やっぱりいいねぇ~NY ーNYPDの京美ガイさんにインタビュー ny1page.com
11.08.31 by ny1page.com カテゴリー: 世界の窓, 人
(NYエンタテインメントの情報サイト、「ny1page.com」http://ny1page.com/ からの転載です。)
今回、ニューヨーク市のために働くNYPDのポリスオフィサー京美ガイさんにインタビュー。
ーNYPDに勤める唯一の日本人女性
京美ガイさんはNYPDに勤める日本人女性。彼女によると日本人の男性でさえも、NYPDに勤務しているという話を聞いたことがないという。NYPDに勤めて2年。ふだんは、同僚とともにマンハッタンの中をNYPDのユニフォームを着て拳銃を持ちパトロールをする。街の中に立っていることもあれば、ほとんどはポリスカーで回るのが勤務である。法にふれるような違反をしている人がいれば、切符をきったり、何か事件が起これば現場へ駆けつけるのだという。
ー米軍に入ったきっかけ
高校生の頃、ダンスが好きでたまらなかった。クラブで踊りたいからと高校を中退してまで関東に住む叔父をたよって東京へ出た。ダンススクールに行くわけでもなく、クラブへ通っては仲間と真剣に踊りまくった。六本木をはじめ、横須賀や横浜などアメリカの斬新なヒップホップがDJのクラブにも通った。
英会話は学生時代から好きで、学校の勉強以外に独学もした。特に重点を置いたのは発音だったという。テープレコーダーに自分の声を吹き込んで、発音を練習。次第に英会話もできるようになり、根岸の米軍基地で働くことになった。そこで夫となる米軍の男性に出会った。彼と結婚して98年にテキサスへ渡る。長女も生まれ安定して結婚生活をおくるはずだったが、2003年には離婚を決意した。シングルマザーとして生きるため仕事を探し始めたところ、偶然、米軍に募集があり応募したのだった。
弘恵ベイリー:米軍にいた日本人女性というのも、NYPD以上に珍しいと思うのですが、米軍に勤めようって思ったきっかけはなんだったのですか。
京美ガイ:ダンスで身体を動かすのが好きだってことと同じように、身体を動かす仕事が好きだったことが、まず大きな理由です。
しかし米軍でなくても、肉体労働なら建設業とか、ほかにも色々ありますよね。どうしてわざわざ戦地へ赴くような危険な仕事を選んだのですか。
※ブラックホーク・ダンっていう映画が好きで、あこがれていたんです。ああいう風に戦地に行って仲間を救いたい、正義のために戦いたいっていう気持ちがあって。
(※ブラックホーク・ダン・・・モガディシュの戦闘に基づいた映画。1993年10月3日、ソマリアの首都モガディシュにおいてアメリカ合衆国軍とソマリア民兵とのあいだで戦闘が発生した。のちにアメリカが米軍兵を救うため、アメリカ最強特殊部隊を送り込みソマリア内戦介入から撤収するきっかけとなった。)
ー「イラクで米軍として働きアメリカへ戻ってからうつ状態に」
実際、米軍ではどんな任務についたのですか。
陸軍に配属されイラク戦争へ行きました。病院にきた死傷者のインフォメーションを家族に伝えるという任務につきました。そのときは、ボスがきつい人で大変だし苦手でしたが、今思えば、あれほどのデータを的確に詳細に伝えるということができたのは、ボスの指示がよかったからで、物凄く仕事のできる人だったんだなぁ~って思います。
イラクでの任務が終わってアメリカへ戻ってどうでした?PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩む米兵も多いって聞きますが。
私の場合は、しばらく、うつ状態になりました。明るくていつも活発な自分が、何に対してもやる気を持てなくなって、育児と学校の往復という単調な生活を抜け殻のように続けていました。たまに涙がとまらなくなったりして、私は頭がおかしくなったんじゃないかって心配になったほどです。米軍には専用のセラピストやカウンセラーがいて、私もセラピストに相談してみました。2回ほど面会しただけで回復したのですが。そこで説明されたのは、これまで朝5時から起きて訓練や仕事があり、夜遅くまで何かしらやることがあるという生活でしたが、急に開放されたことが原因だと言われました。何かしらやることがある内は、常に興奮状態にあり、脳内にアドレナリンが出続けているというのです、それを急にやめてしまうと、今度はアドレナリンが出なくなるという状況に陥るらしいです。その結果、何もやる気が起こらなくなる。
ー「NYPDはニューヨークへ行くための手段だった?」
2回のセラピストとの面会で回復したとは、タフな精神力ですね。
明るくて前向きな性格なので。原因がわかったら自分は頭がおかしいわけじゃないのだってスッキリして。
NYPDに応募したきっかけはどのように。
2008年に米軍の求職サイトを何気なく見ていたら、NYPD募集の求人があって、「せっかくアメリカにいるんだからニューヨークに行くしかない!って、テストを受けてみることにしました。
ニューヨークって他の州の警官でさえ怖いって言ったりしますが、怖くなかったですか。
イラクに行った後だったので、もう何も怖いものはありませんでした(笑)。警官を実際にやってみて、ラジオ(無線)から、現場へ行くよう指示があると、どんな事件が起こったのだろうってワクワクするんです。
きっと事件を怖がるような人だと、警官になろうって思わないでしょうし、続かないでしょうね。怖い目にあったりはしないのですか。
幸い、まだ怖い目にあったことはありません。クィーンズで夜のパトロールの担当になったこともありますが、そのときも大丈夫でした。今は、子供がいるので昼間の勤務の希望をいつも出していて、そうしてもらってます。
私のイメージでは殺人現場とかってドラマのCSIの影響で、かなり気持ち悪そうな印象を受けますが、どうですか。
そうですね、私も殺人現場は「ものすごい臭いがする」とか、うわさに聞いてるし、気持ち悪いから躊躇しますが。それにも幸いなことに一度だけ遭遇しただけで滅多に現場へ行くことはありません。
