フランスで家族13人が、悪魔を恐れて3階から飛び降り


23日朝5時頃、仏・ベルサイユの西方20キロ程の労働者と移民の町ベリエールに住む家族ら13人(子供7人、大人6人)が、3階の窓から飛び降りるという不思議な事件があった。
父親のフランシスコ・コンスタンタン氏は、赤ちゃんが泣くのでミルクを準備しに裸で台所へ立った。テレビを見ていた奥さんとその姉妹ら女性3人と男性から「お前を殺す」と脅されて、姉妹の持つナイフで手を刺されたと証言した。階下に逃れてそこで隣人に服を貸してもらったという。再び自分のアパートに戻ってみると、家族は悪魔だと叫びながら全員が窓から飛び降りたという。パリジャン紙やフランス通信(AFP)が伝えている。
事件後、生後4ヶ月の赤ちゃんはすぐに死亡した。子供2人はパリのネッケー病院に運ばれ、その他の子供や大人6人も別々に病院で治療を受けているという。
ミッシェル・デスパン検事は当初の父親の証言に基づき、家族が父親を悪魔と見違えた説を支持していた。しかし、26日、入院した家族から、これとは反対の証言を得て、家族内での紛争が原因ではないかと見るようになっている、と仏国営放送A2などが報じた。
彼らの主張では、コンスタンタン氏が4時頃に部屋にやってきてナイフで窓から飛び降りるように脅したのだという。同じ郵便受けに名前のある義弟のベンジャマン・カワ氏と妻のユーリュディスさんのいい分だ。
検事は「例え調査で部屋から宗教の本が見つかったからといって、福音主義者の家庭では珍しいことではない」として宗教説を回避している。
しかし近所の証言によると、飛び降りる時に、ある女性は「キリストの名において」と言っていたという。
幻覚剤や麻薬は家から見つかってないという。なぜ全員が窓から飛び降りなければならなかったのか?なぜそんな時間に集まっていたのか?など疑問が残った。
24日午後、現場に行くと、ゴミを捨てに出てきた高齢の男性は「一家はコンゴの人だ」といった。同じ入り口のアパートに住んでいるが、付き合いはないという。他の人に聞いてみたらと郵便受けの置いてある階段口に入れてくれた。青年たちが、そのアパートなら「間取りは三DKだ。トントン(叔父さん)がいる」と答えていた。
ー事件のあったベリエールの最低家賃住宅(HLM )玄関
【イサーンの村から】⑨ 仏さまの日には牛を番わせる
イサーンの農家では、牛、水牛、豚などの家畜を飼っているところも多い。うちでも水牛や豚を飼っているので、私も何度も出産の場面に立ち合った。牛は妊娠期間が10ヶ月なので、1年に1度出産、豚は4ヶ月間なので1年に2度出産する。もちろん交尾をさせればの話である。オスとメスが同じ小屋内に一緒に飼われていない場合、いわゆる「盛りがついたら」交尾させる。村人たちはメスを見て判断し、オスを連れてくるのだ。例えばそろそろ交尾させたいと思ったら、まずカレンダーを見て、いつがワン・プラかを確認する。ワン・プラ前後に「盛りがつく」=メスの排卵日であることが多いからだ。
ー月の満ち欠けといのち
1ヶ月に計4日あるこの「ワン・プラ」。ワンは「日」、プラは「お坊さん」、「仏像」などという意味だが、そもそもは「ワン・タムマサワナ(説法を聞く日)」の略なので、日本語では「仏の日」と訳されることが多い。これは陰暦の8日、16日、23日、月末日にあたり、新月、満月、上限、下限の日に一致する。
この日、多くの村人は朝からお寺に集まり、食べ物や日用品を寄進する。お坊さんから説法を受け、寄進後の残りの食べ物を朝食として村人たちでいただく。今の時代、若者はほとんど来ないが、年配の人たちは欠かさず行く人も多い。ワン・プラでなくても、少ない人数ではあるが必ず何人かの村人は、毎朝お寺に出向いている。お寺の行事などの連絡事項はこの日に通達されるなど、仏教徒がほとんどのタイ人には重要な日なのである。
さて、メスの排卵日がワン・プラと重なるのは、ワン・プラが満月や新月と重なるからである。動物の生理現象は月の満ち欠けと一致するので排卵も、そして出産も満月や新月の日が多いのだ。もちろん人間もそうで、満月や新月は他の日よりも出産率が高い(自然分娩の場合は)。そもそも人間を含めた動物の月経は月の周期と同じなのだ。女性の月経周期が28~30日であるのは、月の周期が29.5日だから。現代人は、自然の流れよりも時間の流れで生活しているので、月経も自然の周期からずれていく人も多いけれど、さすがに本能で生きている動物の身体は月の動きに反応している。
ーおいしく貴重な牛の胎盤煮込み
ワン・プラに交尾させ、出産月にはカレンダーを見て「そろそろ出産かな」とワン・プラを探す。家畜の出産は農家にとってはもちろん嬉しいこと。牛は1回に1頭、豚は10~15匹生まれる。特に牛の出産には更に特典がつく。胎盤が食べられるのだ!!
