東京を離れて大阪に行きます

11.01.31 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, メディア

 報告です。勤務先の人事異動があり、2月下旬に東京から大阪に転居します。

 勤務先の通信社に「記者職」として入社したのは1983年でした。最初の任地の青森には4年、次の埼玉には3年でした。東京の本社社会部に8年半在籍した後は、横浜支局デスク、社会部デスク(労働組合専従で2度休職)、整理部門、社会部管理職、再び整理部門と歩みました。大阪での勤務も居住も初めてですし、首都圏を含めて“東京”を離れるのは、初任地の青森以来20数年ぶりになります。

 大阪での職場も整理部門です。実務面では、近畿地方や中国、四国地方の記者やデスクたちが提稿してくる記事の最終チェックや、ニュースバリューの最終判断などが主な内容です。それぞれの地域にはそれぞれの地域に密着した地方紙があり、東京勤務に比べれば地方紙の現場にも心理的な面でも近くなると思います。

 また日本の新聞は全国紙であっても地域色があり、東京本社や大阪本社、西部本社では日々の紙面の構成はそれぞれ独自に決めます。各本社間で記事は共有しますが、同じ事件であっても東京本社と大阪本社の紙面上の扱いが同じとは限りません。大阪の新聞づくりは東京に比べて事件報道の比重が高い、言い方を換えれば人の生き死にを大きく報じる、ということをよく耳にします。それは「人を描く」ことに貪欲ということなのかもしれないと想像したりもしています。

 大阪で働き、生活しながら、自分自身が何を学び、何に気付くのか、楽しみです。社会の情報流通が多層化・複雑化する中でマスメディアの記者の働き方がこれからどうなるのか、ジャーナリズムの面からも、雇用・労働の面からも考えていく上でも有意義なものになるだろうと思います。

 初めての土地で戸惑うことも少なくないと思います。本ブログの更新頻度も減りそうですが、引き続きご訪問いただければうれしいです。

〔ブログ「ニュースワーカー2」より http://d.hatena.ne.jp/news-worker/

お知らせ:スイッチオンPJの発展を願っています

11.01.30 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, メディア

 スイッチオン・プロジェクトが装いを改めました。

 詳しくはブログで告知されています。2月にはワークショップを開催するとの予告も出ています。

 http://blog.goo.ne.jp/321switchon

 このブログでも何度も書いてきましたが、ジャーナリズムは今やマスメディアの専有物ではありませんし、ジャーナリズムを担うのはマスメディアの企業内記者や職業的ジャーナリストだけでもないと考えています。

 いろいろな可能性を秘めた取り組みだと思います。

 大きく発展していくことを願っています。

 ※わたし自身のスイッチオン・プロジェクトへのこれまでの参加については、カテゴリー「スイッチオン」の過去記事をご覧ください。

〔ブログ「ニュースワーカー2」より:http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110129/1296312837

米議会一般教書演説は政治ショーか Newslog USA

 25日米議会で、オバマ大統領の一般教書演説が行われた。例年になく共和党・民主党議員は入り交じって席に着き、大統領は党派をこえて共に前進しようと強調した。しかし、共和党議員や国民の受け取り方は違うようだ。

 議会に対する毎年恒例の一般教書演説、例年なら敵・味方のように共和党・民主党議員は分かれて座っているが、今年は両党議員がペアーのように席に着いているのが、まず目を引いた。アリゾナ州での銃乱射事件で両党の対立が問題となり、オバマ大統領が「礼節を示そう」と提案したこともあって、両党議員たちが仲良く一緒に座っているという格好になった。

 まず、オバマ大統領は演説で、米国は技術革新で他国から遅れをとっている現実をあげ、米国の国際競争力を高めることを強く主張。そのために教育、エネルギー分野や社会基盤への投資は重要と強調した。

 未来を勝ち取る最初のステップは、米国の革新を奨励することにあるとした。具体的には、2015年までに100万台の電気自動車を米国内で走らせる。2035年までに80%の電気をクリーンエネルギーにたよる。

 次に教育問題を取り上げ、4分の1の高校生が卒業できない現実をあげ、次の10年間で、10万人の理系分野の教師を増やし教育レベルを上げると提案した。不法移民といえども、優秀な若者には門戸を開くとした。

 さらに、次の5年間の約4000億ドル歳出カットと財政赤字削減。医療保険改革法案にも触れ、詳細見直し案があれば共和党とすり合わせてやっていこうという姿勢を示した。しかし、現在多くの市民が懸念している雇用問題改善への、具体策は出てこなかった。

 演説冒頭から、随所で大統領は「党派をこえて共に前進しよう」と訴えかけた。多くの議員は、賛同したかのように拍手し立ち上がった。

 しかし、演説に対する共和党の正式声明で、ポール・ライアン下院予算委員会議長は「大統領は、連邦財政赤字に何も取り組んでいない」と批判。さらに、ミッシェル・バックマン下院議員(ミネソタ州選出)は、テイーパーテイ(茶会運動)を代表した形で声明を発表した。バックマン氏は、茶会運動クイーンとも言われている存在、下院茶会運動幹部会の創始者でもある。2012年の大統領選出馬も、メデイアで取り沙汰されている。