現場で危険な目にあうことはありませんか。
警官は、事件が起こってから現場へ行くよう指示があるので、事件後に到着することがほとんどです。だから逆にもっと自分は私服警官として、事件を追うような仕事に就きたいくらいです。まだ働き始めて2年なので、数年の経験をつんでから試験を受けてみるつもりです。
警官という仕事は大変でしょうが、京美さんのような正義感のある方がニューヨークにいる人々の安全を守ってくれているのだと知ることができました。インタビューできてよかったです。
娘といる時間が限られるので、辞めようかなと思ったこともありましたが、当の娘から、「私が警官でいるほうが安心して暮らせるので、警官でいてほしい」って希望されました。きっとパトロールしている仲間に声をかけられたりしていて、娘のことを知っているので、常に警官に守られているって気持ちになるのでしょうね。なので、これからも警官を続けていくつもりです。
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ー京美ガイさんのプロフィール
三重県生まれ。結婚し渡米後にテキサス州で高卒の学歴をとった後、コミュニティーカレッジを卒業。2003年よりアメリカ陸軍でイラクに派遣された。2008年1月よりNYPDで警察官としてニューヨーク市のパトロール勤務をしている。
カンボジアの村で温鉄軍『中国にとって、農業・農村問題とは何か?―<三農問題>と中国の経済・社会構造』を読む
いまグローバル資本主義が百姓世界を飲み込み、中国でも「土地なし農民」が増えている。「土地がない」ばかりでなく、「仕事がなく」「社会保障がない」「三ない農民」が大量に輩出しているともいわれる。そのグローバル資本主義の先頭に立つのがいまの中国でもある。足もとで「土地なし農民」を作り出した中国資本主義は、アジア近隣諸国に押し出して、そこでも百姓世界を壊し、土地なし農民の大量生産を始めている。メコン川下りの旅で見たアジア百姓世界の解体とその背後にある中国資本主義の存在という現実に、温鉄軍「三農問題」はどう対峙するのか。この書評執筆のために旅先で読み込もうと、荷物にこの分厚い書物を詰め込み、カンボジアの田舎町のホテルの薄暗い明りの下で本書を広げながら考えたのは、そのことだった。
ー解体するアジア小農
東南アジア最大の大河メコンを下りながら流域の村々を訪ねる旅をはじめて4年になる。2008年は中国・雲南省から北タイへ入り、2009年はラオスを北の山間地帯から南部の都市パクセイまでを歩いた。そして2010年、パクセイから始めて陸路国境を越えてカンボジアに入り、メコンの流れに沿って村を訪ね歩きながらトンレサップ湖に向かった。中国、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを流れるメコン流域で、川の恵みをうけてくらす人びとは5000万人といわれる。その多くは農漁民だ。アジアの村を歩く二〇年の旅の集大成のつもりで始めたこのメコン下りで見たものは、農をなりわいとしてくらす百姓という社会階層が丸ごと消えていく、そんな光景だった。そして、その背後には中国の大きな影があった。
中国と国境を接するラオス北部では、村も農家の暮らしも生産も、もろに中国の影響下にあった。雲南省から来た業者に勧められて、村ごと裏山や畑をゴム園にした少数民族の村を訪ねた。中国から買い付け業者がやってきて生産を奨励、できたゴムを中国に運ぶ。ラオス政府と契約して50年間の契約で土地を確保し、ゴム園を始めた中国企業もある。ゴムを中国に売り、コメを中国から買う農民も出始めているということだった。ある村でスイカを路上で売っている行商の農民に出会った。中国の業者と契約栽培でスイカを始めたが、一定の品質以下のものは買い取ってくれないので、こうやって行商で売っているという話だった。
カンボジアはもっとすさまじかった。陸路をラオスからカンボジアに入ると、ここでは中国からの資本進出で設立された企業によるゴム、サトウキビなどの大農園が動き出していた。政府が許可した土地のリース契約の期間には99年というものもある。その土地で耕作していた農民はわずかな補償金をもらえたらいいほうで、なんの補償もなく土地を追われるケースも多い。中国の農地進出は近隣諸国だけでなく、アフリカ辺りでも顕著である。そしてそこには必ず土地から排除される地元農民がいる。
中国はいま巨大な矛盾が渦巻く小宇宙の観がある。まるで世界の矛盾の発信地のような中国だが、その中心にあるのが農業問題なのだということが、本書を読むとよくわかる。いまアジアの近隣諸国あるいは遠くアフリカの村で起こっていることは、中国農業問題の矛盾の輸出なのではないか、そんな問題意識で本書を読んでみた。
ー三農問題と百姓世界
本書の著者温さんは、現代中国が抱える矛盾の所在を都市と農村の二元構造社会」に求める。
「二元構造内部の土地と農村の対立矛盾とは、人口と資源とのバランスが緊張状態にあるところで、また短期的に工業化を完成させたプロセスが残したもので、中国社会における経済発展を制約する主要な体制矛盾である」
温さんは「改革」以前の中国の体制を「国家資本主義」ととらえる。国家資本主義のもとでの原初的蓄積過程とは、農村からの資源や収穫物の吸い上げと再配分に他ならなかった。その過程で、中国史上一貫して「コミュニティーの自治」として行われてきた「農村の社会的管理」が排除され、「政府のコントロール」が「農村に末端」に達する。こうして達成したのが、農村の膨大な労働力を無償で動員して社会資本を作り上げる「中国ならではの原初的蓄積」であった。その上に出てきた「改革・開放」は、土地を各戸に分配し、合作社が持っていた工業資産は株として分けた。これら一連の農村改革は「政府の農村と農業からの撤退」であったと温さんは社会科学院農村研究所のシンポジウムで報告し、論議を巻き起こした。2003年のことである。こうして農村から都市への巨大な人口移動が始まった。2004年になって政府は農業免税を打ち出し、さらに「新農村建設」を掲げて農村の社会資本充実に乗り出す。これは都市でだぶついた過剰資本のはけ口を農村に求めたことと、農村の市場化を狙ったものだったと私自身は理解している。
