危険運転致死傷罪適用–検察はあきらめないで
実は飲酒も嫌いではなく、自分に甘いことでは人後に落ちないと家族に指摘されそうな私だが、飲酒運転だけはするまい、そしてまわりの人間にもさせまいと心に決めている。
飲酒運転については、お酒を飲まない側の幼い子供たちが何人も犠牲になるなど、悲しい事件がぱっと思い出せるだけでもいくつも発生した。書き始めるときりがないほどだ。そのご遺族たちの悲痛な努力に共鳴した多くの人たちの力によって法改正が実現し、過失ではなく故意犯としての危険運転致死傷罪の新設(2001年)、そして過失犯の場合でも、従来の業務上過失致死傷から切り離しての自動車運転過失致死傷罪の新設(2007年)と、刑法上厳罰化の道をたどっている(厳罰化と言うのも、従来が諸外国の例を見ても軽すぎたようなのだから適正化と言うべきだが)。
2007年の道交法改正では、運転手本人に限らず、運転すると知りながら酒を提供した側、飲酒していると知りながら車を提供した側、そして飲酒運転の同乗者にも罰則が設けられた。だから、ぜひ本人だけでなく周囲も誰かが飲酒運転をしようとしたら止めてもらいたいものだが、残念ながら年末年始になると飲酒運転がらみの悲劇を毎年のように耳にする。
今年の元旦、埼玉県東松山市で初詣に出かけた親子3人が歩道にいたところ、飲酒運転の車が突っ込み、父と息子が亡くなり、母が軽傷を負ったという報道が新年早々にあった。新しい年に臨み、家族仲良く心新たに神仏の加護を祈りに行ったはず・・・と思うと、心が痛む。
東松山といえば、2008年2月に熊谷市で起きた9人死傷事故の被害者のご家族が現在お住まいの場所であり、このご家族は飲酒運転撲滅のために様々な活動をしてきていただけに、地元でのこの悲劇には悔しさを感じたそうだ。現場に足を運んで祈りを捧げ、現場写真もご自身のブログに掲載していた。
この件に関して情報を集めていたこのご家族によると、あくまで「過失犯」としての自動車運転過失致死傷容疑と道交法違反(酒酔い運転)での立件に止まりそうだとの見方が強かったそうだが、その後の捜査によって「運転する前から酒に酔っており正常に運転できない状態だった」との判断がなされ、さいたま地検は20日、「故意犯」としての危険運転致死傷容疑に罪名を切りかえて廃品回収業者を起訴した。
埼玉県警とさいたま地検は、このご家族の巻き込まれた熊谷9人死傷事故でも運転手を危険運転致死傷罪で立件し、16年の実刑を勝ち取って確定させているだけでなく、同乗者についても危険運転致死傷罪の幇助犯として立件し、全国初の裁判員裁判の結果、実刑2年を勝ち取った実績があるのだから(高裁でも判決は維持され、現在被告人は上告中)、ここで危険運転の適用をあきらめるはずがない・・・と密かに期待していた。ひとまず危険運転として裁判の入口には立てたということなので、今後は法廷での審理の行方を見守りたい。
もう1件、年末には痛ましい事故があった。兵庫県加西市で、皆既月食の観測に出かけ帰宅しようとしていた小学生の兄弟が、ちょっと母親が車のキーを取りに戻ったすきに飲酒運転の軽トラックにはねられてしまい、死亡したというものだ。兵庫県警は自動車運転過失致死傷容疑で運転手を現行犯逮捕したが、危険運転致死容疑で追送検するところまで持っていった。
それなのに、神戸地検は危険運転ではなく、自動車運転過失致死と道交法違反(酒気帯び)にとどめて起訴したとの報道があり、私は大いにがっかりした。
兵庫県警は10日ほど前には、運転手の建築業者に酒類を提供した飲食店経営者とスナック経営者を道交法違反(酒類提供)の疑いで書類送検もしている。危険運転致死傷罪については、構成要件にある「正常の運転が困難な状態」の立証が簡単なことではないのだとは聞くが、このように警察はやる気があって立件してきているものを、裁判所の判断を仰ぐ前に検察がひとりあきらめてしまっては、何のための法改正だったのだろうと思う。
現在は裁判員制度も導入されている。危険運転致死傷罪は裁判員裁判の対象になる。元々は遺族という市民の要望でできた法律だからこそ、検察が自己規制などせず、裁判で市民の考えを反映させた判例を積み上げて、法律として成熟させていくべきなのではないかと思う。
この運転手の呼気からは、基準値を大幅に超えるアルコールが検出されたという。当然のことかと思うが、この兄弟のご両親は「過失で息子たちが殺されたとは思えない」と考え、神戸地検に対し危険運転致死罪に訴因変更するよう求めるため、署名活動を21日から始めたそうだ。多くの方が署名に賛同くださることを祈るばかりだ。
* * *
署名活動と言えば、昨年4月に栃木県鹿沼市の登校中の児童6人がクレーン車にはねられ死亡した件のご遺族も、署名活動を始めている(http://kirinsan.blog.ocn.ne.jp カテゴリー【全国署名のお願い】【署名用紙】内)。12月の宇都宮地裁判決では、被告人のクレーン運転手に自動車運転過失致死罪の最高刑である懲役7年が言い渡されている。
だが、本来、持病のてんかんを隠して免許を取得し、医師の指示にも従わずに運転を続けた挙句、前夜に薬も飲まずに事件直前に発作の予兆を感じていたという被告人は、「過失」である自動車運転過失致死罪ではなく、「故意犯」である危険運転致死罪で裁かれるべきなのではなかったのか・・・との疑問は、私も感じたし、法曹関係者を含めて多くの人たちが歯噛みしたところだったと聞いた。 しかし、残念ながら危険運転致死傷罪の4つの構成要件の中には、飲酒や薬物の影響下にある場合は含まれているが、飲むべき薬物を飲まずに・・・とは書かれていない。だから、その点を法改正してほしいと幼いわが子を失ったご遺族が考えるのも当然のことだろう。
ここで、思い出したのだが、この構成要件の中に無免許運転が含まれていたら、どうだったろう。
このクレーン車の運転手は、持病を隠して免許を取得し、それ以降、12件の事故を起こし、このうち少なくとも3件はてんかんの発作が原因だと認識していたそうで、「本来許されない運転行為」だと判決で認定されている。つまり、ありのままの病状を申告していたとしたら、運転の適性がないとして免許は与えられなかった・・・つまり無免許と同等だったのではないか。
そうすると、もし、構成要件の中に無免許運転が含まれていたとしたら、危険運転致死罪を適用する道も開けたかもしれない。
確か、この危険運転致死傷罪が新設される2001年の刑法改正時に、署名活動を展開した遺族たちの要望の中には、無免許運転が含まれていた。確認したところ、参議院法務委員会の参考人として、東名事故で2児を失った遺族が「無免許自体が危険運転に直結しないとはそうかもしれないが、心の問題。車のハンドルをその時点で握ってはいけない」と指摘し、「今後もぜひ、無免許運転、無免許で危険運転を犯し、人を死傷させてしまった人にもこの罪が適用できるようにご検討いただけたら」と述べていた。
悲しいことに・・・先見の明があったのは立法府ではなく、遺族の方だったということか。(ブログ「ネコといっしょに七転び八起き」より)
内心の営みにかかわるからこそ処分は慎重に~日の丸・君が代判決で最高裁が説いていること
公立学校の行事での教職員に対する日の丸・君が代の起立斉唱の強制をめぐって1月17日、最高裁が「戒告を超える減給以上の処分の選択には慎重な考慮が必要」との判断を示しました。起立斉唱の職務命令自体については既に昨年5月、最高裁が思想および良心の自由を保障する憲法19条に違反しないとの判断を示しています。今回は、その職務命令に違反した場合の懲戒処分をめぐっての判断となりました。大阪府では既に教職員に日の丸・君が代の起立斉唱を義務付けた条例があり、さらには橋下徹・大阪市長と大阪維新の会が、起立斉唱の職務命令に従わない教職員は最終的に免職できる条例の整備に熱心な姿勢を見せています。少し日がたってしまいましたが、判決への感想、わたしなりの受け止め方などを書き留めておきます。
