英国で始まったネット有料化の大実験:「週刊東洋経済」より

10.06.30 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, メディア

(以下は、週刊東洋経済「メディア覇権戦争」(6月28日発売)に掲載された、筆者執筆のタイムズ、サンデー・タイムズのサイト閲読有料化記事に補足したものです。)

 7月、英国の新聞界の今後を占う、イチかバチかの賭けが始まる。エスタブリッシュメントが読む新聞として長い伝統がある「タイムズ」とその日曜版「サンデー・タイムズ」のウェブサイトが、6月いっぱいの無料閲読お試し期間を終了し、有料サイトに移行するからだ。

 「ウェブ・ファースト(=ウェブへのニュースを紙より優先する)」という言葉が古めかしく聞こえる英新聞界では、すでに「紙かネットか」と両者を対立させて論じる見方は消えている。紙媒体の新聞の売れ行きを気にしてウェブサイトには故意にすべての記事を載せない、あるいはスクープを出さないなど、「ネット敵視」の手法は過去のものになった。

 では現在の敵は何か。それは「無料の壁」だ。サイト有料化を宣言したタイムズの5月26日付記事は、新聞社が電子版のニュースを無料で提供してきたことを「原罪」(人類の始祖アダムとイヴが最初に犯したとされる罪)と呼び、無料ニュースへの敵意を表現した。

―「タイムズ」の値づけは1日1ポンド、1週間で2ポンド

 英国の主要新聞で、サイト閲読に課金しているのは「フィナンシャル・タイムズ(FT)」のみ。ほかはすべてがアーカイブを含め無料で閲読できていた。無料朝刊紙「メトロ」、テレビ、ラジオ、ウェブサイト上の無料ニュース配信で圧倒的なプレゼンスを持つBBC、グーグル・ニュースなど、無料のライバルが実に多い。ライバルが無料で情報を出している以上、新聞社が「無料の壁」を突き崩せば、読者が逃げてしまう。そのため、有料化は禁じ手だった。

 にも関わらず、タイムズが有料化に乗り出すのはなぜか。その理由は「良質なジャーナリズムには、料金を払う価値がある」というもの。同社の親会社であるニューズ・コーポレーションのルパート・マードック会長は、グループの新聞社をいっせいに「有料化」に向かわせている。タイムズの有料化もその一環だ。

 タイムズはFTのように一定の本数は無料で読める仕組み(いわゆる「メーター制」)をとらず、購読者のみが記事を読める「全面有料」だ。1ポンドを払うと丸一日、両サイトの記事を読める。タイムズ平日版は1部1ポンドで販売されているため、「紙媒体を買うのと同じ」印象を与える。2日以上読みたい場合は2ポンドで1週間読める。紙版の定期購読者はサイト閲読が無料で、定期購読者を増やすことにもつながる

 新サイトの特徴は、白地が多くすっきりとした印象を受ける。紙のタイムズの題字を頭部に置き、「新聞紙面により近い」とライバル紙は評した。「有料の壁」(ペイ・ウォール)の中で提供されるコンテンツはこれまでのニュース情報に加え、著名コラムニストとのライブ・チャットやジャーナリストらとの情報交換など。購読者を対象にした会員制クラブ「タイムズ・プラス」が提供してきた、文化的イベント(映画鑑賞、美術展、対談など)への無料あるいは安値の参加ができる。

 新サイトは「全面有料」に加え、「完全囲い込み」だ。グーグル・リーダーなどのRSSにも記事が流れないため、タイムズの記事を読みたければおカネを払ってサイトを訪れる必要がある(この点は、今後変わる可能性もありそうだが)。

―1日24万ポンドの損失、タイムズの台所事情

 「良質なジャーナリズムには、料金を払う価値がある」というタイムズの論理を逆のサイドから見ると、要するに「ジャーナリズムの維持にはおカネがかかる」ということだ。

 サンデー・タイムズのジョン・ウィズロー編集長によれば、同紙とタイムズの編集部の予算は年間1億ポンド(約133億円)だが、たとえばワシントン特派員の維持費用には給与、住居費、旅費を含めると年間50万ポンドかかる。バグダッド特派員にはこの上に警備費用(100万ポンド)が上乗せされる。「ウェブサイトを閲読無料のままにしていたら、特派員を送れなくなってしまう」。

 月間ユニークユーザーが2300万人の旧タイムズオンラインは、7月の全面有料化による新サイト起動後、利用者が最大で90%減少する可能性もある、と見られている。「影響力が小さくなるかもしれないが、広告主は『有料の壁』の中のタイムズをわざわざ読みに来た読者を好むはずだ」(ウィズロー氏)。

 タイムズ、サンデー・タイムズ両紙を発行するタイムズ・ニューズペーパズ社の09年6月期決算の売り上げは3億8550万ポンドと、前年より13・44%も減少した。理由は広告収入の下落。この影響から両紙の税引き前損失も前年の5020万ポンドから8770万ポンドへ膨らんでしまった。両紙合わせて1日平均24万ポンド(約3200万円)の損失を出しているとされ、ウィズロー氏の窮状説明に実感がこもる。

 有料化はタイムズを救うのか。元タイムズのメディア記者だったダン・サバー氏が、新しいサイトが1~2ポンドの課金で得られる収入をブログ「ビーハイブ・シティー」で推定している。両紙のデジタル収入年間2500万ポンド(ちなみにガーディアンが2500万~3000万ポンド、有料購読制のFTが3000万ポンドの算定)は、90%の利用者が消えることで広告収入2000万ポンドを失う。しかし、2000万ポンドは約20万人の購読者がいれば、「回収できる」。

 もし広告単価を課金後に上げることができれば、購読者はもっと少なくても済む。さらに、購読者のクレジットカード情報を利用してチケット販売などの電子コマースで収益を上げられる、と指摘する声もある。

 しかし、タイムズの「完全有料」に対しては、懐疑的な新聞がほとんど。ネット投資を重点的に行ってきた「ガーディアン」もその一紙だ。

 同紙のアラン・ラスブリジャー編集長は今年1月、課金制にすれば「オープンであることを基本とするネットの言論空間から切り離される」「アクセスが減ると媒体の影響力が落ちる」といった理由から、全面有料化に対して否定的な見方を示した。

 しかし、ガーディアンが、何が何でも有料化策は取らないわけではないようだ。5月には「(課金制自体を全面否定する)原理主義者ではない」と、トーンダウンした。実際、ガーディアンでは複数の有料化モデルを終始議論しているという。

 同紙のウェブサイトの月間ユニークユーザー数は3000万人を超え、英国の新聞サイトとしてはトップクラス。09年のオンライン広告収入は2500万ポンド(約33億円)。今年は4000万ポンドの見通しだ。「レガシー費用(編集・印刷・運送などのコスト)をまかなうには十分ではないが、決して小さな数字ではない」(同氏)。この収入を減らさずに有料化できるのか、これがガーディアン経営陣の悩みだ。

 (参考までに、FTの購読者は09年12月時点で12万7000人。前年比で15%の伸びだ。オンライン購読を収入で見ると、前年比で43%増となっている。FTのオンライン購読とデジタル広告の収入は09年で全体の売り上げの5分の1だったが、2012年には三分の一になると予測されている。)

 ガーディアンとユニークユーザー数でトップの座を争っているメール・オンライン(日刊紙「デーリー・メール」と日曜紙「メール・オン・サンデー」のウェブ版)も、無料のままで行く路線を選択している。膨大なアクセス数とディスプレー広告収入の伸び(前年比131%増)があってこそである。

 無料モデルの収入は、広告だけではない。「デーリー・テレグラフ」は、同紙に掲載した記事と電子コマースを組み合わせた仕組みづくりに力を入れている。

 サイトに有料化を導入する予定がないテレグラフは、トラフィック数の増大を今後は優先化しないことに決めた。「アクセス数の増大でデジタルビジネスを成長させるというやり方は08年3月で終わった」(同紙デジタル・エディター、エドワード・ルーセル氏)。これからは「3つのC」(コンテント、コマース、クラブ)を主眼にする。サイト上で特に人気が高いテクノロジー、旅行、ファッション、文化教育の各セクションのコンテンツをコマース(商業活動)に結びつけ、利用者をクラブのメンバーになってもらう。例えばガーディニングのページと電子コマースサイト「クロッカス」を結びつけ、テレグラフの記事を読んで、クロッカスが提供する商品を買うように道筋をつける。

 「英国のネットディスプレー広告市場は10億ポンド規模で停滞中。一方、電子コマースは500億ポンドとずっと大きく、活気もある」(ルーセル氏)。「ニュースは無料」という看板を落とさず、別の角度からデジタル収入を増やそうというわけだ。

 会員制クラブも英新聞の新しい試みのひとつだ。タイムズの有料会員制クラブ「タイムズ・プラス」に対抗してガーディアンが最近始めたのが「エキストラ」。年間25ポンドの会費を払えば、文化的イベントのチケットをディスカウント価格で買えたり、ガーディアンのジャーナリストの対談などに無料で参加できる。現在のところ、8月までは入会金は無料だ。

 デーリーメールは「メールライフCo. UK」という商業サイトを作り、ワインや旅行など50以上の製品を販売している。年間3000万ポンドの収入を上げている。

 新聞、雑誌、書籍の電子化ビジネスのコンサルティングを行うブルー・ディープ・インターナショナルのプリンシパル、ダンカン・クロール氏は、「課金制、広告収入やコマース重視による無料維持か。どの方法が成功するのか、誰にもその答えは分からない」と述べる。「唯一、賢明な方法は、さまざまな方法を実験することだ」。

―ネットのみの可能性も?