こうしてますます矛盾の塊となった中国農業・農村問題を、温さんは三農問題としてとらえる。三農問題とは,中国においては農民の抱えている問題は、農民,農村社会,農業の問題を統一的・総合的かつ重層的ににとらえなければ、問題の所在も本質も、解決策も見えてこないという提起である。1996年、温さんは「『三農問題』の世紀的省察」と題する論文を書き、いま(自分たちが直面しているのは)「農民の生計、農村の持続可能性、農業の安定」のいわゆ「三農問題」だと提起、「東アジア国家がもし、米国のように数百ヘクタールも所有する農場主(farmer)のあり方を私たちのように兼業化した小農経済を条件とする零細「農民」に当てはめ続けるなら、このような基本的概念の取り違えは必然的に一連の理論と政策との間のひどい齟齬を招くことになるだろう」と述べた。
この取り違えを1960年以降50年間続けてきたのが日本の農業政策である。小農・兼業・どんぶり勘定という百姓世界に、規模拡大・効率という論理を持ち込み、世界市場で勝てる“強い農業”という妄想に官も経済界もメディアもはまり込んで思考停止に陥っている状況をみると、温さんの「三農」という提起がいかに卓見であるかがわかる。
ー「三ない農民」の激増
いまグローバル資本主義がその百姓世界を飲み込み、中国でも「土地なし農民」が増えている。「土地がない」ばかりでなく、「仕事がなく」「社会保障がない」(『季刊ピープルズプラン研究』での武藤一羊氏のインタビューに答え)「三ない農民」が大量に輩出しているともいわれる。そのグローバル資本主義の先頭に立つのがいまの中国でもある。足もとで「土地なし農民」を作り出した中国資本主義は、アジア近隣諸国に押し出して、そこでも百姓世界を壊し、土地なし農民の大量生産を始めている。メコン川下りの旅で見たアジア百姓世界の解体とその背後にある中国資本主義の存在という現実に、温鉄軍「三農問題」はどう対峙するのか。この書評執筆のために旅先で読み込もうと、荷物にこの分厚い書物を詰め込み、カンボジアの田舎町のホテルの薄暗い明りの下で本書を広げながら考えたのは、そのことだった。
中国人民大学教授で、同大学農村農業発展学部各部長の要職にある温さんは、単なる学者ではなく、すぐれた実践家でもある。2003年からは、「協同」を基礎に新しい農村の建設を目指す「新郷村建設」の試みを展開した。2006年に、ピープルズ・プラン研究所企画でその現場を訪ねる機会があった。
温さんの運動の拠点であるジェームズ・イェン農村復興学院を河北省に訪ね、そこに集う若いボランティア青年たちと話し合うこともできた。「穏やかな改良」をめざすこの運動で、温さんが掲げているのは、「『グローバル資本化』のもたらす大転換の中で、大多数の中国人が生きる郷土中国の安定を維持する」ことだ。人々が安心して生きることができる農村建設、と言い換えてもよいと思う。
聞くところによると、当初は政府の「新農村建設」政策の流れに乗って順調に進んでいるかに見えた「新郷村建設」も、やがて政府から警戒されるようになった。農村に過剰資本を注ぎ込み、都市・工業の市場としようとする新農村建設と、人びとが生きる場としての農村づくりという穏やかではあっても社会改良をめざす温さんの実践とは、やはり相いれないものがあったのだろう。そして今、中国資本主義は国境を越えて近隣諸国の村を過剰資本の投資先として取り込んでいる。こうなった以上は、温さんの「新郷村づくり」も、国境を越えて、解体危機にあるアジアの百姓世界とつながってほしいと思う。(日刊ベリタより)
「公務員」「教育」と「政治主導」~論議呼ぶ大阪維新の会の条例案
少し日が経ってしまいましたが、記録の意味でも書き留めておきたいと思います。
大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」が8月22日、「教育基本条例案」と「職員基本条例案」の概要を発表しました。ともに9月以降、大阪府議会と大阪、堺の両市議会に提出する方針と伝えられています。このブログでも触れてきましたが、大阪維新の会は4月の統一地方選で府議会では単独過半数の議席を獲得。6月に府議会で、他会派を押し切る形で、いわゆる「君が代起立条例」(大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例)や府議定数削減の条例改正を成立させています。橋下氏は君が代起立条例に関連して、起立斉唱の職務命令に従わない教職員は段階を踏んで免職にすることを可能にする条例を設ける方針を当時から表明。今回の2つの条例案は、同一の職務命令に3回違反した場合は直ちに免職とする分限処分の基準も示しており、君が代起立条例の流れの上に出てきたとの位置づけができそうです。しかし、実際に出来上がった条例案のその内容たるや、君が代問題にとどまらず、政治主導で公務員制度を見直すとともに、教育に政治が深く関与し、自治体首長と教育委員会との関係を根本的に問い直すものになっています。選挙民の負託を受けている政治家(首長)が公務員の上位に立つのは当然で、教育と言えども例外ではないということでしょう。
これらの条例案が「個別の自治体の事例」の位置づけにとどまらず、公務員制度や教育のありように広く社会的な論議を呼ぶのは当然です。加えて、大阪では橋下氏が任期満了を待たずに知事を辞職することで、11月27日投開票の大阪市長選が知事選とのダブル選挙となる見通しになっています。橋下氏と大阪維新の会は、条例案が論議を呼ぶことは折り込み済みで、このダブル選挙で決着を付ける、ということのようです。自治体の首長自らが率いる政党が議会で単独過半数を占めている状況そのものをめぐっても論議はあります。
以上の状況から、これらの条例案について大阪発行の新聞各紙も大きく報じました。朝日新聞、読売新聞は22日の発表当日の朝刊でも、発表に先駆けて条例案の概要を詳しく報じています。以下に各紙の扱いと主な見出しを書き留めておきます。