訴訟では、東京の公立学校で日の丸・君が代の起立斉唱の職務命令を拒否して懲戒処分を受けた現・元の教職員ら約170人が、処分の取り消しを求めていました。既に各マスメディアが大きく報じていますが、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は、停職の2人のうち1人と、減給の1人については「裁量権の乱用で違法」として処分を取り消す一方で、停職の別の1人と残る原告の戒告は妥当と判断しました。
判決理由は新聞各紙も要旨を掲載しており、コンパクトにまとまっています。全文を読むなら、裁判所のサイトからPDFファイルでダウンロードできます。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=81893&hanreiKbn=02
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=81892&hanreiKbn=02
最高裁が示した判断(5人の裁判官のうちの4人の多数意見)は、起立斉唱の強制という問題をどう考えるか、そのスタンスの違い次第で、受け止め方も異なるだろうと思います。強制を違憲とし、一切の処分を不当と考えるなら、最高裁が停職1人、減給1人の処分を取り消したことを評価しつつ、ほかの処分を容認したことはやはり納得できないでしょう。逆に処分は当然とする立場からは、処分の手順を最高裁が具体的に示した、と受け止めることができるのではないでしょうか。
留意すべきは、判決が職務命令に従わない教職員の行為をどうとらえているかだと思います。多数意見は、不起立などの行為が「学校の儀式的行事としての式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう作用をもたらすものであって、それにより式典に参列する生徒への影響も伴うことは否定し難い」としています。しかし一方で、教職員個人の歴史観や世界観に由来する君が代や日の丸に対する否定的な評価から、職務命令で求められる行為と自らの歴史観ないし世界観に由来する外部的行動とが相反してしまうとして、「個人の歴史観ないし世界観等に起因するもの」と認めています。さらに、不起立などの行為は積極的な妨害ではなく、物理的に式次第の遂行を妨げるものではないこと、当該式典の進行に具体的にどの程度の支障や混乱をもたらしたかは客観的な評価が困難なことも指摘しています。言葉を換えれば、個人の歴史観や世界観とは無縁のほかの非行や命令違反とは分けて考えるべきであり、個人の内心の営みにかかわる事項だからこそ、教職員としての働き方に重大な影響を及ぼす減給や停職などの処分には慎重であるべきだと、この多数意見は説いているのだと、わたしは受け止めています。
桜井龍子裁判官の補足意見はさらに踏み込んで、東京都のように1回目は戒告処分とし、2回目以降からは加重処分を行うこととして2回目で減給1か月、3回目で減給6か月、4回目以降は停職処分にするような処分を機械的に行うことは、「行為と不利益との権衡を欠き、社会観念上妥当とはいい難いものというべきである」と、明瞭に論じています。そして、ある意味ではこれが日の丸・君が代問題のもっとも重要な論点かもしれないと思いますが、桜井裁判官は補足意見の最後で以下のように論じています。
今後いたずらに不起立と懲戒処分の繰り返しが行われていく事態が教育の現場の在り方として容認されるものではないことを強調しておかなければならない。教育の現場においてこのような紛争が繰り返される状態を一日も早く解消し、これまでにも増して自由で闊達な教育が実施されていくことが切に望まれるところであり、全ての関係者によってそのための具体的な方策と努力が真摯かつ速やかに尽くされていく必要があるものというべきである。
本来は司法に持ち込む問題ではない、ということを暗に強調しているようにわたしには思えました。
判決には、5人の裁判官のうち弁護士出身の宮川光治裁判官の反対意見も記載されています。職務命令が憲法19条に違反しないなどの点には同意できない、との内容です。わたしなりに要約すると(1)日の丸・君が代に対する不起立、不斉唱は信念に基づくもので、ほかの非行や違反行為とは次元が異なる(2)教職員は生徒に直接教える場を離れた場面では、自らの思想・良心に反する行為を求められることはない―などの内容です。教職員であると同時に、一人の個人であることを最大限に尊重し、個人としての思想、良心の自由を憲法に基づいて尊重しようとする発想だと受け止めました。
最高裁は、結論としての多数意見とともに、少数意見としての反対意見も判決に盛り込みます。少数意見を尊重する具体的な民主主義の手続きでしょう。
さて、橋下・大阪市長と大阪維新の会の今後の動向が注目されます。これまでは、同じ職務命令への違反を3回繰り返せば免職を可能にする規定を教育基本条例案に盛り込んでいました。同条例案は現在、府議会に提案されており、大阪市議会ではいったんは否決されましたが、橋下市長が再提出に意欲を見せています。最高裁判決を受けて、条例案修正の動きも報道されてはいますが、橋下市長は免職へのこだわりは変わりがないようです。日の丸・君が代の起立斉唱問題についての橋下市長の持論は「思想の問題ではなくて規律の問題」ということのようですが、これは今回の最高裁の多数意見とも相容れない部分があるようにわたしには思えます。
最高裁は「歴史観」「世界観」という用語を使っていますが、まさに人間の精神の営みにかかわる問題だからこそ、処分に慎重さを求めています。仮に職務命令自体は合憲だとしても、処分のありようはやはり別の問題でしょう。最終的に、橋下市長と維新の会がどのような条例案を用意するのか。議会でどのような議論があるのか。そして、在阪の各マスメディアはそれをどう伝えるのか。マスメディアの憲法感覚が問われるテーマでもあるのだと思います。
※参考過去エントリー
このブログでは、これまでも日の丸・君が代の起立斉唱問題や大阪の条例について書いてきました。過去記事も参照いただければうれしいです。
▽「『公務員』『教育』と『政治主導』~論議呼ぶ大阪維新の会の条例案」(2011年8月28日)
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110828/1314501786
▽「君が代も定数削減も押し切った大阪維新の会~橋下氏『新しい地方議会』」(2011年6月5日)
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110605/1307280545
▽「日の丸・君が代、起立斉唱の職務命令に『合憲』判断は出たが」(2011年6月2日)
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110602/1306968234
▽「『大阪維新の会』君が代起立条例の報道に差」
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110529/1306642945(2011年5月29日)
(ブログ「ニュースワーカー2」より)
お勧め番組 ー24日の「道」、25日の「世界のドキュメンタリー 勇気ある証言者 ボスニア」
(大妻女子大でライフデザインを教える波津博明先生の学生むけメールの一部を紹介しています。)
先に紹介した、インディー・ジョーンズの「クリスタルスカルの王国」の重大な問題なども、そのうち書きたいと思いますが、まだ時間がありません。
