12月3日に上智大でシンポ「調査報道をどう進めていくか」

11.10.30 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, メディア

案内をいただいたイベントのお知らせです。

<シンポジウム>

調査報道をどう進めていくか

「3・11」の大震災に伴う福島第一原発の災害をめぐっては、「大本営発表ばかりの報道だった」などの激しい大メディア批判が沸き起こった。その一方で、「ジャーナリズム復権のためには、発表報道を克服して調査報道を重視すべきだ」との認識や動きも確実に広がっている。

調査報道の現状はどうなっていているのか。課題は何か。可能性をどう広げ、豊かにしていくか。関わってきたジャーナリストや研究者が縦横に議論する!

基調報告/調査報道を阻むもの:当局との二人三脚をどう断ち切るか

高田昌幸(ジャーナリスト、元北海道新聞報道本部次長)

シンポジウム/調査報道をどう進めていくか:課題と可能性を探る

依光隆明 (朝日新聞特別報道部長、元高知新聞社会部長)

太田昌克 (共同通信社編集委員)

小俣一平 (東京都市大学教授、元NHK社会部担当部長

田島泰彦 (上智大学教授)

コーディネーター=橋場義之(上智大学教授)

と き:12月3日(土)13:30~16:30(開場13:00)

ところ:上智大学 2号館508教室 JR、地下鉄四ッ谷駅下車

主 催:調査報道シンポジウム実行委員会

連絡先: FAX 03-3238-3628(上智大学・田島研究室気付)

chosahoudou@gmail.com

※なお、参加に際しては、資料代として500円をお願いします。

協 力:花伝社(『調査報道がジャーナリズムを変える』本年5月出版)

旬報社(『権力vs調査報道』本年10月出版)

平凡社(『新聞・テレビは信頼を取り戻せるか: 調査報道を考える』本年11月出版予定)

(ブログ「ニュースワーカー2」より)

 

十年ぶりのピョンヤン(1) パラソルと携帯

11.10.29 by   カテゴリー: メディア, ルポ, 世界の窓

ほぼ十年ぶりのピョンヤンだった。1990年代末から2000年代初め、相次ぐ天災やら経済の停滞やらで、北朝鮮の困難が続いていたとき、3度連続して訪れ、以来十年が過ぎた。8月末のピョンヤン。ショーウインドーの町をちょっと見たくらいで、この国の現実が分かるわけはないのだが、街の通りを見て、やはり十年がたっているのだな、という印象を受けた。

夏だということもあるのだとは思うが、通りに色彩があった。十年前は、モノトーンで男も女も若い人も年寄りも、みんな早足で黙々と通り過ぎていた。いま、通りの女性の見た感じ8割方は色とりどりのパラソルをさし、その色に合わせるように来ているものもそれなりに色彩豊かなのだ。色の豊かさと歩調は反比例して、足取りもどことなくゆったりしていた。

携帯電話の普及ぶりにはびっくりした。ホテルのロビーでぼんやり座っていると、携帯を耳に当てて何事かを話しながら足早に過ぎていく男性、片隅で携帯に話しかけている女性、などなどが目についた。数えてみると、5人に3人は携帯を使っている。外国人は空港で携帯は預けさせられるから、みんなこの国の人とみてよい。(日刊ベリタより)

 

 

 

波津先生のお勧め番組 -土曜日午後3時から 「NHKスペシャル 原爆投下 活かされなかった極秘情報」

11.10.29 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, 文化

(大妻女子大でライフデザインを教える、波津博明先生が28日付で学生に出したメールの一部を紹介しています。)

今週はいろいろ忙しくて、結局平日の番組案内を全く送れませんでした。

週末の案内です。今回は明日、必見ものの番組が再放送されます。是非ご覧下さい。特に、きょう「地球市民論」の授業で、この番組の存在を知った4年生は。

次にお勧めは、日曜日のNHK教育テレビ「ETV特集 果てしなき除染 南相馬市からの報告」です。

●は、とくにお勧め。◎は必見です。

29日(土)
◎◎◎午後3時5分 NHK総合テレビ 「NHKスペシャル 原爆投下 活かされなかった極秘情報」(再放送)
※これは、◎を3つ付けました。午後3時という中途半端な時間ですが、外出予定をキャンセルしても、見るべき番組です。録画は絶対お勧めです。

広島、長崎の原爆について、我々は、日本軍がすでに防空力を完全に失い、戦闘機による迎撃も、高射砲による砲撃もできなかったところへ、悠々とB29が飛んできて、原爆を落として去った、というイメージを持っています。事実は全く違います。日本には迎え撃つ力はまだ残っていた。その気になれば、強力な戦闘機で米軍爆撃機を撃墜することも可能でした。しかも、特殊任務についている奇妙な爆撃機の群れがサイパン、テニアンの基地で動いていることは、日本側が逐一把握していました。アメリカと競うつもりで自ら原爆を開発していた日本軍が、この奇妙な戦隊の性格を全く知らなかったということは考えにくい。

しかし、なぜか、原爆攻撃機の襲来を日本は黙って迎え、原爆投下後でさえ、出撃命令を出していない。なぜか。終戦前後、日本軍はほとんどすべての文書を焼いて、自らの責任の証拠を隠滅しましたから、なぜ日本軍が、事前に知っていた原爆攻撃を黙認したのか、もはやわかりません。

しかし、長崎近くの大村飛行場の基地にいた日本軍戦闘機のパイロットは、今、インタビューに答えていいます。「出撃命令さえ出ていたら、あのB29は、落とせた。なぜ、出撃を命令しなかったのか」

番組では、あまり言及されませんが、長崎ではさらに、決定的に奇怪な事実があります。8月9日、米軍は、当初同じ九州の小倉に原爆を投下する予定でした。小倉に投下しなかったのは「天気が悪かったから」といわれますが、実は、小倉防衛のために、このB29の編隊に、日本軍は激しい対空砲火を浴びせ、戦闘機を出動させています。この反撃に、B29は、あわてて長崎方面へ逃げます。
ではなぜ、長崎防衛のために、大村基地の戦闘機を出動させなかったのか。

番組で、この問題に疑問を持った人には、本を1冊、すすめます。古川愛哲さんの「原爆投下は予告されていた」です。表紙の写真を添付します。講談社から出ています。1500円。古川さんは、日本軍の特殊情報部が米軍の動きを知っていただけでなく、何日も前から、米軍機が、新兵器を投下するから避難するよう、広島の市民にはビラを投下して警告しており、一部の市民は事前に、とんでもないことが起きると予想できていたといいます。政府、軍は米軍のビラを「デマ」として、読むことを禁じ、拾ったらただちに警察に届けるよう命じていたため、100人に1人くらいしか読んでいないが、それでも、相当な数だったといいます。ところが、なんと、軍は広島市民に避難を禁止して、被曝させ、一方、軍幹部は大半が無事だったというのです。古川さんは、軍幹部は、原爆投下を予想して、事前に逃げたのではないか、とも推理しています。日本軍ならやりそうです。

午後9時 NHK総合テレビ 「五感の迷宮 脳が作る錯覚の世界」
●午後11時 NHK教育テレビ 「スコラ 音楽の学校 坂本龍一 ドビュッシー、サティ、ラヴェル①」
午後11時 NHK総合テレビ 「東京カワイイTV 白熱! 中国の可愛ウォーズ」

30日(日)
午前8時 TBS サンデーモーニング
●午前10時 テレ朝 「報道ステーション SUNDAY」
午後0時 NHKBSプレミアム 「BS歴史館 戦国の真実②独眼龍 伊達正宗」
午後8時 NHK教育テレビ 「日曜美術館 ロートレック」

◎◎午後10時 NHK教育テレビ「ETV特集 果てしなき除染 南相馬市からの報告」
※NHKの良心、教育テレビ取材班が伝える、福島現地の現実。今回はどこまで事実に迫るか。

原発問題は、新聞は東京、テレビはNHK教育テレビ(及びテレ朝「モーニングバード」)、雑誌は「週刊現代」が、もっとも良心的に事実に迫り、政府を追及して来ました。いまや、「週刊現代」は完全に撤退、NHKも、5-6月は、「ネットワークで作る放射能汚染地図」というクリーンヒットを続編を2つも制作してがんばりましたが、最近報道量は目立って減っています。