 有料派タイムズと無料派ガーディアンのどちらのビジネスモデルがより効率的なのか、あるいは新たな収入源として期待がかかるタブレット型電子端末(アイパッドがその代表格)は「新聞を救う」のか?―課金制モデルの是非とアイパッドに議論が集中する中、さらに大きな枠組みの変化を問う声も出てきた。それは、「ネットサイトで十分な収入が得られるようになった時、紙は消えるのか?もしそうなら、それはいつか?」である。

 ガーディアンのラスブリジャー編集長はかねてから、「紙のガーディアンとウェブサイトのガーディアンと、どちらが『本体か』と聞かれたら、ウェブサイトのほうだ」と表明してきた。

 メディア業界の数字に詳しいピーター・ケーワン氏の分析によれば、「ガーディアン編集部の維持経費が年間1億ポンドと仮定すると(タイムズ、サンデー・タイムズと同様のレベル)、デジタル収入が年間10%伸びた場合、編集コストがカバーできるようになるのは2020年。15%なら2017年、20%なら2015年」。

 ラスブリジャー氏は5月、BBCラジオの番組の中で「10年後、ガーディアンが紙の印刷を行っているか」と聞かれ、「分からない」と答えている。同番組の中で、サンデー・タイムズのウィズロー氏は「どんなプラットフォームでもタイムズ、サンデー・タイムズのコンテンツを出してゆくので、形にはこだわらない」と述べた。

 有料電子版で成功するFTの役員が、同月、うっかりと「5年後には紙の印刷をしていない」と発言し、あわてて否定する顛末があった。その後、親会社ピアソンは「紙と電子版は互いに補完する存在」とする声明文を出している。

 ケーワン氏は、「デジタル収入のみで編集コストをまかなえる状態になっても、すぐには紙はなくならないだろう。しかし、少なくとも、ガーディアンは近い将来の紙の消滅を『自然死』として想定しているようだ」。

 ブルー・ディープ・インターナショナルのクロール氏によれば、電子版オンリーが普通になるような、デジタルが紙を凌駕する「大きな転換期」にまだいたっていない。「それにはまず、電子版出版物の価値を上げないとだめだ。例えば、新聞紙や雑誌、書籍を買ってもらったら電子版の閲読は無料とするのではなく、むしろ、電子版の購読をすれば、紙の印刷物がついてくるーとならなければ電子版の価値が上がらない」。

 印刷物が無料で、電子版のマーケティング・ツールになる時―それは意外と近いのかもしれない。
(「東洋経済」7月3日特大号掲載分に補足、特に「-ネットのみの可能性も?」分は新規追加。)http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/toyo/detail/BI/04096f9c9cd2790d9accb3ea894dcbba/ 

 

鳥文化の国<下> 女性の頭被り「ココーシニク」

10.06.30 by   カテゴリー: 世界の窓

  ロシアの女性の伝統的な服は「世界樹」を象徴しています。女性の体は、世界樹に合わせて三つの部分(“界“)から成っています。女性の「頭と手」は「上界:空」を表しています。そして、頭は「梢」、手は「枝」を表しています。太陽、月、鳥は「空」を象徴し、「胴体」は「幹」(中界:地球、蜂)、「足」は「根」(下界:蛇、ビーバー)を表しています。 
 
 頭のかぶりものは、形も名前も「上界:空」と関係があります。かぶりものの部分も、太陽か月かトーテムの鳥(白鳥、鴨、鴈、雄鶏など)を表しています。 
 
 一番よく知られている頭のかぶりものは「ココーシニク」(кокошник)(写真最右、ココーシニクをかぶった女性)と言います。「ココーシニク」という言葉は、古代スラブ語の「コーコシ」(卵をかえしている雌鶏・太陽を呼びさます雄鶏を意味する)という言葉から由来しています。「ココーシニク」の特徴は「とさか」です(写真左、建築に使われたココーシニク)。その形は地方によって異なっています。例えば、ロシア中部では半月(又は三日月)の形をしている「ココーシニク」が通常使われていました。 
 
 又、別のよく使われていた頭のかぶりものは「キーカ」(кика)と呼ばれていました。「キーカ」という言葉は白鳥の鳴き声を意味しています。形も白鳥の頭に似ています。 
 
 「キーカ」(写真中)は15世紀には女帝の頭のかぶりものとして知られていました。その後、農婦たちも「キーカ」に角(繁殖力・多産の象徴)をつけてかぶるようになりました。何世紀もの間、 ロシア正教はその「悪魔の角」を何とか廃止させようと戦かっていたがうまくいきませんでした。一本もしくは二本角の「キーカ」は北方ロシアで普及していました。 
 
 面白いのは、女性が産む子供の数が多くなるほど「キーカ」は高くなったことです。 
 
 又、「鳥」の名前は、ココーシニクかキーカの上にかぶる織物にあります:「ソローカ」(сорока:かささぎ)と言います。ソローカの部分にも名前があり、「羽」と「尻尾」です。刺繍の模様にも鳥があります。 
 
 「ココーシニク」は女性の魔除けでしたので、その装飾も象徴的です。例えば、真中には女神の象徴(その象徴はロシアのアルファベットの一つの文字になった:“Ж”)です。その両方には”S”字形をした白鳥、ココーシニクの裏側には「世界樹」、「鳥」、「種」、「実」が刺繍されています。 
 
 「ココーシニク」や「キーカ」の中には、刺繍に「こぶ」(凸面)があるものがあります。その「こぶ」(凸面)は「繁殖力・多産」を意味しています。それは、頭に「こぶ」のある白鳥の種類に由来しています。ロシアには、二種類の白鳥がいます。一つは「クリクン」という「こぶのない」白鳥で北極園地方にいます。もう一つは、「シプン」と呼ばれている白鳥で「こぶ」がある種類です。一般的に見かける白鳥は皆「こぶ」のある種類の白鳥でしたので、その「こぶ」に繁殖力があるとして解釈されていたのです。 
 
 スラブ民族の女性たちはいつも頭に何かかぶっていました。その理由は、女性の力というものは大地から受けるもので、空から受けるのではないという考え方があったからなのです。 
 
 妙なことには、神話的な考え方は依然として現代に繋がっています。 
 
 ロシアの女性刑務所では、冠をかぶっている白鳥のタトゥー画に人気があります。そのタトゥー画は「昔、私は自由で罪のない女性だった。」という意味なのです。不思議なことに、そのタトゥーはラテン語で書いてあるのです。(ロシアの教育システムは理解しがたい!) 
 
 「ココーシニク」は、現在はロシア民族舞踊を踊ってる女性かまたは建築にしか見るしかできません。 

日刊ベリタ

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201006261006496

ルポ: ゴーストタウンに見る米国の光と影

10.06.28 by   カテゴリー: ルポ, 世界の窓

  「ここはいつでもどん底、これ以上悪くはならないだろうよ」と、ダステイ・フェンダーさんはコーヒーをテーブルに置きながら言う。フェンダーさんは、ネバダ州ゴールドフィールドで小さなカフェを開いている。同町は、メキシコからカナダまで南北に走る国道95号線上にあり、約300人が住む。華やかな観光地のラスベガスとは対照的に、この国道沿いにはゴールドフィールドのような小さな町が、時代からとり残され忘れられたかのように点在している。

 フェンダーさんのカフェの壁には、1909年当時の町の写真がある。ゴールフィールドは、名前が示すように金で栄え、当時の人口は3万人、ネバダ州最大の町であった。1909年から1930年代には当時で8600万ドル(約86億円)相当の金が発掘され、ゴールドフィールドホテルのオープンには、シャンペンが大盤振る舞いされたという。現在は、廃墟となったホテル、レストラン、朽ちた木造の家々が、かつての金鉱の山を背に立ち、金の発掘が止まった1940年代から、時も止まってしまったかのようだ。

 住民のほとんどは退職者で、ソーシャル・セキュリテイとよばれる公的老齢年金受給者だ。1930年代の大恐慌時にこの社会保障制度は設立されたが、その当時老人層の貧困率は50%を超えていた。この年金制度は、10年以上加入していれば受給資格が得られる。加入期間や働いていた当時の収入に応じて受給額は決まるが、65歳から満額受給開始、その最低受給額は年間約8000ドル(約80万円)である。2009年度政府が定めている貧困ラインの10830ドル(約110万円)を下回る。

 「100年前の木造の家に住んでいる人もいるよ。最低のソーシャル・セキュリテイもらいながら、電気のワット数気にしながら、生活しているよ。クーラー、そんなものはないよ」と、フェンダーさんは通りの向こうの家々を指す。標高1800メートルの地形ゆえ、朝晩は涼しいとはいえ、夏の砂漠地帯の照りつく日差しは老齢者にはきつい。

ー 行くあてのない「トレイラー・トラッシュ」

 ここでは、住民はこのような前世紀からの家か、トレイラーハウスに住んでいる。トレイラーハウスは、長さは6メートルから9メートル、シングルワイドで幅は約3メートル、電車車両を思わせる。冷蔵庫、台所のキャビネット、ガスコンロも備えつけられ、中古なら6千ドル(約60万円)から1万ドル(約100万円)程度で手に入り、住むには最も安価な方法だ。