今週の目玉は、イタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリ-ニの名作と25日深夜のボスニア内戦における戦時性暴力(組織的レイプ)をテーマとするドキュメンタリーです。
今回は24日と25日の2日間とします。
24日(火)
◎◎午後1時 NHKBSプレミアム 映画「道」
※フェリーニの最高傑作の1つ。主題曲「ジェルソミーナ」の哀切なメロディとともに、世界の映画史上、屈指の傑作として永遠に記憶されるでしょう。絶対のお勧めです。
●深夜0時 BS1 「BS世界のドキュメンタリー コロンビア 私の土地は渡さない」
※南米コロンビアでの、民衆と、その土地を奪おうとする企業の戦い。「企業との戦い」という、日本の若者にはあまりなじみのない感覚(いや、3・11以来、東電という超悪役が登場して企業悪というものの意味がかなり理解されたとは思います)を、これでどうぞ。
25日(水)
◎午後1時 NHKBSプレミアム 映画「ああ結婚」
※これはコメディなので、世界映画史上の傑作とか、そういう形容は無理です。しかし、やはりフェリ-ニの有名な作品です。楽しんでください。
◎午後9時 NHKBSプレミアム 映画「天然コケコッコー」
※今の子供が、こんなにゆっくりマイペースで暮らしているか・・なんてことを考えながら見ると、また別の感興を覚える・・・ようです。僕は未 見ですが、NHKの番組案内雑誌を読んで興味を持ちました。ケータイ依存とか、自由時間恐怖症(「ひまな時間」が怖くて、アルバイトで予定をびっしりにす るという、現代日本若者特有の行動パターン)など、いrといろなことを考えながら、見ましょうか。
◎◎深夜0時 BS1「世界のドキュメンタリー 勇気ある証言者 ボスニア」
※ボスニア内戦中、セルビア系民兵によって大量に行われた他民族(とくにイスラム教徒女性)に対するレイプに関するドキュメンタリー。現代史 において、戦争中の性暴力として、世界的に知られるのが、日中戦争・第2次大戦中の日本軍による、いわゆる「従軍慰安婦」問題、そしてこのボスニア内戦に おける、セルビア人民兵によるイスラム教徒女性の組織的集団的レイプです。 日本人の過去を考える上でも必見です。
なお、ボスニア戦争については、当時欧米で、諸国政府、メディア双方によってセルビア人に対する偏見が作りだされ、セルビア人=悪玉、イスラ ム教徒=善玉という単純な図式ができました。これが95年夏のセルビア人に対する米英軍の総攻撃などが正当化される背景にありました。実際には、戦争犯罪 はセルビア人、イスラム教徒、クロアチア人と、当事者のボスニア3民族すべてが犯しています。アメリカは戦略上、旧ユーゴ地域を影響圏に組み込むため、セ ルビアだけを悪玉に仕立て上げる必要があり、この性暴力問題も、セルビア人=悪玉論を補強するため利用された面もあります。そこまでいうと、話が複雑にな りますが、ともかく、このドキュメンタリーは、戦時性暴力、という面からご覧ください。強く勧めます。
ところで、戦時性暴力の問題は、2000年、東京の九段会館で行われた「女性・戦犯国際法廷」で、日本の従軍慰安婦と一緒に主なテーマになり ました。当時、NHK教育テレビが、これを4回にわたる大規模なドキュメンタリーとして報道、反響を呼びましたが、その反響には、とんでもない要素があり ました。当時の政府・自民党の有力者(安倍晋三、中川昭一ら)が、事前に内容を察知してNHKに圧力をかけ、日本軍の責任をあいまいにするため、内容を大 きく変えさせていたことが明るみに出て、大問題となったからです。これは、3-4年前、僕の授業「情報公開手法論」でも取り上げたので、覚えている卒業生 もいるかと思います。
メディアに対する政府・国権力の介入としても、歴史に残るケースでした。その意味でも、この番組を見るのは、感慨深いものがあります。
沖縄意見広告運動 ー沖縄市民訪米団の活動に合わせ、ワシントンポスト電子版に意見広告
(「日刊ベリタ」より転載)
1月21日午前、沖縄那覇空港より沖縄訪米団が出発しました。沖縄意見広告運動は、この訪米団の成功と目的の実現のために、訪米団が要請行動をするアメリカ政府、連邦議会、国防省などのあるワシントンDCのワシントンポスト(ウエブ版)に、英語の沖縄意見広告を出すことを準備してきました。(生田あい)
沖縄の伊波洋一さんの全面的ご協力と監修のもとで、英文沖縄意見広告制作プロジェクトをつくり、沖縄やアメリカ現地のかたがたのご協力もえて、ここに、掲載実施の運びとなりました。
皆様のご尽力・ご協力に感謝しつつ、以下に、広告掲載日時のご案内を致します。
ワシントンポストの意見広告の開始は、現地での訪米団の活動期間にあわせて、23日より26日まで、ワシントンポスト(ウエブ版)のオピニオン・フロントペイジを4日間買取り、バナー広告が 昼夜、掲載されます。
是非とも、訪米団の成功を共にするために、関係各位に、またマスコミ・メデイア関係にも、ファックス、メールで広げて頂きますように、お願い申しあげます。
●ワシントンポストの意見広告の開始時期、アドレスを送ります。 下記にクリックすると広告掲載のワシントンポストオピニオン画面をみることが出来ます。 http://www.washingtonpost.com/opinions
◆アメリカ国内では、米国東側時間1月23日午前0:00から1月26日午後11時59分。
◆日本国内では、日本時間1月23日 午後2時から1月27日午後1時59分。
自らのありようを客観化して確認する1冊~日隅一雄弁護士「マスコミはなぜ 『マスゴミ』 と呼ばれるのか」補訂版
もう4年近く前になりますが、以前、このブログで紹介した弁護士日隅一雄さんの著書「マスコミはなぜ『マスゴミ』 と呼ばれるのか」の補訂版が刊行されました。わたし自身は未読なのですが、日隅さんが編集長を務めるサイト「News for the People in Jpan(NPJ)」に、NPJ代表で弁護士の梓澤和幸さんが紹介の一文を書かれているので紹介します。
NPJブックレビュー
日隅一雄弁護士『マスコミはなぜ 「マスゴミ」 と呼ばれるのか』補訂版 現代人文社 梓澤和幸(NPJ代表)
http://www.news-pj.net/books/020.html
4年前に、刊行されたばかりのこの本を日隅さんにいただき、このブログにアップした読後記は以下にあります。
※「読書:「マスコミはなぜ『マスゴミ』と呼ばれるのか」(日隅一雄 現代人文社)」2008年5月7日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20080507/1262047414
当時のエントリーの中でわたしは以下のように書きました。
何よりも、新聞と放送の2大マスメディアで働く第一線の記者にぜひ読んでほしい1冊です。本書は「権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する」との副題の通り、日本の新聞ジャーナリズムと放送ジャーナリズムが実は「新聞社」や「放送局」の会社ジャーナリズムであること、「新聞社」と「放送局」の在り方を決めている要因が読者や視聴者ではなく、国家権力(総務省による直接の電波管理行政に代表される)とメディア企業の資本持ち合い(クロスオーナーシップ)と広告業界(1業種1社制の不採用)の“3点セット”であることを、具体的に指摘しています。
新聞社の記者であれば、新聞販売が独禁法の適用除外となっている再販制度や特殊指定のことはある程度は知っているでしょう。しかし、免許制の放送行政で、戦後間もなくは独立行政委員会が存在していたことを知っている記者は、経済部や文化部の一部の記者を除けば、どれぐらいいるでしょうか。逆に、放送局の記者の中で、新聞の戸別配達(宅配)のことを正確に理解している記者はどれぐらいいるでしょうか。クロスオーナーシップにしても、新聞社と放送局の系列関係は知識としては知っていても、それが「表現の自由」や「知る権利」とどのような関係にあるか、常日頃から念頭においている記者はどれぐらいいるでしょうか。