人間の出産の場合、出産後15分ほどで胎盤が出てくるが、牛の場合は3時間後くらいに出てくる。それを見計らって、バケツをもってお母さん牛の背後に近づくのだ。胎盤が出てきたところをバケツでキャッチ!ほっておくと、犬に食べられてしまうからだ。
この胎盤はイサーン人にとってご馳走である。レモングラスなどの薬草と煮込んでいただく。味は、苦味があってそこまで美味というほどではないが、食感と、何よりも出産の時しか食べられないという貴重さが「ご馳走」としてランク付けさせるのだろう。そして、これほど栄養価の高いものもない。何せ胎盤なのだから!
牛が出産すると、胎盤煮込みを隣の敷地に住む義理祖母と叔父家族の家におすそ分けに持って行く。もちろん向こうも牛の出産があると持って来てくれる。何度か食べていると何だかとても美味しく感じるようになり、今では私も牛の出産を心待ちにするようになった。これだけは、どんなにタイ料理好きの日本人でも食べたことがある人はまずいないだろう。イサーンの農村に住んでこそ得られる特権だ。
ー女の機嫌もワン・プラ次第
農園暮らしをしていると、人間も動物も、自然の一部なんだということを改めて考える。人間と動物と月の関係。そうだ、昔は農業も漁業も、そもそも陰暦(月の満ち欠け)に合わせていたのだ。種まきや収穫も月の周期に合わせていた。イサーン人は、知識として説明できなくても、まるで常識のように自然と動物の関係を生活の中で身につけている。それだけに自然が壊れていくことにも敏感だ。都会に住んでいると、異常気象で夏の気温がどんなに上がっても、一番心配なのは電気代が高くなることなのだから。
出産予定日の計算法の話をしていた時のこと。私が夫に「普通は最後の生理の初日から数えて280日目が出産予定日だよ」と言うと、「ふ~ん、そうなんだ?(全く知らなかった様子)牛は295日だけどね」。・・・人間の身体ことは知らないのに、牛のことは知ってるんだ・・さすが農民だ…と思ったことがある。
私の機嫌が悪いとき、夫はカレンダーを確認する。そして「あ、ワン・プラだ・・・」とあきらめる。そう、月のせいです。私が悪いんじゃありません!(日刊ベリタ連載)
【ブラジル農業にかけた一日本人の戦い】 ①海を渡ったコチア青年
筆者が横田尚武さんに出会ったのは、2007年夏のことだった。取材のため、起業家や知識人たちが集まる会合を訪れたところ、その席で、ブラジルにおける日系農業の窮状を訴える、横田さんに出会ったのだ。
南国の人を思わせるような、ぱっちりとした二重の目に、日焼けした肌―。その風貌は、どこか日本人ばなれしており、初対面では日系二世かと思ったほどだった。しかし、横田さんは長野県飯田市出身。純粋な日本人である。
ここで、少し横田さんの経歴を紹介しておこう。1941年、農家の五男坊として生まれた横田さんは、18歳まで、地元の長野県飯田市で育つ。転機が訪れたのは、高校3年生の時。たまたま家に置いてあった『家の光』という農業雑誌をめくっていたところ、横田さんの目に「コチア青年募集」という広告記事が飛び込んできた。横田さんは、迷わずこれに応募。18歳で、単身ブラジルに移住することになる。
「コチア青年」とは、終戦後、職もなく不遇な目にあっていた農家の次男や三男を、救済する目的で始められた移住プロジェクトのことだ。農業協同組合を通じて、18歳~25歳までの独身青年を全国の農村から募集し、当時、中南米で最大の日系農業組合であった「コチア産業組合」が、日本からの青年たちを受け入れた。これを、コチア青年と呼んだ。集まったコチア青年たちは、コチア産業組合の傘下にある日系農家に配耕され、4年間の農業研修を受けた後、資金融資を得て独立する。
この制度は、1955年から1967年までの12年間にわたって行われ、その間、約2,500人もの農村青年たちが、単身ブラジルへと渡った。
横田さんも、コチア青年の一人として、1960年3月、横浜港から移民船「あるぜんちな丸」に乗り、ブラジルへと向かう。18歳の春のことであった。
以後、40年以上にわたり、ブラジルで馬鈴薯や大豆などの生産に携わってきた。一時期は、ファゼンデーロ(大農場主)となり、巨万の富を築いたと言うが、現在は資金難のため、十分に農地を耕せない状態が続いているという。
横田さんは、窮状にあえぐ日系人の仲間を代表して、資金集めのために3年前に来日。現在は、東京郊外のアパートに一人で暮らしながら、協力者を得るために奔走する日々が続いている。横田さんが、著者と出会うキッカケとなった会合に出席していたのも、一人でも多くの人々に、日系農家の窮状を理解してもらうためであった。(つづく)
◇参考文献
田尻鉄也『ブラジル社会の歴史物語』(毎日新聞社/平成
11年10月15日発行)
青木公『ブラジルの大豆攻防史』(国際協力出版会/2002年