東京新聞、とくに「こちら特報部」だけは、本当に見事に被災者、国民の側に立って事実を追及し、政府・東電を告発し続けています。
という流れですが、今回のNHK教育テレビの番組、その姿勢に変化はないのか?気になるところです。

番組に関連しては、一言だけ。

いま、政府も大手メディアも、放射能汚染の問題は、「除染」に尽きる、みたいな言い方が目立ちます。これでは、まるで、スコップで泥をかき出せば、放射性物質を危険性の極めて低いレベルまで除去できるかのような幻想を与えます。つまり、最終解決は「可能」であるかのようなフィクションです。

そんなことで原発事故が収拾するなら、チェルノブイリにはとっくに、住民が戻ってきているでしょう。

原発付近は半永久的に人間が住めない。明確な事実です。いくら残酷でも、それだけの事故を起こしてしまったのだjから、それを前提に次を考えるしかない。数十年は住めません。

除染っていいますが、大規模に除染したら、数千万トンの汚染した土が出ます。それ、どこに持っていくのですか。

本来人が住むべきでない危険な場所まで、「そのうち除染する」程度の話で、人が住みつづけてしまう。もちろん、住民が自らの決断で、「住みつづける」と決めるなら、それは、その決定を尊重すべきでしょう。むしろ、半径20キロから、汚染レベルも考慮せず、比較的汚染の軽い地域からも、全員根こそぎにおいたてた政府のやり方の方がよほど問題です。

しかし、特に妊婦や幼児、子供には、やはり移住したほうが望ましい土地に依然多数の人が住む。それが、自主的な決断ならともかく、東電と政府が補償措置を拒んでいるための、やむを得ない残留なら、これは政府と東電の犯罪です。いずれにせよ、移住の経費も、住宅の手当も、賠償金も、転職の支援も、一切なにもないために、しかたなく残留を決めた住民としては、残留となればせめて、現地が少しでも安全だと思いたい。そこにつけこんで、政府の役人がやってきて、「問題は除染ですねえ」という話に持っていく。大手メディアも、「除染を急げ」などと、政府の尻をたたいて、追及でもしている格好をする。もちろん除染をすれば、住み続けられるレベルの土地であり、かつ、その除染が可能なところでは、一刻も早く除染すべきでしょう。しかし、除染で解決できるような汚染レベルを超えている場所、あるいはそもそも除染が出来ない場所についても、「いつ除染が可能か」という話ばかりするのは、またしても、住民に対する詐欺でしょう。要するに政府・東電は、移転・避難の費用を出したくないために、あいまいな「除染」に希望を持たせる戦略をとっているとしか考えられません。NHKは、この問題に、どう迫るか。

赤いひなげしの花がシンボル ー英国の「リメンバランス・サンデー」とは?

英国では、毎年10月頃から、赤い花の飾りを上着の襟の部分につける人が増えてゆく。

これは、11月に開催される、戦死者を追悼する日「リメンバランス・サンデー」(「追悼の日曜日」)に向けた動きで、赤いひなげしの花をイメージした飾りは、追悼の意と新たな人生の開始を表わしている。

英国の歴史に根付く行事が行われる「リメンバランス・サンデー」に注目した記事を、英国の邦字紙「ニュース・ダイジェスト」の最新号「ニュース解説」面に書いている。26日以降、ウェブサイトにも出る予定だ。http://www.news-digest.co.uk/news/index.php

実戦部隊を世界各地に派遣させている英国では、戦争は過ぎ去った昔の話ではない。大戦中とは違って国民皆兵制度はないが、志願兵の中で戦死者、負傷者が恒常的に出ている。もちろん、逆に「敵」を戦死あるいは負傷させてもいる。

そんな国、英国では、戦死者を追悼する儀式が国民的に重要になってくる。

以下は「ダイジェスト」掲載原稿に若干付け加えたものである。

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ーひなげしと戦死者追悼の関係 Q&A

Q:赤いひなげし(scarlet corn poppy)が欧州では戦死者追悼の象徴になった背景とは?

A:ひなげしは欧州原産のケシ科の一年草で、過酷な自然環境の中でも成長して花を咲かせる。19世紀、対ナポレオン戦争で荒廃した欧州各国の戦場では、戦死者の遺体の周囲に赤いひなげしが生え、荒れた土地がひなばしの野原に変貌した。

1914年、第1次大戦が勃発し、フランス北部やフランダース地方(旧フランドル伯領を中心とする、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域)が再度、戦場になった。戦闘が終わると、戦場を埋めるように育ってきたのが赤いひなげしだった。こうして欧州では戦争とひなげしの花との関連が意識されるようになった。

Q:戦死者追悼儀式の象徴となった直接のきっかけは?

A:1915年、カナダ人の医師で詩人でもあったジョン・マックレーが、同国人兵士の死を機に書いた「イン・フランダース・フィールズ」が、英雑誌「パンチ」に掲載された。戦場に咲くひなげしの花を冒頭に入れた詩は、欧州諸国で人気を得て、ひなげしは戦闘で命を落とした兵士たちの大きな犠牲の象徴となった。また、現在では、平和の象徴として、白いひなげしの花をイメージした飾りをつける人もいる。

Q:「ひなげし募金」(「ポピー・アピール」)とは?

A:英国在郷軍人会が1921年に始めた募金活動の名称で、集められたお金は英軍関係者への支援に使われている。2010年の募金総額は3600万ポンド(約43億円)。(資料:BBC、英国在郷軍人会のサイト)

―英国での戦死者追悼式の予定表

11月11日:リメンバランス・デー

*午前11時、英国内(及び英連邦諸国などを含む、世界の複数国)で、第1次大戦の戦死者を追悼するための、2分間の黙とうが行われる。

11月の第2週の日曜日あるいは11日に近い日曜日(今年は13日):リメンバランス・サンデー

*ロンドン中央部:午前中、ホワイトホールにある、戦死者の慰霊碑前で追悼儀式が行われる。英王室のメンバー、首相、各政党党首、外相、英連邦や軍の代表者などが出席。11時、黙とう。その後、エリザベス女王から始まって、王室メンバー、首相などが花輪を慰霊碑前に置く。この模様はテレビで生中継される。

*英国内各地:各地の慰霊碑の周辺で同様の儀式が行われる。地元の教会前に有志が集合し、慰霊碑まで追悼行進の後、黙とうと花輪の配置などの流れとなる。誰でも参加できる。

―「リメンバランス・サンデー」とは?

11月13日日曜日、今年も「リメンバランス・サンデー」(意味は「記念日の日曜日」など)がやってくる。「リメンバランス」には、「追悼」の意味もある。追悼の対象となるのは、第1次世界大戦(最後につけた「関連キーワード」参照)の戦死者だ。

1918年11月11日午前11時、大戦で敗戦国側となったドイツが勝利者となった連合国軍側との休戦協定を結んだ。翌年から、毎年、11月の第2週の日曜日か11日に近い日曜日のいずれかに、追悼式典が開催されてきた。1919年、最初の式典が行われた時には、この日を単に「休戦日」(「アーミスティス・デー」)と呼んでいた。

第1次大戦は近代兵器を使った初めての世界戦争で、戦死者は数百万規模に上った。大きな犠牲を払った多くの戦死者たちを決して忘れず、この大戦が「最後の世界大戦」になることを願って、国王ジョージ5世が、2分間の黙とうを含む式典を開催する「リメンバランス・サンデー」の設定を主導した。

「サンデー」は元々は第1次大戦の戦死者の追悼日であったが、今では、第2次大戦や最近のアフガニスタンやイラクでの戦死者など、英国が関与した様々な戦争で命を落とした兵士を追悼する日になっている。

ちなみに、英国では11月11日は祝日ではなく、国全体で黙とうを行う時間は設定されているものの、追悼式典自体は「リメンバランス・サンデー」に行われる。

しかし、英連邦諸国を含む他国では、11日に追悼式典が行われることが多い。この日は「リメンバランス・デー」、「アーミスティス・デー」、あるいは戦死者を象徴するのが赤いひなげし(「ポピー」)の花であるために、「ポピー・デー」などと呼ばれている。米国の場合は、11月11日を祝日とし、1950年代からは「ベテランズ・デー」(「退職・あるいは復員軍人の日」)と呼んで、軍隊勤務者に敬意を払う日としている。

