英ニューレイバーの担い手の一人、兄ミリバンド、政界中央から姿を消す宣言

10.09.30 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, 世界の窓

 9月25日、英最大野党・労働党の新党首として、エド・ミリバンド(元・気候変動相)が選出された。三日後の28日、兄のデービッド・ミリバンドが、影の内閣には入らないという宣言を行った。

 一体これがどんな意味をもつの?と疑問を持つ方も多いかもしれないが、英国ではトップ記事扱いとなっている。

 兄デービッドは、労働党の党首候補の一人だった。最有力で、ほぼ勝つのではないかと言われていた。元の首相のトニー・ブレア氏が影ながら応援していたし、弟のエドが支持を大きくしていたけれども、まあ、勝つんじゃないか、と本人もたぶん思っていたはずである。
 
 それが、25日の結果を見ると、ものすごい僅差で弟が勝ってしまった。ちなみに、前政権では弟が気候変動相で、兄は外相だった。格が違うはずだったー。
 
 党首選の間に、よく兄デービッドは「弟が選ばれたら、影の内閣に入って、弟の下で働けますか?」と聞かれ、「もちろん」と答えていた。

 しかし、やはり現実になってみると、違うのである。チャンネル4というテレビでこの点を聞かれていた。「理論と実際は違う」と説明していたが、まあ、無理はないであろう。

 兄弟のドラマという意味でおもしろいと思っている人もいるはずだが、デービッドが影の内閣に入らないという宣言には深い意味がある。それは、デービッドが政治の表舞台から消えることで、いわゆる、ブレア派というかニューブレアの重鎮が消えることになる。本当に、世代交代である。

 兄デービッドは官邸の政策ユニットの一人だったので、いわばニューレイバーの頭脳でもあった。しかし、ブレアとブラウン(前首相)の二人の巨頭にはさまれてしまったかな、という感じがする。一人の政治家として勝負する機会がなかったような。

 次の党首候補といわれてずいぶん長い。ブラウン前首相が危機状態に陥った時、いつも、「次はデービッドだ!」という声が労働党内であがった。しかし、そのたびに、ブラウンを立てるためか、自分は立ち上がらなかった。今から思うと、これが失点だったかもしれない。いつか、どこかで、思い切ってジャンプ!するところがないと、政治家としてはだめかもしれない。

 というのも、昔々、労働党のジョン・スミスという党首が突然死したとき、ブレアが候補として立つか、ブラウンが立つかのドラマが生じた。結局のところ、ブラウンは立たず、ブレアが立ち、首相になった。当時、誰しもがブラウンが次!と思っていたらしいのだが。

 ウオッチャーの一人としては、デービッドがいなくなって、良かったなと思う。というのも、労働党が負けた理由というか、重荷になっていたことがあって、デービッドは自分が政権の中枢部にいたために、今になって「間違えました」とはいえない。

 その重荷とは、例えばイラク戦争であるし、拷問疑惑もあった。イラク戦争の開戦までの動きをいつまでも正当化していては、やはり、広い支持が得られない。イスラム系英国人への拷問疑惑も、さまざまな情報からすると、やっぱり英政府関係者(MI6、MI5など)がはからずも(かどうかは分からないが)関わっていたのは否定できないだろうし、この点をひとまずは置いておくとしても、イラク戦争開戦理由や拷問疑惑に関して、事情を説明するデービッド(当時外相)の話しぶりは、何度聞いても、つじつまがあわない感じであった。

 つじつまの合わない話、というのはどんなにきれいに説明しても、納得がいかないものである。頭がいい人だったら(デービッドみたいな)、つじつまがあってないな、ということが自分でも分かっているはずー。見ていてつらい、というか、言っていることに真実味がなかった。

 弟が党首になって、まもなく、「影の内閣の一員にはならない」と結構すばやく決断したのは、デービッドにしては、ものすごくスピーディーなよい決断だったと思う。

 それにしても、弟エドの評判があまりよくないー新聞を主に見ると。昨日、党大会での党首としてのスピーチがあったのだが、厳しい意見が相次いだ。だめだったというわけではないのだが、「まだまだ未熟」という感じー。メディアの評価がそれほどでないので、誰かが後ろで糸を引いているのかなと思ってしまうほどだ(デービッドを応援していた、ピーター・マンデルソンとかー。マンデルソンは元ビジネス相だが、ブレアと非常に親しく、ニューレイバーを生んだ重要人物の一人。)

 エドの政策で(といっても、政策らしい政策はまだである)、自分では「左によっていない」というが、話を聞けば聞くほど(増税をすると言っているようであるし)、やっぱり、これまでのニューレイバーよりも左だなあと感じている・・・。

 2015年に総選挙の予定だが、労働党が政権を取るかどうかはもちろん分からない。エドのスピーチの後でも、「あれでは5年後に政権は取れない」とばっさり言った、労働党のアドバイザーがテレビに出ていた。さて、どうなるか。(「英国メディア・ウオッチ」より)

【英国ジャーナリズムの底力】 英紙調査報道担当記者に聞く ③ 「私たちに力がないわけではない」

10.09.29 by   カテゴリー: メディア, 世界の窓

 英ガーディアン紙の調査報道記者デービッド・リー氏に、調査報道の現場についてさらに聞いてみた。

―若い記者に調査報道を教えることは社内で行われていますか?

デービッド・リー記者:私は今シティー・ユニバーシティーで教えています。取材の教授です。コースの一環として、ここで調査報道を教えています。それと、何人かの学生に対して、ガーディアンが奨学金などを出すことで支援しています。ガーディアンで働く経験をつむ人もいます。

 ―調査報道をやるときの倫理について、どう考えていますか?例えば、リー記者が、同僚のニック・デービス記者と一緒にやっている、調査報道に関する公開講座を聞きに行きました。デービス記者は、調査報道の奥の手として、情報源を守るために、取材をした人物の名前ばかりか性別も変える、居住地も変える話をしていました。デービス記者は、非常に珍しいケースであると説明してていましたが。また、ジャーナリスト志望の女子学生が、官邸に雇用され、秘密を新聞にリークする事件がありました。この学生をある大手紙がその後雇いましたージャーナリストとして、見込みがあると思ったのでしょう。これについてどう思われますか?私は倫理面から、おかしいと思ったのですが。それは、①読者にウソをいってはいけないと思うのと、②リークするために官邸に勤務した学生は官邸の信頼を裏切っており、次に雇用された大手紙でも同様のことをしないとは限らないと思うからですが。

 名前と地名の変化を読者に言わない、あるいはリークをした人を雇う、これはあなたの見方に賛成です。事実は聖なるもので、読者に嘘は言ってはいけないと私も思います。女子学生の話も、倫理的におかしい。この女性はどうしてもジャーナリストになりたかったのでしょう。それで、これが最後のチャンスだと思って行動したのでしょう。確かに、スクープになりました。それでも、私は彼女の行為には賛同しません。新聞は彼女を雇用するべきではなかったのです。私だったら雇わないでしょう。

─真実を報道するためには、時には非合法すれすれの手段(「ダークアーツ」)をとることも可としますか?