 このようなトレイラーハウスに住んでいる人々は、「トレイラー・トラッシュ(ごみのトレイラー)」中でも白人は「ホワイト・トラッシュ(ごみの白人)」と、中上流階級は呼ぶ。わずかなソーシャル・セキュリテイに頼り、トレイラーハウスに住む人々は、社会のごみであり、怠けてアメリカンドリームへの競争に負けたからこうなったと差別的な目を向けられる。

 大きな町では、トレイラー・トラッシュは、通常町外れのトレイラーパークに住んでいるが、ゴールドフィールドは町全体がトレイラーパーク。住民間での格差は見られないゆえ、ある意味住みやすいと言えるかもしれないが、ぎりぎりで生活している人々には町を出るあてもないのが現実だ。

ー 頼りにしている社会保障への不安

 ゴールドフィールドのようなゴーストタウン化した場所で、多くの老齢者層が頼りにしている社会保障に、かげりがみられている。最近、政府監督機構は、ソーシャル・セキュリテイは、2037年には破綻、昨年の推定より4年早いと発表している。2009年度の支給額は、ここ数年のインフレを基に算出されたので、5、8%の上昇を見たが、2010年度から支給額は減少されるだろうという恐れが老齢者の間にはある。

 オバマ政権は、09年5月にソ ーシャル・セキュリテイ受給者対象に一律250ドル(約25000円)の定額給付金を支給している。前年からのウオール街に始まった大手銀行・保険会社への膨大な救済への国民の怒りをかわそうと、その場しのぎの支給のようだ。

 ソ ーシャル・セキュリテイに加えて、65才から加入できる政府医療保険制度メデイケアも、もし政府が何らかの手を打たなければ、2017年には破綻するだろうと予想されている。

 医療への不安を抱いているのは、高齢年者だけではない。65才に達しない者は民間健康保険に加入するしかない。現在、推定で4600万人が医療保険未加入者だ。フェンダーさんもその一人。「健康保険は、高くて払えない。病気になったらどうしようという不安は常にあるけれど、仕方ないよ」「企業トップ数%じゃなくて、こちらも救済してほしいよ。本当ばかにしているよ」とため息まじりで言う。

http://www.newslogusa.com/

鳥文化の国<上> 白鳥は「ロシア美女」のシンボル 

10.06.26 by   カテゴリー: 世界の窓

  ロシアの芸術について話す時は必ず白鳥がテーマとして話題に上ります。白鳥というと先ず最初に、バレーの白鳥、チャイコフスキーの「白鳥の湖」や、名バレリーナ、アンナ・パヴロワが舞っていたサンサーンスの「瀕死の白鳥」(写真右)が頭に浮かんできます。 
 
 スラブ文化というのは「鳥の文化」であると言えるのかもしれません。考古学者たちは黒海からバルト海にいたる広大な地域のいたるところで、白鳥の馬車を発掘しています。一例として、ポルタヴァ市の近くでは、大きさ2メートルの15羽の白鳥の絵が描かれた紀元前6世紀の儀式用焚火台が発掘されています。 
 
 スラブ民族は「空」・「土地」・「水」の三つの世界に住む水鳥を最も好みました。そして、神話的思考により音楽・詩・絵・おとぎ話などをつけ加えたのでした。ロシア芸術には「鳥のテーマ」が沢山あります。おとぎ話には、「鴈・白鳥」(гуси-лебеди)といった象徴的シンボルがよく登場します。「鴈・白鳥」は冬になると、「雪」になって登場し、春が来ると「雪」は「鴈・白鳥」に変わるのです。別の人気のある主題は白鳥になる美女「白鳥の王女」です。  
 
 白鳥は「ロシア美女」のシンボルです。田舎の人々の話す会話の中では、「白鳥」という言葉は「白い」とか「明るい」ということを意味します。昔は、色白の顔で頬の赤い、セーベル(黒貂、クロテン)のような黒い三日月形の眉毛の女性が美女だと考えられていました。そのため、女性たちは皆顔に白粉をつけ、頬に赤いビーツの根(ボルシチでお馴染みの西洋野菜)の液をつけて眉毛を炭で描いていたのです。 
 
 ロシア美女たちはバービー人形のようなほっそり瘠形ではなく、背が高くて長い髪の毛をお下げに結っていました。未婚の若い女性たちはお下げを一本、既婚の田舎女性たちはお下げを二本を結って頭の上にのせていました。(写真左はロシアの伝統的な服を着ている人形。)
 
 一番重要なのは歩き方です。女性たちは白鳥が泳ぐようにすべるようにしとやかに歩いていました。そのような歩き方を「白鳥の歩み」と言います。面白いのは、そのすべるようなしとやかな歩き方は生来の雅な歩きではなく、ロシアの伝統的な服に原因があったのです。女性たちは服に綿毛か毛皮(北国では!)の裏張りをしたとても重い服を着ていました。足の動きは長い服で隠れていました。頭のかぶりものは締めて止まってはいなかったので、頭から落ちないように女性たちは仕方なく体を真っすぐにしてしとやかに歩かざるをえなかったのです。 
 
*アンナ・パヴロワ(1881-1931)による「瀕死の白鳥」は、ロシアのミハイル・フォーキンが1905年に彼女のために振り付けたといわれています。(つづく) 

日刊ベリタ
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201006241148394

WikiLeaks(ウィキリークス)が新たな注目の的に -問題の動画と創始者の横顔

 内部告発のサイト「WikiLeaks(ウィキリークス)」が、新たに注目を集めだした。ウィキリークスが、今年4月、2007年の米軍のアパッチヘリコプターが、ロイターの2人の記者ら数人を銃撃して殺害する様子をとらえた映像を公開したが、この映像をウィキリークス側に渡したとされる米兵が拘束中となって、米当局が告発サイト自体にも何らかの行動を起こすのではないかと懸念されているためだ。  

 BBCの報道によると、言論の自由に関するセミナーに出席するためにブリュッセルにいたサイトの創始者ジュリアン・アサンジ氏は、22日、報道陣に対し、ウィキリークスがこの件で米政府に連絡を取ったものの、「米側からの返答はもらっていない」と述べた。また、拘束中の男性の解放に向けて、ウイキリークスの弁護士が連絡をとろうとしていることも明らかにした。アサンジ氏はこの米兵が映像を渡した人物かどうかに関しては明らかにしていない。

―イラク攻撃の動画とは?

  問題となった動画は2007年7月12日、米軍によるイラク市民に対する、3回の攻撃の記録だ。米軍がイラクの武装兵だと思って攻撃した中に、ロイター通信のジャーナリスト二人や市民らがいた。ジャーナリストを含め12人が亡くなったと推定されている(BBC)。

 米当局側は、当初、「9人の武装兵」とともに、二人のジャーナリストが亡くなったと発表していた。敵との「戦闘中に」起きた出来事であるのは「間違いない」(米軍広報官)と説明していた。

 一方のロイター側は、該当地に「武装兵がいたことを目撃した人がいない」、イラクの警察当局が攻撃は「米側の無差別爆撃だった」と報告していることから、次第に、ある疑念がわいてきた。つまり、状況は「戦闘中」ではなく、米側が自ら攻撃を開始し、しかも相手が武装していると見誤って市民らを攻撃していたのではないか、と。そこでロイターは、ジャーナリストの死に至る状況への調査を米国に要求するとともに、押収された、ジャーナリストたちが持っていたカメラの返還、ヘリコプターが記録した音声通信や映像などへのアクセスを求めた。情報公開法を使ってのロイターの要求を米国防省は拒否した。

 しかし、昨年、この映像がウイキリークスの手に渡っていた。

 今年年頭、ウィキリークスはサイト上で「米国の爆弾が市民を攻撃する」動画を解読するための支援を呼びかけた。1月8日付のツイッターのつぶやきで、2007年の事件の動画を持っており、3月21日公開すると宣言していた。

 4月5日、ウィキリークスの12人のボランティアがアイスランドのレイキャビクの隠れ家で、12日間働き続けて完成した短縮版(タイトルが「コーラテラル・マーダー」)とオリジナルの38-9分間のバージョンが公開された。動画の公開を米当局がとめられないよう、20のサーバーを使ったという。ウィキリークスは動画の情報源は「米軍の数多くの告発者たち」であると説明した。

 ロイターの取材に対し、ある米軍国防省高官が動画は本物であることを認めたという。

 動画はアラブの衛星放送アルジャジーラや米メディア(ワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、CNN),英BBCなどで広く報道された上に、ユーチューブ上でも公開され、7000万回以上視聴された。

 5月になって新たな動きが出た。米軍諜報アナリストのブラッドレー・マニング兵(22歳)が問題の動画と26万点に上る外交機密情報をウィキリークスに流したと元ハッカーに話したことがきっかけとなって、米当局に逮捕されてしまったのである。6月24日現在、罪状は発表されていない。

―ウィキリークスとは

 ほぼ3年前からこの世に姿を現したウィキリークスは、世界中の政府が公にしたくない情報をサイトに掲載してきた。これまでにも、米共和党の副大統領候補だったセラ・パーリンのプライベートな電子メールの中身、キューバにある米グアンタナモ基地の刑務所の運営マニュアル、NATOの対アフガン作戦などを公開してきた。

 その活動は5人の編集者と800人の無給のボランティアが支えている。サイトを通じて、誰でもが無記名で情報をリークすることができる。これまでに120万以上の書類を掲載した。

 2月には資金不足で一旦活動が停止していたが、4月の米軍の攻撃動画が公表されると、新たに募金が相次いだ。
 
 今年3月半ばにはウィキリークスが「米軍への脅威となっている」とする米諜報機関の書類を公開したが、BBCが米政府筋に確認したところによれば、本物の文書だったそうである。

 ウィキリークスは 「サンシャイン・プレス」という組織が運営しており、「人権擁護運動家たち、調査ジャーナリストたち、技術者、一般の利用者」が実際の支援者たちだ。

 サイトはスウェーデンのインターネットサービスプロバイダーのPeRiQuito(PRQ)が主としてホストになっている。PRQはファイルシェアリングのサイト、パイレート・ベイのホストであったことで知られている。

ーアサンジ氏のプロフィール

 ウィキリークスの創始者、ジュリアン・アサンジ(Julian Assange)氏とはどんな人物なのだろう?