マスメディアで働く記者たちのこの状況は基本的には今も変わりがない、とわたしは認識しています。その後、この4年の間に政権交代があり、同時に「記者会見の開放」が新聞や放送メディアを直接の当事者として大きなテーマに浮上しました。関連記事が新聞にも載り、記者クラブのありようも含めて、マスメディアの側でも議論が深まり、具体的な行動につながる契機になりうるかに思えましたが、民主党のマニフェストの破たんと歩調を合わせるかのように、記者会見の開放もマスメディアの内部での関心はすっかり薄れてしまったかに思えます。
そして昨年3月11日に東日本大震災があり、東京電力福島第一原発事故が起きました。マスメディアにとっても経験したことがない事態であると同時に、とりわけ原発事故をめぐる安全情報(危険情報)の報道に対しては、厳しい不信が突きつけられていると感じます。しかしながら、やはりマスメディアの内側にいる記者たち、あるいは編集幹部、経営者のどれほどの人たちがその不信を自覚しているか。このタイミングで刊行された本書の補訂版には、日隅さん自身が足を運んだ東京電力の記者会見の模様と、マスメディアの報道の落差の考察が盛り込まれているとのことです。マスメディアの内側にいる者にとって、社会の中での自分たちのありようを客観化して確認するための最良の1冊だと思います。4年前の「何よりも、新聞と放送の2大マスメディアで働く第一線の記者にぜひ読んでほしい1冊」との記述は、今も同じです。
日隅さんは、わたしが新聞労連委員長当時に面識をいただき、共謀罪をはじめ表現規制に反対する取り組みの中でさまざまなご教示をいただきました。職場に復帰した後も、メディア総研の学習会などで時折お目にかかり、その都度、刺激をいただいてきました。新聞記者から法律家に転身されたこともあってか、わたしたちマスメディアの人間に対するまなざしには厳しさと同時に連帯の意もあると、わたしは(自分勝手に、かもしれませんが)受け止めています。
梓澤さんも触れ、NPJサイトにもコンテンツがありますが、日隅さんは軽くはない病と闘っている身です。その中での旺盛な社会活動に深く敬意を表します。
「検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか」 作者: 日隅一雄,木野龍逸 出版社/メーカー: 岩波書店
【追記】2012年1月22日5時20分
日隅さん自身による補訂版の紹介が、日隅さんのブログ「情報流通促進計画byヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄」にあります。
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/e340899b5c8f5ac3393848481d9f8f46
(ブログ「ニュースワーカー2」)
「夢を占拠せよ」運動立ち上がる Newslog USA
昨年9月ニューヨークで始まり全米に広がった「ウオール街を占拠せよ」市民運動は、各地で下火になってきているが、あらたに「夢を占拠せよ」運動が立ち上がりつつある。人種差別と闘い凶弾に倒れた公民権指導者のマーチン・ルーサー・キング牧師の意志を継ぎ、「ウオール街占拠」と連携して経済格差による差別と闘おうという動きである。
この「夢を占拠せよ」は、キング牧師の名スピーチ「私には夢がある」から来ている。キング牧師の暗殺から44年、人種隔離政策はないが、経済差別が今大きく問題になっている。「アメリカンドリーム」を達成しようとしても、「持てる者はより金持ちに、持たざるものはより貧しく」という図式は変わらない。
キング牧師を称え、その誕生を祝う国民の祝日1月16日、米13都市で、アフリカ系米国人教会や公民権運動指導者たちは、連邦準備銀行前で集会やデモ行進を行った。「夢を占拠せよ」運動の始まりである。今後全米に向けて運動を広げ、4月にはワシントンで大集会を開く予定だという。
同運動は3つの具体的な要求リストを掲げている。家屋差し押さえの一時停止。連邦政府の大学教育への補助金増加。職業訓練や雇用創出に向けて金融機関によって1000億ドルの資金が設置されること。
もしこれらの要求が2月14日までにかなえられなければ、牧師たちはそれぞれの教会会員に大手銀行口座から、30ドル以上引き出すように求める。また、会員に信用組合や地方銀行に預金を移すように求めるという。2008年リーマンショック時に、救済されたメガ銀行へ市民からの怒りのメッセージを突きつけようというねらいである。
大手銀行の口座解約という試みは、昨年11月5日全米で行われた。ロサンゼルスの画廊経営クリスティン・クリスチャンさんが9月末フェイスブックで呼びかけた「バンク・トランスファー・デイー」運動がそれである。
バンク・オブ・アメリカがデビットカード使用者に新たに手数料を徴収すると発表し、クリスチャンさんの怒りが爆発した。同銀行は、リーマンショック時に政府から救済された銀行の一つで、昨年は収益を上げている。
この「バンク・トランスファー・デイー」は、99%運動グループも参加して功を奏した。信用組合全米協会によると9月29日から4週間で65万が新規口座を開設。これは昨年1年間の新規開設数を上回った。結果的にバンク・オブ・アメリカは手数料徴収案を撤回している。
一方、この経済格差是正運動は反米国的で、キング牧師の夢ではないと主張する人々もいる。米国には「勝者一人占め」の考えをもっている人は多い。自分で稼いだお金をどう使おうが、人の知ったことじゃない。貧しいのはあんたが怠けているからという考えだ。
共和党大統領候補選でトップを走っているミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事は、11日NBCテレビ番組で、ウオール街や富と力の分配について質問され、「所得の不平等を叫ぶのはねたみによるもの。人々は億万長者やウオール街の幹部たちを単に羨ましがっている。ねたんでいるだけ」と言った。ロムニー氏の資産は推定で2億5千万ドルとも言われている。
資本主義の象徴ともされる「ウオール街」占拠から広がった「99%運動」の中で、多くの人は経済格差が拡大していることへの不満や怒りを示してきた。ロムニー氏は「ねたみ」だと言い切るが、米世論調査機関ピュー・リサーチ・センターの最新調査では、約60%強の市民が貧富の間に対立があると回答しているという。この数字は2009年より19%アップしている。
「99%運動」が盛り上がった頃、このまま大統領選にまで突っ走ってくれるかと期待したが、警察の介入と厳しい寒さで各都市の占拠地も次第に閑散としてきている。春に向けて「99%運動」が再び盛り上がっていくのか。「夢を占拠せよ」運動が「勝者一人占め」を基盤にした社会にどれだけ切り込んでいけるのか。大統領選と相まってその行方は非常に興味深い。(ブログ「Newslog USA」より)
米「ニューズウィーク」の不運 ―「エコノミスト」好調の理由とは その3
最後の回となった。今回は「ニューズウィーク」の動きを追ってみた。
文中で参考にしたのは、Pew Research Center’s Project for Excellence in Journalism: The State of the New Media (An Annual Report on American Journalism) というレポートだ。米雑誌界の盛衰にご関心のある方は見ていただきたい。毎年出しているようである。http://stateofthemedia.org/2011/overview-2/
