理由よりも、政治的に重要な意味があったのだと思う。
それは、国民の政治家に対する幻滅感、「どうせ何も変わらない」という厭世観がかなり大きいものであることを理解しているかどうか。これは非常に深い。灰色議員経費問題、不景気、銀行への大量の税金導入など、怒りの末にがっかり、投票したくないという人はたくさんいるのである。この点を理解しているかどうか。
・・もしこの点を本当にしっかりと理解していれば、テレビ討論でするべきではないのは、古い政治のパターン、つまり、2大政党制で、党首がお互いの議論をけなしあうことだった。議事堂での毎週やっているやり取りを再現してはいけない。「今までと同じ」「政治家たちは自分たちの世界の中でやりあっている、自分には関係ない」という思いを抱かせないこと。
つまり、国民の信頼を取り戻すことが、1つの大きなテーマだった。国民一人一人の意見を聞いて、語りかけること。この点から、クレッグ氏は戦略的に勝ったな、と思う。
―クレッグ氏の個人の資質
今回のテレビ討論での様子が、自民党の支持率急上昇、および獲得議席数の大幅拡大に結び付くかどうかは分からない。2大政党神話は強いし、番組を見なかった人だっている。
しかし、一つの流れとして面白いは、政治ポジションとしての第3党がやや現実味を帯びてきたなということである。「もう1つの視点」である。(欧州の学者に前に言われたのは、「もう右、左」という考え方はないということ。右=保守党、左=労働党という分け方が古いのではないか、と。英国にいると、つい忘れがちになる。)
それと、クレッグ氏個人の資質なのだが、どうもこの人は何だか違うゲームをやっている感じがする。よく、格が違うという意味で「違うリーグにいる」という言い方があるが、そんな感じ。「格が上」でなく、「違う」。
これをすごく感じたのは、クレッグ夫人が前にテレビのインタビューに応じた時だ。キャメロン氏もブラウン首相も夫人を選挙運動に連れてゆく。一緒に写真を撮られたり、有権者を訪問したり。ところが、クレッグ夫人は、「選挙のために5週間もフルタイムの仕事を休めないから」という理由でこれをしていない。「私は政治家の妻ではない」「たまたま、政治家の男性と結婚しているだけ」と。個人の生活の方が重要だ、というメッセージだと思った。
その評価は様々かもしれないが、とにかく「違う世界に生きている」なあと思ったものだ。「違う」というのは、「既成の政治界の慣行の外に生きている」という意味だ。
クレッグ氏は、下院議員になる前、5年間、欧州議会議員だった。でも、英国の有権者からすれば、欧州議会議員は「遠い存在」で、「どうしても下院議員になりたかった」と以前、話していた。
クレッグ氏の新しさが最近光ったのは、12日、BBCのジェレミー・パックスマンという名うてのジャーナリストからインタビューされた時。
(以下のビデオは英国外では見れないかもしれない。)
http://www.bbc.co.uk/iplayer/episode/b00s67vd/Jeremy_Paxman_Interviews_Nick_Clegg/
パックスマン氏は、政治家をやり込めるインタビューで有名なのだ。前の総選挙では、自民党の当時の党首チャールズ・ケネディー氏にインタビューし、彼のアルコール好きを改めて暴露。返事に窮したケネディー氏は、とうとう党首を辞任した。非常に人気のあった党首だったが、アルコール依存症であることが表面化したのである。
そんなわけで、厳しいパックスマン氏の追及が怖いと思ったのかどうか、今回、党首のインタビューの話が上がった時、これに応じたのはクレッグ氏だけだった。ところが、開けてびっくりで、パックスマン氏のいじわる(と想定された)質問を堂々と切り替えし、最後は主導権を握ってしまった―つまり、クレッグ氏は自分の言いたいことを言いたいように主張してインタビューは終わった。何故か、切れ味の悪かったパックスマン氏。政治家への厳しい質問で非常に有名なパックスマン氏だったが、相手の言葉尻をとらえて言論の不一致を説くパックスマン流インタビュー=古いインタビューの形式はもう終わった感じがしたものである。
これがもしキャメロン対パックスマンだったら?キャメロン氏もおそらくうまく切り返しただろうと思うーブラウン首相も(うまく、かどうかは分からないが)。ただ、おそらく、パックスマン氏の質問にいちいち反応・反撃しただろうと思う。
喧嘩あるいは議論をする時、「相手のゲームで戦うな」という言い方を聞いたことがある。相手のゲームプラン(ゲームは戦略、といってもよいだろう)に沿って、そのルールの中で戦うな、と。(たとえば、余談になるが、「あなたはいつ妻を殴ることをやめましたか?」という質問がある。妻を殴っていることが前提となっている質問である。否定しても肯定しても「殴っている」という事実から逃げ切れない場合がある。)クレッグ氏とパックスマン氏のやり取りを見て、クレッグ氏がどうも自分なりのゲームプランを持っていることに気付いた。パックスマン氏の質問に答えるためにそこにいるのではなく、自分のペースで自分の言いたいことを言うために出演しているのだ、ということが。