【22日付朝刊】
▽朝日
本記:1面準トップ3段「首長に教育委員罷免権/維新の会、教育基本条例素案/モンスター親の要求禁じる」 表・教育基本条例案の骨子
サイド:第2社会面3段「教育管理 橋下流鮮明/『政治と一体化』懸念も/維新の会条例案」
▽読売
本記:1面トップ4段「最低評価連続で免職も/幹部 庁内・民間から公募/維新『職員』『教育』条例案全容/大阪府・市、堺市議会提案へ」 表・2条例案の主な内容と処分例
【23日付朝刊】=大阪維新の会の発表を受けて
▽朝日
本記:1面中3段「橋下流ダブル選へ集大成/維新、教育・職員条例案を公表」
サイド:総合面(3面)4段「政治主導の教育こだわり/橋下氏、教委の裁量に対抗」「都構想と連動 争点化を狙う/秋のダブル選」「期待『競争原理で緊張感出る』/動揺『学校は数字で測れない』」 年表・橋下知事の教育行政
素案の要旨:第2社会面
▽毎日
本記:1面中4段「人事評価5段階で/『職員』『教育』条例案を発表/維新の会」
サイド:社会面トップ4段「強制や処分…広がる懸念/基準明確化に評価も/維新の会 2条例案概要発表」 表・2条例案の主な内容
識者談話:社会面「身分安定効果に期待」(元最高検検事の土本武司・筑波大名誉教授)「子どもの権利奪われる」(文科省出身の寺脇研・京都造形大教授)
▽読売
本記:社会面トップ4段「明確な処分基準共感/学校現場の混乱必至/『職員』『教育』条例案/有識者ら賛否」 表・2条例案の主な条文と専門家らが指摘する論点
サイド:社会面中3段「『民意反映する形に』維新議員が会見」
▽産経
本記:総合面(2面)3段「教育に政治関与明記/維新、2条例案を発表」 表・2条例案の概要
サイド:第2社会面4段「割れる賛否 激論必至/『公務員もクビ可能』『教育に民意反映』/維新2条例案」
▽日経
本記:社会面準トップ4段「教育、政治関与強める/条例案提出を正式表明/維新の会」 表・教育基本条例案の主な内容と処分例
識者談話:社会面「めざす目標は良い」(竹内洋・関西大教授)「イエスマンの懸念」(内田樹・神戸女学院大名誉教授)
このほか、関西の代表的な地方紙である京都新聞、神戸新聞も23日付け朝刊で共同通信の配信記事を1面に掲載しています。
条例案の論点が多岐にわたることは、各紙の見出しを概観するだけでも分かると思います。今後、議会の論戦、さらには11月のダブル選挙に向けての候補擁立と公約策定が進む中で論議は深まるでしょう。論点が本質の部分で、つまり地方自治の中での「政治主導」「政治関与」とは何なのかについて、橋下氏側の主張とそれに反対する側の主張がそれぞれ整理されることを期待しますし、その過程でマスメディアは重要な役割を負っていると思います。高い支持を誇る橋下氏の言動は注目を受けやすいのですが、橋下氏の一言一句を追うことに終始することなく、多様な意見、見方を広く取り上げるべきでしょう。
今後もこの「大阪秋の陣」は、折に触れこのブログでも触れて行こうと思います。
※参考過去エントリー
これまでもこのブログで何回か、橋下氏と大阪維新の会について書きました。参照いただければ幸いです。
▽「大阪維新の会」君が代起立条例の報道に差(2011年5月29日)
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110529/1306642945
▽日の丸・君が代、起立斉唱の職務命令に「合憲」判断は出たが(2011年6月2日)
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110602/1306968234
▽君が代も定数削減も押し切った大阪維新の会~橋下氏「新しい地方議会」(2011年6月5日)
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110605/1307280545
※神戸女学院大名誉教授の内田樹さんが自身のホームページに、大阪維新の会の条例案に批判的な観点から論考を発表されています。かなりの長文ですが、参考になる点も多いと思いますので紹介します。
内田樹の研究室「教育基本条例について」(2011年8月22日)
http://blog.tatsuru.com/2011/08/22_1258.php
(ブログ「ニュースワーカー2」より)
9月30日に東京で学習会「福島原発事故から考える~国家と犠牲」
案内をいただいた集会の紹介です。
4団体(MIC、JCJ、マスコミ関連九条、自由法曹団)学習会
「福島原発事故から考える~国家と犠牲」
▽基調講演:「福島原発事故から考える~国家と犠牲」
高橋 哲哉(東京大学大学院総合文化研究科教授)
プロフィール:1956年生まれ。福島県出身。専攻は哲学。近年の研究テーマは、共同体や宗教における犠牲(sacrifice)の論理の批判的検証。大学では、社会哲学、倫理学、表象文化論、人間の安全保障などの科目を担当。主な著書に『靖国問題』、『国家と犠牲』、『戦後責任論』。また今回の福島原発関連の発言・寄稿では『フクシマの犠牲と「人間の責任」」~震災・〈フクシマ50〉の「犠牲の論理」』(POSSEvol.11 編集部インタビュー)、「原発という犠牲のシステム」( 朝日ジャーナル 原発と人間 2011年 6/5号 寄稿 )、「日本のありようがまるごと問われている」(『世界』2011年8月号、高史明との対談)。
▽特別報告
○日時:9/30(金)18:30~20:30
○場所:文京区民センター2-A会議室
アクセス:地下鉄 春日(大江戸線、三田線)、地下鉄後楽園(丸の内線、南北線)、JR(水道橋)
○資料代:500円
○主催:MIC(マスコミ文化情報労組会議)、JCJ(日本ジャーナリスト会議)、マスコミ関連九条の会連絡会、自由法曹団 の4団体
○問合せ:MIC:03-3816-2988) ※予約の必要はありません。会場に直接お越し下さい。
(ブログ「ニュースワーカー2」より)
英国やNATOが、今後、どこまでリビアに関わるか?