***
―ネットサイトに吸収された米「ニューズウィーク」
好調の「エコノミスト」とは対照的に、米国では、「タイム」と並ぶニュース週刊誌の1つ「ニューズウィーク」の不調がひんぱんに報道された時期があった。
米ピュー・リサーチ・センターが発表した、米ジャーナリズムに関する年次報告書「ニュース・メディアの状況 2011」によると、ニュース雑誌市場では、3大ニュース誌の「タイム」、「ニューズウィーク」、「USニューズ&ワールド・リポート」)が、2007年以降、急速に部数を落としたという。逆に比較的小規模(100万部前後から下)な「ニッチ(隙間)な雑誌」の「ニューヨーカー」、「エコノミスト」、「ウィーク」、「アトランティック」が部数を伸ばしていた。2008年の「リーマンショック」の負の影響が部数に明確に反映されたのは2010年で、「USニューズ&ワールド・リポート」は同年12月、ニュース週刊誌としての印刷を止めた。オンライン上で報道は続けているが、印刷物は業界ランキングを扱うのみとなった。
「タイム」は2009年下半期の平均部数が335万部から1年後には331万部となり、マイナス1.1%の微減でおさまったが、「ニューズウィーク」は230万部から157万部に31・6%も激減した。「ニューズウィーク」の広告掲載頁は09年から10年の間に19・8%下落し、「タイム」は2.9%減。一方の「エコノミスト」は3.8%増で、明暗を分けた。
米国のニュース週刊誌市場最大手「タイム」と、政治経済に強い「エコノミスト」の間に挟まれた格好の「ニューズウィーク」は、人員過剰もあってコストがかさみ、損失が大きく膨らんだ。起死回生を図るべく誌面刷新を試みたが、この時、目標としたのが「エコノミスト」だった。ネットで流れるニュースのスピードに週刊誌では勝てないことから、論説や解説を主軸にすることに決めたからだ。
「ニューズウィーク」は広告収入に対する考え方も大きく変えた。広告に大幅に依存することで購読価格を低く設定するという米国型の収入体系を改めるため、まず、広告収入の元になる読者数を2008年までの310万人から、2010年年頭までに150万人に変更した。同時に購読料を年間20ドル(約1560円、昨年11月7日計算)から40ドルに倍増させた。読者数は減っても、より高い購読料を払える読者を対象にする雑誌に変えようというのである。(ちなみに、「エコノミスト」の購読料は年間120ポンド前後で、円に換算すると約1万2000円から1万5000円ほどになる。「ニューズウィーク」の購読料よりもかなり高額だーあるいは「ニューズウィーク」の価格はかなり低い。)
しかし、現実は厳しかった。08年から09年にかけて広告収入は37%下落。刷新誌面も評価を高めることができず、2010年5月、「ニューズウィーク」を半世紀近く所有してきたワシントン・ポスト社はついに「ニューズウィーク」を売りに出した。同年8月、音響関連の企業を経営するシドニー・ハーマンが、負債を引き受ける条件で、「ニューズウィーク」をたったの1ドルで買収した。この年の12月、「ニューズウィーク」は、2008年に生まれたばかりのネット専門のニュースサイト「デイリー・ビースト」と合併。経営はニューズウィーク・デイリー・ビースト社が行うことになった。同社の株の50%は「デイリー・ビースト」を所有するIAC社が、残りをハーマンが手にする。
先の年次報告書に寄せた論考(「Magazines: A Shake-Out for News Weeklies」)は、米国のニュース雑誌は、これまでのように、移り気な読者を大量に集めることで大きな広告収入を取得するやり方ではなく、「『エコノミスト』のように」、堅実で忠実な購読者を確保することに重点をおく必要がある、と指摘している。
また、「エコノミスト」が過去10年間に北米で販売部数を130%増大させ、ビジネスとして成功させることができた理由として、①グローバルな経済情勢を理解するために必須の読み物だというマーケティング戦略に成功したこと、②知性を高めることを主眼とする編集方針の一貫性、③一部売りの値段及び年間購読料を米国の「タイム」などよりもはるかに高く設定していることを挙げている。
米ニュース雑誌市場で「エコノミスト」よりも成功しているのが、月刊誌の「アトランティック」だ。部数は前年比1・3%増だが、広告頁数は24%増。デジタル広告の収入は70%増加、紙媒体からの収入も27%増となった。「アトランティック」関係者は成功の理由を①確固としたブランド化、②デジタル・ファースト戦略、③マーケティング・サービスの構築、④読者が参加するライブ・イベントの開催、⑤質の高い人材を採用する点を挙げた。
もともと英国で始まった、その週のニュースを世界の様々なニュースメディアから選りすぐってまとめる、「ウィーク」も人気が高い。部数こそ微増(0.7%)だったが、広告頁数は前年比16・8%増となっている。(終)(月刊メディア誌「Journalism」12月号掲載分に若干、補足)(http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13295)
「エコノミスト」http://www.economist.com/
「ウイーク」http://www.theweek.co.uk/
「タイム」http://www.time.com/time/
「ニューズウィーク」http://www.thedailybeast.com/newsweek.html
「アトランティック」http://www.theatlantic.com/
(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)
「がまんが足りない」のではなく「人権」の問題
昨年暮れ、内閣府の男女共同参画局に「東日本大震災後の女性の暴力被害防止に向けて」と題した提言書を、「災害時の性暴力・DV防止ネットワーク」が提出した。その提言書をまとめる手伝いをしたが、その中で「東北地方では男尊女卑の文化が根強いので、被害者側である女性が忍従を強いられるとの訴えが被災者から聞かれた」「普通は嫁が我慢するだろと、仮設住宅ぐるみで被害女性に大きな圧力をかけている現実がある」との部分が、特に印象に残っている。
さて、女性宮家を創設する方向での話が最近報道されている。現在の皇室典範では、皇族女子は婚姻により皇籍離脱となっているため、未婚の皇族女子が愛子さまと佳子さまのふたりになってしまった今、急がないと成人の皇族女子は婚姻により次々と一般人になってしまう。将来の天皇家を支える皇族がいなくなってしまうことになる・・・という危機感から、こういった話が出てきているらしい。
ここで、女性宮家を創設する場合に、夫となる一般人も皇族にする案が元旦の読売紙面に掲載されていた。妻である女性宮家の当主とともに公務を行うことが考えられること等から自然な話だとして、「民間人の男性が皇族に加わる道が初めて開かれる」可能性について報道されていた。
これについて、同紙では「女性宮家 夫の意思配慮を」という論考を掲載していて、興味を引かれた。つまり、一般男性が女性宮家当主の皇族女子と婚姻をすれば、皇族に列される代わりに重要な基本的人権が制約される。権利の制約はあっても、できるだけ意思を尊重する運用をするべきだ・・・という内容だった。
一般国民でなくなることによってどんな基本的人権が制約されるかというと、参政権、表現の自由、移住の自由、職業選択の自由への制約が考えられる。伝統的な皇室のあり方、憲法の趣旨からも政治的活動はできないことが想定され、会社の経営、株取引といった経済活動も無理だという。