  そういうこともありうるでしょう。公開講座の後で、ジャーナリズムと法について考えていました。しばしば、私たちはボーダーラインにいます。真実が隠されており、合法な世界にいるだけでは、何も探し当てることはできないことがあります。非常にしばしば、いわゆる「ダークアーツ」を使わざるを得ない状況にいるのですー倫理的にあやしい手段を。

 しかし、そういうときのために、ジャーナリストは道徳上のコンパスをもっていなければなりません。いま自分がやっているのは公益のためかどうかを判断するコンパスです。「公益のためか?」と自問して、答えがイエスだったら、継続してやるべきです。例えばごみ箱をあさったり、他の人が持っている書類を非合法でも入手するなどの方法です。

 問題は、 多くの英国のジャーナリストが、「公益かどうか」を自問しない点です。「これで新聞が売れるかどうか?」を自問してしまうのです。

 ―大多数のジャーナリストがそうなのでしょうか?

 おそらく、大衆紙はそうです。サンデー・タイムズもそうかもしれません。

 ―サンデー・タイムズは「高級紙」(クオリティー・ペーパー)ですよね?

 思っているほど高級ではないかもしれませんよ。汚い手を使うこともあるでしょう。あまり公益の意味が分かっていないのではと思います。時として、センセーショナリズムに走っていますーほとんどの倫理的懸念なしに、新聞を売ろうとしています。(米メディア大手ニューズ社の会長ルパート・)マードックの新聞で働く人はすべて、非常に堕落した組織に働いているので、その人自身も堕落してしまうと、私は見ています。(注:サンデー・タイムズはニューズ社傘下。)

―裁判費用が巨大化しています。この結果、調査報道は難しくなったと思いますか?

  調査報道はいつも難しかったのです。最大に難しい点は、大きな裁判費用です。英国の司法体制は、弁護士の利益になるように作られているように見えます。弁護士が大きな費用を請求します。

 かなり大きな組織でも大企業といつも戦うわけにはいきません。何らかの改革が必要です。名誉棄損に関わる裁判を簡素化し、もっと安くできるようにするべきです。もっと重要なのは、裁判費用全体をもっと安くすることです。

―あなたや数人の調査報道をするジャーナリストがいなくなったら、調査報道はどうなりますか?

 それよりも、メディアの構造に大きな変化が起きています。印刷メディア自体が大きな危険に瀕しているのです。消えてなくなってしまうかもしれないーこれが私の懸念です。

  ガーディアンは継続するお金をまだ持っていますし、調査報道はここでは優先事項だです。しかし、これ以上財政状況が悪化すれば、どうなるだろう?先は誰にも分からないのです。

  刻々と変化するメディア環境の中で、誰もネットで流れているようなニュースが載っている新聞は買わないだろう、と編集長は考えています。新聞には特別なものがないといけないのです。長い、挑戦する捜査報道、ガーディアンでなければ得られない報道がないと、と思っています。

 ―ネットは敵ですか?

  おカネの面で言えば、敵です。印刷メディアのビジネスモデルを崩しているのです。非常に恐ろしい問題だと思っています。

 ―実は、今手にしているガーディアンは、今朝、自分で買ったものです。

  どうもありがとう!本当にありがとう!これで家賃が払えます。

 ―日本のメディアへのアドバイスと、ジャーナリストの要件についてお聞かせください。

 ジャーナリストの民主主義社会での重要な役割は、現実の検証です。どんな社会も嘘や隠し事があっては長続きできません。独裁政権の特徴はすべてに対して常に嘘を言うことです。最後には独裁者は倒れます、現実と公式の現実とのギャップが大きすぎるからです。

  優れたジャーナリストたちが、社会の真実、つまり、何が起きていて、何が起きていないのか、何が良くて何が悪いのかを継続して出してゆけば、民主主義社会での自己矯正のメカニズムを作り出すことができます。人々が何が問題かが分かって、これを直すことができます。民主主義社会では、活発なメディアが重要な役目を果たすのですー同時に、新聞を売ろうとしているわけですが。

  真実の情報を出すニュース媒体が必要です。調査報道がなければ、すべての情報が汚染されてしまいます。企業の広報や政治家のメッセージ、商業的なメッセージは嘘なのです。

 広報や政治家の嘘のメッセージに挑戦するジャーナリズムは、民主主義社会が機能するためには必須なのですー多分。これが、私が、自分がやることを社会的に正当化するときの説明なのですがー。

 ―しかし、いくらやっても巨大権力の嘘は続くという状態にがっかりしないのでしょうか。

 時には非常に疲れて、暗い気持ちになります。悲観的になります。これだけたくさんのことをやっても、どれほどの違いがあるのだろう?違いなんかありはしない、と。

  しかし、実際はそうではないのです。政治家や大企業はメディアのことを少し恐れているのです。政治家や大企業をやや違った風に行動させることは可能です。 私たちに力がないわけではないのです。(終)

(朝日新聞「Journalism」取材用インタビューに補足)

シンプルライフを求め小さな家へ  Newslog USA

 「大きな家に住む」、これはアメリカンドリームの一つである。中上流志向、投機用にと、人々は競って大きな家を建ててきた。しかし、最近の不況も手伝い、ライフスタイルを見直す動きもでてきた。自分で建てるシンプルな「小さな家」の登場である。

 国勢調査局によると、全米で家の平均の大きさは2500平方フィート(約232平方メートル)。それに車が2台入るガレージが一般的だ。

 大きな家、花壇のある前庭、裏庭にはプール、塀で家を囲い、人々は自分たちの城を築いてきた。大きな家志向は、家の価格は上がるという神話に支えられてきた。しかし、05年を境にその神話は崩れ、家の価格は下がり始め、まだ底は見えていない状態である。加えて、昨今の低迷する経済から仕事を失いローンも払えず、家を手放す人も多い。

 小さな家が、ちょっとしたブームになっているのには、このような経済的背景が大きい。

 最初に小さな家キットを売り出したのは、カリフォルニア州のタンブルウイード・タイニイ・ハウス会社。創始者は、ジェイ・シェイファーさん。97年に8、2平方メートルの家を建て住み始めたのがきっかけで、その良さを多くの人に知ってもらおうと、家の設計図を売り出した。現在は、6平方メートルから77平方メートルへとサイズを広げ、販売している。

 シェイファーさんのウエブサイトによると、米国の平均的な家は、建築時に3000平方メートルの森林を必要とし、7トンの建築廃棄物がでる。シェイファーさんの典型的な小さな家は、2100キロの建材、廃棄物は45キロ以下である。