今、英国にいると、「ここは中東か?」と思うほど、リビア情勢に関する報道が多い。
特に反体制軍が首都トリポリに入ってからは、「反体制側の勝利」、「英国及びNATO側の介入が功を奏した」という、勝利感みなぎる論調が続いた。ところが、カダフィ大佐がなかなかつかまらないので、次の山場が見つからず、新聞各紙は1面の見出しをいかに劇的にするかに頭を悩ませているようだ。
英エコミスト誌は、「デービッド・キャメロンの戦争」と題するコラムで、キャメロン首相のリビア戦での決断に一定の評価をしている。
http://www.economist.com/node/21526887
国連決議の「リビアの国民を守る」という範囲内での軍事行動(空爆のみ)を維持しながら、反体制軍のトリポリ掌握まで実現させたからだ。また、空爆は米国の協力がなければ成功しなかったとしながらも、ブレア政権のときのように、米国のために他国で軍事行動を起こさなかったキャメロン首相。この「成功」には「偶然」という要素も介在していたが、今後も、(ほかの地域で)同様の介入がありそうだ、と締めくくる。
NATOあるいは英政府が、今、避けようと(あるいはそのふりをしている)している事態とは、リビア国内に軍隊を送ること、そして新政権樹立までの混乱期にリビア政治に深く関わり、状況が泥沼化して抜け出られなくなることだ。2003年のイラク戦争、あるいは2001年に武力攻撃を開始したアフガン戦争のような状態は何としても避けたい、と(あるいは、「避けたいと思っている」と英国及びリビアの国民に信じさせたい、と)思っているのである。
そこで、ヘイグ英外相など、閣僚などは「リビアの今後はリビア国民の手で行うべき」という言葉を繰り返すことになる。
しかし、本当に「一切関与しなくなる」かというと、大いに疑問である。トリポリでの反政府派と政府派との戦いの様子が大々的に、かつ延々と報道されると、「治安維持のためには、やはり現地に軍隊を送らなければ」という論法が出てくる可能性がある。「リビアの新政府(あるいは反体制派による暫定政府)から、強く依頼されたので」軍隊を派遣する、という説明も出てこないとは言えない。
「もし」そうなると、リビアの状況は、英国が関与したことで、関与しなかった場合よりも悪化する可能性があるーーイラクやアフガニスタンのように。いつまでも英国の関与が続き、それ自体が中東諸国から反感を買うばかりか、英兵の犠牲者が出て、かつ軍事費負担が増える。英国にとっては、良くないことばかりなのである。ただし、「国際社会で英国の力を示したい」(あるいは「利権を拡大させたい」)と考える、英国の一部の政治家などは、むしろ関与したい、と考えるだろう。
リビア情勢の注視どころの一つは、「近い将来、リビアにNATOや英国あるいはフランスなどが深く関与するかどうか(つまり、地上に軍隊を送るのか、送らないのか)」になってくる。
私自身は、英仏が主導した、リビアに対するNATO軍の空爆の様子を、恐ろしさを持って見ていた。反体制軍に武器を提供していた、という報道もあった。8月26日付のテレグラフ紙報道によれば、国連が、凍結されているカダフィ政権の資産の中で、10億ポンド分を反体制軍・反体制政治勢力に提供することで合意した、とあった。すでに、反体制の政治勢力をリビアの正統な政府と見なす国が30カ国以上あるという。カダフィ大佐の周りがどんどん固められていることが見えてくる。
もちろん、私はカダフィ大佐による圧制が続くべきだと思っていたわけではない。しかし、政府シンパの人が「内政干渉だ」というのも一理あるように聞こえるほど、国際社会という名がついた他者の手によってリビアが支配されてゆく様子は、かつての欧米列強による植民地の分割競争に重なって見えた。
タイムズのコラムニスト、マシュー・パリスが、「私たちは何とか切り抜けた。向きを変えるときが今だ」と題する記事を書いている。(有料購読制の記事。)
http://www.thetimes.co.uk/tto/public/profile/Matthew-Parris
要旨は、最初の段落にある。「目をそらせ。理解しようとはしないことが大事だ。私たちはリビア情勢に関して何の支配力もなく、リビアの最善の将来が何であるかを推測する力もなく、最も残酷で最も危険な状況を生み出すことへの影響力があるだけだ」。
パリスは、これまでに、多くの専門家がアフガニスタンの政治及び軍事状況に関わる予測をたくさん出したが、結果的には完全にずれていたこと、唯一当たっていたのが、「最終的にはひどい壊滅状態になる」ということだけだったと指摘。リビア情勢では「全てが変化し続け、長くは維持しない」ので、「誰がベンガジやトリポリでどうした、あるいは政治勢力の名前や読み方を覚えること」に躍起にならなくてもいい、と主張する。
もしリビア(の新勢力が)英国からアドバイスがほしい、どうやって民主主義体制を作り上げるのかを教えてほしいというならば、「アドバイスを提供するべきだが、資金援助を頼まれたら、きっぱり断るべきだ」。もし「(軍事)介入を請われたら、ノーというべきだ」。リビア情勢が悪化すれば悪化するほど、NATOも英国もリビアから「背を向ける時期なのだ」、と書いている。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)
土壌中の放射性セシウム 想定より速く浸透 郡山市の水田での調査で判明
土壌に降り注いだ放射性セシウムの地中への浸透が、従来の想定より速いことが、郡山市の水田での試験で分かった。まもなく収穫期を迎える稲作農家にとってはショックな結果で、これから長く続く汚染とのたたかいに新たな課題を投げかけてる。(日刊ベリタより)
この試験は東京大学と福島県農業総合センターが共同で行った。放射性セシウムの地中への浸透速度は、従来の研究では0.001倍(水の1000分の1)程度とされていた。しかし今回の試験で水の0.1ー0.2倍(10分の1から2)と判明。想定よりはるかに高い数値が出た。
5月下旬に行った調査では放射性セシウム134と137の96%は地表から5センチまでにとどまっていた。しかし今回の検査で、一部が深さ約15センチまで浸透していることがわかった。