そんな中、女性宮家当主の女性と婚姻する男性には、皇室の一員として道徳的、精神的義務を負い、妻である皇族女子に寄り添い、公私ともに支える役割が期待されるのだという。また、女性宮家は一代限りにする場合も考えられるそうで、皇位継承資格とは別物での議論になるそうだ。
ここまで見て、女性宮家当主となる皇族女子の方々の配偶者となる人を無事に得るのにはハードルが高いな・・・と感じると同時に、これまで女性が皇族になる際に、「意思に配慮しよう」とか「人権が制約される」という観点からの報道はほぼ無かったのではないか・・・と考えた。
改めて書くまでもなく、上記で指摘されていた人権への制約というものは、民間から皇族に嫁いだ女性たちは皆さん経験されてきたことだ。それが、これまではメディアもお祝い一辺倒というか、「めでたい」というお祝いの空気の陰で、嫁ぐ人物の人権などは無視されてきたようなところがあったと思う。それも、「めでたい」のも、結婚するおふたりの幸せについてというよりも、天皇家が連綿と続いていく可能性が生じたという点で「めでたい」という、そんなところさえ感じた。
実際には、外交官だった皇太子妃殿下が嫁がれたときに、これまでの妃殿下のキャリアを重んじての意思尊重という、そんな指摘をした人もあったかもしれない。が、結局、お世継ぎの話の陰で「大きなことではない」との認識で大勢は来たのではないか。そしてその後、妃殿下が適応障害であるとの診断が公にされた後に、それまで、妃殿下の「人格」が尊重されていないことがあった旨を皇太子殿下が述べられたと記憶しているが、そのご発言も「そんなことを殿下が口にするのは異例だ」とばかり捉えられてしまって、一般から皇族になる「環境」の変化は分かっていたことじゃないの・・・他にも皆さん我慢してきているんだから、妃殿下も我慢しなさいよ・・・という冷たい視線を、皇太子殿下と妃殿下に対して世間がさらに向けるという結果になったように思った。
でも、立場が男子に逆転したら、どうだろう。こうやって女性宮家当主の配偶者を考える中で、「人権の制約」という、問題の本質にやっとスポットが当てられたのではないだろうか。
冒頭で紹介した「普通は嫁が我慢するだろ」という地方が引きずる意識は、日本で最も長く続く旧家である天皇家をとりまく人々が、これまで持ってしまっていた意識なのではないか。その長い歴史を振り返れば、嫁などは何ほどのものでもない、次代に天皇家が引き継がれさえすれば、それでいい・・・と考えてきた人たちも、皇室に入る男性配偶者を想定することで、やっと妃殿下の苦しみを自分寄りの立場に引き寄せて考える可能性が出てきたように思う。寝込んだ嫁さんの代わりに家事や子育てをして、やっと何が大変なのかが分かった夫の話はいまだによく聞くが、立場の交換というのは問題発見のためには効果的なことだったりする。
そう、これは「環境に適応できない本人」の問題ではなく、「人権が制約される環境」の問題なのだ。私は、人は環境を変えることができ、問題解決のためには環境をガラッと変えることが有効だと信じてきたところがあるが、その手法が通用しないとしたら、かなり精神的に行き詰まるだろう。そして、このような制約に対して、日本社会の中では女性よりも表に回って主体的に動くのが普通であると教えられてきた日本人男性の場合も、その精神は耐えられるのだろうか。
はっきり書いてしまうと、このままの状況だとしたら、未来の男性配偶者が第2、第3の妃殿下のように精神を病むことにならないか心配だ。精神を病まずとも、配偶者である皇族女子に対して、うっぷん晴らしの暴力の刃を人知れず向けることにならないだろうか。被災地では、職を失った男性が妻に対して暴力をふるうなどDVのケースが増加しているという。嫁が我慢すればいい問題ではないし、皇族女子の場合は、公の立場にあるため、逃げ場もない。
それに、皇位継承については議論は別に持たれるようだが、このように基本的人権を制約されるほど尽くしても、もし自分の子供には皇位継承資格が与えられないことになるのだとしたら?現在、婚姻によって一般人から皇族となった女性の場合よりも、男性配偶者にはきつい条件ということにならないだろうか。自分の子供が報われるのなら、たとえ自分自身が報われなくても・・・と現状を我慢する道さえないのだ。
もっとも、世継ぎを生まねばならないというプレッシャーが無いことは良いことなのかもしれないが。
皇室に入ったという環境自体を、皇族の配偶者が完全に変えることは無理なことだろう。でも、少しでも意思が尊重されるような環境が用意されるのだとしたら・・・しかし、そんなことが可能なのだろうか?可能ならば、皇太子妃殿下のために実践できていたはずなんだからと悲観的にもなるが、女性配偶者とはちがい、男性配偶者だからこそ本腰を入れて相当の変化がなされる可能性もあるとも思う。当然、女性配偶者の環境も同様に整えてもらいたいものだが。
かなり以前、取材したイベントに皇太子妃殿下が来場されていたことがあった。会場に足を踏み入れたと同時に、すましていた和服のご婦人方が「きゃー!」と歓声を上げて大挙して駆け寄り、妃殿下は遠慮がちな笑顔で手を振り、頭を下げながら歩いて行った。アイドルを取り巻く大きな人波が、一瞬にして過ぎ去ったように見えた。妃殿下を「覚悟が足りない」などと非難する人ほど、この環境が一生続くことに耐えられるとは思えない。(ブログ「ネコといっしょに七転び八起き」より)
英ニュース週刊誌「エコノミスト」好調の理由とは その2
―強みはブランド力、そしてパッケージ化
幾多あるニュース雑誌の中でも、ひとはなぜ「エコノミスト」に向かうのだろうか?
ジョン・ミクルスウェイト現編集長は、エコノミスト・グループの編集上の哲学として、「私たちの世界観、様式、哲学全体がほかの出版物とは違う」とウェブサイトで語っている。具体的には、「国際的であること、政治とビジネスのつながりを強していること、不遜であること、独立していること」だという。
2010年7月、「エコノミスト」のデジタル担当エディター、トム・スタンデージを取材したときに、例えば米ビジネス週刊誌「ビジネスウィーク」にはビジネス記事は掲載されているが、政治記事は少ない、と指摘していた。
「米国の経済誌の場合、政治記事が少ない。またニュース誌の国際面は必ずしも世界の全地域を常時カバーしているわけではない」。一方の「エコノミスト」では、全世界の各地域を扱うスペースが毎週用意されており、「世界の情勢を俯瞰できる」とスタンデージは説明した。
「エコノミスト」が創刊されたころといえば、大英帝国が「パックス・ブリタニカ」、最盛期に向かう助走の時代である。産業革命による経済力と軍事力を使って、世界各地に大英帝国の領地が拡大していった。
英国の目はたえず世界に向いていた。この時代に身につけた「英国から世界全体を俯瞰する」視線は、現在でも「エコノミスト」には受け継がれているということだろう。
しかし、この視線や言論が、例えば当事者から見て、時には「不遜」と受け取られることもある。しかし、それこそが「エコノミスト」である、とミクルスウェイト編集長は述べている。また、その言論は、特定の勢力におもねることなく、「独立している」とも。
さらに、「米国のメディアではない」ことも大きな力になっている。発行部数の半分強が北米の購読者だが、この地域の知識人は「米国発ではない、もう1つの視点」を求める。2003年、イラク戦争をめぐっては、米知識人たちが愛国主義に傾きがちの米国メディアにかわる「もう1つの視点」を求めて、英ガーディアン紙のウェブサイトに殺到したことがあったが、それと同様の動きが「エコノミスト」にも働いている。グローバルな視点を持ちつつ、かつ英国のメディアであるということが、はからずも「エコノミスト」に独自の立ち位置を与えている。
「エコノミスト」は紙媒体だけでなく、ウェブ版にも注目が集まっていると先に述べた。ネットと紙媒体の両立を、「エコノミスト」はどうやっているのだろうか?