5月30日発行)
青木公『甦る大地セラード』(国際協力出版会/1995年7月
10日発行)
鈴木孝憲『ブラジルの挑戦』(ジェトロ(日本貿易振興会)/
2002年3月22日発行)
『ブラジルの歴史』(ブラジル高校歴史教科書)(明石書店/
2003年1月31日発行)
内山勝男『蒼氓の92年』(東京新聞出版局/2001年1月30日発行)
外山脩『百年の水流』(トッパン・プレス印刷出版有限会社/
2006年8月 )
【ブラジル農業にかけた一日本人の戦い】<序章> ーブラジルを農場大国に押し上げた、日本人移民の力
ご承知の通りブラジルは、ロシア、インド、中国とならんで「BRICs」と称されるほど、その目覚ましい発展ぶりが注目されている。このようなブラジル経済の動向や、現在、ブラジルが積極的に推進している「バイオエタノール」関連のニュースは、メディアでもよく耳にするようになった。しかし、こうしたブラジル経済発展の影に、少なからず日本人移民たちの貢献があったことは、あまり伝えられていない。
2008年は、日本人がブラジルに移住してから、ちょうど百年目にあたる。1908年4月28日、神戸港から出港した「笠戸丸」は、農業契約移民781名を乗せて、新天地ブラジルへと向かった。
当時の移民たちの様子は、第一回芥川賞に選ばれた石川達三の「蒼氓」にも描かれているが、そのほとんどが、なけなしの土地や家を売り払って手にした僅かな資金と、政府からの補助金を頼りに、「一攫千金」を夢見てブラジルへ渡った「出稼ぎ人」たちであった。
日本のブラジル移住政策は、第二次世界大戦によって一時期中断されたものの、戦後まもなく再開。1973年に、最後の移民船「にっぽん丸」が神戸港を出港するまでの間、ブラジルをはじめ南米大陸へと渡った人口は、23万人以上にものぼった。
現在の10代~20代の世代には、このような移民の歴史はもちろんのこと、戦前から戦後を通してブラジルへ渡った日本人たちが、ブラジル農業の発展や、世界の食糧供給に大きく貢献したという事実は、ほとんど知られていない。
ブラジルにおける日系農家の評価は高く、「農業の神様」あるいは「緑の魔術師」と呼ばれるほど、絶大な信頼を寄せられていたというのに、これは誠に残念なことである。
とくに、1970年代半ばから2000年にかけて、ブラジルで「不毛の大地」と呼ばれている「セラード」を開拓し、アメリカに次ぐ世界第2位の大豆生産国へと押し上げた功績は、日本人の力があってこそ、と言っても過言ではないだろう。
そこで、この連載では、約40年以上にわたり、ブラジル農業に力を注いできた戦後ブラジル移民のひとり、横田尚武さん(67歳)の歩みにスポットを当てることで、ブラジル農業において「日本人の果たした役割」をふり返ってみたいと思う。 (つづく) (**本連載は、2008年、日刊ベリタにて掲載された分の転載です。)
新しい英高級紙i(アイ)創刊
新しい英高級紙i(アイ)が、今日から発売になった。インディペンデント紙の軽量版、といった位置づけである。(以下のサイトからアイとインディペンデントの紙面が一部見れる。)
http://www.guardian.co.uk/media/gallery/2010/oct/26/the-independent-i-newspaper#/?picture=368056284&index=0
アイを開いてみた感じでは、雰囲気が無料夕刊紙ロンドンペーパーやロンドンライト(どちらも今は廃刊)に似ている。どことなくポップな色使いや、画像・イラストで見やすく、読みやすい。「軽さ」が強調されている。
内容は、親(あるいは兄貴?)となるインディペンデント紙から記事をピックアップして、これをアイ用に味付けしている。同じ記事でも、レイアウトがインディペンデントとアイではまったく違う。別々のレイアウトデザイナーが見ているのかもしれない。
高級紙でありながら、忙しい人がサット読めるように軽くしてある、しかしかといって、中味の質は高い=というのが、最大の売り。その「軽さ」が最も顕著なのは、価格である。本紙となるインディペンデントは1ポンド(130円ぐらい)だが、アイは20ペンスなのだ(27円ぐらい)。
忙しい人が朝、外で読む新聞としては、無料紙メトロがある。メトロと比較すると、アイはデザインがもっと洗練されているし、元ネタがインディペンデントから来ているということで、読み応えがある(はずである)。無料経済紙CITY AMも、アイのライバルにはならないだろうが、とりあえず、朝、無料で読める。
午後になると、無料の夕刊紙イブニング・スタンダードがある。スタンダードは、ロンドンライトやロンドンペーパーが存在していた頃は有料(1部50ペンス)だった。無料になった頃から、特に著名人のゴシップ記事が多くなった感じがする。