 英文ウィキペディアと英紙、BBCの報道をまとめてみると、アサンジ(「アサーンジ」というのが原語に近いようである)氏は1971年、オーストラリア・クイーンズランド州に生まれ。誕生日が不明なので正確な年齢は分からないが、38歳か39歳。スカンジナビア系を思わせる真っ白な髪が印象的な男性である。

 職業はジャーナリスト、プログラマー、インターネットを使った活動家。

 両親は劇団を主宰しており、旅芸人の子供として、幼少の間は学校を幾度となく転校している。

 アサンジ氏の名が知られるようになったのは、「アンダーグラウンド:電子フロンティアのハッキング、狂気、オブセッションの物語」(仮題、1997年)の出版にリサーチャーとして関わってからだ。アサンジ氏は、この本に出てくる「メンダックス」という人物のモデルだったとされる。

 「ワイヤード」誌やサンデー・タイムズ紙によれば、10代の頃、ハッカー・グループの一員になり、メルボルンの自宅をオーストラリア連邦警察に捜索された経験もあるという。

 アサンジ氏はオーストラリアの大学や通信企業のコンピューターにハッキングし、ハッキング罪で有罪となり、罰金を科されたことがある。その後はプログラマーとして働き、ソフトウェアの開発に従事した。

 2006年まではメルボルン大学で物理と数学を学び、告発サイト、ウィキリークスを構想するようになった。

―常に旅行中

 アサンジ氏は決まった場所に住むのではなく、常に移動中の生活を送ることが多く、「空港に住んでいる」とあるメディアの取材に答えている。

 ウィキリークスの9人のアドバイザーの中の一人だが、実際に集められた情報の信憑性を判断して、サイトに掲載する際の最後の判断を行う人物だ。2009年には、人権擁護団体アムネスティー・インターナショナルが選ぶメディア賞(ニューメディア)を受賞している。
 
 ウィキリークスの事情に詳しい作家ラフィ・カチャドリアン氏がサンデー・タイムズに語ったところによれば、アサンジ氏は心がいつも他のどこかにあるような感じの人物だという。「航空券の予約を忘れたり、予約したと思えばお金を払っていなかったり、当日空港に行くのを忘れたりする」。

 募金で成り立つウィキリークスに対し、当局に訴えられたときのため、AP通信、LAタイムズなどの米メディア企業が無料の弁護士支援を行っているという。(「英国メディアウオッチ」より)

ウィキリークス(英語)
http://wikileaks.org/
ウィキリークスの日本語説明(一部のみ)http://www.wikileaks.org/wiki/Wikileaks/ja
アサンジ氏が話す様子が分かる動画つきのBBCのサイト
http://news.bbc.co.uk/1/hi/technology/10373176.stm
 

WikiLeaksの創始者、一月ぶりに姿を現す

10.06.23 by   カテゴリー: メディア, 世界の窓

  内部告発サイトの「WikiLeaks(ウィキリークス)」を作った人物が、一時姿を消していたのだが、やっとまた現れたというニュースが流れている。何故姿を消したり、現れたりがニュースになるのかだろう?

 WikiLeaksは4月、バグダッド市内で米軍のアパッチヘリコプターが、ロイターの2人の記者ら数人を銃撃して殺害する様子をとらえた映像を公開していた。ユーチューブでも流れていたので、見た方は多いかもしれない。

 AFP通信の報道(6月8日付け)によれば、この件で、ブラッドレー・マニング(Bradley Manning)特技兵(22)がイラクで逮捕され、現在、クウェートで拘束されている。

 マニング特技兵は「機密映像や26万点にもおよぶ秘密外交文書」をWikiLeaks側に渡した疑い。

 ガーディアンの記事(http://www.guardian.co.uk/media/2010/jun/21/wikileaks-founder-julian-assange-breaks-cover )によると、このサイトを立ち上げたのは、オーストラリア人のハッカーでジュリアン・アサンジ氏。同氏はマニング氏が拘束された直後あたりから、人前には姿を見せない状態が続いていたが、ブリュッセルでガーディアンの取材に応じた。アサンジ氏は欧州議会の情報公開に関するセミナーに出席するためにブリュッセルにいたようだ。  

 同氏は米国防省が同氏の拘束に動くと見ているわけではないようだが、弁護士が「米国には行くな」と言っているという。  

 米サイト「デイリービースト」によれば、米当局は、米軍に関わる機密情報がさらに公開されるのではと懸念している。

  アサンジ氏は「命が危ないとは思っていない」。クウェートにいるマニング氏に連絡を取ろうとしたが、まだ取れていない段階だという。ウィキリークスは一連の米軍に関する情報の情報源がマニング氏だとは言っていないが(内部告発のサイトで、情報源は出さないのが基本)、「情報源だという疑惑がかけられている」ので、マニング氏を「自由の身にするべきだ」とガーディアンに語っている。  

 米軍のアパッチヘリコプターの動画の作成にはアサンジ氏とともにアイスランドの政治家(Birgitta Jonsdottirさん)が関わっていた。「毎日、18時間は働いた」とはJonsdottirさん。  

 ウィキリークスは、140人のアフガニスタンの市民が米軍の攻撃で亡くなった様子を映し出す動画を近く公開予定だという。米側は亡くなった人は95人で、そのうち65人は武装兵だったと説明していた。

  米当局は、今後、いったいどんな手を取るだろう(取り得るだろう)?「報道の自由」「内部告発者の擁護」といった面からは思い切った手を出しにくいだろうが、自国の兵隊なら「機密情報の漏洩」ということで、何らかの処罰を加えることができるのだろうか?  ガーディアンはウイキリークスをインターネット界の「ロビン・フッド」と呼んでいる。http://www.guardian.co.uk/media/2010/apr/06/pass-notes-wikileaks  

ウイキリークスのサイト  http://www.wikileaks.org/

(英国メディアウオッチより)

ルポ 便利さは堕落 伝統を固持するアーミッシュ

10.06.22 by   カテゴリー: ルポ, 世界の窓

  米インデイアナ州・シップショワナで インデイアナ州北部の村、エンマ。州道5号線の左右に広がるとうもろこし畑は、同州どこにでも目にする光景だ。一つ違うのは、軽快な蹄の音を響かせながら通り過ぎていく1頭立ての馬車、バギー。頑なに伝統を守るアーミッシュの唯一の交通手段である。

 「アーミッシュは、キリスト教の宗派です。他の宗派と大きく違うところは、自分を抑えて生きることです」

 エンマにあるオークション形式の市場裏で、アルビン・ビーチイさんは話し始める。オークションは毎週金曜日に開かれ、アーミッシュの人々は、自家製の野菜や果物を売りにやって来る。ビーチイさんもその一人だ。

  ビーチイさんは、白い木綿のシャツに黒色のズボン、麦わら帽子をかぶりあごひげは長い。アーミッシュの男性特有のいでたちである。一方、アーミッシュの女性は常に白いヘッドキャップをかぶり、膝下丈の木綿のワンピースを着ている。

  「たとえば、このバギー。車で移動する方がずっと楽で速く行ける。車に乗りたいという気持ちを抑えて、バギーで時間をかけて行くのです」

  「町へは野菜を売りに来たり、足りないものを買いに来ます。家からここまで7マイル(約11キロ)、45分かかりますよ。家にはもう1台バギーがあります」

  ビーチイさんのバギーは、4~5人乗りでシートベンチは2つ、ドアも2つある。あと、荷台もついている。バギーは、2000~3000ドル。運転用の馬は、300~1500ドルで購入できるという。

 「自動車の運転免許は持っていません。車は所有してはいけないのです。遠くへ行かなければいけない時は、車をもっている人にお金を払って連れていってもらいます。たとえばウイスコンシン州にいる父を訪ねる時などね」  

 アーミッシュは、大人になってからの洗礼を主張するアナバプチストの1派である。17世紀終わり、同じくアナバプチストのメノナイト教会からジャコブ・アンマンによって分離した。アンマンは、一般市民と同じようなライフスタイルをしているメノナイトを「精神的に堕落している」と批判、伝統と純粋性を重視した独自の派を作りあげた。アンマンの信奉者たちは、彼の名前をとってアーミッシュと呼ばれている。18世紀から19世紀にかけて、スイスやドイツから移住し、現在インデイアナ、オハイオ、ペンシルべニア州に約20万人が居住しているといわれている。

  「この地域には、約2000のアーミッシュ家族がいます。私たちの生活の中心にあるのは、辛抱強い信仰と共同体への貢献です」

  「質素をモットーとし、自給自足です。水は井戸や川から。電気は使いません。灯りをとるのに、ナプサガスを買いますが。ラジオ、テレビ、電話はありません」

 「主食は小麦、とうもろこし。あと、野菜、卵をよく食べますよ。肉は豚です。飼っているのでね」  近隣の町、シップショワナにあるアーミッシュ・メノナイト資料館によると、アーミッシュの多くは、普通30~150エーカの土地を所有しているという。この大きさなら農耕近代的な農機具がなくても家族で耕せるというわけだ。