ーこの一冊を読めば今週はこれで終わり
先のスタンデージによると、「エコノミスト」は雑誌に出た記事を、1週間かけてウェブサイトに少しずつ出していく。次号がそろそろ発売になる頃には、丸々1冊分の記事全て及びアーカイブ記事をサイト上で無料で読めるようになる。ということは、時間さえかければ「エコノミスト」を買わなくても、全部読むことができるということだ。それでも、紙媒体の「エコノミスト」の販売部数(店頭売りの比率が少ないので、発行部数はほぼそのまま有料購読数と見てよいという)には影響がないという。
その理由をスタンデージは「パッケージ化の強み」と説明する。ネットで記事を読んだ場合、次から次へと記事が出てくるので「際限がない」。ところが、1冊の雑誌、つまりパッケージとして「エコノミスト」を手にすれば、「全ての領域が網羅されており、これを1冊読めば、今週はもうこれで終わり」として、区切りをつけることができるというのだ。また、紙媒体は様々な場所に気軽に持ち込み、読むことができる。忙しい世界の指導者層やビジネスに携わる人々にとって、これが非常に便利なのだという。「ウェブサイトは、雑誌の代わりにはならない。紙の雑誌の不完全な代用品でしかない」。
ただし、iPadなどのタブレットやスマートフォンは、画面上で紙の誌面に酷似したものを出せるので、これは「1つのパッケージになっている」とみている。このためタブレット端末やスマートフォーン用には独自のアプリを用意し、有料購読制を取っている(ちなみに、タブレットやスマホ上で「エコノミスト」PC版のウェブサイトを開いた場合は、パソコン上でサイトにアクセスしたのと同じになり、無料で読めることになる)。
「パッケージ化」とは、週内の様々なニュースをフィルタリングし、カプセル化することを意味する。情報が増えれば増えるほど、読者のために情報をフィルタリングする媒体の重要性が増すことになる。
「雑誌の代替にはならない」とスタンデージが言うところのウェブサイトは、現編集長就任の2006年頃から力を入れている。
現在では、雑誌に入る記事だけではなく、記者が書くブログ(英国の政治について書く「バジョットのノートブック」、アジア事象については「バンヤン」、金融市場の「ボタンウッズのノートブック」、スポーツの「ゲーム・セオリー」、書籍・文化・アートの「プロスペー」など20を超える)が随時更新され、世界中の利用者からコメントが寄せられる。一つの議題を決めてこれを討論するコーナーや「ギリシャはユーロを去るべきか?」など、その時々のトピックに関して是非を投票させるなど、双方向性を取り込んだ、毎日、動きのあるサイトとなっている。
ところで、人にお金を払ってでも読みたいと思わせる質の高い記事を書く秘訣はあるのだろうか。
独自の視点、分析力を誇るには、編集スタッフの質の高さと広い取材網が必要だ。「エコノミスト」もその例に漏れない。常に世界の様々な情報をウオッチングし、解析する作業を行う記者たち、編集者たちは、学生時代からあるいは子供時代から長年に渡る、相当な量の読書(あるいは議論)にいそしみ、知識の積み重ねを行ってきた人材である。
「エコノミスト」中国特派員や東京支局長を務め、今はアジアに関するコラム「バンヤン」の書き手として知られるドミニク・ジーグラーは「記者の質が高い」ことに加え、「情報の質が高い」ことを理由として挙げた。「内部事情をよく知る人や政府や組織の上部にいる人」への取材に加え、「道行く、普通の人々」にも広く取材をしているという。独自の取材網で得た質の高い情報があるからこそ、「独自かつ質の高い情報を発信できる」とジーグラーは説明する。
ついでに、経営面から好調の理由を探ると、まず、購読料が全収入の5割から7割近く(残りは広告収入)を占め、景気の動向に左右されにくい仕組みになっている。昨今のように経済の先行きが不透明になればなるほど、情勢分析に優れた「エコノミスト」が強みを発揮するのはご承知の通り。また、株式を上場していないので、株価の上下に左右されることもない。さらに、マーケティングにも大きく投資している。先の3月期決算の数字では、収入総額の実に約42%にあたる約1.5億ポンドがマーケティング関連への投資だった。
―オックスフォード大卒の知ったかぶりとの批判も
しかし、「エコノミスト」を批判する人もいる。
1つの典型が米ジャーナリスト、ジェームズ・ファローズが米ワシントン・ポスト紙に書いた「『エコノミスト』誌についてー植民地支配的な従属姿勢の経済学」と題する記事だ(1991年10月6日付)。
英国滞在経験もあるファローズは、「エコノミスト」が「英国の階級制度に根ざした俗物根性、気取り、極度に単純化した議論」にとらわれており、「知ったかぶりのイングランド人の態度」を米国に提供している、と書いている。「自分たちはオックスフォード大学の卒業生だ、だから正しい」とでもいうような態度(編集スタッフには同大学の卒業生が多いという)を、ファローズは嫌う。
編集長を始めとして部員がオックスフォード大学のモードリン・カレッジの卒業生であることが多く、このあまりにも仲間内的な構成がグローバルな雑誌の編集には適さないのではないかという指摘は、英国内でも時折、耳にする。
批判は記事の匿名性にも及ぶ。カナダ人の作家で、国際ペンクラブ会長のジョン・ラルストン・ソウルは、「エコノミスト」が記者の名前を隠すのは、「意見よりも、公平無私な真実を販売しているという幻想を作り出すため」と著作の1つに書いている。
ファローズやソウルに限らず、「エコノミスト」の「上から目線」に、植民地を拡大していった時の大英帝国の姿を重ね合わせ、反発を感じる人は少なくない。しかし、それにもかかわらず、「エコノミスト」を手に取る人が増えている。それは、グローバル化が進む中で次々に起こる経済危機や政治の混迷を理解する一助になっているからだろう。
つまるところ、「エコノミスト」好調の最大の理由は、独自の視点という最大の売りもさることながら、大英帝国時代を彷彿とさせる俯瞰主義、そして不遜ともいえる大胆な分析力、この2つの力が醸し出す「頼れる一冊」というブランド・イメージかもしれない。(つづく。次回は最後で、米「ニューズウィーク」の話) (ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)
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月刊メディア誌「Journalism」12月号(http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13295) に英「エコノミスト」http://www.economist.com/
英ニュース週刊誌「エコノミスト」好調の理由とは その1(「Journalism」12月号より)
月刊メディア誌「Journalism」12月号に英「エコノミスト」が売れる理由を分析する原稿を書いた。十分に説明できているかどうかは、読む方の判断にお任せしたいが、囲み記事としてつけたのが、米ニュース週刊誌「ニューズウィーク」との比較であった。長いので分けて流します。
「Journalism」12月号(http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13295
「エコノミスト」http://www.economist.com/
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英「エコノミスト」好調の理由とは?
国際政治、経済、社会動向の最新情報を分析・解説する、英国のニュース週刊誌「エコノミスト」が、好調の波に乗っている。
エコノミスト・グループの2011年3月決算期の営業利益は前年度10%増の6300万ポンド(約78億円、2011年11月7日計算)、収入は9%増(3億4700万ポンド)、税引き後の利益は16%増(4420万ポンド)に上る。発行部数は4%増(2010年7月―12月期)の約147万部。広告収入は15%増で、デジタル広告の伸びに注目すれば、23%増の好成績だ。
広告主や読者の「紙離れ」が恒常的経営不振の大きな原因となっている米英の新聞雑誌業界からすれば、「エコノミスト」の好調はうらやましい限りだ。
一方、負債が膨らんでいた米ニュース週刊誌「ニューズウィーク」は、米版「エコノミスト」を目指して2008年に変身を図ったものの、思うような結果を出せないままに終わっている。
「ライバル誌には絶対に真似できない」と「エコノミスト」の編集者の1人は、筆者に自信たっぷりに語る。一体、「エコノミスト」にできて、ほかのニュース雑誌にできないこととは何なのか?