私がもし毎朝通勤するようだったら、何を買うだろう?20ペンスというアイの価格は非常に魅力的である。いまどき、20ペンスで買えるものはほとんどないーちょっとしたスナック菓子でも40ペンスぐらいはするのである。
芸能ゴシップ記事を増やさずにいれば、高級紙としてアイは一定の位置を持つような気がする。ただし、今度は本体のインディペンデントがどうなるか?という問題になるのだが。(「英国メディア・ウオッチ」より)
「酒と銃はミックスするな」 Newslog USA
銃愛好家には朗報だが、米国の多くの州で銃規制緩和が次第に広がってきている。最近テネシー州でも、バーに実弾入りピストル持ち込みがOKとなった。しかし「銃と酒はミックスするな」と、銃携帯の場合飲酒は禁止だという。
同じような法を制定しているのは、現在アリゾナ、ジョージア、バージニア州。他にアルコールを提供するレストランに、ピストル持ち込みOKという州は18にのぼる。
銃法は各州によって異なるが、現在「コンシール・ウエポン・パーミット」という許可書は48州で発行されている。この許可書は、ピストルを鞄の中に入れたり上着の下につけて見えないように携帯する時に必要である。よって、バーやレストランに携帯するには、この許可書保持が前提となる。
テネシー州の新法では、バーへピストルを携帯してもいいが、その場合「飲酒」は禁止とある。本来バーは、酒を飲む場所である。米紙ニューヨーク・タイムズによると、この新法の立案者はカリー・トッド州下院委員。トッド州下院委員は、もともとピストルをバーへもちこむのが目的ではなく、バーまでの道すがらの保身用であると説明している。保身用に携帯する銃のために、酒を飲む場所で飲めないということになる。
しかし、これはあくまで表向きという声もある。「飲むなら乗るな」といいながら、飲酒運転による事故が絶えないのと同じである。
では、客は保身用に銃を携帯するが、バーの従業員の安全性はどうだろうか。テネシー州では、あるウエイターは新銃法は仕事場での安全性を脅かすと、州相手に訴状を提出している。一度却下されたが、ウエイターの弁護士は、人々が銃を保有する権利がある様に、ウエイターにも身を守る権利はあると上訴を考えているという。
米国では、大きなテレビやスクリーンで、客たちが野球やフットボールを観戦するスポーツバーがある。アルコールの入った客たちの間で、ひいきのチームをめぐって口論が起きる場合もある。ましてや、ピストルを身につけていればどうなるか。ウエイターの恐れは理解できる。
バーやレストランは、「ピストルお断り」の張り紙を出し銃規制をすることはできる。しかし、銃愛好家の客足が遠のくのを防ぎたいという気持ちもあり、銃を禁止したいが、張り紙を出すのも控えるというのが現状のようだ。また、張り紙を出していたとしても、入店時にボデイチェックや銃許可書チェックをすることもできない。客の常識にたよる他ない。
しかし、「銃暴力を防ごう」運動のポール・ヘルムケ会長は、「最近の傾向として、もっていきたい場所にもっていく、許可書なんかいらないという姿勢の人々が増えている」と話す。(Newslog USA ブログより。 筆者は在米ジャーナリスト)
けものに追われる山間地農業
Nさんが埼玉県秩父郡の山間地の集落に居を構え、農業を始めて10年になる。職場を定年をあと何年か残して移り住んだ。家族はいない。次の人生のおくり先として秩父を決める前,Nさんは各地をめぐり歩いた。この地を訪れたとき親切に対応してくれる農業委員さんに出会い、土地と家を借りることができた。ニワトリを飼い,野菜を作って,それを町場の消費者に届けたり、農協の直売所に出したりして,年金プラスアルファのくらしを送ってきている。
そのNさんのくらしに異変が起こったのは今年の初夏のころだった。飼っていたニワトリがタヌキおキツネに襲われ、ほぼ全滅してしまったしまったのだ。Nさんの養鶏はまったくの自然養鶏で、餌も配合飼料は一切買わず、ほとんどを自給している。
極零細農である。なにしろもっとも多く飼っていたときで160羽しかいなかった。それが次々とやられ、7月半ばには5羽になってしまったのだ。これ以上殺されたくないので、いまその5羽は夜は土間に入れて守っている。
ータヌキとキツネ
もちろん、黙って手をこまねいていたわけではない。考えられる手はすべて打ってきた。ニワトリ小屋の周りに電線を張って電流を流したり、クリスマス用のチカチカまたたく電球を小屋の周りに張りめぐらしたり。犬も飼った。
いずれも当初は効果をあげるが、けものたちはすぐに慣れて、効かなくなる。犬は連中が来たら吠えて教えてくれるが、つないでいるから撃退というわけにはいかない。連中がやってくるには深夜だ。吠えるたびに起きだして追い立てる日が続いた。体はきついが、それなりの効果はあった。