―ひなげしの花をつけるかどうか

秋が深まる頃になると、「リメンバランス・サンデー」を控えた英国では、紙でできた赤いひなげしの花の飾りを洋服の襟部分などにピンでつけた人を多く見かけるようになる。

この飾りの販売は英国在郷軍人会による募金活動の1つだ。飾りを購入すると、利益が英軍関係者への支援に回る。戦死者への追悼の意を表しながら、英兵士にいくばくかのサポートを提供できるとあって、多くの人が飾りを買い求める。この飾りをつけて町中を歩けば、追悼の意を表したという印を公にしていることになる。

飾りの花は当初は絹製だったが、1970年代後半、紙のデザインに変更された(ただし、絹のデザインのものも販売されている)。在郷軍人会は、今年、飾りの販売で集めた募金額を4000万ポンドまで増大させることを目標としている。

飾りの着用は、この時期、愛国心の表明ともなるが、これに反発を感じる人は少なくない。「ほかの人と同じような行動を取りたくない」という英国人気質から反発する人がいる一方で、「愛国心の表明を強制されたくない」という人もいる。

また、戦死者への追悼の意の表明行為を真剣に考える人の中には、テレビのキャスターなどが判を押したようにひなげしの飾りをつけて画面に登場する様子を不快に思ったり、侮辱と受け止める人もいる。戦死した父親を持つ、ある退職者は「本当に、戦死者に思いをはせて飾りをつけているのだろうか」、「飾りをつけることが政治的に正しいから、つけているだけではないか」とメディアの取材に述べる。この退職者は、毎年、地元で開催される戦死者追悼儀式に参加しているという。

「リメンバランス・サンデー」は、英国に住む人にとって過去を振り返る機会であるとともに、世界各地の紛争に兵士を送る、戦争の「現役国」であるという現実を承知しながらも、これ以上の死者を出さないようにと願わざるを得ない時でもある。在英日本人にとっては、式典を体験することで、様々なことを学ぶ機会になりそうだ。

―関連キーワード

World War I: 第1次世界大戦(1914-1918年)。オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナンド大公夫妻の射殺による「サラエボ事件」がきっかけで勃発。ドイツ、オーストリア、オスマン帝国、ブルガリアの同盟国側と英国、フランス、ロシアの連合国側が欧州を主戦場として戦闘開始。日本、イタリア、米国も連合国側に参戦した。スイス国境から英海峡まで延びる塹壕戦にそって、数百万規模の若者が動因された。一説には戦闘員の死者は900万人、非戦闘員が1000万人、負傷者は2200万人と推定されている。敗退した側のドイツと連合軍との間の休戦協定は1918年11月11日午前11時に調印された。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)

***

最後まで読まれた方、ありがとうございます。ちなみに、「英国ニュースダイジェスト」の編集日記がなかなか、面白く、心が和みます。これを書いている方は、実は編集長・・・・。

衝動買いしちゃった  2011年10月6日
http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/8565/142/

 

経営に更なる透明性の求めも 英紙廃刊とマードック帝国のほころび(下)

(「新聞通信調査会報」(10月号)に掲載された記事の転載です。)

前回の「上」は主に盗聴事件の発端とその経緯を記したので、「下」はニューズ社への影響を見てみた。後半部分が、10月21日の株主総会での顛末を理解するための一助になれば幸いである。

***

英日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」(NOW)の記者が数千人に上る著名人、政治家、タレントらの携帯電話の伝言メッセージを盗聴したとされる事件がきっかけとなり、同紙は今年7月10日号を最後に168年の歴史の幕を下ろした。その経緯を本誌9月号の拙稿(「マードック帝国のほころび 上)で振り返った。

本稿では廃刊後の主な動きと、同紙の発行元の英ニューズ・インターナショナル(NI)社を傘下に持つ米メディア大手ニューズ・コーポレーション(ニューズ社)の今後を概観してみる。

―衛星放送の完全子会社化断念へ

盗聴事件の発端は2005年。翌年、盗聴行為に携わったNOW紙の王室報道記者クライブ・グッドマンと私立探偵グレン・マルケーが逮捕された。両者が携帯電話への不正アクセスで有罪となってそれぞれ数カ月の実刑判決を受けたのは07年である。この間、NI社側の説明は一貫して「関与していたのはグッドマンのみ」であった。問題が再燃したのは09年夏である。左派系高級紙ガーディアンが、「警察筋」からの情報を基に、数千人規模が盗聴されていた可能性があること、盗聴行為は組織ぐるみであったと報道した。再捜査への声が上がったが、ロンドン警視庁は「新たな証拠がない」ことを理由に、再捜査しなかった。

今年7月になって、誘拐・殺害された少女の携帯電話がNOW紙の記者らによって盗聴されていたことが発覚し、盗聴事件が国民にとって切実な問題として意識されるようになった。さらに、イラクやアフガニスタンに派遣された英兵らや、殺害された小学生児童の家族の携帯電話にもNOW紙の盗聴行為が及んでいたことが明るみに出て、NOW紙の評判は地に落ちた。

「火消し」としてニューズ社は7月7日、NOW紙の廃刊を急きょ決定した。それでも非難の声が収まらず同月12日、同社が1年前から狙っていた英衛星放送BスカイBの完全子会社化(現在は39%の株を所有)を断念するという苦渋の選択を行った。この日、下院ではニューズ社の最高経営責任者(CEO)兼会長のルパート・マードックに対し、完全子会社化を断念することを求める審議が予定されていた。ニューズ社はこうした状況下では交渉がスムーズに進まないと判断し、下院での審議が始まる前に完全子会社化を断念すると発表した。

反マードック機運はそれでも収まらず、15日にはNI社のCEOで、03年から07年までNOW紙の編集長でもあったレベッカ・ブルックスが辞任した。同日、ニューズ社傘下のダウ・ジョーンズ社のCEOで、ブルックスの前にNI社CEOとして「盗聴行為はグッドマン記者のみ」と繰り返し述べてきたレス・ヒントンが、現職を辞任した。ブルックスとヒントンはマードックの側近中の側近と言われる存在であった。

―多額便宜供与の警視総監も辞任

ロンドン警視庁は今年からNOW紙での盗聴事件の再捜査を本格的に開始した。平行して進めているのが、NOW紙が警察関係者から情報を買っていたかどうかという賄賂疑惑の捜査である。メディアと警察との関係が問われる中、雪崩のように警察機構のトップが次々と辞任する事態が発生した。

7月14日、NOW紙の元副編集長ニール・ウォリスが盗聴事件への関連容疑で逮捕された(後に保釈)。これを機に英各紙が探り出したところによれば、ウォリスは09年に警視庁のメディア・コンサルタントとして採用された。同年夏、ガーディアン紙の報道によって盗聴事件の再捜査を求める声が上がりだした。

警視庁によるウォリスの採用自体は違法ではないとしても、捜査の手が入った会社の元編集幹部を雇うのは、一種の「癒着」ではないか? そんな疑問を多くの人が持った。しかも、ウォリスは1カ月にわずか2日働くだけでよく、1日1000ポンド(約13万円)という高額を得ていた。また、ウォリスをコンサルタント職に薦めたのは、盗聴事件の再捜査をしないことを決めたジョン・イェーツ警視監であった。

ポール・スティーブンソン警視総監も説明に困る事件に巻き込まれた。サンデー・タイムズによれば、警視総監は今年初め英南部のスパで数週間静養した。その時の費用総額1万2000ポンドは無料だったという。理由はスパの運営者が「友人であったから」と警視総監は説明したが、このスパの広報を担当していたのはウォリスであった。警視総監は不正行為はなかったと弁明したが、実に都合の悪い事実の暴露となった。

―新聞スト破りで生まれた警察との絆

7月17日、スティーブンソン警視総監は「続行中の捜査を妨げたくない」などの理由で辞任するに至った。翌日にはイェーツ警視監も辞任した。

事件を捜査する警察と、事件報道を行うメディア側とは「切っても切れない仲だ」と元警視庁幹部ブライアン・パドックは複数のテレビ局の番組内で述べている。「警察に関して好意的な報道を行うメディアは少ない」が、その数少ない好意的なメディアの一つが「マードック・プレス」(マードック傘下のNOW紙、サン、タイムズ、サンデー・タイムズ)だったという。