 バックマン氏は、ここ2年間での失業率増加・財政赤字の増大に対し、オバマ政権を激しく批判した。また、医療保険改革法は「どの電球を買うべきかを国民に強制しているようなもの」と非難した。

 このバックマン氏の声明を聴く限り、前向きに一緒に進もうという姿勢は見られない。「現在の不況も失業率も何もかも、私には関係ない。すべて大統領の責任」ともとれる。2007年から下院議員の席にいる者としての責任や、将来に向けての積極的な意見は聞かれない。オバマ氏の「共に進もう」という声は、全く素通りしているようである。

 オバマ大統領の演説は、多くの「いい考え」に溢れていた。米国が世界の頂点に立ち続けるには、革新と責任は不可欠という大統領の言葉は最もである。しかし、大統領が挙げた「いい考え」は、民主党だけでは実現できない。下院を押さえた共和党との協調が必要となってくる。「いい考え」がそれだけで終われば、一般教書演説もショーで終わるという印象を国民に与えるだろう。

 この一般教書演説は、4大テレビ局が放送したにもかかわらず、視聴者は推定約2600万人。成人人口から見ると、約12%が視聴したこととなる。国民の関心のなさがうかがわれる。さらに、26日実施のギャラップ世論調査によると、約半数の国民が「議会で両党が一緒に座ったとはいえ、今年2党が協調していくことになるとは思わない」と回答している。(ブログ「Newslog USA」より)

手放しで喜べないインドネシア人看護師候補生の「在留延長」 その裏側に何が?

11.01.29 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, 日本

 政府は18日、EPA(経済連携協定)により2008年に来日した第一陣のインドネシア人看護師候補生91人の在留許可を、一年間延長する方針を固めた。当初の予定では、看護師候補生は3年以内に国家試験に合格できなければ「帰国」と定められていた。しかし、この2年間で合格できたのは、インドネシア人2名を含むたった3名という低調ぶり。今回在留延長が認められそうな2008年来日組に関しては、今年2月の国家試験がラストチャンスとなるため、インドネシア政府からも在留延長の強い要望があったと見られている。

ー残るのは半数か?

 しかし、候補生たち本人も受け入れ側の病院も、在留延長を手放しで喜んでいるわけではないようだ。「1年延長したって合格の見込みはないのだから、これ以上残ってもらっても…」と思っている病院関係者も少なくないという。

 また、候補生たちの間でも、「病院との折り合いが悪いので、もう帰国したい」という者も一定数いるようだ。そのため、政府が在留延長を認めても全員が残るわけではなく、病院側と候補生との話し合いによって決定されることになるとの見方が強い。最終的に在留するのは、不合格者の半数ほどではないかということだ。

 在留延長の報道を受け、ひとりの看護師候補生に感想を尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。「政府が在留延長を認めても、病院側が延長を認めてくれるかどうか……。それが不安です」

ームチャクチャだった教育体制

 そもそも、初めからきちんとした受け入れ体制を整えていれば、今回のように土壇場になって当事者がふりまわされることはなかったはずだ。

 EPAによる受け入れは今年で丸3年を迎えるが、少なくとも最初の2年間の受け入れ体制はムチャクチャだった。怖ろしいことに、その教育方法も費用も、すべて受け入れる病院に委ねられており、病院は自腹を切って、試行錯誤で教育を行ってきたのだ。当然病院側からは、「費用ばかりかさんで合格の見込みがない」という不満が高まっており、候補生たちの受け入れを希望する病院も激減していた。

 さすがに政府も「これではマズイ」と思ったのだろう。2011年度からは、インドネシアおよびフィリピン本国に日本語教師を派遣し、候補生たちが来日するまでの3ヶ月間を、日本語教育に充てるとの方針を定めた。

ー早急に教育体制を整えるべき

 しかし、一部の日本語教育関係者からは、「現地で日本語研修を請け負う業者と、来日後に請け負う業者間で連携がとれていないため、成果は期待できない」と、懸念の声も上がっている。

 というのも、候補生たちに日本語を教える研修機関は、その都度入札で決められているため、いわばライバル同士。そのため、業者間での意見交換もなければカイゼンもない。これでは何年たっても、外国人看護師に対する適切な教育体制は固まらないのではないか。

 政府はすでに、平成23年度の外国人看護師・介護福祉士候補生受け入れ支援事業の概算要求として845,051千円の予算を計上しているが、果たして有効に活かされるのか疑問が残る。〔日刊ベリタより転載。)

 今回、在留延長が認められることに対しては、個人的にとても歓迎している。しかし、今後はベトナムやインドからも人材を受け入れる可能性があるだけに、一貫した教育体制を早急に整えなければ、同じ過ちを繰り返すだけではないだろうか。付け焼き刃の在留延長だけでは、焼け石に水だろう。

一部福音派「銃と神は国を救う」 Newslog USA

11.01.28 by   カテゴリー: 世界の窓

 米シカゴ市では30年近く、市民のピストル所有は銃法で禁止されてきた。しかし昨年6月、最高裁は銃法を違憲とする判決を下した。銃愛好家や保守キリスト教徒は、この判決に活気づいている。神の下、民兵を組織して連邦政府と闘うべきという。