また、郡山市にある同研究センターの水田や畑から採取した土を、普通の水や肥料成分入りの水でかき回したところ、セシウムが溶け出すのは約20%で、残りは土壌中に土と結合して残った。このことは、田畑の土壌中に浸透したセシウムを水などで流し出すのは困難だということを示している。土壌汚染対策では、表土の撤去を放射性物質が表面にあるうちに早くやる必要があるようだ。
シェルの原油汚染で、ナイジェリア・ナイジャーデルタの水や農漁業に深刻な打撃 国連調査で明らかに
石油会社シェル社は、ナイジェリアのナイジャーデルタ地域に壊滅的な打撃を与えてきた。ナイジャーデルタの一角を占めるオゴニランドへの原油汚染の影響に関する国連の報告書を受けて、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは「原油による汚染は広範にわたった深刻なものであり、何十年もの間、ナイジェリアの人びとが苦しんでいたことが明らかになった」と述べた。国際連合環境計画の報告は、ナイジェリアにおいて初めて行われたものであり、2年に及ぶ詳細な科学敵調査に基づいている。(「アムネスティ国際ニュース」から。日刊ベリタ)
「今回の報告書は、シェル社がナイジャーデルタに甚大な被害を与えたことを証明しました。しかし、同社が何十年にもわたって被害を無視し続けたことや、国際基準に即して最善を尽くしていると偽って主張してきたことに対する責任の追求はみられません」と、ナイジャーデルタにおける人権への影響について調査した、アムネスティのグローバル・イシュー担当ディレクターであるオードリー・ゴーグランは述べた。
ナイジェリア政府からの要請を受け、シェル社の費用で賄われた本報告書は、アフリカにおいて最も多様な生態系をもつナイジャーデルタに暮らす人びとに原油汚染が及ぼす壊滅的な影響を示す、動かぬ証拠となっている。
本報告書は、現地における生活様式や食料資源を破壊するに至った、原油汚染による農業や漁業の損害を検証している。最も深刻な事実は、コミュニティにおける深刻な健康リスクを露呈した飲料水の汚染の度合いだ。
一つの事例では、地域の水に世界保健機関の基準を900倍上回る発ガン物質が含まれていることが確認された。国連環境計画は、緊急にコミュニティに危険を警告することを推奨した。
本報告書は、何年も前から、石油汚染へのシェル社が組織的な対応を怠ったことを白日のもとにさらした。国連環境計画は、シェル社が浄化したと主張する地域が、国連環境計画の専門家による調査に基づくと汚染が続いているということを明らかにした。
「シェル社は非を認め、自らが起こした汚染への対処をしなければならないという事実を直視しなくてはなりません。汚染の現場において、シェル社が最も影響力のある要因であるにもかかわらず、他社に責任をなすりつけることは、もはや通用しないのです」と、オードリー・ゴーグランは述べた。「シェル社が真実や正義をないがしろにし、企業のイメージを守ることに専念している限り、ナイジャーデルタにおける汚染に解決策はありません」
本報告書はさらに、ナイジェリア政府がシェル社のような企業を規制し、管理することができなかったことを明らかにしている。国連環境計画は、ナイジェリアの規制は脆弱であり、ナイジェリアの石油汚染を調査する機関がしばしば石油会社と密接な関係があることを明らかにした。
ナイジェリア政府、石油企業、そしてイギリス政府やオランダ政府など、シェル社のような石油企業の出身国の政府は、ナイジャーデルタの石油採掘から利益を得てきた。彼らは今、社会的、そして環境的な再生を支援すべきだとアムネスティは述べた。
「本報告書は、機関投資家たちにも注意を促すものとなるでしょう。これまで、企業の利益追求を優先するシェル社との関係を重んじるあまり、投資家たちは真実から目をそらしてきました。しかしこれからは、ナイジャーデルタにおける汚染を除去することを、投資家たちは企業に求めていくことでしょう。このことはすなわち、シェル社が原油を垂れ流すことを防ぐとともに、すでに影響を受けた人たちへの補償をし、彼らの及ぼした影響についてより正確な情報を明らかにするよう、プレッシャーをかけることにつながるのです」と、オードリー・ゴーグランは述べた。
ナイジャーデルタのオゴニランドには、非合法の精製などによる、比較的新しい類の汚染もあるが、汚染の主要な原因は、何十年にもわたるシェル社の怠慢であると国連の報告書は指摘している。
2008年にオゴニランドで起った、2つの大規模な汚染の損害賠償の責任をシェル社が負うことが、2011年8月3日に広く報道された。現地のコミュニティの生活様式に深刻なダメージを与えた、ボーデにおける汚染は、およそ3年経った今でも浄化されていない。
1958年、ナイジェリアのオロイビリにおいて、シェル・ブリティッシュ・ペトローリアム(現ロイヤル・ダッチ・シェル)が原油を発見して以来、石油企業はナイジャーデルタで商業生産を開始した。今日、石油産業はナイジャーデルタに莫大な土地を所有している。シェル社単独でも、3万1000立方キロメートルの敷地を有する。
石油と天然ガスの産業部門は、ナイジェリアの貿易黒字の97パーセント、そして政府の収入の79.5パーセントに相当する。1960年代以降、石油は6000億ドル以上を生み出してきたと推定される。
ナイジャーデルタにおける石油企業は、ナイジェリア政府とシェル社、エニ社、シェブロン社、トタル社、そしてエクソンモービル社などの多国籍企業、またいくつかのナイジェリア企業からなる。
国連開発計画によると、この地域に暮らす60パーセントの人びとが、自然環境に依存しながら生活している。
国連開発計画によると、1976年から2001年の間に6800件以上の原油の流出が報告された。それは、300万バレルの損失に当たる。多くの専門家は、明るみに出ないが、実際はの流出量はもっと多いであろうと推察している。
ナイジェリアの規制は、石油企業は流出した石油を浄化しなくてはならないと定めている。しかしながら、この規制には強制力がない。
ーオンラインアクション
ナイジャー・デルタ:石油企業による汚染の浄化を