パドックによれば、マードックとロンドン警視庁の間に深い絆ができたのは、1986年の「ワッピング革命」の時だった。新聞経営者の多くが労組員によるストに悩んでいた頃、マードックは傘下の新聞の編集室を一晩でロンドン東部ワッピングに移動させた。非労組員を中心に新聞を制作したマードックに対し、労組員たちは新オフィスの回りに大規模ピケを張って対抗した。数千人にも上るピケ参加者による配送トラックやオフィスへの攻撃を防御したのが、警視庁が派遣した警察隊だった。

マードックは7月19日、二男でニューズ社の副最高執行責任者ジェームズとともに、下院の文化・メディア・スポーツ委員会に出席し、盗聴問題に関する委員らからの質問に答えた。マードックは盗聴行為の犠牲者に謝罪し、「違法行為は絶対に許されない」と述べた。しかし、たった1人の記者ではなく、数人が盗聴行為に関わっていたなどの詳細を知ったのは「最近だった」と認めた。「自分がCEOのニューズ社では5万3000人が働く。NOW紙が生み出す利益は1%」として、盗聴事件について関知していなかったことを正当化する発言をした。ジェームズも、「複数が関与していた」点について知ったのは、つい最近であったと述べた。

今秋からはレベソン控訴院裁判官が委員長となって、NOW紙での盗聴行為の実態を探る調査と英メディア全体での倫理に関する調査が開始された。NOW紙は新聞としては消えたが、英国ではしばらくの間、話題に上りそうだ。

―CATV、映画が稼ぎ頭の2兆円企業

盗聴事件はニューズ社の経営に、どのような影響をもたらすだろうか?

同社の最新の年次報告書(11年6月期決算)によると、総収入は約334億㌦(2兆5700億円)に上り、ニューズ社は世界でもトップクラスの複合メディア企業である。内訳は最大が出版・新聞発行(ハーパーコリンズなどによる書籍出版、英ニューズ・インターナショナル社によるタイムズなど、各国での新聞発行)で、総収入の27%にあたる約88億ドルを稼いでいる。これに続くのが①ケーブル放送(フォックス・ニューズ、フォックス・ビジネス・ネットワーク、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルなど、24%)の約80億ドル、②映画娯楽(20世紀センチュリー・フォックスなど、21%)の約68億ドル、③米国でのテレビ放送(フォックス・ブロードキャスティング・カンパニーなど、14%)の約47億ドル、④衛星テレビ放送(スカイ・イタリア、BスカイBなど、11%)の約37億ドル、⑤その他(マイスペースなどのデジタル・メディア、3%)は約11億ドルである。前年度まで表記されていた新聞のみの出版収入は約60億ドルであった。

今年度の稼ぎ頭は出版・新聞発行となったものの、収入の伸び率に注目すると、出版・新聞発行収入が前年比3%の伸びであるのに対し、①のケーブル放送が14%増、③が13%増となり、放送ビジネスがリードしていることが分かる。

紙の新聞の部数はほとんどの先進国で下落傾向にあることから、収益拡大の中心は今後も放送業、そして伸びるデジタル・メディアになるといわれている。いったんはBスカイBの完全子会社化をあきらめたマードックだが、「事が沈静化したら再度、完全子会社化に動く」)(エンダース・アナリシス社)という見方が大勢を占める。

ニューズ社のリーチは米欧のみならず、中国、インドにも広がる。20世紀フォックス制作で大当たりとなった「タイタニック」や昨年の「ブラック・スワン」など、世界各国で上映されるヒット作品は巨額の収入を稼ぐ。米国製アニメ「シンプソンズ」も大人気で、マードックがかつて登場人物の1人として登場して喝采を浴びた。新聞は英国のほかに米国では老舗経済紙ウォールストリート・ジャーナル、ニューヨーク・ポスト、オーストラリアでは自らが創刊した全国紙オーストラリアンのほかに150以上の新聞を発行する。

―マードック家支配に批判の投資家動向に注目

マードック帝国が崩壊するかどうかは、今後の盗聴事件の捜査の行方に加え、ニューズ社の株主がどう判断するかによるだろう。

01年に米大手エネルギー会社エンロンで巨額の不正経理・不正取引が明るみに出て、あっという間に破綻に追い込まれた。このような形での破綻・崩壊はニューズ社については、現状ではほぼないであろう。しかし、経営に更なる透明性、公正さを求められる可能性は大きい。というのも、マードック一家が経営陣のトップに君臨し、大株主となっている現状への批判を声にする投資家もいるからだ。例えば、一家はニューズ社の全株の12%を所有しているが、同社の株は議決権があるものとないものの2種類に分かれており、一家の所有分は議決権株の40%に当たるため、他の株主がマードックの意向を無視して議決ができない状態となっているのだ。

英米の捜査当局や英国の調査委員会が同社に不都合な事実を明るみに出した場合、他の株主や投資家らが経営陣の刷新を求める声が強くなる可能性がある。

この場合①現CEOのマードックは高齢(80歳)であることなどを理由に第1線から退いてもらい、副会長チェイス・ケアリー(57)が引き継ぐ②父の後を継ぐとみられていたが、盗聴事件の実情を十分に把握せず、あるいは実情を知りながら虚偽の報告をした可能性もある二男のジェームズを降格させる③さらに英国での新聞発行業から撤退することで近い将来、クリーンになったニューズ社がBスカイBの完全子会社化を実現する―などの選択肢があろう。

英国のテレビ、ラジオ、新聞は7月上旬から1カ月にわたり連日、マードックの危機を大々的に報道した。秋から始まった調査委員会が結論を出すのは数年先ともいわれている。BBCのメディア記者トーリン・ダグラスは「一般市民が今後どれほど、この事件に関心を持つだろうか」と疑問を投げ掛ける(BBCブログ、9月7日)。

―「親密過ぎる関係」に決別の英議員

確かに、国民の関心事は8月上旬に発生したロンドンの暴動の後始末や経済の先行きに移っているのかもしれない。しかし私は7月12日、マードックにBスカイBの完全子会社化を断念するよう促すための審議が行われた下院で議員らが次々と立ち上がり、過去40数年間で初めてマードック・メディアを表立って批判した光景が忘れられない。これをガーディアンのコラムニスト、ジョナサン・フリードランドは「革命」と表現した。「もうマードックと親密過ぎる関係であってはいけない」―そんな危機感が議員の間にあったのだと思う。

長い伝統を持つ新聞をほんの2、3日の決断で、あっという間に廃刊してしまうのは実に大胆な、そしてある種、残酷な動きであった。一つのブランドとなった新聞は、生き物とも言えるからだ。プライバシー侵害記事で埋められたNOW紙を嫌う人は多いが(その理由に私も同意するけれども)、日曜紙市場でトップの新聞の廃刊は、これを読んでいた数百万人の読者を斬って捨てたのと同様にも感じられた。200余人の制作スタッフにとっては生活の糧が一気に断たれた。

廃刊による痛み(あるいは衝撃、あるいは嫌いな人にとっては大喜びなどの強い感情)はまだ英国民の中では消えていない。マードックと癒着したことへの痛みとして認識され、サッチャー政権(1979~90年)以来続いてきた1人のメディア王による市場の寡占化傾向に見直しがなされるのであれば、廃刊は結果的には良いことだったのかもしれない。(敬称略)(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)

 

やす鈴木のNY役者人生 ーNYで知ったマイケル・ジャクソンの偉大さ ny1page.com

11.10.26 by   カテゴリー: 世界の窓, , 文化

(NYエンタテインメントの情報サイトhttp://ny1page.com/掲載記事の転載です。)

 僕がまだ小学生だった1970年代、生まれてはじめて大人の雑誌を自分で買った時のことを憶えている。母親に見つからないようにこっそり隠れて買ったのが、集英社の映画月刊誌「ロードショー」だった。