 憲法修正第二条は、米国人が武器所有・携帯する権利を保障しているが、銃法は各州・各市によって異なる。犯罪の巣ともいえるシカゴ市では、28年間市民のピストル所有は禁止されてきた。

 08年にシカゴ市相手に、銃所有の権利を掲げて訴訟を起こしたのは、同市に住むオテイス・マクドナルドさん。マクドナルドさんは、民権運動の活動家であり、退職後地域の犯罪没滅に協力してきた。その関係から、麻薬密売人などから銃による脅しを受け、自己防衛からピストル所有許可を求めていた。

 6月28日、最高裁は、市民には自己防衛のためピストル所有の権利はあると判決を下し、憲法で保障されている権利は、連邦政府並びに州にも適応すべきと判断した。

 この判決は、NRA(全米ライフル協会)会員や、銃愛好家を喜ばせたのは言うまでもない。現在30万の会員をもつ右翼系団体GOA(Gun Owners of America)もその一つである。

 リベラル系サイトの「オールタネット」によると、GOAは活動に「神と銃」を二つの柱に置いている。この団体は「究極の権利者は神」とし、「憲法修正第二条、銃所有の権利を守る」のを使命としている。またこの権利は、単なる狩猟や自己防衛を言ってるのではなく、霊的なものと見なされなくてはならないとしている。

 GOAでは、この訴訟での勝利を、政府に対し市民を武装させる大切なステップととらえている。GOAの顧問弁護士のハーブ・テイタス氏は、「武装の目的は、独裁者から己を守ることであり、銃所有の権利はこの国の礎だ」と言う。また、「自分の命、死にかかわる問題には、武装して政府と闘わなければならない」としている。この点において、テイーパーテイ同様、オバマ大統領の「医療保険改革」は大いなる脅威と明言している。

 これら一部保守福音派キリスト教徒は、宗教と国家の分離に反対、信念を生活のすべての分野にもたらすべきとしている。神の下での一つの国家を信じ、政府は聖書を法典とすべきとする。憲法の前文で謳われている「誰もがとることができない権利」は、神によって与えられたと主張する。

 政府に対して武器をとるのは、キリスト教徒の義務というわけである。 (ブログ「Newslog USA」より)

日本でメガリークの大衝撃はあるか? -「ウィキリークのダムが決壊するのを待って」

ウィキリークス報道が、ひとまず落ち着いた今日この頃。米英、あるいは世界各国で物議をかもしたウィキリークスによる一連の「メガリーク」だが、どことなく、びくともしなかったような感のある日本である。そんな日本をあっと驚かせる大ニュースはメガリークの中にはなかったのだろうか?日本の大手新聞がウィキリークスから生情報をもらう可能性はあるのか、ないのか。ジャーナリストのデービッド・マックニール氏が「ジャパン・タイムズ」に書いた分析を紹介したい。

25日付で報道されたマックニール記者の記事のタイトルは「ウィキリークのダムが決壊するのを待って」(Waiting for the WikiLeak dam to break)である。

http://search.japantimes.co.jp/print/fl20110125zg.html

記事は、読売新聞の調査では、2006年から2010年、東京の米国大使館と米国務省との間の外交公電は5,697あったと書く。米―アンカラ(トルコ)、米―バグダット(イラク)に次いで多い数となる。中身は、沖縄、北朝鮮や中国に関する機密書類などが含まれる。この内容が公開されたら、重大な結果となると、防衛省の高官が読売に語ったそうである。

大量の外交公電情報を得た報道機関の1つがガーディアン。その副編集長によれば、読者の国際問題に関する関心は思ったより高くなく、報道したのは公電情報の「ほんの一部」であった。また、情報源の保護やその他の理由から、公電全部をそっくりそのままサイト上に出す、ということをどの報道機関もしていないとのことであった。

マックニール氏によると、ウィキリークスの弁護士(複数)が、日本にいる「著名な外国人のジャーナリスト」に、直接ウィキリークスから生情報をもらう件に関してコンタクトをとったという(このジャーナリストが誰なのかは、ぼやけた表現になっている)。また、同氏によると、朝日新聞とジャパンタイムズは少なくとも表向きにはコンタクトがなかったと言っている。

「噂によれば」、読売にアプローチがあった。そこで「ライバル紙」(朝日?)のジャーナリストが、読売は自民党に近かったので、もし掲載することになれば、苦しい立場に追い込まれる、と推測をのべている。ーーここら辺は、推測や噂の話である。

日本のメディアがウィキリークスと直接関与してこなかったのは、「無関心」が理由ではないか、と東海大学で教える山口勉氏が言う。山口氏は元読売記者。「残念だが、日本のプレスは怠惰なのです」。

また別の読売の退職者(筆者注:おそらく記者であった人)は、匿名とすることを条件に、別の見方を教えてくれたという。「大手新聞社の上級編集者たちは、ウィキリークスに近づかないよう言われていた」「(ウィキリークス創始者の)アサンジがやったことを認めていないからだ」。マックニール氏は、それでは、公電情報へのアクセスを提供された「ワシントンポストやウオールストリートジャーナル、そのほかの米国の報道機関の態度と変わらないではないか」と書く。