今回の総選挙で、一番のカギは、必ずしもマニフェストで各党が何を約束したかではないだろう。テレビのインタビューに答える視聴者たちは、「政治家には本当のことを言ってほしい」と繰り返している。「国の負債を減らすために、どこかで削減があるのだったら、どこにどれ位なのか、はっきり数字で示してほしい」と。この痛切な思いをちゃんとくみ取れるかどうか。失われた信頼を取り戻すには、本当のことを言うのがよいのだが、本当のことを言ったら、選挙に負けてしまうので言えないのである。
テレビ討論で、私が思わず拍手をしたのは、クレッグ氏が「負債額があまりにも大きいのでどうしたらいいか最善策がない」「総選挙後にどの政党が勝つとしても。この3党や中央銀行、すべての関係者がアイデアを持ちよって、何がベストかを一緒に考えよう」と言った時だ。保守党か労働党かという2者択一ではなく、というメッセージでもあったが、やっぱりなあとも思ったのである。各党がいうように本当に国の負債がでかくて困っているなら、そしてどの党も圧倒的な第1党になれないなら、みんなで知恵を出し合うしかないし、特定の政党が勝つか負けるかなんて言うことは、わきに置いといて・・というのは、国民の思いに合致する。
どの党が政権を担当することになるのかは分からないが、国民の声を反映する政権になってほしい。多くの国民の政治・政治家に対する不信感をどこまでくみ取れるかーこれが決め手になるはずだ。
―失言?、疑問
自民党はトライデントの廃止を主張している。労働党、保守党は維持派だが、キャメロン氏がこれを維持する理由として、諸外国の脅威をあげたが、スコットランド国民党党首の観察によれば、脅威がある外国の1つで中国を挙げたようなのだ。英国にとって貿易パートナーとして重要視される中国が果たして脅威なのかどうか?失言だったのだろうか??また、トライデント廃止は「冷戦構造が終わった」ので、まっとうなものという自民党の主張は理解できるけれど、じゃあどうやって国防を維持するのかなと。これはまたどこかで出てくるだろう。(4月16日記)「英国メディアウオッチ」より
3人が合格したけれど… 外国人の看護師国家試験に関係者は総合的改善策望む
看護師国家試験の合格発表が3月26日行われ、経済連携協定(EPA)により来日した外国人看護師候補生の受験者254人うち3人が合格したと発表された。内訳は、インドネシア人2人、フィリピン人1人だ。看護師の全国平均合格率は89.5%だったが、外国人はわずか1%という結果。日本語能力が高い障壁となっていることがうかがえる。合格者のひとりヤレド・フェブリアン・フェルナンデスさん(男性・26歳・インドネシア、写真右)への緊急電話インタビューと、関係者の話から、今後の制度の在り方や支援の方法を考えたい。
―国家試験合格に必要なもの
「肩の荷がおりました」
国家試験に合格した今の心境は? という問いに、心から安堵したような声でそう答えるヤレド・フェブリアン・フェルナンデスさん。
「肩の荷がおりた」なんて言葉が口をついて出てくる時点で、彼の高い日本語能力がうかがえる。
ジャカルタ出身のフェルナンデスさんは、日本とインドネシアのEPAにより、2008年8月に来日。母国では4年間、心臓専門の病院で看護師として勤めていた。
多くの候補生たちがそうであるように、彼も来日するまで日本語能力はゼロ。昨年の国家試験では、「問題を読むこともできず、惨敗でした」と苦笑いする。そんな彼が、わずか1年で合格できた要因は何だったのか?
「彼は日本語の理解力が高く、日本独自の看護理論を理解できていた」と、合格の要因を分析してくれたのは、昨年末に開かれた看護師国家試験対策(ガルーダサポーターズ主催)で、彼を指導したことのある日下修一准教授(獨協医科大学看護学部)だ。
外国人が国家試験に合格するためには、日本語技能検定などの一定のモノサシだけでは計れない「日常的な会話力」が必要だと言う。なぜなら看護師の国家試験には、日本語の細かなニュアンスを問うような問題が多い出題されるため、日常会話が理解できなければ解けない問題も多いからだ。
さらには、「キュア」(治療)よりも「ケア」(介護)に重点を置く日本の看護を理解するためにも、文化的背景まで含めた知識が必要だ。
フェルナンデスさんには、来日からわずか2年足らずで、これらを理解するだけの日本力が備わっていたと日下准教授は言う。
―ポイントを絞った勉強法
では彼はどのようにして、短期間のうちにこうした力を身につけたのだろうか?