  しかし、この地域は、11月から5月ぐらいは雪に閉ざされ、実際農作業ができるのは夏の間だけ。避妊は許されず、大家族を抱えるアーミッシュの男性は、農業の他にできる仕事を探す。ビーチイさんには、幼児と就学児の合計5人の子供がいる。冬の間は大工仕事の手伝いをして、生活を立てている。

 アーミッシュの人々 シップショワナの市場で 子供の多くは、同地域にあるアーミッシュの学校へ行く。教育期間は8年。高等な知識は、信仰の妨げになると信じられ、読書も聖書以外は禁じられる。

  アーミッシュには、「怒ってはいけない」「喧嘩をしてはいけない」「賛美歌以外の歌を歌ってはいけない」「写真は虚栄心を助長させるので撮ってはいけない」などさまざまな規則がある。神の人民 として、外界から隔離した神聖な共同体を築きあげるのが使命である。  

 エンマは、一見、どこにでもある普通の田舎町である。アーミッシュは、メノナイトや他宗派と隣り合わせで住んでいる。隣家の屋根には、テレビやサテライトアンテナも見える。その気になれば「世界」が手の届く場所にある今、アーミッシュの伝統を固持していくのも、並大抵ではないと思える。

  しかし、ビーチーさんは、きっぱりと言う。「父母から、この生活を受け継いできた。子供にも受け継いでいくし、子供たちも守ってくれると思います」。

(Newslog USA)

http://www.newslogusa.com/?p=854

異国で ーイスラム教徒の女性たちとスイミング・プール そしてブルカ

10.06.21 by   カテゴリー: 世界の窓, 日々の出来事

 ロンドンの「公営のスイミング・プールが、イスラム教徒の女性だけを特別扱いしている」-そんな声を在英の親戚の男性から聞いたのは、もう数年前のことだった。何でも、素肌を家族以外の男性に見せたくないと思うイスラム教徒の女性たちが、女性オンリーの水泳時間を作ってもらい、窓は外から見えないようにブラインドでおおって泳いでいるというのである。

 「いくら何でも、これはやりすぎだよ。役所も役所だよ。そこまで特別扱いすることはないよ」-。不満やるかたない感じの男性の弁であった。

 私自身は、どちらとも言えない思いがした。確かに変わっているけれど、イスラム教徒の女性だってプールで泳ぎたいだろうしなあ・・・と話を半分で聞いていた。

 さらに男性が続けるには、バイクを運転する際に義務付けられるヘルメットの着用は、「移民の一部」には適用されないのだという。頭にターバンを巻くシーク教徒の住民たちが、宗教上の理由からターバンを脱ぐことはできないとし、例外が認められたのだという。「ここからおかしくなったんだ」。

 私はここ2-3ヶ月ほど、定期的にこの公営プールに通うようになった。今日は日曜日。いつもは午前中に行くのだが、今日は晩御飯の前に少し泳ごうと思って、午後5時から始まる、「女性のみ・レーン泳ぎ(プールを縦に泳ぐ)専用」の時間を選んで出かけてみた。

 5時少し前に受付に到着すると、長い行列ができていた。そのほとんどが、イスラム教徒のスカーフをかぶる女性たちだった。多くが子連れである。

 受付から視線を横にずらすと、プールに隣り合わせになっているカフェとプールの間のガラスの窓についたブルーのブラインドが閉まっていることに気づいた。プールは大きなガラスの窓に囲まれており、太陽の光が室内に降り注ぐ形になっているが、この四方の窓のブラインドも閉まっている。そこで、何年か前の、親戚の男性の言葉を急に思い出したのである。

 着替えてプールに飛び込むと、いつもはさんさんと太陽の光が入ってくる大きな窓がすべて外からは見えないようにされていることに、圧迫感を感じた。どうも居心地が悪いなあと思わざるを得なかったーおそらく、この次来たときには慣れるのだろうけれど。

 その一方では、子供用プールで、子供たちと一緒になって泳ぐ母親たちの表情を見ると、「やっぱり泳ぎたいんだよなあ」とも思ってしまう。

 女性たちの水着は通常の水着よりも体を覆い隠す部分が多い。スカート型になっていたり、レギンスを下にはいていたりする。手足と顔以外をすっぽり隠す水着を着ている人も多い。色はほとんどが黒である。日曜日の、それもたった2時間しか、イスラム教徒の女性たちには専用の時間がないというのはかわいそうな気がした。

 プールの監視員たちはいつのまにか、全員が女性になっていた。

 ―違和感を持つのはいいことか?

 窓ガラスが覆われたプールで泳いでいる私は窒息感を感じていた。それはやはり、男女が水着になって、公の場のプールや海でともに泳ぐという体験をしてきているからであろう。こんな形の泳ぎ方がどうにも不自然に感じるのだ。

 私はこの一種の居心地の悪さを、自分の中で、じっくり考えてみたいと思っている。何故自分がそう思ったのかを。

 親戚の男性の怒りは、「ルールが変わった」点にあった。通常だったら、男女が分け隔てなく泳ぐのだけれど、そういうこれまでのやり方をこの公営プールでは「曲げた」あるいは「変えた」わけである。おそらく、イスラム教徒の女性たちからのリクエストがあったのであろう。違う文化の人が英国にやってきて、英国社会がこの人たちのニーズに合わせてこれまでのやり方を変えたーそのことを親戚の男性は「どうして自分たちの側が変えないといけないのか?」と怒っていた。「相手(移民)が自分たちの社会のルールにあわせるべきなのに」という思いがあったようだ。

 私は、イスラム教徒の女性が着用する、全身をおおう「ブルカ」や「ニカブ」についての議論を思い出していた。イスラム教徒の女性が公の席では他の男性に頭髪を見せないようにするためにスカーフを頭にかぶることを、多くの非イスラム系の英国民は十分に理解しているし、まったく問題はないのだが、近年、英国民の多くから拒否感がおきたのは全身をおおい、目だけを出した「ニカブ」の着用である。テレビでインタビューされていた、ニカブ着用の女性たちは宗教心を理由にあげていた。

 また、語学を教えていたある女性が、ニカブを着用し、子供たちが先生の口元が見えないので覚えにくいという理由で、解雇されたことがニュースになったりした。

 英国では、おもてむきにはブルカやニカブの着用を批判しにくい。特に政治家がもし批判でもしたら大変だ。メディアの袋叩きにあってしまう。何せ、「多文化・マルチカルチャー」を奨励する英国である。

 私は、女性が「頭髪ばかりか、体全体も顔もおおい、出せるのは目だけ」という感覚は、現代の英国社会の中ではかなり異質なものだと考えている。「異質=悪い」と言いたいのではない。しかし、社会の半分を構成する男性に対して、ここまで距離感を持つ感覚とは、一体どういうことだろうと思う。「男女は平等であり、一人の人間として他の人間との間に上下はない」―この社会の基本的な考えの部分からすでに価値観を共有していないとすると、果たして互いを理解し、幸福な社会を作っていけるのだろうか?それとも、それぞれがばらばらの価値観を持ち、互いに干渉せずに生きていくのか?ブルカやニカブの着用を一義的には批判してはいけないのが英国の常識だが、その裏にある考え方の大きな違い、隔たりは水着やスカーフ、ブルカといったことだけにとどまっているだろうかー?

 今後どうなるのか、どうなるべきなのか、私には答えはない。しかし、女性のスカーフ(あるいはブルカ、ニカブ、水着)には、非常に深い意味があるように思う。・・・ということを、つらつら考えながら、泳ぎ終えた。

ーブルカの公共での着用を禁止する法案

 ところで、話がやや飛ぶけれど、今、欧州各国ではイスラム教徒の装束が大きな社会問題になっていることをご存知だろうか?欧州最大のイスラム教徒人口を抱えるフランスでは、ブルカやニカブの公共の場所での着用を禁止する法案が7月に議会提出されることになっている。

 昨年7月には、宗教・人種差別を背景に、イスラム教のスカーフをかぶっていたエジプト人女性が刺殺されている。一方、国民のほとんどがイスラム教徒だが政教分離の国トルコでは、イスラム教の装束は非近代的とみなされる。例えば女性がスカーフをかぶりたくても、公共の場所(大学も、である)ではかぶってはいけないことになっている。イスラム教徒の女性の装束が欧州各国(そして欧州連合に入りたいトルコで)、しばらく、熱いトピックになりそうだー。

「こどば」を奪われた外国人の子どもたちに未来はあるか? 教師、研究者らが改善策など討議

 『東京の日本語教育・日本語学級を考えるつどい2010』(以下、つどい)が、去る5月30日、すみだ生涯学習センターで開催された。このつどいは、東京23区において外国人児童の日本語教育にたずさわっている教師や研究者たちが集まり、現状や改善点を話し合うというものだ。現在、東京都の公立学校(小・中・高)には、2,000人を超える日本語指導を必要とする外国人生徒が在籍しているが、その指導は思うように進んでいない。なかには、母語も日本語も不自由なまま、ドロップアウトしていく生徒も少なくないという。彼らに未来はあるのか? このつどいを通して、問題点と展望を探ってみた。
 
ー全国に28,000人存在する、外国人生徒たち 
 
 筆者が、定住外国人に対する教育に興味を持ち始めたのは、日本に住む日系南米人の方々を取材するなかで、彼らの子どもたちの多くが深刻な学力不足に陥っていることを知ったからだ。 
 
 文部科学省が2008年(平成20年)9月1日に発表したデータによると、日本語指導が必要な外国人生徒の数は28,575人(対前年度比12.5%).