 この点では、小さな家は地球に優しいといえる。その反面、国のGNPは上がらず、経済活性化と逆行している。

 アイオワ州に住むグレゴリー・ジョンソンさんは、その設計図を買って家を建てた内の一人。ジョンソンさんは、185平方メートルの家から13平方メートルの家に移り住んだ。クーラー、食器洗い機、洗濯機、乾燥機、掃除機、ミキサーなどは、生活から排除した。

 シンプルライフへの移行は、ジョンソンさんを健康にさせた。仕事場へは、自転車で通う。生活のスペースは小さくなり、自由な時間と経済的ゆとりも生まれた。実際、ジョンソンさん自身も45キロ贅肉を落としたそうである。

 シェイファーさんにジョンソンさんも加わり、「小さな家社会」というコミュニテイーができ上がり、そのウエブサイトには日に7万のアクセスがあり、小さな家に関して、日々メールや電話で問い合わせがあるという。また、現在ソシアル・ネットワークのフェイスブックにも900を超えるファンがいて、自分たちの経験を交換し合っている。 ( http://www.youtube.com/watch?v=SbRvsWuWNUM )

 「小さな家社会」で紹介されている多くの家は、2バーナーのコンロ、冷蔵庫のあるキチン。トイレにシャワー。リビングスペース。ロフト部分にベッドがある。キャンパーを小さくしたような造りである。このような小さな家には車輪がついていて、移動は可能である。

 もっと大きな家を、もっと大きな車を、もっとお金をと、「モアー・モアー」と多くの米国人は、生活規模を広げ、その挙げ句にクレジット・カード借金を増やしてきた。小さな家に住み、大きな車を諦め、贅肉をおとし、今生活を考えなおす時かもしれない。一部の米国人の間には、静かなブームになっているのも、うなずける。

 実際、これらの小さな家が能率的かどうかは別として、自分の周辺を見て、無駄のないシンプルライフを考えるのも悪くはなさそうである。

(Newslog USAブログより)

【イサーンの村から】⑤ 透明な水と濁った水 

10.09.27 by   カテゴリー: 世界の窓, 日々の出来事

 イサーンの農家は米の収穫が1年の主な収入源になるのだが、雨水に頼っているため一期作である。

 灌漑設備の整った中部では二期作できるし、北部の山岳地帯の水に恵まれた地域などは1年に3度も作っているところもある。イサーンの地は大昔は海だったため、深く掘ると塩が出てきてしまう。その塩害のため、大規模な灌漑設備をつくることができないのだ。地域内に川や運河が流れていたり、公共の大きな池があったりすればまだラッキーだが、それもない場合は自分の土地に池を掘ることで貯水対策をしている。雨季にたくさんの水を貯め、必要な時期に吸い上げて使えるように。 
 
ー雨水はおいしい 
 
 今年の田植えの時期も雨が降らず、池から水を吸い上げて田んぼに入れた農家も多かっただろう。「今年は雨が降らない。暑すぎる。異常気象だ。」毎年聞くセリフのような気もするが。水を吸い上げる手段がない農家は、ひたすら雨を待つ。 
 
 タイの農村では、飲用水として雨水を利用する。雨樋から流れ落ちてくる雨を、大きな水瓶に溜めておくだけだ。ある程度の期間置いておくとおいしくなる。もちろん雨水は大気がきれいなところでしか飲めない。イサーンはまだ大丈夫なようだ。たしかに東京の水道水よりずっとおいしい。

 タイを紹介するガイドブックには、雨水は飲まないようにしましょうと書いてあるけれど、JVC(日本国際ボランティアセンター)のスタディツアーでは農村ホームステイの時には皆、その家の雨水を飲んでもらうし、うちの農園に来た人たちももちろん雨水を飲む。JVCスタッフ時代から今まで受け入れたスタディツアー参加者や研修生を合わせたら200人以上になるが、水でお腹をこわした人は一人もいない。「病は気から」というのは本当で、「危ない」と思って緊張している人はお腹をこわしやすいようである。 
 
 どんな水がきれいでどんな水が汚いのか。それが分からなくなっている。透明ならきれいなのか?濁っていたら汚いのか?

 イサーンの家では、水浴びの水は大きな瓶に溜まっている場合が多いのだが、JVCのスタディツアーでホームステイする村でもそうで、その水は少し茶色く濁っていることがある。そして、その中にタニシがくっついていたり、ぼうふらを食べてもらうために小さな魚を入れていたりする家もある。このツアーは主に「国際協力や開発に関心のある人」を対象に行っているので、水が濁っていようとも誰も文句も言わずに水浴びしてくれる。心の中ではどう思っているかわからないが、口には出さない。

 以前に私の中学時代からの友人が参加してくれたことがあった。彼女は看護師で、開発に関心があったわけではなく私がどんなことをしているかを見にわざわざ参加して来てくれたのだ。

 農村ホームステイの後、いつものように参加者とまとめの話し合いをした時に、大学で国際協力を専攻している参加者たちが分析的な感想を述べた後に、私の友人が言った。「泊まった家の水浴びの水が茶色く濁っていて、その上、魚がいてびっくりした。ちょっといやだなぁと思ったけど、我慢して浴びた。でも、施設で金魚を飼っているのだけど、その水槽の水を替えるとき、水道水を入れてすぐ金魚を戻すと金魚が死んでしまうので少し時間をおかなければならない。透明だけど、金魚が死んでしまう水と、濁っているけど小さい魚が生きられる水って、どっちがきれいなんだろうと思った」と。彼女の言葉は自分の生活と重ねたときの素直な感想だった。もしかしたら他の参加者はそれまで、「タイの農村の水は濁っている」と割り切っていただけかもしれない。 
 
ー「不潔で死んだ人はいない」 
 
 水が重要な地域ではどんな水でも利用する。一方、水は十分あるわけではないのに水道から出る透明の水しか使えない感覚になっている日本人。イサーン人はちょっとでも溜まっている水があれば手を洗ったりする。田んぼ、水溜り、金魚の水槽、外に放置され雨水が溜まったバケツ・・もちろん濁っている、が気にしない。手が汚れたらちゃちゃっと、ご飯の前にちゃちゃっと、洗う。そして、その手でもち米をにぎって食べる。そんなイサーン人を見てひるんでいた私だが、逆に、自分自身が水道から流れ出てきて透明でさえあれば清潔だと感じていることに気づいた。茶色く濁った泥水の池よりも、塩素がどれだけ入っていようと、透明のプールの水の方がきれいに感じている自分。「菌」というのはどこにでも存在するのだから、少々の菌がいようとそこら辺の溜まり水で手を洗ってもち米を握る方が、殺菌剤のついたウェットティッシュで拭いた手よりは安全なのかも、と今では思うほどになったけれど。イサーン人化しすぎ? 
 