「あくまでも私に合った勉強法ですが……」と前置きしたうえで、フェルナンデスさんが教えてくれたのは以下の方法だ。
日常会話の習得においては、とにかく実践に重きを置いた。
「何時間も教科書に向き合っているのが苦手なので、とにかく病院のスタッフや患者さんたちと会話しました。分からない言葉が出てきたら、すぐにメモして後で調べ、徹底的に使い方を覚えました」
力がついたかどうかは、病院で日々行われるミニテストで判断したと言う。
彼が「肩の荷がおりた」などの、日本人らしい表現を上手く使うことができるのは、たくさんの日本人とコミュニケーションをとってきたからこそ、なのだろう。
また、日本のポップスが大好きで、歌詞の意味を考えながらいろんな曲を聴いていると言う。お気に入りのアーティストは、レミオロメンや平井堅、ミスターチルドレン、BUMP OF CHICKENなど。病院スタッフたちとの飲み会があるときには、カラオケで歌うこともあるそうだ。
次に国家試験対策に関しては、まず過去問題を5~7年間くらい遡ってチェックし、よく出題されている問題ばかりをピックアップした。問題のなかで使われている漢字を書き出し、意味が分からないものは調べ、覚えるまで繰り返し問題を解く。そしてもうひとつは、診療科目ごとに日本語で病名を書き出し、「発疹(ほっしん)」「麻疹(ましん)」といった難しい漢字が用いられている症名と合わせて丸暗記した。
「ポイントは、よけいな問題に気をとられすぎず、よく出題されている問題に集中して繰り返し覚えることです」と言う。
―病院側の強力なバックアップ体制
このような本人の努力に加えて、病院側の手厚いバックアップが合格を後押ししたことは言うまでもない。
同病院には、フェルナンデスさんだけでなく、もうひとりの合格者リア・アグスティナさんも在籍している。合計3人の合格者のうち、2人も同病院から輩出しているのだから、バックアップ体制が良かったことは疑う余地もないだろう。
フェルナンデスさんの話によると、午前中だけ看護助手の仕事をこなし、午後からの4時間は、看護部長や総務部長などに交代で勉強を教えてもらいながら、日本語の習得や国家試験対策に励んでいたそうだ。
本人の能力やモチベーションもズバ抜けて高く、病院側のバックアップ体制も極めて厚い、という3拍子そろった好条件だったからこそ、日本語能力ゼロの状態からたった2年で合格できたのだろう。
―あと1年で間に合うのか?
あと1回しか受験チャンスが残っていない候補生も多いなか、果たしてあと何人が合格できるのだろうか?
「今回3人の合格者が出たことは、あくまでも“例外”だと思ってください。」と警鐘をならすのは、ガルーダサポーターズの共同代表、宮崎和加子さんだ。
「例外」というのは、どういうことだろうか?
外国人看護師候補生たち自身も、受け入れ側の病院も、置かれた状況のなかで全力を尽くしている。しかし当然ながら、候補生たちの能力や学習速度、モチベーションなどは人によって異なるし、病院側のバックアップ体制も一律ではない。使う教材も勉強の進め方もまちまちだ。人員に余裕がない病院の場合は、国家試験前といえども十分に勉強時間を与えてやれないこともある。そんな状況のなか、3年以内に合格できるケースは極めて「例外的」だということなのだ。
岡田外務大臣も3月26日の会見のなかで、「国の制度のもと、日本で看護師や介護士になろうと志をもって来日している人たちが、本来資格がありながら大半が試験に合格できないというのは決して望ましい状況ではない。改善できる点があるのはないか?」といった趣旨のことを発言している。あと1回の受験チャンスしか残っていない候補生も多いなか、国はどのように改善するつもりなのだろうか。
―9億円の予算を有効に使うには
厚生労働省は、今期約9兆円を注ぎ込んで外国人看護師・介護士のためのイーラーニングシステムを構築するとしている。しかし、宮崎氏も前出の日下准教授も、「イーラーニングを利用するのはよいが、よほどカリキュラムを精査し、ポイントを絞って勉強しなければ、3年間で合格するのは至難の業だ」と憂慮している。
一定の成果をあげるには、少なくとも2年間はしっかりと日本語を学び、1年間は日本の看護を学ぶ“時間”が必要だからだ。
さらに気がかりなのは、候補生たちの教育を担当している海外技術者研修協会(AOTS)や、その他の日本語研修機関どうしが、ほとんど横の連携を図れていないことだ。
そのため、それぞれが独自で似たような教材を開発しており、ノウハウが共有されないばかりか費用もかさむ。本来ならば、トップに立つ厚労省や委託を受けている国際厚生事業団(JICWELS)がまとめ役となるべきなのだろうが、それも上手く機能していないのが現状だ。
こんなにバラバラな状態で、果たして効率的で体系立った教育システムが構築できるのか、大きな疑問が残る。
何度も言うが、第一陣で到着した候補生たちは、泣いても笑ってもあと1回の受験チャンスしか残されていない。これまでの試みが無駄にならないよう、滞在期間の延長も含めて検討してほしい。また、フェルナンデスさんを含め、今回合格した3人の方々には、心からの拍手を送り、今後の活躍を見守っていきたい。
(日刊ベリタより)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201004071034163