ファラ・フォーセット(当時ポップ・カルチャーの肖像、およびセックスシンボルとして有名だった女優)の水着のピンナップ写真をドキドキしながら眺めていたのが懐かしい。数年前、日本に里帰りした時に部屋を片付けていたら、この30年も前の古い「ロードショー」がごっそりと出てきた。改めて眺めてみると、僕のアメリカ映画への憧れの原点はこの子供時代にどきどきしながら眺めていた「ロードショー」だったんだなと思う。最近、日々の暮らしのなかで、仕事でついイライラしてしまうことも多いけど、子供時代の夢を生きられている今の自分に感謝しなければなと改めて感じた。

2009年6月25日、そのファラ・フォーセットが亡くなった。同日マイケル・ジャクソンまで亡くなった。1970年代、80年代に子供から大人になっていった僕たちの世代には、悲しいニュースばかりである。子供時代と思春期の大きな星をふたつも失ってしまった。

スーパーヒーローならスーパーマンよりもバットマン、プロ野球なら巨人よりも中日ドラゴンズ、ビールを飲むならバドワイザーよりもブルックリン・エール、昔も今もアンチヒーロー、アンチメジャー派のひねくれ者の僕は、80年代のアイコン、ポップスの王様マイケル・ジャクソンにはその頃、背を向けていた。ミュージックビデオというジャンルを確立した名作 「スリラー」 のミュージックビデオは何度も繰り返して見たが、それもマイケル.ジャクソンよりも、監督のジョン・ランディスの熱狂的なファンだったからだ。

そのマイケルの偉大さを心と身体で身にしみて感じたのは、ニューヨークに渡って本格的にダンスのレッスンをはじめた時だった。来る日も、来る日も毎日、アイソレーションという、上半身だけ、下半身だけという身体の一部分だけを動かす練習をスタジオの鏡の前で繰り返す。自分でやってみてはじめて、ビリー・ジーンで見せた彼の切れのいい動きが、ダンスのひとつのジャンルを確立したんだなとその偉大さを実感した。

僕のダンスの先生のひとり、ブロードウェー・ミュージカル、「シカゴ」 の 振り付け、演出をしたアン・ラインキングは、レッスンの途中でよく、小さい頃のマイケルの話をしてくれた。70年代、ジャクソン・ファイブのリード・ボーカルだった10代のリトル・マイケルはボブ・フォッシーのダンサーだった彼女達のリハーサルにいつも遊びにきては、ジャック・コールのつま先立ちの動きをするダンサー達に目を輝かせて、「どうやってやるの? 教えて、ねえ、ねえ」 と、できるまで鏡の前で何度も真似して練習していたそうだ。その動きが、80年代になってムーンウォークと並んで彼の一番有名なつま先で立ち上がるあのポーズになった。

これを書くのに、マイケルの人生を改めてたどってみた。そして、何十年ぶりかに “We Are the World” のビデオを見ていて、不覚にも涙がこぼれてしまった。80年代のミュージシャン達が一堂に会してアフリカの飢餓に苦しむ人たちを助けようとマイケルが作ったこの曲、

“ 僕たちが世界で
僕たち全員がその子供達なんだ
そして、僕たち全員がこの世界を明るくするんだ
だから、さあ、分け与えはじめよう“

ナイーブなメッセージというのは、そのナイーブさゆえに人の心を激しく打つ。かつて、サイモン・アンド・ガーファンクルはベトナム戦争で同世代の若者達が次々と戦地に送られて死んでいった1969年、

“ 君が身も心も疲れ果て
自分がほんの小さな存在でしかないと感じて
君の目に涙があふれる時
僕がその涙を乾かそう
僕は君の味方なんだ
とても苦しくて
君がだれも友達を見つけられない時
荒れ狂う水の流れにかかる橋のように
僕はこの身を横たえるよ “

と歌った。

僕の子供の頃、そして思春期のころには、ナイーブで心を打つメッセージがあった。送り続けてくれた星がいた。今の子供達に、思春期の若者に、こういったナイーブだけど心を打つメッセージを送っている大人はいるんだろうか?自分は送っているだろうか?ウザイと思われるのを恐れて、シニカルになって若者に迎合し過ぎていないだろうか?

ファラ・フォーセット、マイケル、心からありがとう。ご苦労様でした。天国で安らかに眠ってください。(2009年に書かれたコラムの再録です。「ny1page.com」より)

 

仏警察がアルジェリア人住民をセーヌ川に投げ捨てた日から50年

11.10.25 by   カテゴリー: ニュースあれこれ, 世界の窓

1961年10月17日、パリのサンミッシェル橋で在仏アルジェリア人たち約3000人による平和デモが行われた。デモ参加者はフランス警察によって残忍な弾圧を受け、数十人がセーヌ川に投げ捨てられた。このとき、多くの死者と行方不明者が出た。この50年前を振り返る行事に、100万部を突破した著者「憤慨せよ!」を持つ作家ステファン・エッセル氏が参加し、講演を行った。ここに紹介したい。

同氏は、冒頭、「ここに来て皆さんの前ですべての真実がどうであったのかを明かすことが大事だ」、「50年前の警察による恐ろしい出来事が何であったかについて話すことができて、光栄だ」、と述べた。

「フランスの警察と指導者は受け入れがたい態度ですべてを隠蔽そうとしてきたが、幸いなことに、勇気ある人々によって何があったかが記された。今日、その恐ろしい時代の真実を知り、和解をすることが必要だ。我々フランス人とアルジェリア人は一緒に友情をもって暮らすだけではなくて、正義と自由と平等の世界を共に築かなければならない」、と続けた。

エッセル氏が言及した、「勇気ある人々によって何が起きたかが記された」というのは、ドキュメンタリー作家ヤスミナ・アディ氏の映像作品などを指す。

1世紀以上に渡るフランスの植民地政策に対して発生したアルジェリア独立戦争は、8年間続いた。1962年3月18日にエビアン和平条約が調印され、同年7月3日、アルジェリア独立宣言が発表された。来年はその50週記念になる。

ー隠ぺいされた過去

1961年10月17日、平和デモに参加した在仏アルジェリア人たちは、警官にこん棒で打たれたり、セーヌ川に投げこまれたりした。拳銃で射殺された者もいる。デモ参加者の半数が逮捕されて拷問を受け、5ヶ月後に釈放された。公式発表では2人の死亡者しかいないが、推定では数十人から300人が殺害されたり、行方不明になっている。パリの死体置き場兼焼却場の記録で証明されているという。

この事件の写真や資料は一般公開されず、国家の秘密になってきた。

事件はドゴール将軍の時代に発生したが、モーリス・パポンパリ元警視庁総監の命令による「人間狩り」があったとされている。アルジェリア戦争と植民地独立との関連でこの事件は重要な意味を持つが、学校の歴史教材でも真実が隠されているという。左派系知識人を多く読者に持つリベラシオン紙は、現在、どれだけのフランス人がこの事件が何であったかを真剣に捉えようとしているだろうかと書いている。(ブログ「フラネットパリ通信)」より)

 

 

未明の知事「辞職」と市長選出馬表明~大阪ダブル選挙まで1カ月余

大阪府の橋下徹知事が先週末の22日(土)未明、辞職願を府議会議長に提出。ただちに府議会本会議で同意が得られ、今月31日付での辞職が決まりました。議会後、橋下氏は報道陣に、既に11月27日の投開票の日程が決まっている大阪市長選への出馬を表明。また、大阪府選挙管理委員会は、知事選を同じく11月27日投開票とする日程を決め、知事選、大阪市長選のダブル選挙実施が確定しました。23日の日曜日には、橋下氏が代表を務める地域政党「大阪維新の会」が、市長選に橋下氏、知事選には維新の会幹事長の府議松井一郎氏を擁立することを決めています。

これらの週末の動きを、在阪の新聞各紙はいずれも大きく報じました。備忘も兼ねて、印象に残った点、気付いた点などを紹介します。対象は各紙とも大阪本社発行の最終版です。

【22日(土)夕刊】

「やらなければ『実行力がない』と批判され、やれば『独裁だ』と言われる。それなら、やって批判を受けた方がいいとの思いで大阪都に挑戦する」(朝日新聞から)