その犬が老齢で死んでしまった。それでもけものの番をやめるわけにはいかない。毎夜、頑張って注意を払っていた。しかし、昼間の農作業に疲れで、つい寝込んでしまう。朝起きると1羽、2羽と首をちょん切られたニワトリの死がいが残っている。タヌキの仕業だ。
Nさんのニワトリ小屋は割り竹で作られている。竹はそのあたりの山で伐ってきた。まったくの手作り小屋だ。タヌキは竹と竹の間の隙間から手を差し込み、ニワトリを捕まえて首を噛み切ってしまう。だが、タヌキの場合はまだそれくらいの犠牲で済む。キツネとなるとそうはいかない。大量殺戮が待っている。
このけもの害に加え、この夏の暑さはニワトリにとってもひとしおだった。ニワトリは暑さに弱い。ただでさえ産卵率は落ちる。餌の食い込みが落ち、体力が衰え、死んでしまうものも出る。こうしてNさんのニワトリはほぼ全滅となってしまった。
ー瀕死の山間地農業に追い打ち
Nさんはニワトリにほか、野菜もつくっている。これもとても小規模なのだが、季節ごとに多品種を回転させ、直売所や配達でさばいている。まったくの無農薬・有機栽培なのだが、値段は一般栽培ものと変わらない。安全なものなら高くても、という時代ではないのだ。
この野菜と卵の売り上げを足して、Nさんの1カ月の農業収入は5万円ほどになる。くらしは厳しいが、好きなことをして生きている誇りが、その厳しさを乗り越えるエネルギーとなってきた。
そこに襲ったのがけもの害だったのだ。山村の農業は高齢農民に支えられてかろうじて命脈を保ってきた。いま、その農業に鳥獣害が最後のとどめを刺そうとしている。Nさんの場合もそのほんの一例に過ぎない。いま山村を歩くと、「何をつくっても駄目だ」という悲痛な声を聞く。Nさんの近所に、収穫直前の田んぼをイノシシに荒らされ、全滅してしまった70歳代の農民がいる。たわわにに実った稲の上で転がりまわるのだ。その後刈り取ったとしても、コメにイノシシの臭いが染み付いて、売りものにならないという。サルはもっと巧妙だし、シカは地上の緑を食いつくす勢いでやってくる。
Nさんは、けものの被害がこれほど広がった理由はいろいろあるが、耕作放棄地や遊休農地が増大し、灌木や草が生い茂っている土地が人家の近くに増えたことが大きな原因だと話している。高齢化で耕作を放棄せざるを得ない土地が増え、それでもがんばっている農民の土地をけものや鳥が襲う。その結果また耕作放棄地が増える。いま各地でそんな悪循環が広がっている。(日刊ベリタより 筆者は農業ジャーナリスト)
ウィキリークスが新たな極秘文書を公開 -軍事情報はいかに取り扱われるべきか?
内部告発サイト「ウィキリークス」が、イラク戦争に関する新たな極秘文書を、22日、公開した。約40万点に上る米軍が管理していた極秘文書は、英ガーディアンやBBCをはじめとする世界のメディア媒体に提供された。
この膨大な電子文書は、前に、アフガン戦争に関わる米軍の秘密文書をリークした人物と同じ米軍の諜報分析家がウィキリークスに流した模様だ。
今回のリーク情報で分かったことのいくつかは:
―イラクの警察隊や兵士が行った暴行、レイプ、殺人などが組織的に行われていた場合でも、これを米軍は調査しない方針をとった。
―これまで知られていなかった、1万5000人以上のイラク人市民が亡くなっていた。米英当局は、イラク民間人の犠牲者数は公式な記録をとってないとこれまで主張してきたが、実際には記録が残っていて、10万9000人のイラク人の死者がいて、この中の約6万6000人はイラクの民間人(非戦闘員)だった。
―拘束されたイラク人は、暴行を受けたり(医療記録が残っている)、足かせをつけられたり、目隠しをされたり、手首や足首から吊るされたり、蹴られたり、電気ショックをかけられたりしていた。拘束者が亡くなった場合もあった。
BBCの取材に、米国防広報官は、「公表された事態はすでにニュースや、書籍、映画などで記録されている」「これでイラクの過去が良く分かるようになったということはない」と述べている。「しかし、リークには極秘情報があり、米軍に危険をもらたらす可能性がある」。
ガーディアンの取材に、米国防省筋も、敵がこの情報を分析し、米軍の動きからヒントを得ようとするだろうし、情報源を捕まえ、戦闘状況でこの分析に沿った行動をし、戦闘機材の機能を利用するかもしれない、などと話している。
英国の人権問題を専門とする弁護士フィル・シャイナー氏は、この情報を元に、英政府は、イラクの民間人を違法に殺害したかどうかに関して調査会を設置するべきだと主張する。イラク軍による拘束者の暴行や拷問を英政府がとめることができなかったので、政府を訴えたい、とも。
このウィキリークスの情報の意味は深い。生の情報がリークされることに、米政府は「けしからん!」という態度で、「米軍が危険にさらされる」という、ある意味ではお決まりの反応である。