本稿では、改めて「エコノミスト」とは何かに注目し、成功のための戦略を紹介する。また、米ニュース雑誌業界の盛衰をたどりながら、「エコノミスト」の成功理由を別の側面から見てみたい。
―1843年創刊の穀物法反対運動の落し子
週刊誌「エコノミスト」の創刊は1843年である。帽子製造を営んでいたスコットランド人、ジェームズ・ウィルソンが38歳で立ち上げた。
ウィルソンは経済における自由放任主義「レッセフェール」を信奉し、1830年代後半、大きな政治問題になっていた「穀物法」廃止運動の主要論客の1人となった。穀物法とは、国内の穀物価格がかなり高くなるまで、外国からの穀物輸入を禁止するもので、価格の高値維持を狙う法律だ。1815年、ナポレオン戦争が終了し、欧州大陸から安い穀物が流入することをおそれて導入された。
当時、国会議員の大部分は地主貴族で、生産する穀物の値段が高止まりするのは自分たちにとっては都合が良かった。しかし、穀物価格が上がれば賃金が上がると見た産業資本家層がこれに反対し、パンが安値で買えなくなると懸念した労働者層も反対に動いた。穀物法問題は階級間の争いという様相を呈し、議論が百出した。
ウィルソンはこのとき、統計や史実をふんだんに使って、何故穀物法が廃止されるべきかを論理的に説明した長文パンフレットを発行した。自分が所属する階級の利益にとらわれた主張をする人がほとんどの中で、事実を元にして書かかれたウィルソンのパンフレットは高い評価を受けた。穀物法について一躍論客となったウィルソンは、その後、新聞各紙に論説記事を寄稿するようなるが、編集者の手によって記事が縮小されたり、掲載が延期されるという憂き目にあった。
そこで、自分の手で新聞を発行しようと思い立ったウィルソンは、1843年8月、「ザ・エコノミスト、または政治、商業、自由貿易のジャーナル」を1部6ペンスで創刊した。
当時、ウィルソンは「エコノミスト」という言葉に、「全ての議論、原理を事実に照らし合わせることによって問題を立ち向かう人」という意味を込めていたという(” The Pursuit of Reason: The Economist 1843-1993” by Ruth Dudley Edwards)。なお、穀物法の廃止されたのは、創刊から約3年後の1846年である。
「エコノミスト」の当初の平均部数は2000部弱であった(「エコノミスト」のウェブサイトより)であった。1870年代頃まで、発行部数は4000部から3000部を維持し、少数のエリート層による購読の時代が続いた。1万部に達したのは1938年である。このとき、購読者の半分は英国外にいた。
10万部の達成は1970年。『陽はまた上る』など、日本に関する数々の著作でも知られているビル・エモットが編集長となった90年代前半、部数は50万部に伸び、収入の80%が海外での販売によるものとなった。
2011年上半期、全世界で発行されている部数は約148万部。そのうち、英国内の購読者は約14%(21万318部)。購読者の比率は北米が最も高く(約56%、84万4387部)、次が英国を含む欧州(約30%、45万1213部。英国を除くと、約16%、24万895部)となる。発行総数の前年比は3・03%増だが、特に伸びが大きいのが母国英国(前年比7・7%増)である。
―匿名記事で違いを出す
「エコノミスト」のウェブサイトから、自己定義や統治体系を見てみた。「エコノミスト」とは「国際的なニュース、政治、ビジネス、金融、科学、テクノロジー」などについての、「信頼できる洞察や論説を提供する」出版物とある。
週に一回発行の雑誌だが、「ニューズペーパー」(新聞)と呼んでいる。それはその週の主なニュースを掲載し、毎週木曜日、世界の複数の場所で印刷され、翌日あるいは翌々日には読者の手元に届く発行物という点で、刊行頻度は日刊紙とは異なるものの、その役割や内容は新聞と同様の媒体と考えているからである。
記名記事が原則の英国にあって、「エコノミスト」はその記事が全て匿名であることも特色の1つだ。これは「書いている内容のほうが、誰が書いたかよりも重要」という考えによるもの。活発な議論が交わされる編集会議には記者全員が出席でき、個々の記事の執筆には記者がお互いに協力し合い、「1つの声」として発信している。
記者の数は約90人で、30余人が特派員として世界各地に駐在している。普段は表に出ない記者陣のプロフィールはウェブサイトの「メディア・ディレクトリー」に詳細が記されている。
「エコノミスト」の株式は創刊以来、ウィルソン家が保有してきたが、1928年からは全株の半分を、英メディア複合大手ピアソン社の子会社「フィナンシャル・タイムズ」が所有している。株式は上場しておらず、残りの株は従業員や投資家(キャドベリー、ロスチャイルド、シュローダーなど)が持つ。一部の株は4人の評議員(トラスティー)たちが保有し、特定の投資家や企業が株の過半数を所有しないよう工夫がされている。
編集権の独立を保障するのは評議員たちだ。エコノミスト・グループの会長職や「エコノミスト」の編集長を決める権利を持ち、株の譲渡も評議委員会の承認なしには決定できない仕組みとなっている。
―急進的保守派の論調 読者は年収1300万、平均47歳
「エコノミスト」の創始者ウィルソンは、自由貿易、国際主義、政府の干渉を極力避ける、市場の力を信奉など、19世紀の典型的な自由主義的考えの持ち主だった。現在の「エコノミスト」もこの流れを汲んでいる。政治的には「急進的保守派」(1950年代のある編集長の表現)で、過去を振り返ると、レーガン前米大統領(共和党)やサッチャー前英首相(保守党)を支持した。ベトナム戦争では米国を支持。その一方で、ウィルソン前英首相(労働党)やクリントン前米大統領(民主党)の政権取得を支持した。古くは刑法改正、非植民地化を提唱し、銃規制や同性愛者同士の結婚など、様々な自由化政策を支持した。
文章は「平易であること」をモットーとしている。名物編集長の1人ウオルター・バジョット(編集長在職1861-1877年)は、「日常的に人と会話をしているように」書くことを記者に勧めたという。しかし、ユーモアやウィットを随所に利かせた癖のある文章は、ストレートなニュース報道とは異なり、必ずしもわかりやすいわけではない。
こんな「エコノミスト」の読者は世界平均で87%が男性だ。平均年間所得は17万5000ドル(約1300万円)、年齢の中心は47歳という。
「エコノミスト」の読者といえば、エリート層、しかもやや高齢(例えば政治家や企業の経営陣など)というイメージがあるが、こうしたイメージをほぼ踏襲する結果となっている。
ネット版「エコノミスト」の読者層(全員が購読者とは限らない)はどうだろうか。所得、年齢をみると、幅が広くなる。利用者の3割は日本円に換算すれば年収約370万円以下で、年収約800万円までの人を入れると、70%近くにもなる。また、34歳以下の若者層が6割を占め、45歳以上は2割ほど。つまり、ネットで同誌の記事を読んでいる人は、いわば「普通の人」だ。将来の購読者を獲得し、言論の広がりを加速させるには、広範囲な読者が生息する場所、すなわちウェブサイト、あるいは携帯電話やそのほかの電子端末で提供するコンテンツの拡充が重要な鍵を握ることになる。(つづく)(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)