細かい字句に違いはあるものの、各紙とも橋下氏が府議会の議場で行った辞任のあいさつから、この言葉を紹介しています。橋下氏はあいさつの中で、大阪府と大阪市を再編して一つの自治体にする「大阪都構想」について「府と大阪市のあり方を何とかしなければ大阪の未来はないという思いが、日に日に強まるばかりで、今や自分で抑えることができない」(毎日新聞22日夕刊)とも語っています。また、任期を全うせずに知事を辞職することに関連して「知事を続けることとダブル選で府民に『大阪のかたち』を問うこと。どちらが大阪のためかと言えば、府民が大阪の将来像を選択する機会をつくる方が価値が上だ」(朝日新聞22日夕刊)と説明したと報じられています。

総じて各紙の報道からは、橋下氏が自らの政治手法に「独裁」との批判があることを十分に意識しつつ、辞職とくら替え出馬の目的は「大阪都構想」実現のためであることを最大限に強調したことが読み取れます。

橋下氏はもともとの予定では、21日の府議会審議が終了した後に辞職願を提出、23日に市長選への出馬を表明するとみられていました。しかし、任期半ばでの辞職を批判する自民党府議団が議案審議に抵抗。府議会が紛糾した結果、辞職願提出は日付が変わって午前2時半ごろになりました。議場で辞職のあいさつをしたのは午前3時15分ごろ。産経新聞は「議案の審議中は、終始淡々とした様子を見せていたが、あいさつのさいには顔を紅潮させ、思わず目を潤ませたように見える場面も」と紹介しています。

一方、大阪市長選で、任期満了に伴い再選を目指して出馬することを既に表明している平松邦夫市長は、橋下氏を迎え撃つことに対してコメントを発表。「独裁を標榜する政治家の言動に振り回されることなく任期を全うし、市民の幸せを着実にめざしていきたい」(朝日新聞より)などと、徹底的に「独裁」をキーワードに橋下氏を批判する姿勢をうかがわせています。朝日新聞が約20行の単独記事で紹介しているのが目を引きました。このほか各紙とも、橋下氏の辞職とくら替え出馬に対する各党、各会派の反応を紹介しています。

【23日(日)付朝刊】

「大都市の将来像を語れ」毎日新聞「社説」

「大阪の将来像を競い合え」産経新聞「主張」

23日付朝刊では毎日新聞、産経新聞が社説で取り上げました。ともに似たような見出しで、橋下氏が唱える大阪都構想を中心に、平松氏が掲げる「特別自治市構想」にも触れながら、論戦への期待を表明しています。これに対して、朝日新聞が翌24日付朝刊に掲載した社説の見出しは「選挙で問われる橋下流」。3年8カ月の橋下氏の知事在任期間を振り返り、選挙は「『橋下流』を総括する機会でもある」と論じています。

23日付朝刊では、ストレートニュースとしては各紙とも特段の記事がない中で、読売新聞は一面トップで、大阪府池田市の倉田薫市長が知事選に出馬意欲を持っていると報じました。記事によると、出馬する場合には府内の市町村長らを中心に支援を求める構え。他紙も以降、倉田氏の動向をそろって追っており、維新の会に対抗する立候補予定者が確定していない中で、独自の存在感を放っています。

【24日(月)付朝刊】

各紙とも、維新の会の知事選候補に正式決定した松井氏が、橋下氏とともに記者会見したことを大きく取り上げている中で、産経新聞は一面トップで、民主党から知事選出馬の打診を受けていた弁護士で元東京地検特捜部検事、元長崎地検次席検事の郷原信郎氏が、立候補に否定的な姿勢を示していることを伝えました。郷原氏は先週21日、民主党の打診を受けていることが表面化。九州電力玄海原発のやらせメール問題で、九電の第三者委員会委員長として九電の姿勢を厳しく批判したことが話題になった直後だっただけに、去就が注目されましたが、産経記事によると、まさにその九電問題が最優先課題とのことです。

【24日(月)夕刊】

24日午前、郷原氏が大阪府庁で記者会見し、出馬断念を表明しました。各紙ともこのニュースを掲載。朝日新聞は一面トップで、倉田・池田市長の擁立を民主党府連と自民党府議団が検討していることを伝えています。記事によると、府内の市長有志らも出馬を要請。仮に民主・自民の統一候補として府内の市町村長らの支持も得れば、維新の会の松井氏との対決構図が固まることになりそうです。

11月27日のダブル選挙投開票まで1カ月余。「大阪都構想」や「特別自治市構想」など大都市のありよう、首長政党と既成政党の関係、さらには維新の会の教育基本条例案や職員基本条例案の是非など、大阪という一地域だけの問題にとどまらない意味を持つ選挙戦と、その報道が続きます。大阪の新聞がこの選挙について何をどんな風に報じたか、このブログで紹介していこうと思います。そのためのカテゴリー「2011大阪W選」を新設しました。

アップは随時ですが、可能な限りこまめな更新を目指します。わたしなりのジャーナル(日報)の試みですが、必ず毎日更新できるとは限りません。また、各紙について毎回網羅的に紹介するのではなく、目に留まった記事、印象に残った報道を書き留めていきます。大阪ではテレビでも相当の報道があるのですが、残念ながら網羅してチェックできる状況にありません。新聞だけが対象です。

対象の新聞は原則として朝日、毎日、読売、日経、産経の5紙、いずれも大阪本社発行の最終版です。周辺の地方紙として、京都新聞と神戸新聞もウオッチします。(ブログ「ニュースワーカー2」より)

マードック帝国のほころび(上) -「新聞通信調査会報」より

英大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」(7月廃刊)を中心とした、電話盗聴疑惑は、いまどうなったのか?また、同紙を発行するニューズ・インターナショナル社を傘下に置く米ニューズ・コーポレーションの経営への影響や、その会長兼CEOルパート・マードックの去就はどうなるのか?

そんなことを、日本にいる複数のメディア関係者の人から聞かれた。

「この問題はまだ終わってない」、「英メディア界で大きな位置を占める、マードックの将来を決めるのは、米ニューズ社の株主たちだろう」と答えてきた。

株主たちの意向が明確になったのが、今月21日。この日開催されたニューズ社の株主総会で、マードックと2人の息子を含む取締役全員が議案どおり選任されたが、息子たちの取締役再選では、無視できない数の株主からの異議が唱えられたのだ。

ウオールストリートジャーナル記事
http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_330873

決して、順風満帆ではないことが分かる。

この事件に関してはこれまでにも何度か書いてきたが、事件の概要と、ニューズ社の将来に目をやった原稿を「新聞通信調査会報」の9月号(上)と10月(下)に書いている。(上)は主に事件のあらましで、(下)はマードック帝国への影響である。事件発生から少々時間が経ったので、振り返る意味で、ここに載せてみようと思う。

***

組織ぐるみか、大規模盗聴
ーー英日曜紙廃刊とマードック帝国のほころび(上)

数年前に発覚した、英日曜紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」(NOW)での電話盗聴事件が、英国でメディア界のみならず政界を揺るがせる事件に発展している。

今年7月、殺害された少女の携帯電話を盗聴していたとする報道が出て、国民の大きな怒りを買った。発行元ニューズ・インターナショナル(NI)社を傘下に持つメディア大手ニューズ・コーポレーション(ニューズ社)は、168年の歴史を持つ同紙を廃刊とする決断を行った。新聞は廃刊になったが、盗聴行為が組織ぐるみであったのかなど、全容は解明されていない。

ニューズ社の最高経営責任者(CEO)兼会長のルパート・マードックは、英メディア界のみならず、政界にも大きな影響力を持ってきたが、一連の盗聴疑惑で、「マードック帝国」のほころびが見えてきた。政界中枢部やロンドン警視庁との「癒着」も次第に明るみに出て、英国の支配層(エスタブリッシュメント)のマードックとの「親しすぎる関係」にメスが入る状態が続いている。

本稿では、電話盗聴事件の発端、経緯、その意味するところを2回に分けてつづってみたい。

―発端

話は2005年秋にさかのぼる。王位継承権順位第2位のウィリアム王子のひざの怪我に関する記事が、日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」に掲載された。記事には王子当人、あるいは王室関係者などごく限られた人物のみが知る内容が含まれていたため、不審に思った王室関係者がロンドン警視庁に捜査を依頼した。