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=3907&frmtp=1
ー関連ニュース
ナイジェリア : 原油流出に関し不当な数字を発表したシェル社を非難
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=909
親を悩ます子供のセクスティング Newslog USA
最近の米世論調査では、10代の子どもをかかえる親の心配事トップ10に、学校でのいじめや薬物乱用に加えて「セクスティング」が加わった。セクスティング(sexting)は、裸像などプライベートな画像を携帯などから送信することをいう。数年来この言葉はネット上で聞かれていたが、最近中高生の間で広がり問題となっている。
セクスティングは、コンサイス・オックスフォード英語辞典に、今年リツイート(retweet)やサイバーいじめ(Cyberbullying)などと一緒に新語として収録されている。
ミシガン大学は「児童の健康」世論調査を行い、親の心配事トップ10を最近発表した。順位としては、肥満、薬物中毒、喫煙、10代の妊娠、いじめ、ネット安全性、ストレスと続き、飲酒・運転事故・セクスティングが同8位に並んでいる。
また、ソフトウエアー会社スペクター・ソフトの調査では、多くの親は通信費を払うので、子どもたちのPCや携帯活動を知る権利があると思っている。調査では88%の親が携帯を時折チェックしているという。特に子どもの学期が始まると、より神経質になる親が多いようだ。
新学期に合わせたかのように、17日バーモント州ミルトン警察は、22人の高校生が学校のPCを使いセクスティングに参加していたと発表した。調査に6か月間を要したという。
米紙ABCニュースによると、5人の男子生徒が女子生徒に、いかがわしい画像を共有のメールアドレスに送るよう誘いかけたのが始まりだった。まず17人がそれに応えた。30以上の画像やビデオは、他の男子生徒に転送されていった。結局画像が広がっていくのに恐れを抱いた女子生徒が学校に泣きつき、セクスティングの全容が明らかになった。
女子生徒たちは未成年なので、これらの画像は児童ポルノと考えられるという。しかし、入手した方も18才未満ということで、ミルトン警察は刑事罰には問わず、処遇は同市の地域委員会に託され生徒たちは社会奉仕活動をすることとなった。
このような報道がなされるにつれ、親の間ではより不安は募る。中高生は確かな認識、判断力に欠け、セクスティングがもたらすかもしれない事態について十分把握できないからである。
しかし、上記の親の心配事リストを見る限り、10代の妊娠を除いては、子供への心配事というより親世代、ひいては社会全体が抱えている問題といえる。上位を占める肥満や薬物中毒は、政府機関が脱肥満、脱薬物を呼びかけているが解消できていない。
子は親の鏡。親がネットで無料アダルトビデオを見ている状態で、どのように子供を規制していくのか、簡単にはいきそうにない。(ブログ「Newslog USA」より)
「リビア、反体制勢力は分裂」、「戦いはこれで終わるだろうか?」とコックバーン記者
リビアでは反体制派軍が首都トリポリ入りし、英テレビのインタビューなどで、複数の市民や反体制派軍関係者らが、「これで自由になった」「カダフィ大佐の40数年の支配が終わった」と喜びの声を上げている。
しかし、喜ぶのはまだ早いかもしれない。英インディペンデント紙の中東専門記者パトリック・コックバーンが、22日付の紙面で「幸福感漂うが、抵抗軍側は分裂している」と題する記事の中で警告している。
Despite the euphoria, the rebels are divided
http://www.independent.co.uk/news/world/africa/despite-the-euphoria-the-rebels-are-divided-2341792.html
リビアの反体制派勢力はこれまで、北東部ベンガジを根城にして力を拡大させてきたが、数ヶ月前から英メディアが発していた問いが、「一体、誰が指導者になるのか」「カダフィ政権の後を継ぐ準備は万端なのか」であった。それに対して、非常に希望に満ちた市民たちが「大丈夫」「ちゃんとしている、心配しなくて良い」と答えていたのが印象に残っていた。
コックバーン記者の記事から、若干抜粋すると
「リビアの将来の鍵を握るのはカダフィ体制がどのように崩壊するかによる。果たして逃亡するのか、姿を消してまた戦うのか、あるいは逮捕されるのか、最終的には殺されるのか?」
「カダフィに戦い返すほどの力が残っていないとしても、抵抗勢力にもそれほど力があるわけではない。北東部ベンガジから侵攻途中、3月には負けていたのが、NATOの空爆で助けられた経緯があるからだ。今回、トリポリに入ることができたのも、NATOから戦略上の支援を受けていたからだ」
「現在、反体制派組織『国民評議会』(TNC=Transitional National Council)が、世界の30カ国(米英を含む)から、リビアの正式政府として承認されているという驚くべき事態が生じている。しかし、首都に入ってきた反体制派軍がこの組織を正式な政府と見なしているかというと、疑問だ。ミスラタで長い間戦ってきた反体制派軍の戦士の中には、『従う気はない』という人もいる。反体制派勢力は大きく分裂している」
「数週間前(7月末)には、反体制派の軍司令官アブドルファッターフ・ユーニス・オベイディ氏が、武装集団に襲撃を受け、拷問をされた上、殺害されている。TNC幹部は、ユーニス指揮官の死因を十分に調査できなかった、TNCの『臨時内閣』を解散させている。これはおそらく、指揮官が属する『オベイディ』(Obeidi)族が指揮官の死について説明を求めたからだろう」
「カダフィが負けたのは確かだが、果たして勝ったのは誰なのか?」