 地域別では、愛知県(5,844人)静岡県(2,903人)神奈川県(2,794人)東京都(2,203人)と続く。これはあくまでも公立学校に在籍している数であるから、不就学児童をカウントするとさらに増える。リーマンショック以降、外国人の数は減少しているが、それでも20,000人は下回らないと考えてよいだろう。 
 
 このなかで、外国人生徒の高校進学率は5割前後。日本人の進学率が98%近いことから考えると、外国人生徒の学力不足が深刻であることがうかがえる。 
 
 なぜ、外国人生徒は学力不足に陥るのか? 
 
 これにはいくつかの要因がある。親の無関心、いじめ、金銭的問題……。 しかし、やはりもっとも大きな要因は“ことば”の壁によるものだ。 
 
 この『つどい』に参加していた野山広氏(国立国語研究所 研究員)は、研究発表のなかで「子どもは10歳までに母語を確立しなければ、人格形成や学習形成において著しく支障をきたす」と述べている。

 通常は、生まれた国で成長していく過程で、少しずつ母語が確立されていく。しかし、10歳に満たないうちに母国を離れた子どもたちは、母語を確立できないうちに日本社会のなかに放り込まれてしまうことになる。 
 
 すると、どうなるか……?日本の公立学校に通えば、日常会話程度なら、比較的早くに習得できるだろう。しかし、授業の内容まできちんと理解できるかというと、これはまた別問題。 
 
 授業内容を理解するためには、より高度な日本語能力が必要になるため、授業についていけなくなる子どもも多いのだ。 
 
 一方、母語も不十分。家庭で母語の学習を続けていれば別だが、そうでないかぎり、子どもはどんどん忘れ去ってしまう。その結果、両親は母語で、子どもは日本語を話す、という結果になり「親と子どもが意思疎通できない」という悲しい結果をまねく。 
 
ー物事を深く考えることも困難に? 
 
 では、現在の日本の公立学校は、彼らのような外国人生徒をどう扱っているのだろうか? 
 
 自治体ごとに定められた基準にしたがって、公立学校のなかに“日本語学級”を設置している。通訳やバイリンガル教師をまねいて、母語での補習を行うこともある。日本語学級が設置されていない学校に通っている生徒は、地域ボランティアの手を借りるケースも多い。 
 
 しかし問題なのは、母語が確立できていないがゆえに、「母語で補習を受けても、内容を十分に理解できない子どもたちがいる」ことだと前出の野山氏は指摘する。 
 
 人間は物事ついて考えるとき、自分がもっとも得意とする言語で思考を組み立てる。そのため、軸となる母語が確立されていないと、物事を熟考することもむずかしいのだという。 
 
 勉強にも付いていけない、物事もじっくり考えられない、といった子どもたちが大人になると、どうなるか……。彼ら自身の未来はもちろん、彼らの子どもたちの未来まで閉ざしてしまうことになりかねない。 
 
 こうした事態を避けるためには、「自宅では必ず母語で話をする」といった明確なルールを決め、日本語学習と合わせて継続的に母語を学ばせる必要があるという。さらに、日本の文化だけでなく、母国の文化も合わせて教えることで、成長過程におけるアイデンティティの確立も比較的スムーズになるという。 
 
ー10歳を過ぎると手遅れに
 
 教育方法を間違えなければ、「[『バイリンガル』として能力を発揮できるようになる」と野原氏はいう。しかし、外国人生徒に対する教育体制は、自治体によって差はあるものの、残念ながら現段階ではまだまだ不十分だ。 
 
 この日、『つどい』に参加していた東京都の日本語教室の教師たちからも、「個別指導の時間が少ない」「バイリンガルの教師がいない」「ひとりひとりの生徒に合ったカリキュラムが組めない」「教師が多文化教育についての知識を持っていない」といった問題点が次々と挙がった。

 以前から、このような状況の改善を求める意見書が、東京都はもちろん全国の外国人集住都市からも政府に提出されており、これに押される形で、去る5月19日、ようやく文科省から以下の基本方針が打ち出された。

 「定住外国人の子どもの教育等に関する政策懇談会」の意見を踏まえた文部科学省の政策のポイント http://goo.gl/11On 
 
 「10歳を過ぎると手遅れになりかねない。一刻も早い対策が必要」と野山氏も指摘するように、子どもの成長に待ったはない。 
 
 「バイリンガル」の能力を身につければ、日本社会で生き抜いていくための大きなアドバンテージとなる。日本と母国の架け橋となって活躍してくれる逸材も生まれるだろう。彼らが日本社会の闇に落ちてしまわぬよう、少子高齢化である日本の財産として、教育体制を速やかに整える必要があるだろう。 
(日刊ベリタより)

 http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201006060943240

アーカイブ:北アイルランド -忘れられた場所のアパルトヘイト

 英領北アイルランドで1972年に起きた「血の日曜日事件」の真相を調査していたサビル独立調査委員会が、15日、「英軍がデモに参加していたカトリック系市民を不当に殺害した」とする報告書を発表した。犠牲者が「武装していた」とする前回の報告書とは反対の結論で、遺族にとって見れば、長年の疑惑が晴れたことになる。しかし、この事件以降、英統治の存続を望むプロテスタント系とアイルランドへの併合を求めるカトリック系の対立が特に深刻化し、3000人以上が亡くなっている。カトリック系民兵組織に殺害されたプロテスタント系住民や、逆にプロテスタント系民兵組織の攻撃で命を落としたカトリック系住民がたくさんいる。「血の日曜日事件」のみを調査するだけでは不十分とする遺族や、丸腰のカトリック住民を殺害した英兵士を裁判にかける、あるいは英政府が遺族に賠償金を払うべきという声も出ている

 カトリック系住民とプロテスタント系住民の対立が「内戦」にも似た一触即発状態に置かれた時代は終わり、現在は両派の代表が自治政府を担当している。しかし、今年に入っても、IRA(アイルランド共和国軍)分派によるとみられる爆弾テロ事件やテロ未遂事件が発生している。異なる宗派の住民同士の溝がなくなったかというと、そうではないようだ。両者の間には南アフリカ共和国のかつてのアパルトヘイト(人種隔離政策)にも似た壁が存在するー。以下に、住民同士の心のありように焦点をあてた記事を転載したい。(季刊誌「Ripresa」(リプレーザ)誌2号、2007年掲載記事。)

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―ベルファーストの悲劇

 「アパルトヘイト」──。英領北アイルランドの中心都市ベルファーストに住むプロテスタントの牧師ノーマン・ハミルトン氏は、北アイルランドの現況をこう呼ぶ。

 かつて、南アフリカ共和国で白人と非白人を差別的に規定した人種隔離政策アパルトヘイトが強制的に北アイルランドで実行されているという意味ではない。カトリック系住民とプロテスタント系住民とがそれぞれ宗派ごとに固まって住み、お互いの行き来がほとんどない傾向が近年ますます強まっている思いがする、と言うのだ。

 ハミルトン牧師の自宅は、ベルファーストの中でもカトッリク系住民とプロテスタント系住民の争いが特に頻発したアルドイン地区近辺にある。北アイルランドのガイドブックが観光客に足を踏み入れることを勧めない場所の1つだ。

 私がアルドイン地区を初めて訪れたのは2002年だった。英外務省が主催した在英外国人ジャーナリストのための取材旅行に参加した。ベルファースト市内のあちこちで、英国旗やアイルランド共和国の国旗が掲げられていることに気づいた。英国旗はプロテスタント系住民の、アイルランドの国旗はカトリック系住民の居住地を指すことを、観光バスのガイドが教えてくれた。

 プロテスタント地区とカトリック地区の間にある広場の一角にバスが停まると、両宗派の住民が信奉する自警団の団員が覆面をし銃を構えた様子を壁画に描いた建物が並び、プロテスタント、カトリックの陣地を示す旗が互いに向き合うように掲げられていた。子供たち数人が広場を横切っていく。頭上にはそれぞれの旗が翻っているのが見えた。

 現在でも続く対立の象徴を子供たちは毎日目にし、学校に行き、遊びに出かける。何と残酷なことか、と胸をつかれる思いがした。この光景が、その後何度か北アイルランドを訪れるきっかけとなった。

 2001年、アルドイン地区でカトリック、プロテスタント両派の大きな衝突が起きた。カトリックのホーリー・クロス・ガールズ小学校に通う少女たちは、毎朝、プロテスタント系住民の家が片側に並ぶ一本道を通る。9月初旬、この一本道にプロテスタント系住民が立ち並び、少女たちにつばをはく、悪態をつくなどの行動に出た。プロテスタント系住民によればカトリックの住民が家の窓に石や火炎瓶を投げつけて威嚇行動に出たので、自衛として反撃に出ただけだと言うのだが。

 泣きながら通学路を親と共に進む少女たち、親や子供を脅かそうと罵詈雑言を吐くプロテスタントのデモ参加者、プロテスタントやカトリックの自警団の脅し、ものものしい機動隊の防御活動は、連日メディアで報道され、異なる宗派同士の醜いいさかいの様子が北アイルランド中に伝わった。

 ホーリークロスの出来事を、ハミルトン牧師は「本当にひどい事件だった」と振り返る。現在、アルドイン地区で大きな衝突は見られないという。「何もない、普通だということでは、何の記事にもならないでしょうね。申し訳ない」、と筆者に微笑む。