 化学的な目に見えない汚染と、土や埃や生活の中に存在する菌による汚れ(?)。どちらが危ないのか。日本人から見たら「不潔」と思われそうなイサーンの生活。埃のたまった家、濁った水で洗った食器、知らない人とも使いまわしのコップ、最後にいつ洗ったかわからないタオル。でも、そこからの菌の繁殖などで病気になった人も聞いたことがない。「不潔で死ぬ人はいない」って本当だ。少なくとも・・イサーン人は、添加物たっぷりのインスタント食品や冷凍食品を日常的に食べる人はほとんどいないので、身体の中は汚染されていないのだろう。とは言っても、タイでの味の素の人気はすごいもので、今ではどんな料理にも欠かせない調味料となっているのも事実。それでも日本ほどアトピー性皮膚炎や食品アレルギーになる人の割合が断然少ないのは、普段から不思議な葉っぱたち(薬草)を食して浄化しているからか? 
 
 大雨が降って面白い現象。雨水で川や運河がいっぱいになり、道路まであふれ出すことがある。そんな時には興奮したイサーン人たちが水と一緒に上がってきた魚を捕まえるため、洪水状態の道路に踊り出てくるのだ。その楽しそうな顔といったら・・・! 子供達は泥水遊びで大はしゃぎ。もちろん「風邪引くから家に入りなさい!」なんて怒るお母さんはいない。日本では憂鬱な気持ちにさせる雨。イサーンでは、恵みの雨、歓喜の雨、興奮の雨なのである。 
 
写真1:雨水を溜めるタンク  昔は素焼きのタンクだったのが、最近はセメント製がほとんど。素焼きのタンクの方が、水をおいしく保存できたはず。 
写真2:こんなちょっとした水溜まりがあれば、イサーン人はもちろん手を洗うのにでも使います。 

(日刊ベリタ連載)

英野党・労働党の新党首、決定 -ニューレーバーの今後に不透明感

10.09.26 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, 世界の窓

 25日夕方、エド・ミリバンド(元エネルギー・気候変動担当相)が英最大野党・労働党の新党首に選出された。兄のデービッド・ミリバンド(元外相)も党首候補者の一人で、兄が労働党党員や労働党議員らの間では支持率が高かったのだが、労働組合からの強い支持で兄を振り切った格好だ。

 最後は兄と弟の決選投票になり、なんと兄49.35%、弟50.65%という大接戦。

 26日付の高級紙4紙をざっと見ると、左派系新聞インディペンデントも含め、エドの党首就任を「良かった!」と評価している人が少ない印象を持った。インディペンデントの政治記者はこれではキャメロン(現首相、保守党)に勝てない、とまで言い切っている。

 次の下院選挙は2015年の予定。2007年まで首相だったトニー・ブレアが労働党党首になったのは1994年で、選挙に勝って首相になったのが1997年。保守党のキャメロンは2005年に党首になってから、今年5月、首相就任。エド・ミリバンドが今党首になったのは、時期的には悪くない。

 私が党首決定の様子をテレビで見て思ったのは(私だけではないと思うが)、「これで左に寄ってしまったな」ということだ。デービッド・ミリバンドはブレア氏や他の議員のお気に入りで、いわゆるブレア派。ニューレーバー派である。
 
 ブレア氏が最近、BBCのテレビのインタビューで言っていたが、労働党が一ミリでもニューレーバーから離れたら、選挙に負ける、と。

 今どれぐらいブレア派、ブラウン派が労働党内で意味を持つのかは不明だが、エド・ミリバンドはブラウン派である(少なくてともかつては)。ブラウン前首相のスピーチライターでもあったし、総選挙のときの労働党のマニフェストを書いたのもこの人である(-と考えると、労働党が選挙に負けたのはエド・ミリバンドのせいも少しあるのかな、と思うわけである。)

 党首選の選挙キャンペーンを詳しく追っていたわけではないが、エド・ミリバンドの話は国家の役割を重要視していた。労働組合からの支持で勝ったというのは、かなり重要な意味があるだろう。

 実際にそうなるかどうかは分からないのだが、単純に考えて、労働組合の支持をむげにするような政策や発言はしにくくなる。つまるところ、これは象徴的な意味もあるのだが、労働組合重視、国家の役割重視=昔の労働党=左・・・というようなイメージが出る。

 「象徴的意味」というのは、本当にエド・ミリバンドがこのようなイメージに沿った政策を打ち出してくるのかどうかは分からないのである。しかし、そういう印象を与える、それだけでもう、一つの政治的な動きをしたことになる。
 
 つまるところ、ニューレーバーに衣替えした労働党が、一歩後退した、という印象さえ与えるのである。ニューレーバーに取って代わるキーワード(党を統一する役割を果たす)・スローガンがまだないので、人は「古い労働党」のイメージを抱く。エド・ミリバンドは早急に新しいスローガンを作らないといけないだろう。

 エドの党首就任とは直接関係ないが、これから影の内閣の人事に入っていくだろうから、いつも気になっていることを書いておきたい。

 このミリバンド兄弟は、連立政権発足(5月)以前まで、同じ内閣にいた。この内閣+政権中枢部には、党首候補者の一人でもあったエド・ボールズと妻のイベット・クーパーも入っている。

 いささか居心地が悪い感じがする。兄弟で一つの内閣に?そして、夫婦でー?それは、「兄弟(または夫婦)だけれど、どっちも本当に実力があって・・・」ということで「たまたま」そうなったと思うだろうか?どうにもネポティズムのような感じもする。また、利益の対立(コンフリクト・オブ・インタレスト)がないのかな、とも思う。普通の企業や公的機関の勤務で、同様のことが起きているか、起きていないか、もし同様の事態が発生しそうなとき、どのような措置がとられているかを考えると、やっぱり、労働党の前政権の人事はおかしいなーと私は思う。どうにもすっきりしない感じがする。

 何せまだ1日目だが、今後、どうなるか?である。

 それにしても、エド・ミリバンド(40歳)にせよ、キャメロン首相(43歳)、副首相のニック・クレッグ氏(43歳)にしろ、さっそうとして若い。タイプが似ている感じに見える。ミリバンド氏の労働党党首就任で、ほぼ確実になったことがあると思うー首相候補の若年化である。40代前半での就任がだんだん当たり前になってきた。これは良いことのような気がしてならない。

【英国ジャーナリズムの底力】 ー英紙の調査報道担当記者に聞く ② 「人がガーディアンを買うのは権力を批判する記事があるからだ」

10.09.25 by   カテゴリー: メディア, 世界の窓

 英ガーディアン紙の調査報道担当記者デービッド・リー氏に、ロンドンのガーディアン本社の一室で話を聞いた。ガーディアンは調査報道に力を入れている新聞の1つだ。リー記者がその名を広く知られるようになったのは、閣僚による武器調達収賄疑惑の報道だった。