一方、ウィキリークスから生情報をもらおうと奔走するジャーナリストも日本には複数いるようだ。「もし沖縄など、でかいトピックに関する公電が報道されたら、1面扱いの記事になる」とそのうちの一人が、マックニール氏に話す。

一体どんな、日本関連の情報があるのか?マックニール氏は「世界」2月号の「メディア批評」の記事(神保太郎氏が書いたもの、この名前自体はペンネーム)に注目する。紹介されているエピソードを「世界」から抜粋するとー。

「日本だってWLのおかげを蒙っていることを、忘れてはならない。09年9月17日付でミサイル防衛関係各国の米大使館に発信された米国務省公電は、海上配備型迎撃ミサイル「SM3」の将来におけるNATO,東欧・ロシアへの配備に関する計画が主題だったが、それは対象ミサイルの開発・製造に日本が全面的に協力しており、その力をフルに生かすには日本に戦略的な決断をしてもらう必要がある、とする記述部分も含んでいた」。

「これが12月1日、WLで暴露されたおかげで、同年10月の北沢防衛相・ゲーツ米国防長官会談の中身はその件であることが分かり、そのころから防衛省で武器輸出三原則の見直し論が活発化したわけも、はっきりした。日本が製造に関わったミサイルを第3国に売るには、3原則を変えなければならない。米国はその決断を日本に迫ったのだ。しかし、早くそうした事情が判明したために、新防衛大綱に3原則の見直しを書き込むことに対する世論の反対が生じ、管内閣はこれを見送ることにした。際どいところだった」。

さらにマックニール氏は神保氏の分析の紹介を続けるのだが、最後の部分(神保氏の)を紹介すると:

「WLの衝撃が教えることは、現在の不正を暴くことが未来の責任をはたすことになるというジャーナリズムの基本だ」――「隠す側に立つのか、暴く側に立つのか、これは遠い国の話ではないし、国の内側の話でもない。」

マックニール氏の最後の締めは、「さて、ダムが決壊するまで、後どれくらいかかるだろう?」である。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)

尊厳死法の新ビジネス オレゴン Newslog USA

11.01.26 by   カテゴリー: 世界の窓

 オレゴン州には尊厳死法がある。余命いくばくかの患者は、医師からの薬物で命を絶つ選択ができる。同州の医師は、「尊厳の家」を設立、患者が尊厳死に臨むのを助けるという。しかし、コマーシャル化したその方法に批判が上がっている。

 オレゴン州の尊厳死法は、米国で初めて末期患者に自殺幇助を認めた法である。1997年に住民投票で、6割の賛成を得て可決・制定された。それ以後、460人がこの法の下で命を絶っている。自殺幇助法とも呼ばれているが、同州のウエブサイトでは、「同法は、自殺、あるいは自殺を助ける目的では設立されていない」とある。また、「第三者による薬物投与は禁止する」とある。あくまで、患者自身の手で薬物を投与するのが原則である。

 この尊厳法の適用を受けるには、オレゴン在住の末期患者で、2人の医師による「余命6か月」という診断書が必要である。患者は、その診断書に加え、家族の署名入りの依頼書を提出しなければいけない。

 オレゴン保健社会福祉省のデーターでは、09年では95の致死性薬物処方箋が出され、実際に薬物を使用し死に至ったのは、59人である。平均76才、ほとんどの患者は自宅で最期を迎えた。薬物は主に麻酔に使用されるもので、患者は飲んだ後3〜5分で眠りにつくという。

 米ABCによると、尊厳の家をオープンしビジネスにしようとしているのは、同州ポートランドの精神科医のスチューアート・ウイーズバーグ氏である。

 同氏は、02年に精神病外来クリニックをオープン、2年間で400人のホームレスの若者を診断した。04年に薬物依存症患者用のクリニックを設立し、現在は末期患者のコンサルタントと自分を位置づけている。

 ウイーズバーグ氏のウエブサイトでは、「尊厳の家」サービスの代金が詳細に述べられている。医師やセラピー犬の立ち会い費用は1200ドル。21時間の施設使用料などの基本料金に加えて、最期の模様をおさめるカメラ代、食事サービス、終末看護、美容師代、花代といった内容が続く。これらのサービスのパッケージ代金は、5000ドルとなる。

 ウイーズバーグ氏は、「人々は家族や友人、またはペットと一緒に午後3時にチェックインする。花や料理や音楽で迎えられる。ここでは、尊厳をもって人々の死を迎える」と自信気に話す。

 一方、法制定に一役買ったジョージ・エイメイ氏は、「死ぬ家を作り、死のビデオテープを撮り、花や料理のサービスまでほどこすとは、死を選ぶ患者を冒涜するようなものだ」と非難する。

 また、法そのものへの批判もある。オレゴン州ヘルス・サイエンス大学のウイリアム・トフラー教授は、「従来の医療倫理の崩壊だ。医師の仕事は、患者が自然死するまで助けることだ。愛情をもって接すれば、患者の苦痛を和らげることができる。ケアーの代わりに自殺を差し出すのは、本末転倒だ」と話す。