しかし、これほど情報がたくさん氾濫するのが当たり前になった世の中で、数年前の軍事情報がいまだに秘密、というのはどうだろうか。つまり、人は知りたがるのである。「軍事機密だから、だめ」ということだけでは、国民は納得しない。
国民の税金を使って、戦争をやっているわけだから、「絶対にこれは出せない」というもの以外は(その判断が難しいだろうが)、すべて出すようにしないと。
特に、「イラク民間人の死者数は数えていない」といいながら、「実は、記録をとっていた」というのでは、あまりにもまずい。「自分の面子を守るために」「単に都合の悪いことを隠す」ことを、「軍事機密だから、公表できない」というまっとうな理由よりも最優先しているように見えてしまう。
軍事情報のどこまでを外に出すべきか?大きな問題だが、すでに米英には、一定の報道・公開規則があるはずである。この規則を、今、限りなくゆるめざるを得ない(つまり、どんどん出す)状況になってきたのだと思う。
ところで、日本では、この話は少なくとも英国のようには「ガーン」!!!という衝撃をもって受け止められていないように思うのだが、どうだろう?英国の場合は、イラク戦争を主導した、また、アフガン戦争にはまだ人が派遣されている、という理由で、非常に身近な問題であることが、まずその違いの理由かもしれないが。
それと、いわゆる「リークをする人」にあまり太陽があたっていないような気がするのだが、どうだろうか?
インターネット時代、どこまで情報を出すべきなのか?特に軍事情報といった、人の命が関わる案件の場合、リークはどこまでゆるされるべきなのかー?
これは、今、まさに非常に大きな問題であると思うのだけれどもー。ジャーナリズムの観点からもそうだし、国民の知る権利という意味でもそうである。税金を使って行われる戦争、しかも、自分の家族の一員が血を流して参加している戦争に関する正確な情報を、国民は知る権利があるはずだ。(「英国メディア・ウオッチ」より)
参考:
http://www.guardian.co.uk/world/2010/oct/22/iraq-war-logs-military-leaks
http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-11611319
【イサーンの村から】⑧ 女衆が大活躍、イサーンの人寄せ 今回は南アから
8月は、南アフリカ人の皆さんがうちの農園に来てくれた。彼らは日本国際ボランティアセンター(JVC)の南アフリカでのHIV/エイズ陽性者支援事業に関わる皆さんで、タイのHIV/エイズ政策や支援事業を学ぶスタディツアーで来タイしたのだ。そして彼らは有機で家庭菜園をしているということで、うちの農園にも2泊することに。
昼間の農作業体験の後、夜は歓迎会を兼ねての宴会を開いたのだが、参加した人数が予想以上になり大変な盛り上がりだった。今回もつくづく感じたのだが、イサーン人や隣の国のラオス人は本当にエンターテインメント性に長けている。そして南アフリカ人も相当なものだった。日本人だけか…、即興で芸ができないのは。カラオケは大好きでも、その場で何もないところでぱっと歌えて踊れる人って、そうそういない。
この夜の参加者は、南アフリカの皆さん8人とこのツアーに同行していたJVC東京事務所で勤務する南アフリカ事業担当とパレスチナ事業担当の日本人スタッフ。せっかく南アフリカの人たちが来るのだから、ここからすぐ近くの国境の向こう側の、JVCラオス事務所の皆さんも呼ぼう!と声をかけたら、なんと、「全員で行きます!」との答えで、ラオス人、日本人、オーストラリア人、総勢11人が揃って参加。タイ側では、NGO仲間たちや、料理を準備するために夫の妹や親戚の叔母さんたちを呼んでいたので、こちらも大人数。この日のメインである豚BBQのために、豚をさばくのを手伝いに来てくれた叔父さんたち、この村の村落開発委員になった親戚の叔父さんが委員長までも連れてきたりして、結局、大人40名(子供7名)の大宴会となったのだ。
この宴会で一番盛り上がったのが南アフリカの皆さんの歌と踊り。「南アフリカの人はみんな、ゴスペルとか歌えちゃうんでしょう?今日はたくさん人が来ているから是非披露して!」とお願いすると、「まあ、いいけど・・」といまいち乗り気でないような返事をしたかと思えば・・ 実際に登場したときは、全員ステキな民族衣装を身にまとい、自信満々で現れた。そして披露してくれたゴスペルの素晴らしさといったら!「南アフリカの人たちは自分の民族に誇りを持っている」というのは、これを見れば納得できる。