 ことの詳細は以下である。

 1995年4月10日、ガーディアン紙は、ジョナサン・エイトケン財務副大臣(当時)が、サウジアラビアから兵器契約に絡んで賄賂を受け取っていたと1面で報じた。同紙とグラナダ・テレビの調査報道番組「ワールド・イン・アクション」(WIA)の記者による調査を基にしていた。WIAは、エイトケン氏の武器調達大臣時代の賄賂受領疑惑を「アラビアのジョナサン」と題する番組で、同日午後8時から放映予定だった。

 ところが、エイトケン氏は放映3時間前に記者会見をし、「嘘と嘘を広める人」への「戦い」を始めると宣言した。番組は放映され、同氏は名誉棄損で提訴した。

 しかし、同氏のパリのホテルでの宿泊代が賄賂であった証拠をガーディアンとWIAの共同取材が明るみに出し、1997年、同氏の敗訴が確定した。99年、同氏は偽証罪と司法妨害で有罪となり、18か月の実刑判決を受けた(実際の受刑は7か月)。裁判費用が膨らみ、同氏はロンドンの自宅を売却しても足りず、破産宣告を受ける羽目になった。一方、ガーディアンとグラナダも訴訟に240万ポンド(約2億2600万円)を費やした。

***

―1980年代初期のガーディアンの雰囲気はどんな感じでしたか?調査報道を記者に書くように奨励するような感じだったのでしょうか?

 デービッド・リー記者:当時は、ライター(作家・書き手)のための新聞でした。ガーディアンの中にいて、ライターであれば、大きな自由がありました。何を書くかを選ぶことができ、いろいろな部署で書くことができました。非常に解放的な雰囲気がありました。

 ―扇情的な、売れ行きが伸びるような記事を書くような圧力はなかったのでしょうか。

  ありませんでした。当時、ガーディアンはお金がない新聞で、いつもお金が無くなるんじゃないか、という心配はありました。でも、扇情的な話を書かなければならないという圧力はありませんでした。論外でした。それはタブロイド(大衆紙)がやることです。ガーディアンは非常にまじめな新聞なのです。

―日々の仕事、つまり調査報道以外の仕事をやる義務はなかったのでしょうか。

  ガーディアン内で、私は調査報道ができるとジャーナリストだという評判を作ったので(ありませんでした)。後で日曜紙であるオブザーバーに行って、調査報道のチームを作るように、といわれました。そこで自分の好きなことをやることができました。少人数のチームでやっていましたが、1週間に一度出せばいいわけです。このチームでたくさんの調査報道を行いました。一例はサッチャー元首相の息子マークのビジネス上の友人が関わった事件でした。

―現在でも、オブザーバーには調査報道のチームがあるのでしょうか?

 今はありません。20年ほど前の話です。ほかにはサンデー・タイムズのインサイドというチームもありました。週に一回ですので、調査報道が可能だったのでしょう。日刊紙だと、その日の出来事に関わらざるを得なくて、忙しすぎます。囚人になってしまいます。短期的見方しかできなくなります。

─既成の権威に挑戦すると、裁判沙汰になることも含め、様々なリスクがあります。例えば大企業が巨額の弁護士費用を使って新聞を黙らせようとします。新聞社にとっては裁判費用など金銭的負担が大きくなりますが、どうなのでしょうか。

 ガーディアンのアラン・ラスブリジャー編集長から支援を得ています。たとえリスキーでも、調査報道を続けるべきだと編集長は考えています。人がガーディアンを買うのは、エスタブリッシュメントに挑戦する記事があるからです。エスタブリッシュメントを批判するのが私たちの仕事です。読者は、ガーディアンがトラブルを起こすことを期待しているのです。

―脅しにはどう対処するのでしょう?

 いろいろなところから脅しは来ます。政治家だったり、大企業だったり。ガーディアンは大企業からの法的な攻撃をたくさん受けてきました。こうした環境に私たちは生きているのです。ガーディアンには大企業や大きな政府と戦うという姿勢があります。編集長は、ガーディアンの名声の一部は、こうした姿勢に由来していると考えています。(つづく)

【現代史のなかの農業】 ⑩ 席巻する市場原理

10.09.24 by   カテゴリー: 日本, 環境

 ぼくは新自由主義三人衆と呼んでいる。1979年にイギリス首相になったサッチャー、81年にアメリカ大統領になったレーガン、82年に日本の首相の座に着いた中曽根康弘-の三人だ。 いずれもやったことは共通している。小さな政府を掲げ、福祉や教育をはじめとして、公共のものと考えられていた暮らしのセーフティーネットを解体し、私企業に譲り渡していったことである。その背後には、市場競争こそがもっとも効率的で合理的な社会をつくるという経済思想があった。

ー新自由主義の時代

 この三人にはもうひとつ、共通点があった。政府の仕事の中でも民生部門はできるだけ小さくし、軍事部門は大きくしていくという指向である。サッチャーはアルゼンチンを相手にフォークランド紛争を起こし、レーガンはいまだベトナム戦争敗北の後遺症が色濃く残っていたアメリカで、“強いアメリカ”を標榜して軍備拡大を進めた。このレーガンの遺産を下にイラクと戦争を起こし(湾岸戦争)、今のアメリカのイラク侵略の原因を作ったのがレーガンの副大統領で、その後大統領となったパパ・ブッシュである。その頃わが中曽根は日米軍事同盟強化に腐心し、憲法改正の地ならしをしようとがんばっていた。

 こう見てくると、この三人がそろった80年代は、戦後世界の幕を引き、東西冷戦終了をへて地球上の隅々までを市場競争で覆うグローバリゼーションがもたらす90年代以降の混沌の時代への橋渡しの時代であったことに気付く。

ーマスコミは「農業たたき」

 農業もまた、その混沌の真只中に放り出された。日本ではそれは「農業の国際化」といわれた。

 80年代前半、日本経済は絶好調で、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などといわれて経済界は意気揚々としていた。自動車をはじめとする工業製品を欧米市場に売り浴びせ、ドルを稼ぎまくっていた。自動車産業のふるさと、アメリカのデトロイトは安い日本車のアメリカ市場への流入で操業短縮に追い込まれ、失業者があふれた。アメリカ自動車産業の労働者が日本車を打ち壊すパフォーマンスを演じ、マスコミをにぎわせたりした。

 政府、経済界は世界の批判をかわすために輸入促進を掲げた。具体的には日本の農産物・食品市場の開放であった。「日本の農産物は高すぎる」「税金を食うだけの農業はいらない」といった言説が、テレビでおなじみの有名大学教授や評論家の口を通して、連日お茶の間に流れた。

 一方で、「日本は失業を輸出している」という批判が世界中から巻き起こった。その背後には経済力に比べて円が安すぎるという問題があった。1985年9月、ニューヨークのプラザホテルに先進五カ国の財務関係大臣と中央銀行総裁が集まり、世界の為替相場をどうするかを協議した。その結果、当時1ドル230円台だった円相場は1年数ヵ月後には150円を切るまでに高騰した。いわゆるプラザ合意である。