 しかし、このような批判にもかかわらず、州外の患者が、法の適用を受けようとオレゴンに流れこんでいるともいう。

 オレゴンに続いて、ワシントン州でも08年11月に同様の尊厳死法が成立している。(ブログ Newslog USAより)

ウィキリークスの本が出ます+記事、もろもろ

11.01.25 by   カテゴリー: メディア, 世界の窓

 BBCのQI問題で、問題視された動画クリップが削除となったことを知った。いささか衝撃を受けている。

BBC、批判受けネット映像削除 二重被爆者の放送問題

http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011012401000820.html

引用:【ロンドン共同】英BBCテレビのお笑いクイズ番組「QI」が広島と長崎で二重に被爆した故・山口彊さん(長崎市出身)を「世界一運が悪い男」などとジョーク交じりに紹介した問題で、BBCは23日夜、動画投稿サイト「ユーチューブ」にBBC自体が掲載していた当該の番組映像を削除した。

 BBC広報担当は24日、共同通信に対し「われわれは既に番組は不適切だったとする声明を出しており、削除を指示した」と述べた。BBCは22日には「週末のため、月曜(24日)朝にインターネット担当者が出勤してから対応を検討する」としていたが、日本国内での批判が収まらないことを受け、前倒しで対処したとみられる。

 BBCと番組制作会社は21日、連名で「(日本の皆さまに)不快な思いをさせ、申し訳ない」と謝罪する声明を発表したが、その後もユーチューブを通じて全世界で視聴できる状態を維持したため、被爆者らの間で不信感が募っていた。

 BBCがユーチューブに掲載していたのは、昨年12月17日に放送した「QI」の一部で、約3分間。この映像は約9万7千回再生されたが、そのほとんどが日本時間21日に今回の問題が報道された後だった。〔引用終わり)

 

 ここまで、あっという間に事態が進んだように思った。BBCが動画削除にまで行く、というのは、よっぽどのことである。抗議から削除・・・。このスピードの速さー大きな衝撃を感じたー。

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 ウィキリークスのことを、また一度、まとめたものを、「英国ニュースダイジェスト」に書いた。今までの経緯を知っている方にはめずらしいことはないが、とりあえずのアップデート版として。

機密情報を世界中に発信する
内部告発サイト「ウィキリークス」とは?

http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/7388/263/

 ***

 また、2月5日、数人で書いた、ウィキリークスの本が出ることになった。

 タイトルは新書で「日本人が知らないウィキリークス」 (洋泉社)

 目次はこんな感じ:
 
│第1章│ ウィキリークスとは何か──加速するリーク社会化〈塚越健司〉
1 リークサイト「ウィキリークス」とは
2 ウィキリークスの情報公開──賞賛と批判
3 2010年──変化するリーク方法
4 公電公開後の動き
5 加速するリーク社会化

│第2章│ ウィキリークス時代のジャーナリズム 〈小林恭子〉
  1 ジャーナリズムとリーク
2 国家機密のリーク報道
3 リーク報道をめぐる様々な評価
4 ウィキリークス時代のジャーナリズム

│第3章│ 「ウィキリークス以後」のメディアの10年に向けて 〈津田大介〉
 
│第4章│ウィキリークスを支えた技術と思想 〈八田真行〉
 
│第5章│米公電暴露の衝撃と外交 〈孫崎 享〉
 
│第6章│「正義はなされよ、世界は滅びよ」──ウィキリークスにとって「公益」とは何か 〈浜野喬士〉
 
│第7章│ 主権の溶解の時代に──ウィキリークスは革命か? 〈白井 聡〉
  1 「歴史は繰り返す」。だが、いかなる歴史が?
2 カリフォルニアン・イデオロギーの政治的帰結
3 主権の溶解

 私は自分のところしか読んでいないが、他の執筆者の方の分を読めるのをとても楽しみしている。

 もし良かったら、書店に並んだら、お手にとって見てくださると幸いです!!(「英国メディア・ウオッチ」より)

「同僚市民」を伝え「歴史の第一稿」を報じる~「英国式事件報道~なぜ実名にこだわるのか」(澤康臣 文芸春秋)

11.01.25 by   カテゴリー: メディア, レビュー

 マスメディアの報道の実務でもっとも頭を悩ませるものの一つに「実名で報じるか、匿名とするか」の問題があります。運用上のルールは「原則は実名、ケースバイケースで匿名も」ですが、とりわけ事件事故の報道では、きれいに切り分けることが難しいケースが日常的にあります。

 現在わたしは職場では整理部門に身を置いており、取材・出稿部門が出稿する記事の最終チェックを担当しています。先日、刑事事件の裁判の判決で被告名を匿名で記載した記事が提稿されてきました。小学校の男性教諭が、教え子の女児に性的暴行を繰り返し加えていたとして起訴された事件です。判決は実刑。判決理由で裁判官は、犯行の悪質さ、卑劣さを極めて厳しい表現で批判しました。性的暴行の被害者を匿名で報じるのはほぼルール化しています。社会的な2次被害防止のためです。しかし事件事故の加害者が、犯行時少年であるとか、明らかに責任能力に疑問があるなどの理由ではなく、しかも公開の場である裁判の、判決を伝える記事の中で匿名になるのは極めて異例です。