06年夏、同紙の王室報道担当記者クライブ・グッドマンと私立探偵グレン・マルケーが逮捕された。このとき、警視庁はマルケーの自宅から約1万1000点に上る書類などを押収した。大量の書類の中で、警察が調査したのはほんの一部、王室報道に関わると思われる情報のみであった。しかし、押収書類の中には約4000人ほどの人物の個人情報のリストがあり、ウィリアム王子や王室関係者以外に、電話を盗聴されていた可能性のある人物の名前がここに入っていた。

後に、このリストの中にあった人物で、プロサッカー選手協会会長(当時、現在はCEO)ゴードン・テイラーが盗聴行為でNOW紙を訴えるのだが、テイラーの弁護士となったマーク・ルイスは警視庁から盗聴の証拠となる情報をもらったときに、担当者が「数千人規模の情報があるが、これだけあれば、十分だろう」と言われたと複数のテレビ番組で語っている。

06年11月、グッドマンとマルケーは携帯電話への不正アクセスで有罪となり、翌年1月禁固刑(グッドマンは4ヶ月、マルケーは6ヶ月)が下った。このとき、「盗聴行為が行われていたことをまったく知らなかった」とアンディー・クールソン編集長は述べながらも、自分が編集長であったことの責任を取って、辞任した。

このときから、今年の春頃まで、NI社経営陣や編集幹部らは、違法行為に手を染めていたのは「グッドマン記者一人のみ」と主張し続けた。

NI社の法律事務所ハーボトル&ルイス社はNI社の依頼で編集幹部らの電子メールを調査した結果、編集幹部がグッドマンの盗聴行為を知っていた形跡はなかった、とNI社に報告した。ここまでが、電話盗聴事件の第1幕であった。

―「数千人規模」の盗聴疑惑

左派高級紙「ガーディアン」の特約記者ニック・デービスが、NOW紙による盗聴の犠牲者は「数千人に上る」、不正行為は「組織ぐるみであった」とする報道を開始したのは2009年夏。第2幕が始まった。

前年にはプロサッカー選手協会のテイラーが不正アクセスに対する賠償を求めてNI社を提訴していた。これは一般にはあまり知られてはいなかったものの、「グッドマン記者のみが盗聴行為に関与していた」とするNI社の説明が揺らぎだしていた。グッドマンは王室報道担当だったが、テイラーは王室とは無関係だった。デービスはまた、盗聴の犠牲者である複数の人物にNI社が巨額の賠償金を払っていたと報道し、お金で沈黙を買ったことを示唆した。

下院の文化・メディア・スポーツ委員会がデービス、クールソン元編集長、NI社の法律顧問などを召喚し、盗聴行為に関して質疑を行うまでに発展した。

このときまでに、盗聴事件は政治問題にもなっていた。というのも、2007年1月、クールソンがNOW紙を引責辞任したが、その数ヵ月後には野党保守党党首(当時。現首相)デービッド・キャメロンがクールソンを広報責任者として起用した。2010年5月、保守党と自由民主党による連立政権が発足すると、キャメロンはクールソンを官邸の報道局長にしていた。

クールソンは大衆紙「サン」やNOWで経験を積んだ、根っからの大衆紙ジャーナリスト。2007年、NOW紙を引責辞任したときから、「編集長が部内の違法行為にまったく関知していなかったはずがない」という声がメディア界や政界に強く存在していたが、キャメロンはこうした声を無視し、政界の中枢部にクールソンを入れた。

2009年、盗聴問題が再燃したので、クールソンの起用を決めたキャメロン首相の判断に大きな疑問符がついた。しかし、批判の声に対し、キャメロンはクールソンが編集長職を辞任したことで責任を既に取っていること、(人生の)「第2の機会を与えたい」として、クールソン支持の姿勢を崩さなかった。

下院委員会に召喚されたクールソン、NI社の法律顧問、NOW紙の当時の編集幹部らは、「グッドマン1人の不正行為」とする立場を繰り返した。

「ガーディアン」は粘り強く盗聴の被害者が多数いるとする報道を続けたが、孤軍奮闘の感があった。新聞業界の自主規制監督団体・英苦情報道委員会(PCC)は2009年までに2つの報告書を出し、「ガーディアン」の報道には「十分な実体がない」と結論付けた。ロンドン警視庁のポール・スティーブンソン警視総監(当時)は、警視監の一人ジョン・イエーツに対し、盗聴事件を再捜査する必要はないかを調査させた。イエーツは数時間で結論を出し、報道陣の前で「新しい証拠がないので、再捜査はしない」と言い切った。

翌年2010年2月、文化・メディア・スポーツ委員会の報告書は、「知らない」「関知していない」を繰り返したNI社幹部らが「集団健忘症にかかっている」とし、「グッドマン一人が盗聴行為を行った」とは「考えられない」と結論付けた。

―「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」とは

事態が急展開する「第3幕」に入る前に、英国の新聞市場とNOW紙について少々説明したい。

日本同様、発行部数の下落がなかなか止まらない英国の新聞界だが、市場で支配的な位置にあるのは、大衆紙(タブロイド紙)である。英国の新聞は大雑把に言って、高級紙と大衆紙に分かれる。両者ともに原則朝刊紙だ。高級紙は、内容的には日本の朝刊全国紙に似ており、英国では中流(あるいはそれより上の)階級が読む。大衆紙は主に労働者階級を対象とし、感情がかきたてられるような記事(例えば欧州連合の官僚制度や移民人口に対する怒り、驚くような人生を体験した市民への共感、同情を引き起こすような記事)、有名人に関わるゴシップ記事、スポーツ記事が中心となる。1つ1つの記事が高級紙の記事よりは短く、より平易な文章で書かれている。

高級紙と大衆紙の発行部数を比較すると、後者が圧倒的に多い。例えば、日刊大衆紙市場のトップ「サン」の部数は約280万部、日曜大衆紙市場のトップは、廃刊前の時点ではNOW紙で約260万部だった。一方の高級紙では、日刊紙の「デイリー・テレグラフ」が約60万部、「タイムズ」が約45万部、「ガーディアン」が約28万部。日曜高級紙では「サンデー・タイムズ」が100万部を超えるが、「サンデー・テレグラフ」は約47万部、「オブザーバー」が約29部である。英国は大衆紙の国と言ってよいだろう。

NOW紙は1843年創刊。1950年代には約850万部まで部数を伸ばしたことがある。その後は熾烈な競争や新聞離れ傾向を反映して、次第に部数を落としていったが、政治家や有名人の個人生活を暴くスクープの数々でその名をはせた。

例えば、1986年、元保守党議員で作家のジェフリー・アー チャーの不倫を暴露し、1995年には映画俳優ヒュー・グラントと一夜を伴にした娼婦の告白話を掲載している。児童性愛主義者退治を目的 とした「ネームド・アンド・シェイムド」 (名前を出すことで、恥をかかせた見出し など、2000年)もよく知られている。8歳の少女が児童性愛主義者に殺害されたことをきっかけに、大量の性犯罪者の名前を紙面上で公開した。

昨年はメイザー・マームード記者がクリケット競技のやらせ疑惑を報道し、新聞業界が選ぶ2011年最優秀記者賞を受賞している。

NOW紙はマードックが英国で最初に買収した新聞でもある。1969年、まずNOW紙を、そしてサン紙を買収したマードックは、英国で新聞王国を築く基礎を作った。

セックス、スポーツ、スキャンダル、スクープを主眼とする2つの新聞の発行者となったマー ドックに「ダーティー・ディガー(いやらしいオーストラリア人)」という不名誉なニック・ネームがついた。1981年、マードックは高級紙「タイムズ」と「サンデー・タイムズ」を買収した。

1970年代から80年代前半まで、労使関係の悪化で新聞の発行が恒常的に遅れる状況が生じた。マードックは、1980年代半ば、ロンドン東部のワッピングに編集室と印刷工場を一晩で移動させ、非労組員を主に使って、新聞の制作を行った(「ワッピング革命」と呼ばれている)。1980年代後半には英国で衛星放送市場に参入し、1990年、英星放送BスカイBの大株主となった。現在、マードックのニューズ社はBスカイBの約39%の株を持つ。

「サン」、NOW,「タイムズ」、「サンデー・タイムズ」は「マードック・プレス」とも呼ばれ、その総発行部数は英国の新聞市場の40%を占めるようになった。世論を支配する力を持つーそんな神話ができあがった。時の政権は、マードックと好関係を保つことに心を砕くようになった。

―「盗聴」とは?