ー輸入に全面依存の時代に

 この結果、ただでさえ安い輸入農産物の値段が激安化した。85年当時の日本の食料自給率はカロリーベースで54%だった。当時でも先進諸国の間では異常に低い水準だったが、その原因はトウモロコシや大豆、小麦といった飼料用を含む穀物のほとんどを輸入に頼っていたことにあった。86年以降、それに野菜や果樹などの生鮮食品や加工品が加わった。あらゆる食べものも外国に頼る時代に入ったのである。自給率はたちまち50%を割り込み、いまや40%にまでなっている。

 国内の食品企業は、日本にいて日本の原料を使っていたのでは売れなくて倒産してしまうと、こぞってアジアに進出した。90年代初め、タイ北部の中心都市チェンマイで、日本からやってきて現地で契約栽培した野菜をカットして日本のスーパーに納入する工場を取材したりしたことがある。

 東北タイのラオス国境の村では、ゴボウの契約栽培が行われていた。タイにはゴボウを食べる食習慣はない。村を訪ねた。村人はそれまで見たこともない作物をただ日本人のためだけに作っていた。数年後、その契約は日本の業者によって一方的に打ち切られ村は売れないゴボウを抱えて困り果てていた。市場原理主義ともいえる新自由主義は、日本とタイの野菜農民を同じように直撃したのである。(つづく)(日刊ベリタより  www.nikkanberita.com )

【英国ジャーナリズムの底力】 -ガーディアン紙の調査報道担当記者に聞く ① 「調査報道は世界を変える方法だった」

10.09.23 by   カテゴリー: メディア, 世界の窓

  英国で、新聞記者による調査報道はいつどのようにして始まり、実際に調査報道に関わっている記者はどのように取材を行っているのだろうか?そんな疑問を解くために、英高級紙ガーディアンの調査報道担当記者デービッド・リー氏に聞いてみた。

 リー氏はケンリッジ大学卒業後、スコッツマン、タイムズ、ガーディアン、オブザーバーなどで勤務。1990年代、保守党政権の閣僚だったジョナサン・エイトケン氏の兵器売却契約を巡る収賄疑惑をガーディアン紙上で追及したことで知られる。エイトケン氏は同紙を名誉毀損で訴え、裁判になった。最終的に、同氏は偽証罪で有罪となり、禁固刑を宣告された。リー記者は国際的な汚職問題を暴くことが多く、防衛大手BAEシステムズの賄賂提供疑惑を数年間にわたり報道したことでも知られる(記事最後に詳述)。ロンドン市立大学では英国初の報道担当の教授として教鞭を取る。

 リー記者は汚職関係、政府の権力の乱用、裁判問題などの公開議論の場によく出ているので、前に何度か顔をあわせたことがあった。一対一で話すと、とても温和な感じの人物だ。物静かに話す様子を聞いていると、こんな男性のどこに大きな権力と戦うエネルギーがでてくるのかなと不思議に思う。

 ガーディアン内で行われたリー記者のインタビューの紹介に入る前に、「調査報道」(investigative journalism)の解釈について。ネットで検索してみると、その定義はいろいろあるようだが、日本では、官庁や企業が大手メディアに出すリリースや会見などで得られた情報を基にした報道と対極の位置にあるものと考えられているようだ。英国では1つの典型として、「政治家、政府、大企業、そのほか権力者が公開したくない情報を暴露する」報道が「インベスティゲティブ・リポート(あるいはインベスティゲティブ・ジャーナリズム)」と同義語として使われる場合が多い。「インベスティゲート」(investigate)は警察などが「捜査する」場合にも使われる。

─英国の調査報道の伝統はいつから始まったのでしょう?

デービッド・リー記者:私の記憶では、1960年代にさかのぼります。当時、ノーザン・エコー紙のハロルド・エバンス編集長が、あるえん罪事の真実を解明するための報道を始めました。犯人とされた男性はすでに絞首刑になっていましたが、報道をきっかけにえん罪が晴れました。英国の死刑制度廃止の発端を作った大きな事件でした。1970年代にはサンデー・タイムズ紙の編集長として、大規模な調査報道を開始しました。その1つの帰結がサリドマイド事件(睡眠薬サリドマイドを服用した妊婦から奇形児が生まれた事件)です。

 一連のサリドマイド事件の報道は典型的な調査報道でした。たくさんの時間とお金が使われましたし、イングランドの法体制への挑戦でした。結果として、多数の奇形児に補償を与えることができたのです。国家権力と戦い、お金を使う用意があり、大きなスキャンダルを世に出したという意味で、私が考えるところの典型的な調査報道(インベスティゲティブ・ジャーナリズム)でした。

 サリドマイドは、当時、エバンス編集長が手がけたたくさんの調査報道の1つでした。非常に大掛かりで、時間を長くかけてやっただけでなく、紙面を4面も5面も作って出したのです。ほかには、ロシアのスパイだったキム・フィルビーの正体を暴露した報道です。

 当時、エバンズやサンデー・タイムズで「インサイド」という調査報道の連載を担当していた記者たちがインスピレーションを受けたのは、米国のウォーターゲート事件です。私がやったたくさんの調査報道や、米英で行われた調査報道のルーツもウォーターゲート事件にあります。特に、当時は私はまだ若者でしたから、刺激を受けました。

―既存の体制に挑戦するという、時の機運(60年代-70年代)とも一致していたのでしょうか。

 そうです。時代背景と切り離すことはできません。権威に対し、挑戦する、まさに60年代のスピリットでした。当時若者だった私たち全員が、「世界を変えよう」と思っていたのです。調査報道は世界を変える一つの方法でした。 

―最初の仕事先はスコットランドの主要高級紙「スコッツマン」紙でしたね?

 そうです。大学卒業後、最初はスコッツマンで働き始めました。本社のあるエディバラで数年間働き、それからロンドンに来てタイムズ、そしてガーディアンに行ったのです。

―スコッツマンにも体制に挑戦するという雰囲気があったのでしょうか?

  いいえ。スコッツマンは非常に保守的な新聞でしたので、見習いをやって、ロンドンに来てから調査報道にやるようになりました。

 ―エバンス氏と働いたことは?