 それでも、北アイルランドの約170万人の人口をほぼ2分するプロテスタント系(53%)とカトリック系(43%)の住民がそれぞれ一定の地域に住み、交流をしない傾向は強まっていると指摘する。「一言で言うと、アパルトヘイトだ」。

 2001年の国勢調査を見ると、ベルファーストのアルドイン地区には圧倒的にカトリック系住民が多く、プロテスタント系は1%だけ、逆にプロテスタント系が多いシャンキル地区ではカトリック系は3%のみとなっている。ベルファーストだけに限らず、北アイルランドの大部分の地域ではいずれかの住民が宗派ごとに固まって住む傾向がある。多くの人が自分が所属する宗派同士で住んだほうが安全だと考えるからだ。ある地域で少数派となれば、いじめや暴力行為の対象になりやすく、それぞれの宗派の自警民兵組織(実際は「暴力団」と言ったほうが近いのだが)に、出て行けと様々な脅しを受けることも珍しくない。

 といっても、北アイルランドの住民たちが信仰熱心なあまりにいがみあっているのではない。元をたどれば、カトリック教国だったアイルランド半島にイングランド(後の英国。プロテスタント)が勢力を伸ばした過去の歴史があった。半島の南は独立への歩みを進め、現在はアイルランド共和国となった。欧州連合(EU)の加盟国となり、EU助成金や外国企業への投資優遇策を提供しながら経済成長を遂げ、首都ダブリンはロンドンをしのぐほどの多彩な国籍の人々が働く、国際的な都市となった。

 一方、プロテスタント系住民が多く居住していた6州は「英領北アイルランド」となることを選択。地理的には南同様アイルランド半島にいながら、政治的な所属は海の向こうの英国、というねじれ現象が続く。

 それぞれの宗派を代表する政治家の間でも互いへの不信感は非常に強く、アイルランド共和国政府と英政府の支援で1998年成立した北アイルランド自治政府は、2002年以来機能停止状態だ。今後の成り行きは確実ではない。(注:2007年5月、紆余曲折の後、復活。今年、自治政府は、英政府からの治安・司法権限移譲実施で合意。)

―イングランドのアイルランド支配

 北アイルランド問題の元をたぐると、イングランドのアイルランド侵攻にさかのぼる。

 南北のアイルランド人たちがよく使い、イングランドに住む人が「またか」という顔をするのが、「イングランド(英国)がアイルランドを800年間植民地支配してきた」という表現だ。イングランド人側から見れば、「全くアイルランド人は昔のことを良く覚えている。そんな昔のことを今言っても始まらないだろう」という思いがあるのだろう。

 しかし、どこの国の歴史を見ても、あるいはどのような社会でも、支配された、抑圧されたあるいは虐げられた側の方はその経験を長い間忘れないでいるものだ。

 「800年」というのは、12世紀のイングランド王ヘンリー2世が、ノルマン人に支配されていたアイルランドに侵攻した時から数えた場合だが、イングランドがアイルランドでの実権を本格的に持ち出したのは ヘンリー8世が1541年にアイルランド王も兼務した時からだったと言われる。ヘンリー8世はアイルランド的なものを許容せず、イングランドのやり方への同化を強要した。

 当時のイングランドは世界の植民地支配をめぐってカトリック教国スペインと争っていた。イングランドは英国教会を体制としており、スペインがカトリック教徒の多いアイルランドを足がかりにしてイングランドを侵略するのではないかと恐れた。

 波多野裕造氏の『物語アイルランドの歴史』によると、アイルランド、スコットランド、マン島のケルト系住民(ゲール人)の族長らに対しては、イングランド王への忠誠を誓うものには領地保持を許可し、師弟をイングランドに留学させることでイングランド化を進めたという。氏によれば、この結果、「アイルランドが次第にそのケルト民族的特質を薄め、やがて言語(ゲール語)すら失ってしまう結果になったことは否定できない」。

 イングランド王は反抗するものからは土地を没収し、イングランドやスコットランドからプロテスタント移民の植民を奨励した。波多野氏は、「アイルランドの国内の少数派であるプロテスタントと絶対多数のカトリック教徒の対立、相克」の深まりを指摘しているが、まさに現在の北アイルランドの状況が既にこの頃から出来上がっていった。

 17世紀、オリバー・クロムウエルが指導者の立場に着くと、徹底したカトリック教徒弾圧策を実行。1697年から1727年の刑罰法ではカトリック教徒に対し土地所有の制限、公職就任の禁止、選挙権の没収などが実行された。

 1801年、アイルランドは連合法の下、大英帝国の一部となったが、19世紀を通じてアイルランド自治への動きは止むことはなく、アイルランド島全体ではアイルランド民族主義者(ナショナリスト)と英国への帰属を望む人々(ユニオニスト)との対立が激化してゆく。

 流れを変えたのはいわゆる「イースター蜂起」(1916年)で、武装男女約千人がダブリン中心地を占拠し、アイルランド共和国の設立を宣言した。この蜂起は英軍によって鎮圧され、間もなくして反乱指導者らが処刑された。これが反イングランド感情とナショナリスト運動への同情を一気に高めたと言われている。

 1919年から21年までのアイルランド独立戦争の後、21年末、英国・アイルランド条約が交わされ、英連邦の中の自治領としてアイルランド自由国が建国された。一方プロテスタント系住民が多く住む北部アルスター地方の6州は北アイルランドとして英国の直接統治に入ることになった。38年、南のアイルランドは新憲法の下で共和国として主権国家となり、現在に至っている。

―不信感の歴史
 
 在ベルファーストのジャーナリスト、デビッド・マッキトリック氏と歴史家デビッド・マックビー氏が書いた『メーキング・センス・オブ・ザ・トラブルズ』によれば、プロテスタント系住民が過半数の北部6州が北アイルランドになったことは、この地域に安定を必ずしももたらさなかったという。

 プロテスタント系知識層は英政府がいつかは北部を南部と一緒にする政策を打ち出すのではと恐れ、北アイルランド内ではカトリック系住民が南部と協力して自分たちに攻撃をかけるのではないかと懸念。カトリック系が人口比率の中で増えて行き、中産階級になってゆくと、貧しいプロテスタント系住民からは嫉妬や疎外感も出るようになった。

 一方のカトリック系にしてみれば、新たな枠組みの中でアイルランド人としてのアイデンティティーが否定され、圧倒的にカトリック教徒が多い南部から切り離されたことで、政治的に無力感を感じるようになる。さらに、1920年代以降の約50年間、プロテスタント系が政治、行政上の支配権をほぼ独占する中で、自分たちが雇用、住宅、政治上の権利などで差別されていると感じたが、実際この懸念は現実に裏打ちされたものだった。

 1969年を機に、米国の市民運動に触発されたせいもあって、政治、雇用、住宅面で差別を受けていたカトリック住民による大規模なデモ、アイルランド共和国軍(IRA)などの民兵組織による「テロ」、これに対抗するプロテスタント系住民による攻撃や民兵組織による「報復テロ」が目立つようになった。

 住民たちの暴力の目に余る過激さに、当時の北アイルランド政府(プロテスタント系政党が独占)は、英政府に軍隊の導入を要請。カトッリク系民兵組織や過激住民らは、昔から続いた独立戦争の一環として、英軍を占領軍と見なし、英政府支配を支持する王立アイルランド警察(現在の北アイルランド警察)やプロテスタント系住民への攻撃を続けた。これに対抗してプロテスタント系民兵組織、アルスター義勇軍やアルスター防衛協会も同様に攻撃を繰り返す。こうして、69年以降の「トラブル」と呼ばれた約30年間の暴力行為の結果、約3600人が命を落としたと言われている。

 様々な政治的紆余曲折の後、98年の和平合意が成立し、北アイルランド史上初めてカトリック系とプロテスタント系政党による連立政権が成立した。

 宗派の違いによる互いへの憎しみや不信感は消えたわけではない。

 IRAやプロテスタント系自警団・民兵組織の暴力行為は望んだようには収まらず、何度か「停戦」宣言が出てはこれを取り消す、という流れがあった。また、先述のように連立政権はIRAのスパイ事件(真相は未だに不明)をきっかけに、「信頼感を失った」とするプロテスタント系政党が連立政権から離脱する動きを見せ、自治政府の機能が5年間、停止した。

 地元の新聞を開けば、カトリック系住民がプロテスタント系住民の恨みをかった、あるいはその逆のケースなどで傷害あるいは殺人事件が起きるのは珍しくない。

 駐留英軍に対する地元民の反英感情も未だに根強い。2004年、北アイルランドに派遣されたスティーブ・マックグリン歩兵は、他の兵士数人とパトロール中、全く何の威嚇行為もしていなかったが、どこからともなく集まったカトリック系住民の一群に追いかけられ、命からがら逃げ出したことを自著『スクワディー』(「新兵」の意味)に書いている。
―無法地帯

 ベルファーストの郊外にある「ウエーブ」は、「テロ活動」などで家族を失った人々のための支援組織だ。週に何度か集まり、お茶を飲んで他愛のない話をしたり、マッサージなど心身をリラックスさせるサービスも受けることができる。ほとんどが女性たちで、夫や兄弟を「テロ」で失った人たちだ。付き合いが長くなると、お互いがカトリック系なのか、あるいはプロテスタント系なのか分かることが多いというが、自分たちからはどちらの住民なのか、どのグループの攻撃で家族を失ったのかを詳細には語らないという。