NOW紙での電話盗聴事件での「盗聴」とは、主として、情報を得たい相手の携帯電話の伝言メッセージを無断で聞くことを指す。

元NOWの特集面編集者だったポール・マクマレンが複数のインタビューの中で語ったところによると、携帯電話を購入すると、留守電を聞くためのデフォルトの番号(あくまで仮定だが0000、1234など)が設定されている。このデフォルトの数値を変更する人は多くないという。そこで、記者がこの番号を押すことで、伝言メッセージを聞く、というわけである。

本人が電話に出てしまうことを想定し、記者が2人組みで電話をする場合もあった。1人が最初に電話し、もし本人が出たら、「通信業者からの電話であるふりをする」(マクマレン)。安売りサービスがあるなどとでまかせを言いながら話す間に、もう1人の記者がその番号に電話すると、通話中になるので、伝言メッセージが聞けたという。

また、「ブラギング」という手法も常套手段であった。「ブラグ」とは「巧みな話術で人をだます」などの意味がある。例えば、本人であるふりをして、社会保険やそのほかの個人の身元情報を当局などから取得するやり方である。

「おとり取材」も1つの手法である。これは大衆紙に限らず、高級紙やBBCなど公共放送でも使われる。例えば警官の1人として警察に勤務し、人種差別の実態を暴露したり、養護施設に勤務しながら、不十分なケアが行われていたことを明るみに出したりなど、通常の取材方法では真実を探りだせない場合に実行される。公益のためのおとり取材は、1つのジャーナリズムの手法として確立している。

ーミリーちゃん事件の衝撃

2010年9月、米「ニューヨーク・タイムズ」がNOW紙での盗聴事件を詳しく報じた。一人の記者の単独行為ではなく、盗聴は常態化していたとする、元NOW記者ショーン・ホーアのコメントが入っていた。

同月、「ガーディアン」が、PR会社代表マックス・クリフォードが盗聴行為の賠償金として約100万ポンドの支払いをニューズ会社から受けていた、と報道。中旬には、元副首相ジョン・プレスコットを含む数人が、ロンドン警視庁による盗聴事件の初期捜査が十分であったかどうかを吟味する司法審理を求める、法的手続きを開始した。

NOW紙やNI社側は「たった1人の記者の不正行為」と主張し続けていたが、ロンドン警視庁が2006年、初期捜査時に探偵マルケー宅から押収した書類の中に、自分の個人情報も入っていたのではないか、自分も盗聴犠牲者の1人ではないかと、政治家、有名人、一部市民らが懸念し、警視庁に問い合わせをしたり、NI社を提訴する動きが出てきた。もはやNI社側の「組織ぐるみではない」という説明は不十分になっていた。

今年1月、NOW紙のニュース・デスクの一人イアン・エドモンドソンが、NI社の内部調査の結果、停職措置となった。まもなくして、官邸報道局長クールソンが「疑惑報道が続く中、通常の業務に支障が出ている」ことを理由に、辞職した。

電話盗聴事件が国民的に大きな話題に発展してゆくのは7月上旬である。現在まで続く、第3幕の始まりとなる。

きっかけは、2002年に失踪・殺害されたミリー・ダウラーちゃん(失踪当時13歳)事件だ。今年6月末、ある男性に殺人罪で有罪の判決が判決が下った。

7月4日、「ガーディアン」は、NOW紙の記者らがミリーちゃんの携帯電話の伝言メッセージを盗み聞きしていたと報道した。伝言の容量が一杯になり、新しい伝言が入らなくなるのを危惧した記者らは、録音されていたメッセージを随時、消していた。ミリーちゃんの家族や警察は、メッセージが消されていたので、ミリーちゃんが生きているものと思い、望みをかけていた。これが捜査の行方に影響していたとすれば、刑事犯罪にもなり得る。

殺害された少女の携帯電話にまで盗聴行為を行っていたと知った国民は衝撃を受けた。捜査を妨害していた可能性が出て、政治家も警察も改めて盗聴事件に向き合わざるを得なくなった。

「ガーディアン」は、その後も、潜在的な犠牲者となった市民の例を続々と報道しだした。特に大きな注目を集めたのは、NOW紙や同紙に雇われた私立探偵が英南部ソーハムで殺害された、小学生の女子2人の家族の携帯電話や、アフガンやイラクに派遣された英兵の携帯電話や電子メールに不正アクセスしていた疑念であった。米国の9・11同時テロ(2001年)や英国の7・7ロンドン・テロ(2005年)の犠牲者の携帯電話にもNOW紙が盗聴行為を行っていた可能性が出てきた。

大きな衝撃と怒りが国内で広がり、NOW紙への広告を取りやめる企業が相次いだ。ニューズ社の株価も下がり、汚名がついたNOW紙を同社は廃刊することを決断した。ミリーちゃんの携帯電話盗聴報道が7月4日。その3日後、NI社のCEOレベッカ・ブルックスは、NOW紙編集部を訪れ、10日付で同紙が廃刊となるというニュースを直接伝えた。この発表があった7日以降、NOW紙スタッフが最終号に向けて作業を行ったのは8日、9日の2日のみ。電光石火の急展開であった。(つづく)(「英国メディア・ウオッチ」より)

11月3日にシンポジウム「震災と憲法」

案内をいただいたシンポジウムの紹介です。

法学館憲法研究所サイト http://www.jicl.jp/index.html

シンポジウムのチラシもPDFファイルでダウンロードできます。

20111103シンポ「震災と憲法」.pdf

http://d.hatena.ne.jp/news-worker/files/20111103%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%80%8C%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%81%A8%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%80%8D.pdf

 

〔シンポジウム「震災と憲法」(11/3)のご案内〕

被災者生活再建が震災復興の最大の課題!

‐被災者への個人補償は憲法の要請‐

東日本大震災では、多くの人々の自宅が津波に流され、農林水産業従事者ほか多くの人々が職を失い、いまも今後の生活の見通しが立たない状況が続いています。ところが、この間震災からの復旧・復興が進められていますが、インフラや制度・システムの復旧・復興の検討に比べ、被災者個人の生活再建への支援は二の次になっているといわざるを得ません。

被災者の生活再建支援についてはその法律が1998 年に制定され、2007 年には改正されましたが、それでも支給額は上限300 万円にとどまっており、支給額増額などの再改正が強く望まれます。ところが、国会での法改正の動きはみられず、復興財源をめぐる議論の中でも被災者の生活再建支援はほとんど語られていません。

こうした状況の背景には、個人の生活に公的資金を投入することへの疑問の声があり、被災者への個人補償は憲法の要請なのだという理解が十分に広がっていないことがあります。

そこで、シンポジウム「震災と憲法」では、阪神・淡路大震災に遭遇する中で、被災者への個人補償についての法律制定に、憲法学の理論研究にもとづいて貢献した浦部法穂・法学館憲法研究所顧問(阪神・淡路大震災当時は神戸大学教授)が被災者への個人補償の必要性などについて語ります。シンポジウムは被災者支援の本来的なあり方を深く考える場となり、日本社会の今後を展望する機会になることでしょう。

被災者の方々、震災の復興・復旧にたずさわる方々、被災者の生活再建支援にたずさわる方々、等々にご参加いただきたく、ご案内致します。

1、日時  2011 年11 月3 日(木・祝)14 時~17 時

2、会場  伊藤塾東京校

(電話:03-3780-1717、東京都渋谷区、渋谷駅から徒歩約3分)

3、内容

1震災被災者からの訴え‐東日本大震災被災者

2報告「震災避難者に対する行政の対応の問題点」

‐黒岩哲彦氏(弁護士・「東京三弁護士会東日本大震災復旧・復興本部」委員)

3講演「被災者支援と震災復興の憲法論」

‐浦部法穂氏(法学館憲法研究所顧問・神戸大学名誉教授)

4、参加費 1,000 円

(伊藤塾塾生・学生、法学館憲法研究所賛助会員は500 円、被災者は無料)

5、主催  法学館憲法研究所

6、後援  伊藤塾

法学館憲法研究所(所長:伊藤真) 〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町17-5

電話03-5489-2153 FAX03-3780-0130 E-mail info@jicl.jp

(ブログ「ニュースワーカー2」より)

 

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