 聞けば地元の各メディアに、被告名を匿名で報じるよう被害女児サイドから強い申し入れがあったとのことでした。小学校教諭だった被告の名前が報じられれば地域社会の中で被害女児が特定されてしまうから、との理由です。被告名がない判決の記事がニュースに値するのかという議論もあります。出稿を見送ってボツにするという選択肢です。出稿部門の担当デスクとのやり取りを経て、教諭による子どもへの極めて悪質な性的犯罪が裁判で有罪認定を受けたこと自体は、わたしたちの社会で何が起きているのかを知る上で、伝えるに値するニュースだと判断し、被告名を匿名にして出稿しました。わたし自身、裁判報道も長く経験してきた中で初めてのケースでした。

 「そんなこと、被害女児の将来を考えるなら当たり前ではないか」と言われるかもしれません。わたし自身は「ボツにしないのならこの書き方も仕方がない」と思う半面、今も釈然としない気持ちも残っています。

 裁判は公開の場で行われます。その趣旨は、日本国憲法が「国民の権利及び義務」の中で刑事被告人の諸権利をも定めていることからも明らかで、だれであれ秘密のうちに身柄を拘束されたり、闇から闇のうちに社会から抹殺されることがあってはならない、ということだろうとわたしは理解しています。逮捕され、訴追され、裁判を受けているのはだれなのか、その「だれ」が原則として明らかにされていること自体は、本来は社会にとって利益です。「だれ」は社会で共有すべき情報であると言ってもいいでしょう。したがって、マスメディアが社会の公器であることを前提にするなら、刑事裁判の被告名を伏せて報じることは本来はあり得ないことです。マスメディアにとって判断の余地はないに等しいはずです。

 しかし、刑事裁判に限らず、現実にはそれでは済まないケースが少なからず出てくるようになりました。「当事者の意向」を無視できずに匿名で報じるケースが増えています。背景事情として明確にあるのは、個人情報保護法の施行を契機として進んでいる個人情報の過剰保護、匿名社会化でしょうし、そのしばらく前から顕在化していたメディア不信、メディア批判でしょう。個人情報保護法に限らず、浮かんでは消えている人権擁護法案など、法的なメディア規制、表現規制の動きは、メディアスクラムをはじめとするマスメディアの取材のありようの問題も密接に絡んでいます。「実名報道=人権侵害」との指摘に対して、実務的な判断として、あつれきを避けるには匿名で報じるのがもっとも楽なやり方であることは間違いがありません。実名か匿名かの問題は、メディアの人権意識と直結するのですが、そのことにここではこれ以上触れません(また機会をあらためて書きたいと思います)。

 実名か、匿名かの問題は、日常的に目の前にありますし、そう簡単にはすっぱりと割り切れません。そうしたわたしたちマスメディアの仕事のありようを考える上で、意義深い一冊が刊行されました。

  「英国式事件報道―なぜ実名にこだわるのか」(作者: 澤 康臣 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 2010/09/28)

 著者の澤康臣さんは記者経験20年。共同通信で社会部を経て現在はニューヨーク支局勤務です。わたしにとっては「マスメディアの企業内記者」という仕事の広い意味での同僚であり、個人的な畏友の一人でもあります。本書は、著者が2006年秋から2007年にかけて、英国オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所の客員研究員として英国に滞在し取材した英国マスメディアの事件報道のありようです。

 なぜ英国なのか。著者は「父と娘と容疑者―序に代えて」の中で、千葉県市川市で英会話学校講師の英国人女性が殺害された事件を例に挙げながら、こう述べています。

 リンゼイ事件に限らず、イギリスの新聞は大半の人たちが名前を出して登場し、描写は生々しく手加減がない。日本では、実名や露骨な表現は削ってしまうのが「配慮」と受け取られることも多く、匿名の人物、ぼかした表現が非常に多いのと対照的だ。

 議会制民主主義の伝統が長いせいなのか、イギリスの人々は議論好きで政治や社会への関わりは積極的に見える。日本ほど治安は良くないが、警察官は一部の特殊任務を除けば今でも丸腰だ。死刑制度はとっくの昔に廃止されている。デモやストは日本人の目から見ればとても頻繁だし、イラク戦争に参加したことに対しては100万人もの集会をはじめ、大規模な反対運動が長く続いた。私の住んでいた大学都市オックスフォードでは昔懐かしい鎌トンカチの共産主義マークを掲げたグループが参加する反戦デモさえ数百人規模で実施され、かつて「鉄の女」として一世を風靡したサッチャー元首相はすっかり不人気。BBCの「サイダデリック」は反資本主義、反グローバリゼーションを闘うヘンテコな「革命的」グループがマクドナルドに抗議行動をしたり、合法に大麻を吸おうとオランダに出掛けてフラフラにラリってしまったりするドキュメンタリー風コメディで、それが賞をもらってDVD化される国である。つまり、ごくごく単純化したものの見方をすれば日本よりはリベラルな言説の居場所がかなり広い。