  私はタイムズで働きましたが、彼はサンデー・タイムズにいまして、当時別々の媒体だったんです。エバンス氏とはこれまでに一緒に働いたことがないのです。

  調査報道を本格的に始めたのはガーディアンに来てからです。仕事をしながら、情報公開に関わるキャンペーンの本を書きました。これが1980年です。それと、司法に関わる裁判にも関わるようになりました。公務員機密保持法や裁判所の秘密保持などをテーマにして、司法に関わる分野を扱うようになりました。(つづく)

*防衛関連企業BAE疑惑とは

 今年2月、英国最大の防衛関連企業BAEシステムズの汚職疑惑を調査していた英米当局は同社と合計4億5000万ドル(約370億円、3月末時点の計算)罰金の支払いで合意した。

 同社は、東欧諸国やサウジアラビアへの航空機販売を巡り、賄賂を使った事実を隠すために、米司法省に対し虚偽の情報を提供していたことを認め、巨額の罰金を払うことになった。英重大不正捜査局に対しては、同社がタンザニアでの取引を巡って不正会計を行ったことを認め、罰金3000万ポンド(約40億円)を払い、企業による刑事犯罪事件の和解金額として、英米両国においてともに最大額となった。

 BAEシステムズの賄賂疑惑は長年噂になっていたが、ガーディアンが先陣を切って取り上げたのは2003年である。

 当初ガーディアンが問題視したのは、1980年代に英国とサウジアラビアの間で交わされた「アルヤママ」兵器売却契約に関わる賄賂疑惑。90年代を通じて契約内容が拡大し、全体では430億ポンド(約5兆8000億円)にまで膨れあがっていたからだ。英国最大の兵器売却契約である。

 報道を続けるうちに、同社が裏金を使ってサウジアラビアの王族に接待を行っていた証拠を持つ人物がガーディアンに連絡を取るなど、情報提供者が徐々に現れて、報道の信ぴょう性が高まっていく。

 2004年、英重大不正捜査局が捜査を開始した。しかし、06年12月、捜査が佳境に入ったところで、政府の介入により突然中止されてしまう。

 ブレア首相(当時)は「テロ打倒、中東和平など」、サウジアラビアと英国が「戦略的に非常に重要な関係」にあり、打ち切りは「正しかった」と述べた。重大不正捜査局の当時の局長は「政治的圧力はなかった」「自分で決めた」とBBCの取材に答えているが、サウジ側からの英国への政治的圧力や兵器契約が打ち切られた場合の雇用減少や売却金の喪失という経済上の圧力が働いたことが、報道によって暴露された。

 ガーディアン紙は、2007年6月にはBBCとともに、BAEが元駐米サウジアラビア大使に対し、兵器受注にからみ過去10年間で10億ポンド(約1360億円)以上の裏金を渡していたと報道した。

 こうして、BAEが虚偽報告や不正会計で英米当局に罰金を支払うまでに、報道開始から7年の歳月が流れていた。

(朝日新聞「Journalism」取材用インタビューに補足)

普天間移設と沖縄報道は本土メディアの試金石になる

 年の政権交代から16日で1年がたちました。直前の14日には民主党の代表選で菅直人首相が小沢一郎元同党幹事長を破り再選。17日に改造内閣が発足しました。当面、わたしが注目しているのは、米軍普天間飛行場の移設問題の帰すうです。菅首相は、沖縄県名護市辺野古地区を埋め立て新飛行場を建設する米国との合意を推進することを表明しており、内閣改造でも北沢俊美防衛相の留任、沖縄担当相兼任だった前原誠司国土交通相の外相へのシフトなどの人事は、この方針に沿ったものと思えます。

 沖縄では12日、名護市議選があり、普天間飛行場の辺野古移設反対を明言する稲嶺進市長を支持する与党候補が大勝(定数27のうち16議席)。琉球新報は「1月の名護市長選での市政転換に続き、移設容認の地元合意が完全に崩れ、政府が推進する辺野古移設は一層困難になった」と伝えました。11月には沖縄県知事選があり、普天間飛行場の県内移設に明確に反対している伊波洋一・宜野湾市長が出馬を表明。遅れて出馬表明した仲井真弘多・現知事も公式発言としては、ずっと「辺野古移設は極めて困難」としたままです。

 11月の知事選を挟んで、鳩山由紀夫前首相の時と同じように、あるいはそれ以上に、普天間飛行場移設問題が全国的な政治ニュースとして大きく報道されることと思います。知事選に際して、仮に仲井真知事が明確に「県内移設反対」を表明するなら、もはや普天間飛行場移設は知事選の争点にすらならないほどに沖縄の民意として明確化するということでしょうし、そうはならないにしても、選挙の争われ方や投票結果を通じてやはり沖縄の民意が「県内移設反対」であることがはっきりすることもあるでしょう。実際にどうなるかは今後の推移を待つしかないのですが、少なくとも名護市民の民意は「県内移設反対」であることが明確になっており、菅政権(日本政府)は次にどのような選択をするのか、その政治状況は大きな社会事象です。わたしは、各メディア、中でも本土(ヤマト)の大手マスメディアにとって、その政治状況をどのように報じるのかはメディアとしての極めて重要な試金石になると考えています。

 普天間飛行場の移設について「最低でも県外」としていた公約を撤回した鳩山首相(当時)が5月、県内移設の受け入れを要請しに沖縄を訪問した際に、行く先々で激しい非難を受けました。その様子も含めて、本土(ヤマト)メディアは沖縄の人々の怒りを大きく報じました。意図が鳩山氏を批判するためであったとしても、そうした報道は以前の本土メディアには見られなかったことであり、わたしは本土メディアに表れた変化だと感じました。そして、沖縄の人々の怒りが向けられたのは直接的には鳩山氏だったのだとしても、最終的には、本土に住む日本人の一人としてわたしにも向けられているのだと受け止めました。以前のエントリーに書いたそのことに今も変わりはありません。

 ※参考過去エントリー

 「『なぜ沖縄』の疑問に応えていく報道を~ヤマトメディアに起きた無自覚の変化」(2010年5月30日)

 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100530/1275180587

 鳩山氏が社民党との連立を解消してまでして「辺野古移設」の日米合意を残し退任して後、普天間飛行場移設問題の本土メディアの報道は急速にしぼみました。自民党を中心にした旧政権下の方針に戻った事情もあり、7月の参院選でも争点には浮上しませんでした。菅氏と小沢氏による民主党の代表選でも、小沢氏は対米交渉に関して菅氏とは一線を画していたのですが、菅氏が小沢氏の「政治とカネ」問題を繰り返し批判したこともあって、代表選自体の対決軸が「小沢か反小沢か」かのように見えてしまい、マスメディアの報道では普天間飛行場移設問題はかすみがちでした。

 これも先に挙げた過去エントリーで触れたことですが、4月から5月にかけて、本土(ヤマト)マスメディアが繰り返し普天間飛行場移設報道を報道したことで、仮に、それが鳩山氏への批判が強まっていることを強調するのが目的であったとしても、結果として、報道を通じて「なぜ沖縄なのか」という問いがヤマトでも広く意識されることになったのなら、その意味は小さくなかったと思います。今後、「なぜ沖縄なのか」の問い掛けに応えうる多様な情報発信が始まり、継続されるのかどうか、しかも重要なのはそれが自覚的に行われるのか否か。本土のマスメディアにとっての試金石は、そこに尽きるのだと考えています。