 プロテスタント系武装集団が根城にしているシャンキル通りには、「シャンキルの殺し屋たち」と呼ばれるチンピラ・グループがかつていたという。「私の夫はシャンキルの殺し屋たちに殺されたのよ」と50代後半と見られる女性が語る。「でも、殺した人は捕まっていないの」。そばにいた女性も、「私の場合もそうなのよ」と相槌を打つ。

 北アイルランドで多発した暴力事件で、遺族が苦しめるのは、犯人が「捕まらない」、「正当な裁きを受けない」ことだという。

 圧倒的にプロテスタント系が占める警察にカトリック系住民は心を許さず、警察に頼るよりは「自分たちの身を守ってくれるカトリック系民兵組織」に頼るからだ。また、いずれの場合でも、人々の口は堅い。誰が犯人かをたとえ分かっていても、それを警察に告げれば、必ず復讐される。

 1972年、北アイルランド北部の都市ロンドン・デリーで「血の日曜日」と呼ばれた事件が起きた。英軍が武器を持たないデモ参加者に発砲し、13人が命を落とした(さらに一人が後に亡くなり、総数では14人が死亡)。英軍側は群集側が先に発砲したと主張するのに対し、犠牲者の肉親は英軍側が最初に手を出したと反論してきた。

 この事件は例外でない。真犯人が誰かは分かっていても真実を明るみに出すことでさらに暴力事件が起き、自分や家族への報復行為があると思うと、人々の口は重くなるばかりだ。

 2007年1月、カトリック強硬派でアイルランドへの帰属を望むシン・フェイン党は、宿敵と見なしてきた北アイルランド警察を承認することに合意した。「警察を承認」とは一見奇妙に聞こえるが、プロテスタント系住民が圧倒的な割合を占めてきた警察組織をシンフェイン党はこれまで認めていなかったのだった。

 この合意の直前、北アイルランドの警察オンブズマン組織が、現在の警察の前身だった王立北アイルランド警察の特別部隊が、1991年から2003年の間、プロテスタント系ギャング集団を情報筋として使う代わりにギャング手段によるカトリック住民への暴力行為を見逃していた、とする調査書を発表した。警察の記録の一部が破棄されているため、証拠不十分ということで警察官の中で処分される人は誰もいない見込みが高い、と報告書は結論づけた。警察側とプロテスタント側との癒着を明らかにした衝撃的な結論だったが、意外というよりも「やっぱり」という思いを誰しもがした。

 「実際に手を下した警察官たちを責めるのは簡単だ。しかし、警察最上部の支持がなければできなかったのだと思う」とオンブズマン組織のトップ(当時)、ヌアラ・オロアン氏は報道陣に語っている。

―アイルランド共和国は手を差し伸べるが

 北アイルランドの現況は、元を正せばイングランド(現在の英国)のアイルランド侵攻が始まりと言えるが、英国が北アイルランドから手を引き、南北が統一されれば問題が解決する、といった状況ではもはやなくなっている。南と一緒になりたくないという住民が北アイルランドにいる限り、英政府が恣意的に退くことは不可能だ。

 1998年の和平合意は、南北の統一は北アイルランドの住民が合意しない限り実現できないこと、アイルランド共和国が憲法を修正し、北アイルランドの領有権を訴えている部分を取り除くことを定めた。これを元にアイルランド共和国では憲法修正を行い、領有権の主張を手放した。

 アイルランド政府は2007年1月、北アイルランドへの巨額投資計画を発表。教育分野や、ダブリンとベルファーストなどをつなぐ道路、ロンドンデリーにある空港への投資を含む。「投資は歓迎だが政治的目的が背後にないことを望む」とプロテスタント系政党民主ユニオニスト党のピーター・ロビンソン氏が述べると、アイルランド政府は「北アイルランドと英国の絆の土台を弱めるのは目的ではない」とした。南北統一に言及することで、北アイルランドで無用な反発を引き起こさないよう、気を使いながらの返答だった。

 アイルランド共和国も、かつての支配者英国も和平の進展への支援者として北アイルランドを外側から見守る格好をとっている。

―未来

 現在の英国では、「テロ」と言えばイスラム教過激主義者による「テロ」を思い浮かべる人がほとんどだ。先の警察と暴力集団との癒着を明らかにした報告書は注意を喚起したが、英国本土でIRAなどによる「テロ活動」が事実上停止している現在、人々の北アイルランドに対する関心は高いとは言えない。

 北アイルランドは次第に「無関係(irrelevant)」になった、とする論調を英国で目にするが、いわば問題の当事者だった英国でもそうなのだから、英国以外の国際社会からすると、北アイルランドはますます遠い存在だ。

 武力の衝突に関する報道の続くイスラエルーパレスチナ問題などに比べても、北アイルランドは「忘れられた場所」になってしまったとも言えるのかもしれない。

 自治政府の活動が一時停止しても、北アイルランド議会の議員たちは給与をもらい続けたため、「税金の無駄遣いだった」と見る向きも多い。「自分のことを自分でまともに解決できないとは」と嘆く見方もある。

―統合学校

 「北アイルランドで唯一明るいニュースがあるとすれば、『統合学校』を希望する親が増えていることかしら」と、英週刊誌「エコノミスト」に北アイルランドの分析記事を書く、ジャーナリストのフィオヌアラ・オコナー氏は言う。

 北アイルランドの子供たちのほとんどは、カトリック系かプロテスタント系かいずれかの学校に通い、大学や会社に入るまで異なる宗派の住民同士との交流はほとんどないが、1981年、カトリック、プロテスタント、他の宗派・宗教、無宗教の子供たちが一つ屋根の下で勉強する学校ができた。別々の教育体制やコミュニティーに所属する中で生まれる、互いに対する無知、偏見、憎しみを自分の子供たちには決して経験して欲しくない、と考えた親たちが作った統合教育学校だ。

 最初に設立されたラーガン・カレッジ(日本では中学から高校に相当)から現在までに統合学校の数は小中学校を合わせて58校となった。北アイルランドの全小中学校数からすると約5%で、ほんの一握りともいえる。それでも、既存の宗派の学校に入れたくないと考える親は増えており、2005年には統合学校への入学希望者500人を「断らわざるを得なかった」と、統合学校の運営を助ける団体「NICIE」のマーケティング・マネジャー、デボラ・ギルバンさんは言う。

 統合学校の成り立ちは親の意思が出発点だった。「統合学校」として政府から認定を受け、親が教育費を払わないで済むように運営費を税金でカバーしてもらうためには、ある程度の生徒数と一定期間継続して運営できることを証明しなければならない。認定が降りるまでの間、統合学校は「統合学校基金」を通じて協力者から資金を募り、これを運営費にあてる。

 ブレア元英首相も訪れたと言う、統合学校の一つ、へーゼルウッド中等統合学校を訪れてみた。校内の壁の一部にあったモザイク画の一つには銃がモチーフとして描かれていた。

 集まってくれた数人の生徒たちは、「学校では宗派が違っても全然関係なく勉強したり、遊んだりする」と声をそろえる。

 「放課後、家に連れてきて遊ぶこともあるよ」と一人の男生徒。「でも(同じ宗派の友人同士が行く)地元のクラブには一緒に踊りに行ったりはしないかな」。

 「同じ教育機関に通ったからといって、全ての問題は解決しない。統合学校に行っただけで差別や偏見が全て消えるなんてことはないし、学校に期待を持たせすぎないほうがいい」と、自分の子供も統合学校に通わせた、「エコノミスト」ジャーナリストのオコナー氏が言った言葉を思い出した。

 学校から外に出るために校門まで歩く途中の道で、近隣の建物と学校を隔てる高い柵が付けられていることに気づいた。柵の上には鉄製の突起物がついており、校門以外の場所からは絶対に入らせないぞ、という意思を感じた。何故これほど頑丈な柵を作る必要があるのか。柵も銃のモザイクも、ベルファーストに住む子供からすれば見慣れた光景で、ことさら気にならないのだろうか。

 統合学校はカトリック、プロテスタント系住民の両方から反発を受けやすい、とNICIEのギルバンさん。カトリック教徒から見れば敵であるプロテスタントの子供がいる学校であり、プロテスタントか見ればその逆だからだ。子供の数が少なくなり、生徒の取りあいとなっている北アイルランドでは、生徒が統合学校に行けば自分たちの学校が閉鎖される状態を恐れる学校もある。しかし、理想として統合学校を支持する声は高まるばかりだ。

 2001年から03年の間に北アイルランドで行われた「オムニバス・サーベイ」では、81%の人が統合学校は平和と和解に役立つと答えている。2005年の「ライフ・タイムズ・サーベイ」では、現実には北アイルランドの90%の地域がカトリックかプロテスタント居住区に分かれているものの、79%の人は異なる宗派同士が混在する地域に住むことを望んでいるという結果が出た。

 現実は希望とはかけ離れており、未来図は不明だ。しかし、数世紀いさかいが続いてきた北アイルランドは、今、自力で新たな将来を作る産みの苦しみの時期にあるのかもしれない。(終)

「ベルファーストの悲劇と未来ー忘れられたアパルヘイト」より
(「Ripresa」(リプレーザ)誌、 社会評論社、2007年第2号掲載)

http://web.mac.com/ripresa/%E3%83%AA%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B6/%E4%BA%8C%E6%9C%9F1%E5%8F%B7.html

 北アイルランドのルポをまとめたブログ: 北アイルランドは今 http://niinfo.exblog.jp/

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