 その国で、この報道ぶりである。日本ではリベラルな言説は事件、事故報道に抑制を強く求めるのに。

 なぜ、こうも違うのか。大事件、大事故が起きるたびにマスコミが批判される「報道被害」や「メディアスクラム」はイギリスにあるのか、それをイギリスの記者はどう思っているのか。イギリスではこんな取材報道をしてももめないのか。逆に、良い取材報道はどういうものだと考えているのか。

 私がイギリスに来たのは、それを調べるためだった。ニュースの実像を見聞きし、ニュースの内側にある人々と出会い、そして言葉を交わすための旅である。

 第1章では「ニュースの中の人々」と題して、実際にイギリスのマスメディアが事件事故をどのように生々しく、手加減せずに報じているかを紹介しています。例に挙げている売春婦の連続殺人事件の報道は、なるほど日本ではちょっと考えられないような展開です。第2章「ニュースを書く人々」は、記事を社会に送り出している記者や編集者のインタビュー。第3章「ニュースと向き合う人々」は、報道被害の救済機関である「新聞出版苦情委員会(PCC)」、事件事故の一方の当事者である警察、そして犯罪の被害者のリポートです。日本のマスメディアで社会部記者として取材・報道の経験を積んできた著者の視線を借りて、イギリスの事件報道や報道関係者へのインタビューを追体験しているかのような、そんな感覚で読み進みました。

 そして終章の第4章「匿名社会と報道」にぎっしりと書き込まれた著者の「報道」への思いに、共感を覚えました。

 著者は帰国後、報道の実務に復帰して日本では匿名報道が進んでいると感じ、あらためてイギリスの報道について次のように書きます。

 イギリスの新聞の場合、世の中の場面を書く以上はすべて書くのであり、人間中心に書くのであり、それはすなわちその人を人として名前で記すというスタンスだった。捜査機関による立件に至ろうが至るまいが、重大犯罪であろうが単なるトラブルであろうが、ひどい悲劇であろうが驚くべき出来事であろうが、そんなことはイギリスのジャーナリズムには関係ない。

 ただ克明に記録しているのである。

 実名と匿名の問題を考えることは、「ニュースとは何か」を考えることでもあり、著者が「最も明快で感銘を受ける」として引用しているのは、ワシントン・ポスト社主だったフィリップ・グレアムの「ニュースは歴史の第一稿」という言葉です。そして著者は「関係者を守るためとはいえ、人名や企業・団体名など固有名詞を失った記録はどの程度『歴史の第一稿』たり得るのだろうか」と自問します。

 たとえば1936年の「阿部定」事件は今ならどんな報道になるか。さらには、1958年の小松川事件の李珍宇や、1960年の浅沼社会党委員長刺殺事件の山口二矢、1968年の連続ピストル射殺事件の永山則夫(死刑判断の「永山基準」で現在もしばしばその名前が報道されています)らについて、事件当時少年だったにもかかわらず、少年法が今ほど厳密には遵守されずに逮捕段階から実名で報じられたこと。だからこそ彼らの一人ひとりの生き方や背景、事件の悲劇を生みだした社会背景が論議になり、多くの出版物が刊行されたことは、社会にとっては共有財産になっていることを指摘します。そして著者は「報道によって傷つき失われるものはあまりにも大きい。どのような報道形態を取っても、いや少年の名前を伏せた程度では取材や報道が当事者に与えるインパクトをなくすことは決してなく、常に原罪のようにつきまとう」「そして、報道の価値は報道された当事者の苦しみとは全く関係のない文脈で存在している。『ニュースは歴史の第一稿』というフィリップ・グレアムの言葉はそのことを明確に言い表している」と述べます。暗黒社会を描いた近未来小説としてあまりにも有名なジョージ・オーウェルの「1984年」では、独裁者による歴史の書き換えとともに思想犯の逮捕が知らされない社会が描かれていることも指摘しています。

 一方で、日本の報道の現状の一例として著者が丁寧に紹介しているのは、田中真紀子氏の長女の離婚を報じた週刊文春が2004年、東京地裁から当該記事を削除しなければ販売を認めないとの事前差し止め命令を受けた事件です。結論としては、この命令は東京高裁で覆り紛争も収束したのですが、著者は「イギリスの新聞ならこの場合、結婚離婚の事実どころか長女の元夫も名前と写真を掲載しているだろう。それが何らかの理由で無理だとなると、じゃあくだらないから報道自体やめた方がいいとさえ言い出しそうなのがあの国のジャーナリストたちである」と書きます。そして「日本ではむしろ、ものごとを伝えるのに名前を明示しない方が普通であるかのような認識が広まりつつあるのではないか―と、現場にいて時々感じる」として、実際に実名で報道された当事者がメディアを訴えたほかの例も紹介しています。

 この終章はいくつかの項に分かれているのですが、最後の最後に付いている小見出しは「匿名社会と同僚市民」。「同僚市民」とは聞き慣れない用語ですが、「ニュースは歴史の第一稿」とともに、著者がたどり着いた結論がこの言葉に凝縮されているように感じます。