南アフリカの皆さんのゴスペルの歌と踊りは何曲も続き、すっかり彼らの舞台となった。するとラオス人たちが立ち上がり、「私達も踊ります!」とみんなで歌って踊りだした。ラオスとイサーンのモーラムという共通の伝統歌謡でイサーン人たちも踊りだす。こういう場でさっと芸ができる民族って、本当にうらやましい。モーラムもゴスペルも、誰がいつ何の歌を決めるのか、立ち上がったとたんに歌と踊りが始まる。大抵このような場では、日本人は「こちらにふられませんように・・」と内心びくびくしているのだ。ふられたところで、何を歌うか決めるのにぐずぐずと時間がかかってその場がしらけて行くのがオチだろう・・・。今回も、私を含む5人の日本人は観客側に徹底。みんなのエンターテインメントぶりに惚れ惚れしつつ、「あ~日本人も、すぐに出せる芸がないとなぁ」と反省するのだ。いつものことなのだけど。
とにかく予想を超えた大人数となり、調理場も宴会場も勝手に盛り上がっていた。ホストとしては、みんなに飲み物が行き渡っているかとか、つまらなそうにしている人がいないかとか、見回そうかと一瞬思ったが、すぐにあきらめた。無理…。把握しきれないので、みなさん好きにやってもらおうと気持ちをリセット。
これがイサーンの宴会のいいところだ。日本だったらホスト役はお客様に限りなく気を使い、宴会後にはへとへとになるところだが、イサーンなら、その家の住人でなくても勝手に台所へ入って料理の手伝いをしてくれるし、好きなところに座って勝手に盛り上がってくれる。イサーンの多くの家がそうであるように、うちの台所も外にあってじゅうぶんなスペースをとってあるので、10人で料理しても余裕の広さだ。
今回は、親戚の叔母さんたちに加え、ラオス人やタイ人の若い子たちが、率先して肉を焼いたり皿に取り分けたりしてくれたので実に助かった。もちろんこの子たちも充分に楽しむことを忘れない。日本人のように「これ使っていいですか?」なんていちいち聞く人はいないので、その家の住人が付きっ切りになる必要は全くない。イサーンのおばちゃんたちはこんな時、人の家の台所とは思えないほど手際のいい動きを見せるので、それにはいつも感心する。
その代わりホスト側は「何でも好きに使って!」という覚悟を決めるのは必須だ。「え・・それをそこに使っちゃう…?!」というような、もし大事なものでもあれば心臓が止まるほどの事態にもなりかねないので、どうなってもいいものしか置いておかないというのも鉄則でもある。壊れても、なくなっても、どうなってもいい。宴会さえ楽しくできれば全てよしなのだ。
イサーンの田舎では、結婚式もお葬式も、男子が出家するときの得度式(親に恩を返して成人するという意味で、男子は結婚前までに短期で出家する)も、自宅で行うことがほとんどだ。結婚式はホテルで・・というのは今時のバンコクの話。何十人、何百人の人が来ても、料理も片付けも村のおばちゃんたちが仕切ってくれる。もちろんこのおばちゃんたちも同じご馳走を食べられるのだが(一番おいしいところを食べられるのは調理場だったりする!)、主催者は料理のおばちゃんたちに日当を払うわけでもない。村の誰かの家で式があれば、村の女性たちで料理することが当たり前になっているのだ。牛や豚をさばくのは男性の仕事。子供たちは、大人のじゃまを一切することなく、大きい子が小さい子の面倒を見ながら子供同士で楽しく遊んでいる。儀式を仕切るのは長老たち。
どんな式でも綿密な役割分担と計画のもとに進められているわけでは全くない。それぞれの役割が自然に決まっていて、その役割をおおいに楽しみつつ、伝統的な儀式をすみやかに行い、場を盛り上げるのも忘れない。イサーン人は本当に宴会上手だ。宴会の時って民族性がでるものだなぁと思う。民族の誇りを表すゴスペルと、あっという間にその場の皆で盛り上がれるモーラム。私も何か、日本人の民族性を表せる芸でも身につけたい…と思いつつ、もう何年経ったことだろう~。モーラムなら、ぼちぼちうまく踊れるんですけどね。 (日刊ベリタ・連載 www.nikkanberita.com)
BBCの将来に激変? ―政府の歳出見直しで、4年で16%経費削減
20日、英政府が、財政再建のために政府の歳出計画を見直す「歳出見直し」を発表した。今後4年間(2014-15年まで)に、政府歳出を各省庁ごとに平均19%削減する予定だ。この結果、政府予測では49万人近くの失業者が出る可能性があるという。
なんとも大きな削減になりそうで、今日一杯は、このニュースで持ちきりだった。
メディアがらみであっと驚いたのがBBCの話である。4年で16%の経費削減となったのである。
振り返ってみれば、BBCも一つの公共機関であるから、何らかの削減をしてしかるべきではないかー?そんな声が政府から聞こえてきた昨今であった。
一方、BBCは設立許可証と王立憲章でその役割や活動が規定されている、特別な存在である。したがって、政府の大規模歳出削減が行われるからといって、BBCが犠牲を強要されることはないのではないか、という声もあった。