「半年ほど前に、リビアの一般市民を守るという名目で、フランスと英国が軍事介入したが、これはすぐに『体制交代のための軍事行動』に変わっていった。一旦介入が始まったら、NATOはカダフィが政権を退くまで、軍事手段に訴え続けるしかなくなった。もしNATOの助けで、反対派勢力がここまでカダフィを追い詰めたのなら、カダフィ政権崩壊後も、NATOはリビアの新体制の下で何らかの役割を果たすのだろうか?」
「思い起こせば、イラクのサダム・フセイン大統領だって、それにアフガニスタンのタリバン勢力も、国民には不人気だった。しかし、だからといって、フセインやタリバンに代わって政権を取れる野党勢力が存在していたわけではなかった。イラクでもアフガニスタンでも、まもなくまた戦いが発生し、外国の軍隊は占領軍と見なされるようになった」
「外国の軍事力によって、リビアの反対派勢力はここまで来たーーイラクやアフガニスタンのときのように」
「カダフィが去るだろうことは分かったが、これがリビアの中で本当に戦いが終わったことを意味するのかどうかは、まだ分からない」。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)
『山びこ学校』を読み返す 改めて「貧しさ」と「豊かさ」を考えてみた
暴走中の原発がある福島県浜通りの村々を語るとき、多くの人が「貧しさが原発を呼んだ」という。そうした言葉の背景には、成長や開発、モノとカネがあることが「豊か」なのだという価値観がある。その価値観を疑うことからしか、原発被災地を含む地域の再構成はありえないのではない、という問題意識にずっととらわれている。敗戦直後の東北のムラの「貧しさ」を子どもたちの目で記録した『山びこ学校』を改めて読みなおしてみた。
『山びこ学校』の初版は1956年に青銅社という出版社から出た。すぐにベストセラーになり、五年後百合出版から新版が出ている。その後角川文庫に収録され、いまは岩波文庫で読める。岩波文庫に入ったのは、敗戦50周年にあたる1995年である。現在までに18刷りを数えている。
わたしがこの本に出会ったのは四国山脈の真っ只中の小さな小学校の4年生のときであった。戦争未亡人となった母親が子ども三人を連れて親を頼ってふるさとに帰り、地元の小学校に職を得て養護教諭をしていた。その本棚にあったのを見つけ、引き出してページをめくった。愛媛県上浮穴郡参川村西小学校。村も学校も統廃合で今はない。村は県都松山市からバスで半日、県道が尽きるとことにあり、そこから山道を歩いて山越えすると高知県に入る。山また山の山村で、猫の額ほどの耕地しかなく、村人は炭焼きや国有林からの木出しなど主に山仕事で暮らしをたてていた。
母親の本棚から引き出した本は、山形県の農村の中学二年生の作文集で、山形弁にルビがふってあって、とても読みにくいものだった。それでも活字に飢えていた子どもだったわたしは、折りに触れてページをめくっていた。最初のページにあった版画と短い詩のような言葉が印象的でいつまでも頭に残った。葉を落とした雑木が何本か手前に書かれ、その後ろに民家があり、何かを背負った人が小さく見える。そのすべてが雪に埋もれている。そして、「雪がコンコン降る/人間は/その下で暮らしているのです」という文章が添えられていた。
山形県がどこにあるかも知らなかったし、雪の下での暮らしも想像できなかったが、拾い読みするこの本に書かれた人たちの暮らしの、なんと我が村と似ていることか、そんな驚きもあった。山形県山元村。いまは上山市になっている山間の村の中学校に師範学校をでたばかりの新任の先生がやって来た。この本の編者無着成恭である。
彼は、東北の山村の子どもたちをとりまく状況をありのままに書くことで、社会をきちんと、客観的につかみ取る力を子どもたちにつける綴方(つづりかた)教育を社会科の授業に取り入れる。戦前、多くの弾圧にさらされながら各地で教師たちによって取り組まれた生活綴方運動の流れを受け継ぐ新しい時代の若い教師の実践であった。
炭焼き、炭出し、縄ない、わらじづくり、葉煙草のし、畑仕事、薪とり、わらびとり、と子どもたちは実によく働く。いまなら確実に児童虐待といわれかねないほどだ。そうしないと一家は食べていけないからだ。中学生ともなると一人前の働き手として扱われ、仕事の合間に教科書でも開いていようものなら、たちまちかみなりが落ちてくる。そんななかで、子どもたちは生き生きと日々の労働を、父のとこ母のことを、遊びを、父が死んで一家離散するようすを、都会に働きに行った姉が病気になって死んだ事を、自分の言葉で書いている。
戦後まもなくの東北農村の貧しさを、子どもの目を通して人びとは知り、感動して、この本はベストセラーになった。この本に収録された作文を読んで思ったのは、とても冷静にきちんと物事の本質をとらえている子どもたちの目である。炭焼きを木切りから売るところまで書いた共同制作の作文がある。炭の原木は30年間隔で伐るのが、山にもよいということで、ずっとそれが守られてきていた。ところがそれができなくなった。親たちの会話は紹介される。
「もう切る山がないなあ。三十年輪伐が戦争でめちゃくちゃになってしまった」
「そうだそうだ。なんぼ若くとも、十五ねんぐらいの山でも切らんなねな」
「切れば下流では洪水がおきるというし。切らねば俺たちが死んでしまうしな」
切った木をだし、割り、小屋をかけ、炭を焼き、釜から出し、俵に詰め、どんな子どもでも二俵は背負い、山を降りた。そして朝早く起き、背中に背負ったりそりに乗せて、町まで炭を売りに行く仕事にも、子どもたちは参加した。
「協同組合に入れると安いからなあ。自分でひっぱっていくと、二十円ずつもうかるからなあ。それに現金がすづてにはいるのだもの」
「農業協同組合がもっとしっかりしていればなあ。統制がとけるとすぐ組合よりも商人が五円位高く買ってくれるので、みんなが自分の組合をさておいて、商人の方だけに持って行くようになったのだ」
山びこの子どもたちは生活を記録するなかで、社会の現実や矛盾をしっかりとつかむ。無着先生の学級の級長だった佐藤藤三郎さんとは、農業記者になった1963年にお会いし、それ以来親しくさせてもらっている。彼は、定時制の地元農業高校を出て、百姓として生き抜き、たくさんの本を書いて、村から百姓の感じ、思想を発信してきた。よく光る眼も、社会を見据える論理の確かさも健在である。(日刊ベリタより)