 著者は「匿名」について「報道に限ったことではなく、社会全体の心がけとも受け取れる。自分がどこで何をしているのか人から知られぬよう、自分もまた人に介入しないように」「『社会』という言葉は明治期に『ソサエティ』の翻訳語として作られた。『ソサエティ』はもともと人間同士の関わりのことである。だから福沢諭吉は当初『人間交際』という訳語を当てていた。今、『匿名社会』という自己矛盾に満ちた概念が生まれ、育とうとしている」と述べた後、この終章を次のように結んでいます。

 ニュースは人であり、人はみなそれぞれがこの社会の主人公である。ジャーナリズムはすぐれて民主主義的な価値で、主権者である私たちが主権者として行動するため欠かせない「知る」ということを提供している。王様や一握りのエリートが社会を動かし、市民は彼らにお任せにしてただついていくというのなら、大衆的な情報伝達は必要ない。その場合「取材される迷惑」「知られる苦痛」のほうがはるかに勝ることになろう。

 だが、民主主義のもとでは一人一人が考え、議論し、決めることを求められている。社会問題やトラブル、二度と起きてはならないような悲劇―大小どんな出来事でも社会の中で起きたことならば、一部の優秀なエリートが把握して対策を取るのではなく、できるだけ多くの人が知り、考え、みんなの意見を決める。そのやり方は痛みや非効率を伴うものであっても、それが民主主義である。民主主義の社会では一握りの人だけが主役になるのではなく、観客席とステージがつながっているかのように、どんな「私人」であっても誰もが意見を言い、意見を求められる。その中にあって記者は、つらい立場の人を気遣いながらも、声の小さい人や少数派である人ほどに多くの意見を言ってくれるよう促し、励ます存在でありたい。それも衝立の向こうではなく、こっちに来て話してくれませんかと。私たちの社会で生きる隣人、一人一人の人間としての同僚市民に心を寄せ、お互いの声を響かせ合うマス・コミュニケーションとなるために。

 一般的に、新聞記者が書く本や言説はよく言えば論旨が明快、悪く言えば独善的で「~すべきである」と「上から目線」で断じ、異説には専ら攻撃的に反論するものが少なくないとの印象があるのですが、本書では随所に著者の迷いや当惑が率直に記されています。同業の同僚であるわたしにとっては、その点が本書の最大の価値でした。巻末には映画監督・作家の森達也さんが書かれた解説が収録されています。「ジャーナリストは自問自答し続ける。」とのタイトルが付いたこの小文も、著者と同業の同僚であるわたしには大きな価値です。(ブログ「ニュースワーカー2」より)

BBCのQIをどう考える?②それでもまだ信じられない人は、「アワ・マン・イン・アビコ」をご参照に

 前回、BBCのQI問題について書いたが、「私なら笑って、無視する」という表題や内容に、疑問や怒り(場合によっては)を感じた方が結構、いらっしゃるかもしれない。

 ある意味ではシンプルなことを、いかにそれがシンプルで、他愛ないことであったかを説明するために、汗をかいてしまうーそんな状況に私たちはいると思う。

 どれほど、「このクリップに関しては、大きく抗議するほどのことではないよ」「私はそう思うよ」と言っても、「被爆・原爆をコメディー番組のトピックにしたこと自体がいやだ」という感情は消えないだろうし、「第一、君(=小林)の判断力はちょっとおかしいんじゃないか」と、思う人も結構いらっしゃると思う。

 そこで英語ブログ「アワ・マン・イン・アビコ」の話になる。日本に住む英国人男性が書いたものであるようだ〔最後にアドレスをつけている〕。

 このブログの優れたところは、これが「英国人が」書いた部分(英国人――英国国籍保持者――のみが、今回のクリップの意味が分かる、と自動的に考えるのは、これはこれで必ずしも正しくはないが、まあそれは脇において)というよりも、もちろん、「英国人=英国のユーモアやもろもろが分かる」という部分は重要なのだが、それ以上におもしろいのが、この書き手が、自分の妻(=日本人)の母親、つまり義理の親に,事態を説明する、という部分である。

 その母親は読売新聞やテレビを見てニュース情報を得ている。

 そんな彼女に、いかに分かりやすく、的をついた返事をするか、そして、ここが肝心だが、「家族の一員として正直に、誠実に答える」必要に迫られる。

 ・・・まあ、やや深読みかもしれないが、非常におもしろい状況ができたわけである。

 こうして、この男性はーーすこしフィクションが入っているのかもしれないけれどもーー義母に、説明しだすー。

 私も、もし自分の日本の家族に聞かれたら、どうするかなと考える。うそはつけない。正直にかつ、わかりやすくなければならない。私の答えは「アワ・マン・イン・アビコ」のようなことになるだろうーー家族は「ふーん・・・」(でもなんだかよく分からないなあという反応)になるかもしれないが。

 メモ魔さんが読みやすく翻訳してくれている。良かったら、ご参照願いたい。
【ブログ翻訳】「私は如何にして心配するのを止めてQIを愛するようになったか」(Our Man in Abiko)
http://nofrills.seesaa.net/article/182228183.html

(「英国メディア・ウオッチ」ブログより)

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