 折りしも、朝日新聞社ジャーナリスト学校発行の「Journalism」9月号が「政権交代1年の政治報道」を特集しています。沖縄タイムスの屋良朝博・論説委員兼編集委員の論考「『普天間』報道はここがおかしい 沖縄から検証する本土メディア」は、本土メディアが日米同盟という「外交問題」と基地行政という日本の「国内問題」を混同し続けていることが「沖縄報道で起きている最大のピンぼけの原因なのだ」と明快に指摘しています。

 日本国が国家意思として日米安保条約と在日米軍兵力を必要としている前提では、日本から米国に在日米軍の兵力削減を求めない限り、その兵力をどこに駐留させるかは本来的には日本の国内問題です。沖縄の民意が過剰な負担を指摘し県外移設を求めているのに、それでもさらに負担を引き受けさせようというのであれば、それは沖縄への差別と呼ぶほかありません。日本の国内問題として、負担を国内で平等に分散しようとの発想を欠いているからです。わたしはそのように読み解きました。

 屋良さんは、米海兵隊を沖縄に駐留させることの「地理的優位性」や「抑止論」を沖縄メディアが立証的に否定してきたことも紹介しています。本土マスメディアの主張・論調が、おしなべて普天間移設問題が日米同盟の踏み絵であるかのように位置づけるようになり、多様性を失っていることも指摘しています。メディアのありようで言えば、この多様性を失っている状況がいちばんの危機的な問題かもしれません。本土のマスメディア関係者にはぜひとも読んでほしい論考です。

(ブログ「ニュース・ワーカー 2」より http://d.hatena.ne.jp/news-worker/ )

【イサーンの村から】④ なんでもバリバリ、野菜ってなんだろう 

10.09.20 by   カテゴリー: 世界の窓, 日々の出来事

 うちは一応自然農業を目指した有機農業をしているので、畑にはそこそこの雑草が生えている。自然農業では、自然界に不必要なものはないという考えなので、そもそも「雑草」という言葉も使わないが。とにかく「食べられない草」が、野菜を覆い尽くすほどなのだ。タイの雨季は草木の成長が本当に速い。ちょっと気を抜くと畑はたちまち草ぼうぼうになってしまう。 
 
ーそこらじゅうが「野菜」 
 
 植えてある野菜といっても多くはイサーンの地元野菜なので、日本人がすぐ見てわかるような野菜はほとんどない。イサーンの固くて乾いた土では根菜は難しいし、キャベツや白菜、トマトなどは、気温の低い乾季(12~2月)にしか育たない。葉物野菜は暑すぎるとくたくたになるし、虫にも食われやすい。その点、地元野菜は虫にもほとんど食われないしもちろん暑い気候にもあっている。

 でも、タイ料理のスープのダシとしてはかかせないレモングラスなんてどこから見ても雑草だし、イサーン人がもち米のおかずとして大好きなソムタム(青パパイヤのサラダ)の材料であるパパイヤと唐辛子はいつでもそこら中に植わっているが、日本人には食材にはみえないだろう。

 以前、家の前の一角に何種類かのハーブを植え、自然農業だから雑草もハーブも共生だよね(草抜くのめんどくさいし)、と雑草も抜かずにそのまま野生化花壇にしておいた。義理母が来たときに「こんなに草ぼうぼうにして・・」とあきれてすっかり草をすっかり刈ってしまった(包丁で!)。しかし、さすが村のお母さん。何が植えてあるか知らないのに、ハーブ類だけはちゃんと残しておいてくれた。

 そもそもイサーンでの野菜の食べ方は、たくさんの種類を一緒に入れて炒めたりスープにしたりというのではなく、肉や魚料理と一緒に生でバリバリ食べるというのが多い。

 野生の空芯菜、バジル、ミント、バナナのツボミ、蓮の花や茎、その他、日本語名があるのかもわからない各種の植物。やたら苦かったり酸っぱかったりする葉があったりする。この料理のときにこの葉を一緒に食べると消化にいいとか、それなりの理由はあるのだが、苦くて吐き出しそうな味の葉でもイサーン人は平然と食べている。主に薬としてや自然農薬として効果的面のニームの葉は最高に苦い!が、肉の和え物にそえられていたりする。

 あるとき、私が大根(タイの大根はにんじんよりもひとまわり小さいくらいの品種)の葉を料理に使おうとすると、タイ人が「そんな葉っぱ、食べられないよ!」と言う。「日本では食べるよ?」と私。たしかに日本の大根の葉よりガサガサして固めだが、調理すれば食べられる。イサーン人、あんなにわけのわからない葉を食べるくせに、なぜ大根の葉はダメ?! イサーン人なりにポイントがあるようだが(?)、野生の植物を料理と一緒に、または薬草として上手に食すイサーン人にはいつも感心する。自然の中に住むということは、野生の草を見分ける目も必要なのだ。 
 
ー虫が嫌いな自然派なんて 
 
 「自然が好き」という日本人はたくさんいるけれど、「でも虫は嫌い」という人がほとんどだ。以前は女性に多かったセリフだが、最近は男性も「俺、虫ダメ!」って人がよくいる。虫がいないと自然は成り立たないんだけど・・。蚊さえもシャットアウトする自然空間は、リゾートホテルくらいだ。虫を好きになる必要はないけれど、これだけ虫にお世話になっているのだからそこまで嫌わなくても・・と思う。せめて「無視」くらいにして欲しい。 
 
 田舎暮らし、自然生活、エコ、日本では流行っているけれど、自然暮らし=野生生物との共存なのだ。蚊、アリ、かなぶん、羽蟻、トンボ、蛾、バッタ、トカゲ、トゥッケー(グロテスクな爬虫類。上野動物園にいます)・・・家の中にどんな生物がいても今はもう驚かない。

 夜の農園だって実は静かではない。虫や蛙の鳴き声がサラウンドで鳴り響く。午前3時には鶏の鳴き声・・。慣れてしまうと全く耳に入ってこないが、改めて聞いてみると野生生物の大合唱だ。日本から遊びに来た友人は夜の音を聞いて「ジュラシックパークにいるみたいだね・・」と言っていた。たしかに、今にも恐竜が出てきそうな効果音だ。 
 
 しかし、魚は池から捕ってきて、食用水は雨水というような自然生活ではあるが、今時のイサーンの村では電化製品だってそこそこ揃っている。テレビ、扇風機、冷蔵庫、バイク・・洗濯機や車がある家も。うちにも一通りは揃っている。息子が生まれた時、おくるみを着た写真を日本の友人に送ったら、「普通の赤ちゃんの格好でびっくりしました。バナナの葉っぱにでも包まれてるのかと思った!」と返事が来た。いやいや、そこまで野生的に暮らしていませんから!村の人も、普通に服を着て生活しています。 

(日刊ベリタ 連載 www.nikkanberita.com)

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