しかし、BBCには政府に握られている弱みがあった。それは、毎年のテレビ・ライセンス料(受信料に相当)の値上げ率である。10年毎に決定される、先の設立許可証と王立憲章だが、ライセンス料に関しては、政府との交渉で決めることになっている。しかも、今回の10年(2007-8年から、2016-17年)のうちで、ライセンス料の値上げ率を大体決めたのは最初の6年間のみ(2012-13年分まで)だった。
ライセンス料の2013年分以降をどうするかは、BBCと担当の文化・メディア・スポーツ省の大臣が、来年春ぐらいから交渉するはずになっていた。
事態が急転したのは、比較的最近である。財務省から歳出カットのプレッシャーを受けて、文化省はBBCに対し、75歳以上の視聴者のテレビ・ライセンス料を、BBC自らが負担するようにして欲しい、と持ちかけたようだ。どういうことかというと、75歳以上の視聴者はライセンス料を払わなくていいのだが、この分を、雇用省が負担していたのである。それを、今度からはBBCに負担してほしい、と。
BBCは、これに大慌てになったようだ。経営陣もBBCの活動内容を検証するBBCトラストも猛反対。もしBBCがこれを払ったら、まるで「福祉のコストを払ったことになる」「放送業者としてのBBCの活動内容からはずれる」、と。
すったもんだの交渉があって(一時、トラストのメンバーがもしどうしても政府が言うことを聞かないなら、辞職するという話も出たらしい)、結果は、BBCはこの費用を負担しなくてもよくなった。その代わり、
①ライセンス料は現在の金額のまま、2016-17年度(今回の10年間の最後の年)まで、凍結する。
②外務省が資金を負担していた、商業国際放送のBBCワールドサービスと、世界中のニュースをチェックするBBCモニター(内閣府が資金を出していた)、ウェールズ語放送のSC4を、BBCが面倒を見る
③BBCの予算の中で、テレビのデジタル化への移行資金として使われていた分を、今後は、英国内のブロードバンド敷設費用として使う
などが決まったのである。非常に急な決定で、最終的にBBC経営陣、トラスト、政府が合意したのは、歳出見直しが発表される前日であった。
そして、①から③のために、BBCは4年間で実質16%の予算削減となった。
各政府省庁の歳出が平均19%削減(予定)であるのと比較して、「たいしたことはない」・・・とはいえないだろう。何しろ、これで、新たに3億4000万ポンド(約43億6000万円)ほどの経費を、BBCはまかなわざるを得なくなったのである。これは、もし75歳以上の視聴者のライセンス料をBBCが負担した場合の5億5600万ポンド(約71億4000万円)よりは、確かに少ないが、喜ぶほどではない。何しろ、「新たに」この金額が追加となるのだから。
私が懸念することの一つは、あっという間にBBCのライセンス料の額やBBCワールドを傘下に入れる、ということが決まってしまったことだ。通常、BBCの一挙一動は、トラストなり、政府なりが、まず国民や視聴者の意見を聞く機会を設ける。委員会が設置されることもあるだろう。意見を聞く前には、提案者が提案書を作る。数ヶ月かけて、大体の枠組みを決めて、最後は議会なり、トラストなりが決定を下す。それが、ほんの短期間にー実質的な交渉は一日か二日でー決まってしまった。
BBCとしては、今後6年間のラインセンス料収入が、今からきっちりと決まっているため、ある意味では、安定した計画が立てられる。75歳以上の視聴者は今後増えるばかりであろうから、そのライセンス料を負担することを断ったのも、良い展開であった。
しかし、いざ!というときに、政府側の都合で、急にまた何かをさせられるのではないか、という懸念は残る。
また、BBCワールドの資金を負担していたのは外務省だが、一種のパブリック・ディプロマシーというか、外交の意味があった。それを今度はBBCが全部資金を出してやる、ということなると、どんな意味合いになるのだろう?また、BBCワールドは商業活動を行っているが、この点から、ますますライバル放送局から批判されないだろうか?
BBCとは一体どんな放送局で、何を目指すのか?その目的や意味合いが、ぼやけてきたようにも思う。ライセンス料という形で視聴者から運営費を集め、時の政府からは(編集上の)独立を得る、というBBCの枠組みが、なんだかあやうくなってきた。
お金の采配を政府に握られているために、どこまでもどこまでも、妥協させられるのではないか?そんな危惧を持っている。(「英国メディア・ウオッチ」より)
(情報源はBBCとガーディアン、テレグラフ)
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-11572171



